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出会った日から、今でもずっと(下)

 寮の玄関を通り過ぎようとした時、ぎょっとした。


「あ、おかーさんおかえりー」

「ただいまです」


 玄関ですれ違った女生徒が、確かに彩夢のことを、「おかーさん」と呼んだのだ。聞き間違いなどではない。確かに。


「おかーさん、今日の夕飯なにー?」

「出来てからのお楽しみですよ」

「えー。教えてよー」


 そしてその疑念は玄関から寮のロビーに入ったところで確信に変わった。

 ここの寮生は、小学生(正確な年齢は知らないけど)の幼女のことを、「おかーさん」と呼んでいると言うその驚愕の事実に!


「お、おかーさん・・・?」

「はい」

「いや、呼んだわけじゃなくて」

「はい?」


 何が何だか、という表情をして顔を傾ける「おかーさん」こと彩夢。


「おかーさんって呼ばれてるの?」

「寮母さんですから」


 言って、また無い胸をえっへんと張る。


「高校生が、小学生を?」

「寮母さんですから」

「いやいやいや」


 『寮母さんですから』ってそんな万能ワードじゃないよ。


「おかしいですかね?」

「うん、ちょっとわたしは困惑してる」

「ふむ・・・。確かに一年生が入寮してくると、初めは恥ずかしがる子も居ますし。でも大体一ヵ月くらいで慣れますよ」

「そんな子猫が新しい環境に馴染むような感覚で!?」


 おかーさんは伝染するの・・・!?


「でも実際、やってる事はおかーさんですから」


 彩夢はそう言って、憚らない。


「歌子さんも遠慮なくおかーさんと呼んでくださって構わないですよ」

「え、わたしはいいや・・・」

「謙虚な方ですねぇ」


 彩夢は眉をハの字にして、やれやれと言った様子で困って見せる。


(え、なに。わたしが悪い感じ?)


 普通、年下幼女におかーさんって言うのって恥ずかしいよね? 恥ずかしくない?


「あの。わたしの部屋は・・・」

「ああ、そうでした。その事なんですが」


 彩夢が何かを言おうとした瞬間。


「あ、おかーさん! おかーさんでス!」


 吹き抜けになっている階段の上、二階から身を乗り出すようにこちらに向かって手を振る少女が一人。


「こら! 危ないから手すりから乗り出しちゃだめですよ!」


 彩夢が注意すると、彼女はやっちゃった、と言わんばかりにすっと体勢を元に戻し、階段からすたたたたーと素早く降りてくる。


「最近会えなくて寂しかったんでスよー」

「一昨日会ったはずですが」

「一日でおかーさん成分は無くなるんでス」


 彩夢の手を取り、ぶんぶんと上下に振りながら、騒がしい挨拶をしてくる少女。


「あの、そちらの方は・・・」


 一応そちらの方、という言い方にしておいたが、多分年下だ。背格好から分かる。彼女は彩夢ほどではないものの高校生の女子としては背が小さく、手足も細い。


「ウチの寮生、一年生の玉置(たまき)有紗(ありさ)さんです」

「ちわッス」

「こちら二学期からの転入生、二年生の藤堂歌子さんです」

「どうも」

「うわー、先輩でしたか。これは失礼をば。ウチ、一年の玉置ゆーもんでス。よろしくお願いします!」


 言って、ビシッと敬礼のポーズをとる有紗。

 ~ッス口調と良い、礼儀の正しい良い子のように見える。


「藤堂先輩は、」

「歌子でいいよ」

「歌子さん、部屋はどこでスか? 一階でスか? 二階? ちなみにウチはみんなの憧れ二階住まいでス! これでも入寮の時に金色のお菓子を差し入れして二階をゲットしたんでスよー」

「ウソはやめてください部屋割りは毎年クジで決めてます」

「そのクジにも細工を・・・」

「してません」


 彩夢の口調が段々強くなっている。


(あ、この子、もしかしなくてもお調子者タイプだ)


