乱れない街(上)
バイトが終わり、いつも通りロッカールームで着替えをしていると、悠希さんがガチャリとドアを開けて。
「おお、ラッキースケベ」
と、ニヤリといやらしい笑いを浮かべる。
「遊んでないで早く入ってきてください」
「ああ、もう。違うじゃん。そこは『きゃー、悠希さんのえっちー! 変態!』でしょ?」
「年下に罵られたい性癖でもあるんですか?」
Yシャツのボタンを留めながら、流れ作業のように話を続ける。
「ん~、全くないと言ったら嘘になるかにゃぁ。特に藤堂ちゃんみたいなかわいい子だとそそるね」
「ああ、そうですか。わたしは別に、年上を罵りたい欲求とかないんで・・・」
「今日の藤堂ちゃん、なんか冷たくない?」
苦笑いを浮かべながらロッカールームのソファに座ると、テーブルの上に置いてあったやすりを手にしてきゅっきゅと爪先を整い始める悠希さん。
「最近、なんかバイトのシフト増やしてるし、どったの? なんか欲しいモンでもできた?」
「まぁそんなところです」
「今のフェアが終わったら、次は何だろうね?」
「気になります?」
「そりゃ自分が着るものだから、一応はね」
「うーん。店長の趣味ってよくわからないんですよねぇ・・・」
一応、フェア中はそれに準じたコスプレをするように指定されているけれど、普通の時はそれぞれの判断である程度衣装をどうにかしてもいいってスタンスだし。強いこだわりがあるようには見えない。
「バイトの学生に布の少ない服着させて金払ってるような人だし」
「その言い方だとトンデモナイ変態に聞こえますね」
それより、今の文言で少し気になるところがあった。
「悠希さんって、やっぱり大学生なんですね」
そう言えば、聞いたことが無かったような。
「あれ、言ってなかったっけ? 近所の大学生だょ」
「なんでJKっぽい口調になったんですか」
「学生感を演出してみた」
「わざわざ演出しなくても、学生なんだから自然体でいいじゃないですか」
「大学も三年生になると、色々あるんよ。学生に見えないとか言われたりさ・・・」
そこで、どよんとした空気を出しながら研いだ指先を反したりして、何度か確認する。
「それは辛いですね」
「藤堂ちゃんも、あたしのこと学生じゃないと思ってたでしょ?」
「いえ。悠希さん親しみやすいですし、ちょっと年上のお姉さんって感じだと思ってましたけど・・・」
「ふふ。藤堂ちゃんは優しいな」
ソファから立ち上がり、近づいてきた悠希さんに後ろから抱きしめられる。
「ちょ、悠希さん?」
「アンタがかわいいから、ちょっとだけこうさせて」
「もう。からかわないでくださいよ」
「からかってなんかない」
そして、小さく囁くのだ。
「アンタはかわいいよ」
だから、わたしも返そう。
「悠希さんも、美人じゃないですか」
傍目に見ても、コスプレ似合ってるし、大人の魅力がある素敵な女性だと思う。
「ふふ。あたしら、もうちょっと仲良くなれるかもね」
「そうかもしれませんね」
互いを見合って、微笑み合う。
「・・・悠希さん」
「なあに?」
「高校時代、寮で生活とか・・・してませんでした?」
まさか、とは思うけれど。わたしの頭には一つの疑念があった。
「ん~。そういや、女子寮で暮らしてたけど、なんで?」
うん。
「なんでもありません」
今は、その事は聞かないでおこう。また、時が来たら・・・改めて。
「今度、機会があったらご飯でもどう?」
ゆっくりと、時間をかけて歩みを進めれば良いのだ。
「良いですね、行きましょう」
バイト先がそれほどイヤじゃないのは、きっとこの人のおかげだと思う。
こうやって言いたいことを言えるような仲だから、楽しく、職場というよりは学校の延長みたいな感覚で働けているのだ。
だから―――きっとこの人には、いつかキチンとした形で感謝しなきゃ・・・と、強く、思う。
◆
とある、土曜の昼下がり。
寮の管理人室で、何をするでもなく雑誌をめくっていると。
「歌子さん歌子さん!」
有紗が、血相を欠いたような鬼気迫った表情をしながら、とんとんと管理人室と玄関ホールを仕切る窓を叩いてきたので。
「ど、どしたのそんな顔して」
思わず雑誌を畳み、彼女の顔を凝視してしまう。
血走った目からは焦りの色すら見えてくる。
「実は・・・実はでスね!」
ごくり。
生唾を呑み込み、一瞬、有紗の言葉を待つ時間が流れた。
「今日の明日香の服・・・、めっちゃエロくないでスか!?」
・・・。
「はあ?」
もう一度言う。
はあ?
