煌めく瞬間(とき) その1
ずずっ。
一口、その味噌汁をすすると。
「む、美味しい!」
自然と口から言葉が出てきた。
「お粗末さまです」
「でしょー。おかーさんの味噌汁は美味しいのだよ」
「なんでアンタが偉そうなのよ」
寮の食堂で、みんなで夕食。長机を二つくっつけて、そこに椅子を十個近く置いて。
女子寮なのでみんな女の子。わいわいきゃっきゃと、わたしが黙っていても周りが自然と明るい雰囲気にしてくれるような、温かい空気。
(こんな大人数で食卓を囲むなんて、いつ振りだろう)
両親共に忙しいうちの食事はいつも、ありあわせの惣菜やコンビニ弁当だった。それをレンジでチンして、テレビを見ながら一人で食べる。それが当たり前で、別に寂しいとも思わなかったけれど、決して楽しい食事ではなかった。
それが―――
(今は、同年代の女の子十人近くで、夕食・・・)
ちょっと、グッとくるものがあった。
しかし、それにしても。
「おかーさん、ウチ、宅配便が届く予定なんでスけど、まだ来てないでスか?」
「いえ。少なくとも今のところは来てませんよ」
「おかーさん、麦茶のおかわりー」
「仕方ないですね。ちょっと待っててください」
ひょい、と椅子から降りる彩夢。
(『おかーさん』、か・・・)
年下の、それも小学生を母と呼ぶのは、どうしても少し抵抗があった。
女の子しか居ない寮だし、それが当たり前だという空気があるから他の子はまったく躊躇せず使ってるみたいだけれど、わたしは今日ここに来たばかりだ。慣れるのに、多分もう少し時間がかかる。
(時間が経ったら、そう呼ぶの・・・?)
なんだか、想像が出来ない。
「先輩っ」
気づくと、ちょいちょいと隣の女の子に脇腹をつつかれていた。
「お静かですが、お食事楽しんでますか?」
「うん。ごめんね口数多い方じゃなくて。気を遣わせちゃったかな?」
「そんな事ないです。先輩が楽しいのなら、オッケーです」
その子はぐっと親指を立て、にっこりと笑う。
ちょっと変わった子だ。他の一年生より幼く見える子で、ウェーブのかかった薄茶色の髪の毛が綺麗だと思った。
「ゆみりんが自分から積極的に話しかけるなんて、珍しいね」
そして、『ゆみりん』と呼ばれている子だというのを初めて知った。
ゆみりんだから、多分本名はゆみりちゃんかな?
「この先輩はワタシと同じ匂いがしたので・・・!」
「同じ匂い?」
「同族というか、同志というか・・・、そんな感じだよ!」
「分かる?」
「分からないでス」
同級生と楽しそうに話している様子を見ていると、なんか和む子。
頑張ってる感じがするというか、他の子に着いていくのにあくせくしている様子が愛らしい。
「先輩はゆみりんに同じ匂い、するの?」
「うーん、どうかなあ。わたしはゆみりちゃんみたいに可愛くないし」
「そんな事ないです! 先輩かわいいです!」
「お、おう・・・」
思わぬところで力説を食らった。
「歌子さん、意外とスペック高いッスからねぇ」
「分かるー。美人だし、スタイル良いし!」
有紗が親しげに話をする、彼女の隣に座る少女。
「あの、君、なんて名前なの?」
「あ、私ですか?」
質問をすると、一秒の間も無く返事が来た。
「私、高森明日香ですー」
「二人は仲良しなんでスよぉー」
言って、ぺたっとお互いの手のひらと手のひらを合わせる有紗と明日香。
なるほど。
確かに息もぴったり合ってるし、本当に仲が良さそうだ。
「みなさんおしゃべりも良いですけど、箸も動かしてくださいね」
そして彩夢のその言葉を聞いて、再びお茶碗を手にする。
ずずっ。
また、味噌汁を一口。今度はご飯も口に運ぶ。
「お米も柔らかすぎず、堅過ぎず・・・。最高だね」
「おかーさん、本当に料理上手だからなぁ」
「ふふ。褒めても何も出ませんよ」
にこやかにかわす彩夢だが。
「まあ、料理は随分と叩き込まれましたから」
と、そう小さく呟いたとき。
(あれ・・・?)
