出会った日から、今でもずっと(上)
窓から流れていく市街地の景色は心なしか、綺麗なものだった。
夏。
晩夏。
二学期からわたしは転校先の高校へ通うことになる。
転校を両親から言い渡されたのはいつのことだっただろう。多分、夏休みに入る少し前。夏休み中は元の学校へ挨拶しに行って、転校の手続きやこっちの学校の宿題をやったり、友達にも引っ越しの準備をしなきゃいけなくなるから遊べなくなるみたいな話をして、小さいけどお別れ会みたいなものも開いてもらった。
―――楽しそうなみんなの中で、わたしはまた独りだった
そりゃ、その場は雰囲気に合わせて楽しいです、って顔をしていただろう。
だけれど、実際問題そんなわけがない。これから先のことを考えたら。
新しい土地、新しい人間関係、新しい学校。不安しかなかった。
実際、入寮の手続きを済ませて寮へ向かう途中の今だって、わたしの心は決まりきっていない。
目的地の駅で降りて、自動改札機にICカードをかざした後も、頭の中は鈍色のままだった。
(シャッター街)
駅前の光景を一言で表すと、それだ。
駅の正面から真っ直ぐに伸びる駅前中央通り。そこのテナントにはほとんどシャッターが閉まっていて、たまにぽつぽつとやっているのかいないのかよく分からないが、とにかくシャッターは閉まっていない店がある程度。
「はぁ」
地方都市の現実を早速まざまざと見せつけられて、大きなため息が出る。
思わず、少し通路から外れた、駅の隣にある看板の下あたりでしゃがみこんでしまった。
「しかも田舎かよぉ」
一応、引っ越し先の情報はそれなりに入れてきたつもりだったけれど、ここまで田舎だとは思わなかった。
"地方都市"。
普通、地方の中では"都市"よりな、ちょっと栄えていない都会だと思うじゃん。
逆。
"地方"の方に寄っちゃってるんだ。ちょっと栄えてる、地方だった。
「・・・」
なんだか色々ブルーな気分になっていた、そのとき。
じっと、何かが看板の下からわたしの方を見つめていた。
(猫だ)
三毛猫。
大きさ的には仔猫に近いのかな?
じっと、見つめていると。
とことこと、猫がこちらに向かって歩いてきた。
(人見知りしない野良猫だな)
その猫はこっちに寄ってきて、わたしが手を伸ばせば届くところまで近づいてきた。
(どうしよう)
ちょっと、憚れる。
でも、いいや。どうせこんな田舎だ。誰も見ちゃいないだろう。
わたしは猫の頭をゆっくりと撫でて。
「お前もわたしと一緒なんだね・・・」
と、小さく呟く。
(うわー)
うわー、だ。
人生で言ってみたい台詞ランキングのかなり上位にあるであろう台詞とシチュエーション。
まさかこんな日が来るとは思わなかった。
こんな台詞を自分が言う日が来るとは―――ぱっと、顔を上げると。
「あ、あわわわ・・・」
小学生くらいだろうか。
小さな女の子が。
歯をがぐがぐと震わせながら、わたしの方を見下ろしていた。
―――や、
(やっちゃったーーー!!)
見られた!
しかもこんな小さな女の子に!
