煌めく瞬間(とき) その2
「おかーさん、ただいまー」
「はい。おかえりなさい」
「今日も塾疲れたー。よしよしってしてー」
すると彩夢は、管理人室の窓を開けて、手を伸ばすと。
「よしよし、頑張りましたね」
門限滑り込みで帰ってきた寮生の女の子の頭を、ゆっくりと優しく撫でてあげていた。
「よし。おかーさん成分補充出来た! そんじゃーねー」
「はい。また明日」
その子は手を振って、軽く挨拶をすると玄関フロアの階段を上がっていく。
「これで最後ですね」
彩夢は手元の名簿に印をつけると、ぱたんとそれを閉じて。
「鍵、閉めに行ってきます」
と、ひょいとわたしの膝の上から降りる。
「わたしも行くよ」
「べ、別に私、怖くなんてありませんよ? もう子供じゃないんですから」
「小五はじゅーぶん子供だよ」
「子供じゃありません」
何故か、その一点は譲らない。
彩夢と一緒に玄関の鍵を閉めると。
「裏手と、非常口も一応見に行きます」
暗い廊下を歩いていき、それぞれを確認。
(これって、小学生にとってはちょっと怖いんじゃないかなぁ)
やっぱり夜の寮って、なんか雰囲気あるというか、不気味だ。夜の学校が怖いように、寮もその系統に入るんじゃないかと思う。廊下の向こうから何かがぬっと出てきそうで、わたしでもちょっと怖くなってしまう。
それをこの子は、今日までずっと一人で・・・。
「怖くなんてないんですからねっ」
何故かツンデレ口調になっている彩夢を見て、少し心が和む。
(やっぱり、怖いんだなあ)
良かった。
さっきの話聞いてたら、この子が何でも出来る完璧超人のように思えた部分もあったから。年相応なところがあって、良かったと思う。これからはもっと、そういうところを見せてくれると嬉しいなって。
「さて、お風呂ですね」
「お。寮名物の大浴場?」
「いえ、部屋に備え付きの浴室です」
「えー」
なんか残念・・・。
「普通、寮に大浴場ってあるもんじゃないの!?」
寮の定番というか、当たり前にあるもんだと思っていた。
「一応あるにはありますよ。ただ、管理や掃除が大変なのと、使う寮生が少なくて水道代と電気代の再三が合わないから使わないようになったんです」
「結構世知辛い話だね・・・」
「皆さん、最近の子はシャワーでさっさと済ませちゃいたい派の方が多いようでして」
まあ、掃除が大変っていうのは分からないでもないけどさ。
それなりに期待していたところもあったから、肩透かしを食らった気分だ。
「なーんだ。がっかり」
と、肩を落としていたが。
「歌子さん・・・」
彩夢は一瞬ちらっとこちらを見て、すぐにパッと視線を外すと。もう一度おずおず、こちらをじっと見やり。
「い、一緒にお風呂・・・入っていただけませんか?」
恥ずかしそうに、もじもじと言う彩夢のかわいさはそりゃあもう、反則的なまでのものだった。
「もちろん」
「ほ、ほんとですか?」
「断る理由ないでしょ」
と言うと、彼女はぽーっと、まだお風呂に入ってないのに逆上せたような表情をすると。
「お、大人の女性の身体・・・。興味があります」
「え? そっち?」
「そっちってどっちですか?」
「あ、うん。あれ・・・? どっちだろ」
自分で言ってて分かんなくなってしまった。そっちってどっちだ。
(まあ、このくらいの歳ってそうだよね)
ドキドキしているのか、少し顔を蒸気させながら胸の辺りを抑えている彩夢。
かわいいなあ。このかわいい生き物をずっと見ていたい。そう心の底から思うのは、おかしいことだろうか。いや、絶対におかしくなんかない。この子はずーっと、こうやって見ていたい。見守っていたいんだ。
―――それだけ?
「あれ」
「どうしたんですか?」
「う、ううん。なんでもない」
わたし、今、なんで『そんなこと』、思ったんだっけ。
◆
かぽーん。
狭い湯船に一緒に入る。
さっきと同じ格好。さすがに膝の上に乗っけるわけにはいかないので、足と足の間に入ってもらって。
まさに上から見下げる形になる彩夢の胸元は。
(うん、何もない)
年相応というか、小学校五年生ならちょっと小さいかなってくらい何も無かった。
「・・・む、今、何か少し失礼な波動をキャッチしました」
「え、な、何のこと?」
ちょっと声が上ずりながらも、精一杯とぼけてみる。
「いえ・・・なんでもないです」
少し不服な表情をしながらも、彩夢はすっとその話から離れてくれる。
「・・・歌子さん、おっぱい大きいですよね」
と思いきや、全然離れてなかった!
「え、そ、そうかな」
「背中に感じるこの柔らかさとボリューム感は・・・。それに脱衣所でも見ました! すごく大きくてびっくりしたというか、ドキドキしましたよ」
「うぅ・・・。そんな事ないよ。彩夢は小学生だからそう思うだけで、高校生なんてみんなこんなもんだって」
そう。だから彩夢は小さいわけでも何でもないんだよ、という。わたしからの気持ちばかりのメッセージのつもりだった。
「そう、なんですか・・・」
それを彩夢は、素直に受け取ってくれる。
「いやウソです! 私の同級生にも大きい子は居ます! 歌子さんはその『持ってる側』なんですよ!」
かと思いきや、思い切り蹴り返され、どこかに吹き飛んでいってしまった!