どこか。
本当に、僅か。
彼女の表情に陰のようなものが見えたと言うか・・・。
口元が少しだけ強張って、寂しそうに見えたのは、どうしてだろう。
◆
食事を終え、管理人室に戻ってきて一息つく。
「ふぅ」
部屋にはまだ作業途中の段ボールが山積みになっている。
とりあえず、今日出来た分はやっておいたけれど、まだ寮の裏手に積まれたままになっているものもある。あれは明日もやらないと終わらないパターンだ。
(引っ越しってこんなに大変なんだ)
今まで一度も経験が無かったから、知らなかった。
それでも寮の後輩たちが手伝ってくれたから、作業は割と早く進んだのだ。
「ここの寮生って、良い子ばっかだねぇ」
しみじみと、深々と、そう思う。
「ふふ、そうでしょう。最近の若者とは思えぬピュアな娘ばかりです」
「いやいや、彩夢はその子たちより更に若者だから」
「そうでした」
ハッと、ズバリ意表を付かれたような表情になる。
(あの接し方だと、本当に年上の人たちと暮らしてる感じはしてないんだろうなぁ)
こうなんか・・・まさに『おかーさん』というか。
大家族の母親。
一言で表すのなら、そうなるのだろうけれど。
(・・・彩夢は、どう思ってるのかな)
年上から母親だって求められたら、"その通り"に接してくれるのかな。
その通りってなんだ。母親をやってくれるかってこと? 小学生が?
(それもなんか変だよなあ)
世の中とはかくも難しいものである。
「それじゃ、私、向こうの部屋行きますので」
学校の宿題か何かをカリカリとやっていた彩夢は、それを終えたのだろう。またすっと立ち上がり、この部屋には似つかわしくない仰々しい木の扉に手をかける。
「え、行くって? 何するの?」
「これから門限まで、寮生全員が帰ってくるまであっちの部屋で見守りをするんです」
「門限までって・・・」
今、十九時くらい。
確かこの寮の門限は二十一時だと聞いている。
「今から二時間以上あるじゃない!」
それを、待つ?
彩夢が?
一人で?
「はい。そうですが・・・」
「毎日そんな事やってんの?」
「それが寮母としての役目ですから」
嘘でしょ・・・。
わたしは少し、小学生が寮母をやっているという事に対して、良い面ばかり見過ぎていたのかもしれない。
これから、二時間。
この向こうの何もない部屋で、帰ってくる寮生を待ち続けるのだ。
勿論、誰かがやらなければならないこと。誰かが居なくなったら、もしくは誰かが入ってきたら。もしもの時に、とんでもないことになる。それを防ぐには誰かが番をしなきゃならないのは、理屈では理解できる。それでも。
(それを小学生に課すって・・・)
―――どうして、この子は寮母なんてやっているんだろう
疑問がそこまで辿り着いたところで。
「あの、」
自分の手の先に目が行く。
彩夢の細い腕を、がしっと掴んでいた。
「そろそろ離していただけませんか。行かなきゃならないので」
でも、それもこの子にとってはきっと『日常』なんだ。
いつものことで、当たり前のこと。だから、それを行うことに何のためらいもないし、疑問も無い。今日、知り合ったばかりのわたしがこんな事を思うのは、もしかしたら間違っていることなのかもしれない。
それでも―――
「・・・っ」
こんなか細い腕の少女を、放っておくことなんて。
「わたしも付き合うよ」
わたしには、出来なかった。
「彩夢と一緒に見守り、やる」
それこそ、何のためらいもなくそう宣言する。
「何の役にも立たないかもしれないけど、それでも話し相手になることとか、一緒に出来ることって、何かあると思うから」
大きなお世話なのかもしれない。
でも、だとしても、それでも。わたしはこの小さな女の子に―――『寂しい』思いを、して欲しくなかったんだ。
(誰も居ない部屋で一人で居ることの寂しさは、)
帰ってこない両親を待ちながら、部屋でぼうっとテレビを眺めていた幼少期。
あの時に感じた寂しさは、きっと―――わたしだけのものじゃない。
(分かってるつもりでいる)
彩夢だって・・・きっと、寂しい。そうに決まっているんだ。
「あの、」
少女は困ったように頬を人差し指でかくと、こちらに視線を送らず、外したまま。
「歌子さんがそうおっしゃるのなら、付き合っていただけると、その・・・」
もじもじと、言葉を渋った後。
「嬉しい、です」
絞り出すように、そう言った。
「うん。わたし、彩夢に聞いて欲しいこと、たくさんあるんだ」
「聞いて欲しいこと?」
「わたしのこと。前の学校のこと。今、わたしが考えてること。たくさん」
「それじゃあ、私のこともお話しますね」
「うん」
二人なら―――きっと、寂しさもはんぶんこに出来る。分かち合って、共有することが出来る。
この子はきっと、昔のわたしだ。わたしと同じものを抱えて頑張ってる子なんだ。そんな子の、少しでも助けになったら・・・。そう思って、わたしは彼女の腕を掴んだまま、木製扉をぎいっと開けた。
◆
この部屋には椅子が一つしか無いので、わたしの上にちょこんと彩夢が乗る格好になった。
(うわ、軽・・・)
まさか重いなんて言うつもりはなかったけれど、予想以上の軽さに愕然とする。
小学五年生の女の子って、こんなに軽いの? 中身ちゃんと詰まってるよね? まさかふわふわの綿毛だとか、コットンだとかで出来てないよね?
