煌めく瞬間(とき) その3
お風呂から出ると、なんだか急に眠たくなってきた。
忘れるところだったけれど、わたしは今日ここに来たばかりなのだ。
疲れが無いどころか、本来ならどっと疲れていてもおかしくない。それが、小五の幼女と一緒に居たから癒されて疲れをそれほど感じなかったのは、やはり幸いだったのだろう。
お風呂上りの彩夢の銀髪を乾かしてあげると。
「今度は私が歌子さんの髪を乾かしますっ」
と、彼女はそう言ってドライヤーをわたしから受け取ると、ぶおーっと涼しい風を髪に当ててくれる。
「どうですか?」
「んー、気持ちいい」
「よかったです」
「髪、弄られると気持ちいいよね。相手が彩夢だからかな」
「もう。歌子さんったら」
しょうがないんだから、と言ったような口調で受け止めてくれる彩夢。
そうだ。この子だから、こんな安心した気持ちになるんだ。これが全然違う子だったら、こんな風にはならなかっただろう。優しい彩夢。わたしの事を包み込むように受け入れてくれる子。嬉しい・・・安心する? そんな温かな気持ちにさせてくれる子。
「そうだ。寝る前にココアを飲みませんか?」
「あるの?」
「はい。確かまだあったはず・・・」
彩夢はとてとてと部屋の棚へ行き、引き出しを一つ開けて、少し中を探ると。
「ありました」
嬉しそうに、ココアの入れ物を見せてくれる。
(かわいいなあ・・・)
楽しそう。
あとかわいい。
IHポットでお湯を入れて、二つのコップを持ってくる。
「このコップ、私の予備用ですけど・・・、よかったでしょうか?」
「うん。全然いいよ。わたしも明日のうちに自分用のコップ、段ボールから出しておくね」
「まだ結構ありますもんね、引っ越し用の荷物・・・。私も手伝いましょうか?」
「いや、それくらいは大丈夫だよ」
明日の話をしながら飲むココアの、温かさにじーんとする。
まだ八月だけど、今日はそれほど暑くない。ホットココアを飲んでも、普通に温かいなーという感想を持てるくらいには。まあ、今もう十時過ぎで結構涼しくなってきてるしね。
「ふー、ふー」
ココアに息を吹きかける姿も画になる、彩夢。
(そう言えば、この後)
この子と一緒に、寝るんだよね・・・。
(布団は一応、荷物から出しておいたけど)
大丈夫かな・・・。
いや、大丈夫かなってなんだ。
別に、何もないじゃないか。特別なことをするわけでもないし、同じ部屋で布団を二つ敷いて、寝るだけ。ただ、それだけじゃないか。
(さっきから、どうしたんだろう)
変なことを、変な風に考えてしまう。お風呂で思いっきり、幼女にあんな風に甘えておいて、何を今更って感じかもしれないけれど。
ココアを飲み終え、歯を磨いて、荷物から出した布団を敷く。
「よし」
敷かれた二つの布団を見下げ、腰に手を当ててゆっくりと頷いた。
何故か、この光景に納得してしまったからだ。
彩夢が布団に入って、目覚まし時計をセットするのを確認すると。
「それじゃあ、電気消すね」
照明のリモコンを手に、それを確認する。
「ど、どうぞ・・・」
「?」
なんだか、彩夢の声色が少し変だった気がしたけど、とりあえず気にせず電気を消す。
パッと、目の前が真っ暗に暗転した。目が慣れていないのか、本当に何も見えなくなる。まあ、数十秒で慣れるだろうけれど。
(さて、寝よう寝よう)
明日も朝から引っ越しの荷物整理だ。始業式が始まる四日後までには、今の暮らしに完全に慣れておきたい。
万全の準備をして、学校に通いたいのだ。
新しい学校・・・今まで転校なんて経験したことがないから、少しだけ不安になる。
「あ、あの。歌子さん」
そこで。
彩夢が、おずおずと声をかけてきた。
「? なに?」
ぐるんと、彼女の方へ体の向きを変える。
「い、いえ。その・・・なんてことないことなんですけど」
彩夢は少しだけ、何か言いづらそうな、口ごもったような言い方で。
「私・・・いつも、一人で寝るの、怖かったんです。でも・・・今日は、歌子さんと一緒だから、寂しくありません」
一つ一つ。
言葉を絞り出すように。
言葉を選ぶように。
一生懸命、その事を伝えてくれた。
「そ、それだけですっ!
