7.学校案内
「ひゃっ、新宮先生? ど、どうしたんですかぁ?」
小走りで教室に駆け込んだ俺を出迎えたのは、怯えた表情の蛭田董子だった。
彼女は確か今年で18歳になるはずだが、小柄で華奢、さらに丸顔の童顔なのでよく小学生に間違われるらしい。おまけに気も小さく、幼さをより強調している。
教室をさっと眺めたが、ほとんどの生徒は帰った後のようだ。ユリと橋田の一触即発も覚悟していたが、残っていたのは蛭田の他には男子が二人、そして……窓の外の宵闇を無表情で眺めているユリだけだった。
「ユリ。まだ残ってたんだな」
俺の呼びかけに一瞥をよこし、ユリは再び窓の外に視線を向ける。
トラブってなかったのは一安心だが、話したかった橋田もいないし、このまま職員室に戻るのもイマイチ格好がつかない。
さて、どうしたものか……
「……あ、そうだ! ユリ、学校を案内しよう」
そう、転入生といえば学校案内である。ドラマやアニメでもよくあるシチュエーションだ。
しかし、教師とは言え夜遅くに女子生徒一人を連れ出すのはあまりよくない。他の生徒もいた方がいいだろう。できれば女子で。
他の女子を求めて教室内を見渡すと、怯えた視線とぶつかる。……まぁ、選択の余地はないな。
「蛭田さん、ちょっと時間あるかな?」
「ひぃ、な、なんですかぁ……?」
蛭田董子はまるで恐喝でもされているのような表情を浮かべる。
「大丈夫、取って食ったりしないから」
数分後――。
生徒二人を半ば強制的に引きつれて階段を登り、三階にたどり着いた。
ユリは軽やかな足取りですぐ後ろについて来ている。一方、蛭田董子はここまで登る途中で何度か段差につっかかり、まだ階段を登っている途中だ。
廊下はT字路になっている。まず、今登って来た階段と垂直方向、つまり左右には長い廊下が伸び、各学年の教室が並んでいる。そして正面方向には、渡り廊下が旧校舎に向かって伸びているのだ。
調代東学園は、大きく分けて三つの建物で構成されている。
一番南にあるのがいわゆる新校舎と呼ばれる建物で、今自分たちがいる場所だ。全ての学年の教室が集まっており、座学の大半はここで行われる。
次に、西にあるのが旧校舎だ。旧とはいっても怪談に出てくるような古めかしい木造の校舎ではなく、築年数が経過しているだけの鉄筋コンクリートの校舎である。職員室や校長室、応接室などがある。俺が小学生の頃はまだ新校舎はなく、各教室もこちらにあった。
最後に、北にあるのが実習棟。旧校舎とほぼ同時期に建てられたらしい。理科室や家庭科室といった一般的な学校における特別教室はここにまとまっている。
――と、渡り廊下の向こう、旧校舎に人影が二つ見えた。それはまるで逃げるように、廊下の奥の方へ行ってしまった。
どちらも背丈は小さめで子供のように見えた。小学生がまだ残ってたんだろうか?
こんな時間まで小学生が校舎に残っているのはあり得ない。特別講義を受ける小学生だとしても下校時間は随分前に過ぎているし、子供の安全のためにもなるべく早く下校させるのが決まりなのだ。
深く考えるより先に足が動いていた。渡り廊下を小走りで駆け抜け、旧校舎の廊下の奥を目指す。二人も俺の後をついて来ている。
旧校舎の廊下は青白い蛍光灯に照らされている。その途中には階段があり、降りると二階にある職員室の近くに出るのだ。
と、その階段の下の方から、くすくすという笑い声が聞こえた気がした。
二階まで駆け降りると、一階へ続く階段を女の子らしき人影が二つ、金銀に瞬く髪を揺らして降りていくのが見えた。
「待ちなさい!」
それで止まるなら苦労はないと思いつつも、言わずにはいられない。
その時、
「懐かしい?」
と不意に耳元でささやかれ、反射的に首をすくめた。
声は少女のそれだった。しかし、身構えて左右を見渡しても、それらしき女の子の姿はない。
「これから……が出る……ね」
またもや少女の声がささやく。今度は脳内に直接響くような。
「誰だ!?」
と叫んで階段を更に下っていく。
旧校舎の一階にたどり着いたが、人影はどこにも見当たらない。声も聞こえなければ気配もない。
「さっきのは一体……?」
「お、お化けじゃない……ですよね……?」
遅れて一階にたどり着いた蛭田董子が声を震わせながら後ずさり、階段を一歩登る。今にも上に向かって逃げ出しそうだ。
「確かに姿は見えたわ。――でも、すぐ消えた」
ユリが探すように首を巡らす。
「幽霊や妖精の類か?」
「いや、ゴーストであれば目に見えなくても気配くらいは分かる。だが、あれは……」
ユリは虚空を睨むように目を細めた。
結局誰も見つけられず、三階の渡り廊下まで戻ってきた。まったく、とんだ学校案内になってしまったものだ。
不意にユリが立ち止まり首を傾げる。
「ヒルタ……。なんかイメージと違う。ファーストネームはなんていうの?」
「ファースト……? あぁ、名前のこと? と、董子、だよ」
蛭田董子は目を白黒させ、ちょっと恥ずかしそうに答えた。
「トウコ……。うん、そっちの方がしっくりくる。トウコ、トウコ」
ユリが言葉の余韻を噛み締めるように繰り返す。
「ユリ……さんが言いやすいなら……、うん、トウコがいいな」
「私の事もユリでいい。さん、はいらない」
「う~ん……。じゃあ、ユリちゃんて呼ぶね!」
二人は笑みを浮かべて同時に頷く。そう言えば、ユリの笑顔を見るのはこれが初めてかもしれない。
思い付きで始めた学校案内だったが、女子二人が思った以上に打ち解けてくれたようだ。それならやった意味があったというものである。
「日本人はどうも他人行儀すぎる。呼びやすい名でいいだろうに」
ユリは腕を組んで唇を尖らす。
「そういうもんか?」
「そうよ。……そうだ、シングウ、お前のファーストネームは?」
「それが先生に対する口の利き方かよ……」
厳格な教師であれば生徒の言葉遣いに対して注意なり叱責するんだろうけど、この場面でそんな気にはなれないし、無意味に口うるさい教師になりたいとも思わない。
「まぁ、いいや。俺の名は晴斗だ」
「じゃあハルトでよくない? 一族の名前だけで自分と認識するなんて、変だと思わないの?」
「一族……あぁ、名字のことか。俺はこの名字を気に入ってるよ。だけど、個人の名前で自己を認識すべきというのは分からんでもない。蛭田さんもそう思う?」
「はい! というか、新宮先生、その……、私の事、董子、でいいですよ。……蛭田って名字、好きじゃないし……」
「……そうか。じゃあ、董子って呼ぶことにしよう」
「は、はい! あ、でも、クラスのみんなもこうやって呼び方を聞いた方がいいと思います。急に私だけ呼び方変わると、その……」
「何で? って思われちゃうか。確かにそうだな。今度みんなに聞いてみよう」