丁度、頭の辺りが顔のすぐ近くに来て、すんとした甘い香りが漂ってきた。
(シャンプーの匂いかな)
お風呂とか、一人で入ってる・・・よね、勿論。
「彩夢の事を聞かせてよ」
「私のこと、ですか?」
「うん。わたし、彩夢のこと、知りたいな」
手始めに、まずは彼女の情報を探ってみることにした。
「いつから寮母さんを?」
「母から寮母の仕事を受け継いだのが、三年前のことになります」
「三年前って、小二!?」
「はい。そうなりますね」
「いや八歳で寮母とか、それもうチートレベルだよ・・・」
わたしだったら、絶対無理。
っていうか、普通の女の子だったら九割・・・99パーセント、投げ出しちゃうと思うけどなぁ。
「寮母さんのお仕事って、どんなことがあるの?」
「そうですね。例えば朝、玄関を開けて、朝食の準備・・・、朝食に来ていない子が居たら起こしに行くこともあります。その後は施錠をして、学校へ登校。放課後帰ってたら、買い出しです。その後、鍵を開けて夕食の準備・・・、そして今ですね。門限まで帰ってくる子を待って。塾や部活で門限超える子もたまに居るんですけど、その時はその子たちが帰ってくるまで仮眠。みんなが帰ってくるのを待って就寝・・・。他にもこまごましたことはたくさんありますよ。掃除もしなきゃですし。寮生の生活管理も寮母の仕事ですから」
うわー。
うわー・・・。
「それ、全部一人でやってるの!?」
「基本的には・・・」
そこで、ふと頭に過ぎったことがある。
『どうして、彩夢がそんな事をやっているのか』
だ。
だけど、何故か。どうしてか、その事を聞くことは出来なかった。
なんでだろう。聞いちゃいけないような、踏み込んじゃいけないような気がしたからだ。
普通に考えて、小学生がやる仕事じゃない。もっと、ちゃんと、大人がやるべきことだ。この子に背負わせて良いことじゃない。少なくとも、この寮に来て一日も経ってない、いわば他人のわたしから言わせてもらえれば、そんな感想しか浮かんでこない。
でも―――
「でも、私、寮母をしてて、とても楽しいんです。寮生の皆さんはとても優しいですし、協力してくれる人もたくさん居るんですよ。寧ろ、私の代になって寮母の仕事量はかなり減ったんです」
彩夢は笑う。
にへっ、と嬉しそうに。楽しいことを、毎日の日常を語るように。
「歌子さん?」
彩夢のお腹に手をまわして、抱きしめる。それも結構強めに。
(やっぱり、ちっちゃい)
ただの小学五年生の細さだ。
他の子と何も変わらない・・・。彩夢は、ただの十一歳なんだ。
(わたしなんかに、大それたことはできないのかもしれない)
だけど、このままこの子を放っておくなんて、出来ない。何かの縁で、同じ部屋で過ごすことに、暮らすことになったんだ。
少しでもこの子の力になりたい―――話を聞くにつれ、わたしはそんな事を思うようになっていた。
(出逢ったばかりで、お節介だと思われるかもしれない)
でも。
それでも。
(彩夢は、わたしが守る・・・!)