少女はその銀色の髪を小刻みに震わせながら、手に持っているスーパーのビニール袋とその中にいっぱいに詰まった食材やティッシュといった生活用品を握り直すと。
ぴゅーっ、と。
まさに脱兎の如く、逃げて去って行った。
「ま、待って!」
弁解の余地無し。そんな時間すらなかった。
彼女は角を曲がり姿はあっという間に見えなくなって、わたしの方は追いかける気にもならなかった。
「まじかよお、見られるとかぁ・・・」
ああ、デリートしたい。この記憶を。
「にゃー?」
ただ不思議そうに首を捻る目の前の猫の顔を、もう一度撫でるくらいしか、わたしには出来なかったのだ。
◆
ひどい目にあった。
誰のせいかと言われれば、わたしのせいなんだけれど、それでもひどい目にあった。あんな醜態を他人に晒したとなれば、もう一生モンの黒歴史確定だ。
元々ダウナーだった心をもっと真っ黒に染めながら、ぽつぽつと引っ越し先への道を、手元のスマホが指し示すルート通りに歩いていく。
駅前商店街を抜け、道なりに歩いていると、公園に差し掛かった。
不意に顔を上げ、公園の中に何があるんだろうとそんな事を考えながら、目を遣る。
その時。
―――わたしは、信じられないものを見た。
まるで、舞台演出だ。
上から一つだけスポットライトが三角錐状に当たり、その中心に人が居る光景。
その人―――彼女が、一瞬だけ。
「お母さん」
・・・記憶の奥底にあった、一人の人物に結びついたのだ。
少なくとも今、わたしの目の前にあったのは、実母の姿だった。
だが、そんな夢は一瞬で終わる。ぱっと世界全てが元通りに戻る。
ここは駅前から少し離れた公園で、彼女を照らすスポットライトもなければ、それ以外のものが暗転しているようなこともない。ただの昼下がり。
「おや」
ただ、さっきまでと違ったのは。
「また、お会いしましたね」
先ほど駅前で、わたしの前から逃げて行った小学生が。
―――幻影の母に代わって、公園の滑り台にちょこんと座っていたのだ
彼女はスカートの裾をきちんと押さえながら立ち上がり、ぱんぱんと砂を掃うと、両脇に置いてあった満杯のビニール袋を両手で持ち、よっこらと力を入れて持ち上げる。
「ウチの生徒さんだったんですか」
彼女はそんな事を言いながら、こっちに歩み寄ってくる。
「見たこと無い方ですが・・・、寮生のお友達でも?」
言って、首を傾げる。
(か、かわいい)
やばい。反則的なかわいさだ。
銀色の髪と、その銀に似合う小さく儚げな顔立ち、ぱっちりとした目鼻立ち。そしてその背格好に似合う、幼さを残した頬の赤らみ。
(天使かな?)
口に出してしまいそうだったから、右手で口元を塞いだ後、そう思った。
だけど、少し考えるとその事実にぶち当たる。わたしは丁度一分ほど前、この子のことを実母と空目していたということに。
いや、あれは空目なんて生暖かいものだっただろうか。
世界の全てがこの子を中心に反転していたのだ。この子を中心として構築された世界になっていたと言っても過言ではない。
「あの、御崎高の生徒さん・・・、ですよね?」
はっ。
あまりにわたしが何も言わないから、彼女が不安がっている!
「ち、違うの。御崎高の生徒っていうか・・・。ああ、もう転校届は出したんだけど、わたし自身はまだ御崎高の生徒って実感は無くて!」
あれ、自分で何言ってるか分からなくなってきたぞ。
件の幼女もぽかんと、こいつ何言ってるんだと言いたげな不思議な目でこちらを見上げている。
だからわたしは、シンプルに自分の立場を名乗ることにした。
「てか、転校生です!」
・・・伝わるかな、これで。
「ああ。貴女が今日来るという転校生さんでしたか」
伝わった!
(んん?)
でも待てよ。
これで伝わるって・・・。この子は一体、何者なんだ?
そんな当然の疑問が浮かんでくる。
「ようこそ、我が山鳴市へ。私、県立御崎高校学生寮の寮母を務めています、香椎彩夢と言います」
「え、りょ、寮母・・・?」
それってあの、寮を管轄する長的な。
「マンションで言う管理人さん的な、あの寮母さん?」
「その寮母さんです」
「君が?」
いやいや、だって。
どこからどう見ても小学生だよ?
「そうです。偉いでしょう」
すると彼女は、えっへんとその真っ平らで小さな胸を張る。
(どうしよう。いやいや、嘘でしょーって言うのもなんか違う雰囲気・・・)
こんなかわいくて聡明そうな子が、道端で出会った見知らぬ女子高生に、寮母ですなんて嘘をつくだろうか。
それに寮母さんなら、転校生が来るのを知っていたことも、『"ウチ"の生徒さんだったんですか』という第一声も説明がつく。
「うーん」
腕を組み、頭を捻って考える。
これからどうするべきか。
そして、思いつく。
「あの、じゃあとりあえず寮まで案内してくれないかな?」
別にスマホのアプリに示された通りに歩いても良いんだけれど、この子かわいいし、本当に寮母さんなら仲良くなっておいて損はないだろう。
「任せてください。我が家ですからね。さぞ正確に案内しますよ」
「おお、頼もしい」
「"おかーさん"、ですから」
お、おう・・・?