「胸元ざっくり開いたシャツでスよ! しかも胸元をリボンと紐で留めてて・・・あー、ヤバい! あんなの見続けてたら逆に目の毒でス!」
いいや。
ガン無視しよう。
「ねぇ歌子さん聞いてます? こんなの相談できるの歌子さんだけなんでスよぉ!」
「わたしのこと、なんだと思ってるんだ」
「彩夢ちゃんがエロい服着てたら、ヤバいでしょ!?」
「ぐ・・・」
その言葉を聞いた瞬間。
脳内に流れた、よくない映像を必死でかき消す。
半裸の彩夢がこっちを悩ましげな目で見つめているという、とんでもなく保健体育にも道徳にもよろしくない映像を。
「で、明日香は今、どこに居るの?」
「ウチの部屋でス!」
「よく抜け出してここ来たな・・・」
「一人じゃ欲望を押さえ切れそうにないんで、歌子さん、一緒に部屋に居てくれないでスか!?」
「なんでわたしが」
とは思ったけれど、ここで有紗に恩を売っておくのも悪くはないかという考えが頭を掠める。
いざとなった時、困った時、こいつの協力を漕ぎ付けられれば色々有利になるかもしれない・・・。なんて、打算的なことを瞬時に頭がはじき出したのだ。
「いいよ。ここ、別に今は誰も居なくても良い時間だし」
「ありがとうございます! このご恩は忘れません!!」
「うむ」
言質、いただきました。
―――階段を上り、二階へ向かう途中
(この寮ってやっぱ結構立派だよね)
こんな玄関ホールに吹き抜けの大きな二階へ続く階段なんて、なかなかあるものじゃない。
(彩夢の家が代々、引き継いでるだけあるわ)
だからこそ、ここを守らなきゃって気持ちも大きくなるのも、分かる。
わたしは彩夢ほど責任感があるタイプじゃないけど、そのわたしですらそう思うのだ。彩夢の寮を思う気持ちがあんなに大きいのにも、頷けた。
「ただいまでスー」
「お邪魔しまーす」
ここが、有紗と明日香の愛の巣・・・。違う違う、同居してる部屋か。
簡素な彩夢の部屋と違って、女の子らしいアイテムや装飾が施された室内に、少しだけ感嘆の声を漏らしてしまう。
(多分、明日香の趣味なんだろうな)
有紗はこういう女の子らしい部屋にしそうにないし。
「あれ。歌子さんじゃーん。どうしたの?」
おおう。
(確かに、えろい・・・)
胸元がざっくりと開いたシャツが明日香の大きな胸を強調していて、持ち上げるように、その下の部分をリボンと紐で留めている。
(有紗が動揺するのも、ちょっとだけ理解できる)
これが同じ部屋に居るのは、確かに目の毒だ。ありがたいもの過ぎて、直視できない感覚に似ていると言うか。
彩夢で言うと、胸の少し下から下腹部のラインを強調された服を着ているのを見せられているようで・・・。
(って、違う違う!)
そんな事はどうでもいいんだ! いや、どうでもよくはない! 彩夢のえろい服に関してはまた時を改めて想像することにしよう。
「まぁ歌子さん、ゆっくりしていってくださいでス」
「あ、じゃああたし、歌子さんにお茶とお菓子でも出すよ」
すっと、わたしが座ると同時に立ち上がる明日香。
「紅茶が良い? 緑茶?」
「んー、紅茶かな?」
「オッケー。じゃ、持ってくるから待ってて」
明日香が流しのある隣部屋まで行くと、こそこそと有紗が肩を寄せてきて。
(ね、あれはえろいっしょ!?)