バッと、布団に頭を隠してしまう彩夢。言いたいことだけ言って、恥ずかしくなってしまったのだろう。
(子供っぽいところも、あるんだなあ)
しっかりしてる部分とか、あまりによく出来ているところが目立っちゃってるけど、やっぱり年相応の女の子なんだと再確認できた。
「そっか。そりゃあよかった」
だから、わたしもこの子のこと、受け止めたいと思う。
わたしのことを受け止めてくれた彩夢だから、いろんなこと、これから一緒にしていきたいと、素直にそう思えた。
「おやすみ、彩夢」
今日は寝て、また明日から新しい日が始まる。
今日の終わりに、そんな事を思えたのは・・・少し、贅沢なことなのかもしれない。
◆
「いらっしゃいませー」
カランカランとベルの音がして、店内にお客が入ってきたのだと認識する。
マニュアルに従って、手の空いているわたしがとたとたと駆けていくと。
「いらっしゃいませ、お嬢さま」
入ってきたお客さんは二十代くらいの女性だった。これと言った特徴が無いのが特徴と言った感じの人。着ている服装も、取り立てるところは無い。
「わぁ」
彼女は少しだけ、驚いたように目を丸くすると。
「一名です」
「はい。それではお席にご案内しますねー」
何事も無かったように人差し指を立て、他の多くのお客さんと同じように黙ってわたしの後ろを着いてくる。
「すごい」
ただ、その人は独り言のように呟くと。
「メイド服、フリフリでかわいい~」
わたしと、店内の店員が着用している服装を、ありがたいことに褒めてくれた。
「ご注文がお決まりましたら、お声をおかけください」
ニコニコ営業スマイルで言うと、すたすたと下がっていく。
メイド服の裾を左手で抑え、メニューで胸元を隠すようにして―――なるべく露出部分が見えないようにもじもじしながら。
「はぁ~、この店、ほんとヤダ」
ある日のバイト終わり、従業員用のロッカールームで壁に手を付くように身体を預けながら、大きなため息を吐く。
「あはは。若いねえ藤堂ちゃん。隠そうとするからかえって恥ずかしいんだよ。逆に見せつけちゃえば全然平気だよ?」
そう言うと、彼女はメイド服の胸元からぎゅっと両腕の二の腕で胸を押して、あえて強調するようなポーズを取る。
さすが二十歳。妖艶さすら感じる色気だ。だけど。
「それじゃただの痴女じゃないですか!」
わたしには無理だ。
「あたしは平気だもん」
「悠希さんの痴女!」
そのわたしの言葉すらも、彼女をご機嫌にさせる材料でしかなかった。
悠希さんはあっはっはと笑いながら、ソファーにもたれかかって紙コップのコーヒー(従業員は何度飲んでもタダ)をぐいっと煽る。
(この人、ホントに二十歳なのかな)
もっといってそうな気がしてきた。
だって、わたしが今、十七歳だし・・・。わたしもあと三年経ったらこんな風になれるだろうか。
いや、無理だな。
即答でそう思った。
「そんな事言って、藤堂ちゃん、こんなおっぱい大きいのに」
気づくと、悠希さんに肩から手をまわされて、もう片方の手で胸を下から押し上げるように掴まれていた。
「キャー! やめてくださいこの変態!」
わたしが拒否反応を示して抵抗すると、パッと手を離して悠希さんは半歩下がる。
「勿体無いよ。宝の持ち腐れっていうか。あたしより絶対でかいでしょ」
「大きなお世話です! 使う時が来るまではずーっと大事に隠しておきますっ!」
「おー、使う時ねえ。ねぇねぇ、何にどうやって使うの? お姉さんに聞かせて頂戴~」
「やっぱ変態じゃないですかっ!」
このお店の人たちが全員こういう人だと思われたらいけないので注釈しておくと、こんな事をしてくるのも言ってくるのも、この悠希さんだけだ。
そしてこの人も、普段は良い先輩であり仕事もよく出来る人なので尊敬できる面もある・・・。ある・・・はずなんだ恐らく。
「大体、そんなに恥ずかしい格好が嫌ならやめちゃえば? こんな店」
「うぅ・・・、それがやっぱり、割が良いからやめられないんですよね」
「だよねー! ここすげー金払い良いんだよ。こんな良いバイト聞いたことない」