「私みたいな『持ってない側』は、高校生になっても持ってないままなんですよね!?」
ぎゅーっと、背中でおっぱいを押される。
「ちょ、ちょっと彩夢っ」
「歌子さんはずるいです! こんな立派なものを持っておきながらーっ」
「い、痛い! それ以上は痛いから!」
・・・閑話休題。
「ふう」
彩夢もどうにか気を治めてくれたようだった。
少し、まだ唇をとがらせているような気もするけれど、そこは気にしないでおこう。
「綺麗な銀の髪だね」
湯船に浸かった彩夢の銀の髪を、掬うように触って持ち上げる。思わず見惚れてしまうほどの美しい銀。その輝きに当てられて目が眩しいくらいの、鮮やかな銀色。
「それ言ったら、歌子さんだって綺麗な金髪ですよ」
綺麗って言ってくれるのは嬉しいんだけど。
「でもこれ、染めたやつだから」
彩夢のナチュラル銀とは、事情が異なる。わたしの方は人工金髪というか。今でも地毛が目立つようになる前に、定期的に染め直している。彩夢と同じく、髪が長い方なので、結構めんどうな作業になるのだけれど。
「染めた金髪でも、綺麗なものは綺麗ですよ」
「そうかなぁ・・・」
なんか、自分ではとてもそうは思えなかった。
「やっぱり高校生にもなると、髪の毛って染めるものなんですか?」
「それは人に寄るんじゃないかな」
別に染めない人もいるだろうし。逆に染める人もこうしているわけで。
「まあ、わたしの場合は・・・。なんか、なんだろう」
言葉にするの、恥ずかしいな。
「変わりたかったっていうか」
「変わりたかった?」
「わたし、中学までは黒髪を二つまとめにした目立たない髪型で。クラスでも全然目立たない、隅っこの方で本読んでるような、我ながら超つまんない人間だったんだよ」
これはハッキリ言える。中学までのわたしは本当につまらない人間だった。
こんな事を誇るように言いたくないけど、目を覆うほど普通で、どっちかっていうと暗い子だ。
「そんで、高校デビューする時・・・、そんな自分がイヤで、思い切って髪を金に染めたの。ほとんど知り合いの居ない女子校に進学したっていうのもあって、外見が変われば内面も変われるー、とか、思ってたのかな」
同じ中学から進学した子には、怪異な目で見られたけどね。
「でも、そしたら中学とは全然違うグループの友達がいっぱい出来て。クラスの中心に居るような子たちね。わたし、頑張ってその子たちに着いていったんだ。話題とか、趣味とか、全部覚え直して・・・。ま、結局転校して別れちゃったから」
―――とどのつまり、自信が無いのだ
―――この金髪にも、自分そのものにも
これは言おうかどうか、迷ったけれど。
「わたしのやった事って、意味あったのかなーって
言ってしまった。
小学生相手に、何言っているんだわたしは。
「意味ないなんて、」
ここまで話を黙って聞いきいてくれていた、
「そんな事、言わないでください」
彩夢の言葉が、
「歌子さん、すごく頑張り屋さんじゃないですか。いっぱい努力して、がんばって、お友達もたくさん増えたんですよね。それってすごいことだと思うんです」
刺さる。
「だからそんな自分をたまには、褒めてあげてください」
じわっと広がる。
「・・・わたしなんか、」
「わたしなんかなんて、言わないで」
なんだろう。
どうして、わたし、こんなに・・・。
「歌子さん」
彩夢はこちらに向き直るように姿勢を変えると、湯船から立ち上がり。
ぎゅ・・・。
頭が、視界が、一瞬暗転する。
そして自分が柔らかく温かいものに包まれているのだと気づく。
「よしよし・・・」
気づくと、彩夢に頭をぎゅっと抱かれ、胸元に引き寄せられていた。
何もない胸元。
なのに、なんだろう。
「―――っ」
顔が真っ赤に紅潮する。
この感覚は、この今まで味わったことのない気持ちは、なんなんだろう。
(・・・、知らない)
わたし、こんなの知らない。
今までずっと、こんな気持ち、感じたこともなかったのに―――
「おかー、さん」
彩夢の腕に抱かれていると、何故だかその言葉が込み上げてきた。
「はい」
「わたし、がんばったのかな」
「がんばりましたよ」
「偉い?」
「えらいえらい」
「おかーさん」
「はい」
「もっと褒めて・・・」
彼女の肌に身体を預け、ゆっくりと目を瞑る。
「いいこいいこ。歌子さんは、いいこです」
「おかーさんっ」
「なんですかー?」
「おかーさん、おかーさんっ」
小さい頃から、母の温かみというものから、遠ざかった生活を送ることが多かった。
だけど、わたしの中には確かに母を求める気持ちがあったのかもしれない。自分に正直になって、こうして目を瞑っていると、自分の本音をさらけ出せるような気がした。母を求める素直な欲求にしたがっていると、まるで温かいものに包まれるような安心感があるのだ。
・・・それが小学生の女の子相手にってところは、置いておくとして。