と、小さな声で囁いてきたから。
(まあ、分からないでもない)
直接的な肯定はせず、ただ否定もせずにゆっくりと首を縦に振っておいた。
◆
「お邪魔しまーす」
「ここが歌子さんと彩夢ちゃんの愛の巣か~」
それ、さっきわたしが言ったやつだから。
部屋でずっとだべっているのもあれなので、今度はわたしと彩夢の部屋に来ようと言う流れになったのは、あの部屋で数時間が過ぎた頃の事だっただろうか。
階段を降り、そこを右に曲がって、管理人室の隣にある、わたし達の部屋へと彼女たちを招待する。
「あ、有紗さん。明日香さんも」
「およっ、彩夢っちいるじゃん」
テーブルに座って、お茶を飲んでいた彩夢が、すっと立ち上がる。
それと交代するように。
「うぇー。ちかれたー」
ぐでーっと、居間の絨毯の上に寝そべる。
「もう、歌子さん。お客さんの前ですよ」
「彩夢が居るとちょー強い安心感があって、ぐだぐだモードに入っちゃうんだよ~」
「よ~、じゃないですよ。まったく」
彩夢は腰を手に当てて、鼻息を荒くさせたが。
「有紗さんと明日香さんも、狭いところですがくつろいでください」
「はいでス」
「いいねー、ここ。歌子さんと彩夢っちの生活感出ててすごくいい」
二人がもの珍しそうに部屋の中を眺める中。
「彩夢ー。お茶ー」
「今出しますよーっ」
かちゃかちゃという音が聞こえる。きっと急須と湯呑みを用意してくれているのだろう。陶器が軽く当たる音が耳障りに良い。
「コレ、歌子さんが読んでる雑誌でスか?」
「あ、うん」
「うんじゃありません。歌子さん、読んだら読みっぱなしなんですから」
「ごめんごめん」
彩夢に少し怒られて、えへへーといつも通りに返す。
「へぇ。オシャレの勉強とかしてるんでスねー」
それを机の上で広げて読み始める有紗。
「学校で必要になってくるしねー。あとかわいい髪型とかも」
「歌子さんっていっつもロングをそのまま流してるイメージしかないでス」
「これも学校行くときは色々気ぃ使ってんだよぉ」
ロングを先の方で結んでみたり、逆にうなじの辺りで結んでみたり。前髪もいじる時あるし、流行やおしゃれって知ってて損するものでもないから、ある程度はインプットしているつもりだ。
「オシャレに気を遣ってる人が、家の中ではこれですよ」
「あ、お茶ありがとでス」
「あー、あたしも飲みたーい。喉乾いてたんだー」
暑い緑茶って、そんな麦茶みたいなテンションで飲むものでもないような・・・。
「彩夢ー。鏡ないー? あと、櫛とヘアブラシどこだっけー?」
「向こうの部屋に置きっぱなしでしょう」
「もってきてー」
「しょうがないですね・・・」
立ち上がり、隣の管理人室のドアを開け、部屋を退室した後。数十秒で彩夢は戻ってきた。
「はい。置いておく場所決めておかないと、無くしますよ」
「えへへー。ごめんごめん」
鏡と櫛とヘアブラシを受け取って、小さく笑う。
「・・・」
しかし、この一連を見ていた有紗と明日香は、顔を見合わせ。
「あの、これ言って良い事かどうか分かんないんだけど」
少し口ごもり、しかし言わなきゃという使命感に駆られたように意を決して。
「彩夢っち、歌子さんに甘過ぎじゃない? 赤ちゃんじゃないんだから」
「「赤ちゃん!?」」
わたしと彩夢の声が重なる。
「いや、それ分かりまス。部屋に戻ってきてからの歌子さん、ホント赤ちゃんでスよ」
「ねー。でしょー?」
「い、いや。ソンナコトハ・・・」
「この人、何やるの? ちゃんと役割分担とかしてる?」
「う・・・」
それを付かれると、弱い。
「お二人とも、あんまり歌子さんをいじめないであげてください」
しかし、それでも。
「歌子さんは歌子さんです。良いところもありますから、部屋でくらい自由にさせてあげてもいいんじゃないですか」
彩夢の言葉は、どこまでも穏やかで、心はおおらかで。
―――まるですべてを受け入れ、包み込んでくれる聖母のようだった
心なしか、彩夢の後ろから光が差しているような・・・。
「・・・」
しかし、その言葉を聞いて絶句しているのが約二名居るようで。
「彩夢っち。将来悪い人間に騙されないか、お姉さん不安だよ」
「いや、もうこんなヒモみたいなお嫁さん貰っちゃってる段階で既に手遅れじゃないでスか?」
「誰がヒモかー」
その前のお嫁さんって言葉が嬉しかったから、あまり突っ込まないでおくけど。
「歌子さんは、これでいいんですよ。私が辛いときは、歌子さんが私を支えてくれますから」
しかし、彩夢の言葉は迷わない。どこまでもわたしの味方でいてくれる。
そんな彩夢が、わたしはやっぱり大好きだ。
それはこれからずっと、ずっと変わらない―――