最後の部分は謎だったけれど、とりあえず道案内してもらおう。
「お姉さんは・・・ああ、そう言えば名前をお聞きしていませんでしたね」
「そうだね。わたしは藤堂歌子。夏休み明け・・・から、御崎高の二年生に編入することになってる」
「歌子さん。古風なお名前ですね、その見た目で」
言って、じっと頭の方を見られる。
(ああ、)
すっかり忘れてた。自覚がなくなってたと言った方が良いだろうか。
「金髪・・・気になる?」
「これでも色んな高校生さんを見てきましたから」
「へえ」
「髪を金に染める方と言うのはそれなりの理由というか、業というものを背負った方が多く・・・」
「業て」
「カルマとも言います」
「言い方変えただけじゃん」
「歌子さんはそういうものを背負ってらっしゃらないんですか?」
「あー・・・」
別に、そんな仰々しいものではないけれど、最初に髪を金に染めようって思った時は。
「うん。確かに強い決心はして染めたよ」
あの頃のことを思って、苦笑いする。
「やっぱりカルマをその身に背負いし者じゃないですか」
「いやだからそんなヤバいもんじゃないって」
「毎日毎日、不良ヤンキーを千切っては投げ千切っては投げ」
「おーい、行きすぎ行きすぎ」
妄想世界にトリップしそうだった彼女の手を、ぎゅっと握って引き留める。
「・・・すみません。御崎高生にそういう生徒は居ませんが、他校では居ると聞くので」
「大丈夫だよ、そんな漫画みたいな学校から転校してきてないから」
「猫に向かって」
「ああああーーー! その事は言わないでー!」
「そう言う事をされる方はヤンキーであると、本に書いてありました」
「確かにそのイメージあるけど!」
まさかここで『アレ』がやり玉に上げられるとは思わなかった。
「・・・歌子さん、"がちやんきー"なのでは?」
じとっとした目で、見つめられると。
「違う違う。わたしは争いを好まない小市民。平穏を愛する心を常に持ってるよ」
「本当ですか?」
「本当」
「・・・歌子さんがそう言うのでしたら、私は信じます」
彼女はすっと手を胸元に当て、優しく囁く。
「ウチの子に嘘つきは居ないって、私、信じてますから」
ドキッと、した。
今の穏やかな表情とか、何でも受け入れてくれそうな感受性の大きさのようなものとか。なんだか自分の知らないものが目の前で幼女の形を成しているようで、心がざわついた。
(―――なんだろう)
この感覚。この心のざわめき方。
わたし、こんなの知らない。
今まで知らなかった感情で、撫でられたよう。
「歌子さん?」
急に彩夢の声が近くで聞こえて、ハッとする。
「どうしたんですか急に黙って」
「な、なんでもないなんでもない! 寮ってもうすぐ着くの?」
「ええ、着きますよ」
そして彼女は、坂道の中腹辺りを指差す。
「あそこが御崎高学生寮です」
本当に、もうあと数十メートル先だった。
「さ、行きましょうか」
道に置いていたビニール袋を、彩夢が持ち上げようとしたとき。
「半分、持つよ」
坂道はキツイだろうし。
そう思って、片方のビニール袋を、よっこらせと持ち上げたのだが・・・。
「うわ、結構重い!」
所詮小学生の持つ物だと思って今までスルーしてたけど、こんな事なら公園から持ってあげるんだったと後悔の念が頭を過ぎった。
「そりゃ重いですよ。今日の夕食、ざっと八人分ですから」
「寮生ってそんなに居るの?」
「ご飯食べない子も居ますからね。その倍は居ます」
「倍!?」
って事は、ひとクラスの半分くらいの生徒は、この寮から学校に通ってるんだ。
「女の子ばかりですから。毎日騒がしくて楽しいですよ」
隣を歩く彩夢の笑顔には一点の曇りも無く、本当に毎日楽しく過ごしているんだろうと言うことが散見できた。
でも、だったとしても。
(小学生が、寮母さんなんて・・・)
務まるものなのだろうか―――