 でもまあ、年下だしこれくらい愛嬌のある方がかわいいかな。彩夢とは違うベクトルでかわいらしさのある子だ、とは思った。


「ところで話の本題。わたしの部屋はどこ?」

「二階の階段前、空いてまスよね?」

「じゃあ、そこなんだ」


 ちょっとうるさそうな場所だけれど、まあどこでも良いし。


「いえ、あの部屋はこの間の台風で雨漏りしてしまったので、使えません」

「え。そうなんだ」


 確かに大きな台風だったけど・・・。

 っていうか、雨漏りって。新しそうに見える内観だけど、意外とキてるところはキてるんだなあ。


「じゃあわたしは、どこの部屋に住めば?」


 何気なく聞いたその言葉が。


「歌子さんには、私と一緒の部屋に住んでいただきます」


 まさかこの先の寮生活をこんなにも左右する質問だったなんて―――


「えええええぇ!?」


 驚きという言葉以外でどう表して良いのか分からない感情しか、湧いてこなかった。





「・・・何やってるんですか?」


 ドアの前で突っ立って、ドアノブに手をかけようと躊躇していると、後ろから彩夢の声が聞こえる。


「いや、なんか私からは入りづらくて」

「どうしてですか?」

「だってここ、彩夢の部屋なんでしょ?」

「今日からは歌子さんの部屋でもあるんですから、遠慮せずどうぞ」

「むむ・・・」


 確かに、そう言われればそうだ。思い切って、ドアノブを捻りドアを手前に引いてみた。

 ぎいっ・・・という少し軋んだ音と共に、扉は開かれる。


「へぇ」


 中を見て、感心した。


「綺麗な部屋」


 きちんと整理整頓の行き届いた、文字通り綺麗な部屋だった。しかし、多少、質素すぎるような気がしないでもない。


「小学生の部屋に入るなんて、初めてかも」

「歌子さんは高二で・・・私が小五ですから、六歳違いですね。親戚に小さい子とか、いらっしゃられないんですか?」

「うーん。うち、両親があんまり親戚づきあいとかしない人でさ」

「・・・ごめんなさい」

「ああ違うの! ぜんっぜん、彩夢が気遣うようなことじゃないから、謝らないで!」

「でも」


 うう。この子のしょぼーんとした顔を見るのは、なんだか辛い。


「逆に小学生とか新鮮っていうか! だから彩夢とこれから同じ部屋で生活できるなんて嬉しいなー、なんて・・・」

「歌子さん」

「は、はい」


 急に名前だけ呼ばれて、背筋が伸びる。


「誤魔化し方、へたくそです」


 六つ年下の小学生の言葉が、胸にぐさっと突き刺さって背中から抜けていく。


「高校でもそんななんですか?」

「ち、違うし。わたし、こう見えてもクラスの中でイケてるグループに属してるタイプのJKだし」

「喋り方が変になってますよ?」

「ホントだよ! 少なくとも前の学校ではそうだった! 写真とか、ラインのやり取りとか見る!?」

「いえ、そんなめんどくさい詮索はしませんが・・・」


 明らかに困り顔の彩夢が。


「まあ、座ってください。お茶でもお出ししますから」


 促すように、部屋の中央に置かれた丸型のテーブルへ、手を差し向ける。


「う、うん・・・」


 今日から自分の部屋なのに、お茶を出されるっていうのもちょっとおかしな話だけど、初めて来た場所だし郷に入っては郷に従えってことだと思うことにする。

 一見、普通の部屋に見えるが、一つ、普通の部屋には無いものがあった。


「・・・」


 目の前に見える、扉だ。

 部屋の中の、それも明らかに異質な、本棚の横に扉が取りつけられている。

 それはまるでお伽話の中の、兎を追いかけた少女が開くような、木で作られた古めかしい扉。部屋の比較的新しい内観とも不釣り合いな、古い扉だった。


「ねえ、この扉って」

「ああ、その向こうが寮の管理人室なんですよ」