「そう言えば面接の時に、この店は本当にかわいい女の子しか雇わないってあのちっちゃい店長さんが言ってたような・・・」
「あのロリババア、女を見る目はあるからなー」
他の店員さんを見てもかわいい、美人の差はあれど顔の良い人ばかりだし。
良いバイトの裏側には、きっとあの店長さんの鬼のような面接基準があるに違いない・・・。
「藤堂ちゃんも、バイト、慣れてきたよね」
いい加減悠希さんとふざけているわけにもいかず、着替えようとメイド服を脱いでいる時に、彼女は切り出す。
「まあ・・・。慣れたかどうかは、よく分かんないんですけど」
仕事の方はつつがなくできるようになってきたかな。
「相変わらずコスプレってちょっと恥ずかしくて、毎回ドキドキしっぱなしです」
「それも慣れだよ。そのうち平気になるって」
わざわざ、バイト先にこんなコスプレ喫茶を選んだのは、二つ理由がある。
一つはさっき悠希さんに話した通り、割がメチャクチャ良いこと。少しの勤務時間でたくさんのお金がもらえる。これ以上の理由は無いくらい真っ当な理由だ。
そしてもう一つは、学校の生徒が恐らく来ない場所であろうということ。ここは地理的にも学校から遠いし、客層も高校生をターゲットにはしていない。現に、今まで地元の高校生なんて見たことがない。大学生くらいになってくると、面白半分で利用する人が出てくるんだけれど。
(こんな姿、高校の同級生に見られたら終わるな・・・)
新しい学校でも、髪色のお陰が、わたしはクラスの中心に近いところへ入ることが出来た。
「それじゃ、お疲れ様です。お先に失礼しまーす」
「んじゃね。藤堂ちゃーん」
「悠希さんもいつまでも居座ったら、また怒られますよ」
「はいはーい」
悠希さんに手を振り、店を後にする。
外はもうすっかり真っ暗。早く帰らないと、寮の門限まで、この分だとギリギリだ。
バイトで稼いだお金は、そのクラスの中心の友人たちと遊ぶために使う。学校でだけ一緒に居て、放課後遊ばないわけにもいかない。放課後ともなれば、街に繰り出すのがあのランクの人達の鉄則みたいなものだった。
こうまで無理して、学校での地位や友達に固執しなくてもいいのかもしれない。
だけど、わたしは中学までの何も持っていない自分に戻るのが何よりも怖くて、イヤだった。それだけは、絶対に。
信号がチカチカと切り替わる前に走って横断歩道を渡り、また歩きに歩行ペースを戻す。少しだけ汗ばんだ身体と荒い息を抑えながら、また夜道を往く。
(結局、今、持ってるものを手放すのが・・・怖いんだ)
手放したら、もう二度と手に入らなくなってしまいそうで。わたしは二度と、ここに帰ってくることも出来ずに、またあの陰鬱とした中学時代に戻らざるを得なくなるんじゃないか―――そんな漠然とした恐怖と、常に精神をすり減らして戦う日々。
髪を金にして手に入れたものの多くは、そう言った『失くした時の恐怖』を伴うものばかりだった。それは元々のわたしの根暗さというものもあるんだろうけど、それ以上に自分の身の丈にあっていない今の地位に息苦しさを感じている何よりもの証拠。
寮へと続く坂道を、一歩、また一歩と上がっていく。
(金髪、パツキン・・・)
見た目だけ変わっても、自分が変わらなければその意味なんて無くなってくる。
わたしは中学時代から変われたのだろうか?
あのモノクロの日々から、金色へ―――輝かしい日常を手に入れられたのだろうか。
そんなとりとめのないことを考えていたら、もう寮の前だ。玄関には灯りがついていて、それから向こうは明るく、ここからでも遠くに何があるかを見ることができる。
その灯りの下へ、一歩、一歩と歩を進めていった。
温かい光の下へ。
―――そう、ここにはあるんだ
「おかえりなさい、歌子さん」
管理人室の小窓から、ガラスで少しだけ曲がった彩夢の顔と、何も曲がらず真っ直ぐな、陶器を鳴らしたような声が聞こえてくる。
その声の温かさが、じんわりと胸の奥で滲んで。
「ただいま、彩夢」
拡がっていく感覚が、この上なく心地良かった。