少年は、大航海に旅立たない-4.99-
「マネージャーって、昔何やってた人?」
昨日テレビ局の楽屋で、カナエにそんなことを聞かれた。
―――
昨日のカナエの仕事はバラエティ番組の雛壇に座って、番組を盛り上げることだった。
生来の明るさと周りを愉快にさせる振舞いで、カナエはその日も大活躍していた。
司会者もそんなカナエによく話を振っては、番組の空気を盛り上げていた。
3時間の収録を終えると、カナエはその場にいる誰よりも汗だくになりながらも、
共演者達に愛想を振りまいていた。
「いやー、カナエちゃん今日も助かったよ」
「カナエちゃんがいると、スタジオが明るくて楽しいよね」
そんな共演者の声に対してカナエは
”とんでもないです”
”いえいえ、○○さんが居てくれたおかげですよ”
といった角のない言葉を返していた。
一通り共演者達と談笑を終えたカナエは、私の元に駆け寄ってきた。
私はカナエが好きなスポーツドリンクを事前に買っておいたので、それを手渡す。
するとカナエは、”チッ”と小さく舌打ちをした。
「いっつもこれじゃんか……今日は炭酸が飲みたい気分だったのに……」
「す、すまない。次からは気を付けよう……」
“まあ、いいけど”とカナエは呟き、スポーツ飲料を受け取ると、
それをゴクゴクと喉を鳴らして飲み始めた。
私は思わず、大きく咳払いをした。
「こら、カナエ。人の目があるんだから、もう少し上品に飲めないのか?」
私がそう耳打ちすると、カナエは不満そうな声を上げた。
「えぇ……大丈夫でしょ、誰も観てないって。それに、喉乾いたんだもん。仕方ないでしょ」
カナエは私の前では、このような素の姿を見せる。
出会った頃のアキシロ カナエはこうではなかった。
誰に対してもアイドルの仮面を被り、素の自分を誰にも見せようとはしなかった。
八方美人で、いつも明るく、笑顔を絶やさない女の子。
それが、ある時から私やメンバーの一部には素の一面を見せるようになった。
これは、ある事件がきっかけなのだが……長くなるので、ひとまずこの話は置いておくとしよう。
……素の彼女が見れるようになったことは大変喜ばしいことであるのだが、
素の彼女は、アイドルのときの彼女と180度性格が異なっていた。
我が儘で人当たりが強く、無茶なことを平気で人に要求してくる。
そういう傍若無人さが彼女の本質だったのだ。
しかし仕事は真面目にこなすし、メンバーからの信頼も厚い。
でも最近は目に余るほどに、私への態度が軟化していた。
(これでは、友達か家族のようではないか……アイドルとマネージャーと言えど、
仕事仲間なのだから、もう少し分別をつけていかねば)
そう思ってはいるのであるが、堂の入ったその態度に流されてしまうことが多い。
そして今日は、カナエにそのことを指摘してやらねばと考えていた。
――――
カナエは先に楽屋に戻っていた。
私は明日のイベントのスケジュールの確認の為に、彼女の元を訪れた。
コンコンと2度ノックをすると、”はーい”と元気な声が聞こえる。
「私だ。入ってもいいか?」
そう尋ねると、しーんと少しの間静まり返った後、”別に勝手に入ればいいでしょ”と聞こえた。
「では、失礼する」
私が中に入ると、カナエは足の爪のマニキュアを落としているところだった。
その格好は衣装を脱いだ後のキャミソール姿で、下は下着一枚だけだった。
私はすぐに楽屋から飛び出した。
すると、中から楽しそうな笑い声がケタケタと聞こえてくる。
「アハハ、マネージャーうけるー。顔真っ赤にしちゃってさ」
「入ってよいと言うから、入ったのだ。……ちゃんと着替えなさい。でなければ入れん」
「わかった、わかった。じゃあ、ちょっと待っててね」
カナエが試着室に入る音が聞こえた。私は、はぁとため息を吐く。
(今日は、こういうことを辞めにしろと言うつもりだったのだが、出鼻を挫かれたか……)
いや、これを足掛かりに一つ説教をするのも良いだろう。
私は扉の前で、カナエに話す内容を組み立てていた。
「マネージャー、いいよー」
カナエの声が聞こえたので、私は楽屋の中に足を踏み入れた。
カナエは私が見たことが無い私服を着て、私に見せつけるようにして立っていた。
「じゃーん。いいでしょ?この服。この前アスカと二人で買いに行ったんだぁ」
「う、うむ。いいんじゃないか?」
「えー何よ。もっと褒めてくれてもいいのに。どう、可愛くない?」
カナエはグラビアでするようなポージングを私に向ける。
私はそれを受け合わず、化粧台にある椅子に腰かけた。
「少し話があるんだ、そこに座ってほしい」
「えー、どうせ明日のスケジュールの確認でしょ?