 彩夢がお盆に乗せられた湯飲みに入ったお茶をわたしの前に差し出しながら説明してくれる。


「でもこの扉、古くない?」

「この寮自体、耐震補強やらプチ改装やらで何度か大きく工事をしているんですよ。その扉は一番古い時の寮からそのまま残ってるらしいんです」

「何か深い思い入れか何かがある扉なの?」

「いえ、恐らく偶然かと・・・。少なくとも、私はそういう話を聞いたことはありません」

「へえ・・・」


 管理人室か。


「ねえ、ちょっと見てみて良い?」


 俄然、興味が湧く。


「期待を裏切るようで申し訳ないんですが、そんなに面白いものでもないですよ」

「いいっ! わたしが見たいだけだから!」


 目を輝かせながら、彩夢を説得する。


「もう。子供ですか・・・」


 はあ、と小さなため息を漏らした後。


「ご自由にどうぞ」


 自身はお茶をずずっと飲みながら、OKを出してくれた。


「じゃ、じゃあ・・・」


 わたしは扉のドアノブに手をかけて。


「お邪魔しま~す」


 管理人室へ、入る。

 そこに広がった景色は。

 カウンターのような小さな空間と、そこに置かれた椅子。カウンターの向こうには小窓と言うには少し大きな窓が取りつけられていて、そのガラス窓の向こうは先ほど入ってきた寮の玄関フロアの景色が見えている。


「こ、ここが管理人室・・・?」

「ほら、言ったでしょう。面白くないって」

「確かに面白くはない」


 自分で開けといて何だけど、面白味みたいなものは皆無に等しかった。ただ、なんとなく。


(寂しそうな部屋だな)


 と、それだけが頭の中で浮かんできた。

 カウンターと、小窓。その前に置かれた古めかしい、木で作られた椅子。それ以外はほとんど何もないと言っていい部屋だ。フローリングはなく、床は木。その辺りの妙な古さも、部屋からあふれ出す寂しさを助長させているのかもしれない。


「お邪魔しました~・・・」


 面白くなかったので、さっさとお暇する。


「さて、私はそろそろ寮のキッチンへ行きますね」

「え? もう?」


 まだ時計は、五時前だ。


「この寮には夕食当番がありますから、当番の子と今日の夕食を作らなければなりません」

「へー」

「歌子さんにもいずれ回ってくる当番ですので」

「うげー」


 ・・・シュウダンセイカツ、ムズカシイ。


「あ、そうそう。引越しの荷物の段ボールが、寮の裏手に届いてましたよ」

「うわー、そうだー。それやんなきゃなんねーんだぁ」

「今日中とは言いませんけど、夏休みが終わる前になんとかしておいてくださいね」

「うげー」

「うげー、じゃありません」


 小学生の幼女に、態度を諭される。


(なんだろう)


 さすが、寮生から『おかーさん』と呼ばれてるだけあるなって。素直に感心する。


「『お母さん』、か」


 わたしの母親は仕事第一で、ほとんど家にも居ない人だから、久しく聞いていない響きのような気がする。


「呼びましたか?」

「あ、違う違うの。今のは独り言っていうか」

「むぅ。あまり人を呼び止めないでください。歌子さんはさっきも―――」


 そこまで言いかけたところで。


『おかーさーん、夕食の準備まだー?』

『当番の子、揃ってるよー』


 と言った声が、薄い壁の向こうから聞こえてきた。


「今行きますー!」


 彩夢は大きな声でそう返事をして。


「じゃあ、歌子さんは引っ越しの段ボール、片してくださいね」


 と、念を押して、部屋から慌ただしく出て行った。


「・・・」


 部屋に独りでぽつーんと残されると。


「段ボール、持ってくるかー」


 何もやることがなくなったので、とりあえずやれと言われたことを、することにしたのだった。

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