……いいよ、後で帰り道で聞くから。今日マネージャーもこの後予定ないんでしょ?」
「いや、そうじゃない。少し言わなければならないことがあるんだ」
「え、なになに」
カナエは楽しい話だと勘違いしたのか私の目の前に座った。
私は、一つ咳払いをすると、カナエの目を真っすぐに見つめた。
「最近のカナエの私への態度についてなんだが……」
そう切り出すと、カナエは目に見えて不機嫌になった。
「え、なに。そういう話か……はぁ、ごめんパス」
カナエは椅子ごと180度回転すると、髪の毛先を弄り始めた。
「いや、カナエが私に親しく接してくれるのは、こちらとしても大変嬉しいのだが……
もう少し分別を持って接することは出来ないだろうか?」
カナエは黙り込んでいる。
「私とカナエは同じ職場で働く、言わば仕事仲間だ……例えばだが、レストランで給仕をしている
者達が、給仕中にお喋りを楽しんでいたら、見ているものは嫌な気分になりはしないか?」
「……私の仕事はレストランとは違うじゃない……それに、仕事中はちゃんと頑張ってるじゃん。
バラエティの仕事や歌の仕事が終わってからも気使って、マネージャーに話せってこと?」
「いや、そうは言っていない。ただ、もう少し……その、慎ましくある、というか……」
「何よ!優しくしてほしいわけ?……あんた、誰のおかげで今のメンバーと
仲良くできてると思ってるのよ!」
少し私の頭に血が昇るのを感じた。
私はカナエにはそのことについてとても感謝はしている。
カナエが居てくれたらから、他のアイドルの子たちとも打ち解けることが出来たのだ。
……だが、カナエが今発言したことは、私がカナエに抱いているほのかな理想を砕いた。
カナエは、私のことを哀れましいものとして見ているのだろうか、と思ってしまったのだ。
「そのことについては、カナエに感謝している。だが、今はそういうことではな……」
「何なのよ!私が、悪いの?マネージャーがあの時、
”もっと自分らしくしてなさい”って言ったんじゃん!何で、私を責めるのよ!」
カナエが子供のように喚きたてている。
恐らく仕事の疲れもあったのだろう。
まだ十代の若い女の子だ、感情が抑えきれなくなることも当然だ。
そんなことを分っていながらも、私は頭に昇った血に逆らうことが出来なかった。
「いい加減にしないか!」
自分でも驚くほどの声が出た。
私はすぐにしまった、と思いカナエの方を見た。
カナエは一瞬こちらを見ていた。
その凍り付いたような表情は、私の脳裏にペタッと張り付いた。
がすぐに、カナエは私から背を向けると、その場でじっと座っていた。
私は言葉を急いで紡ごうとするが、えーっと あのぉ と言葉未満の喘ぎしか出てこなかった。
私にとって、誰かに自分の感情のままに言葉をぶつけるのは初めての経験だったのだ。
それゆえに、あらゆることに戸惑いを覚えていた。
「す、すまなかった。カナエ……どうかしてた、すまん」
暫く沈黙が続いた。
見れば、カナエの肩は小刻みに震えていた。
(もしかして泣いているのか?)
私がそんなことを考えていると、カナエは不意に私の方に振り返った。
―――その顔は”アイドルの顔”だった。
「うーんうん、全然平気だよ。私こそごめんね、マネージャー。私もなんか癇癪起こしちゃって」
カナエは明るく人懐っこい声で笑っている。
私は直ぐに察した。これは、もしかすると取り返しの付かないことになったのではないか、と
「だ、大丈夫なのか?」
「大丈夫って何が?……それよりマネージャーって普段も相当怖い顔なのに、怒ったときは
もっと怖いんだね……びっくりしちゃった」
「す、すまない。驚かせてしまって……」
「あのさ、マネージャーって、昔何やってた人?」
「……」
私は言葉に詰まった。
カナエが私の怒声とその顔を見て、彼女の脳裏の何かに引っかかったらしかった。
そして、彼女が求める答えは大抵の人間なら、そんなはずはなく、何も抵抗することはない。
だが、私は違った。
両親を早くに無くし、その後児童施設で育った私が、
その施設を追い出されたのは、まだ高校生になる前のことだ。
私は家もなく、今日食べるご飯にも在りつくことが出来ない路上生活を1か月ほど続けた頃、
ある男性から、声を掛けられた。
私は当時、自暴自棄のようになって、地元の不良たちに自ら喧嘩を売ったり、コンビニや商店から
物を盗んだりしていた。
「なんや、兄ちゃん。えらい最近この辺荒らしてるらしいやんか
……なんや、その顔。こっち側にぴったりやんか。
住むとこもないんやったら、こっちで用意してやるから、さっさとついてこいや」
その男は サエグマ ヤスオといった。
地元では有名な暴力団の幹部をしている男だった。
私は、藁にも縋る気持ちで、その男の後を追った―――
「私は、昔ヤクザをしていたことがある」
そう正直に言うと、カナエは少し動揺したように見せた。
が、すぐに表情をつくると、私に笑いかけた。
「そっか、だと思った」
―――――
カナエは帰り支度を整えている。
私は黙ってそれを見ていた。
「今日は事務所に迎えを呼んで、そっちで帰るね……だって、さっきの気まずいし」
カナエは舌をぺろっと出して、両手を合わせる。
「そ、そうか。気を付けて帰るんだぞ」
「うん、わかった」
カナエは明るく振舞い続けたまま、私の元を去ろうとする。
私は何か言葉をかけねばなるまいと思うのだが、喉につっかえて、言葉は出てこなかった。
カナエは楽屋を出ていく直前、振り返ることなくこう言った気がした。
「さよなら」
少年は、大航海に旅立たない-4.99- -終-