互いの全てを知り尽くすまで(下)
「ふえっ・・・?」
相当驚いたのだろう。
彩夢は素っ頓狂な声を漏らして、数秒間静止してしまった。
「な、何言ってるんですか!? "おかあさん"!?」
当然の反応だと思う。
年上から、お母さんになってくれなんて言われたんだ。当然だろう。
「寮母さん・・・、のことじゃ、ない・・・です、よね?」
彩夢は何かを確認するかのように言葉を切りながら言うが、勿論そうじゃない。
「この間ね、めぐと街で会ったでしょ。あの時に、聞かれたんだ。『彩夢はアンタにとっての何なんだ』って。その時、出てきた答えが」
「おかあさん・・・ですか」
こくり。
小さく頷くと。
「はあぁあ~~~。歌子さんは変な人だとは思っていましたが、想定以上です」
「ごめん」
「好きって言ったり、おかあさんになってくれって言ったり・・・。告白かなとは思ってましたけど、こんなメチャクチャな告白、聞いたことありませんよ」
「わたしもそう思う・・・」
おっしゃる通り。メチャクチャだ。言ってることも、彩夢に要求している内容も。
だけど、これが事実なんだ。
わたしにとっての彩夢はおかあさんで、好きで、それは愛してるとも言いかえられるようなもので―――だけど、彩夢とわたしとを繋ぐ関係性って何なんだって聞かれたら、それはおかあさんと娘、としか言いようない物なんだって、今は分かる。
「でもね、彩夢」
だから、この気持ちが伝わるように、言うね。
「わたしは本気だよ」
この気持ちに、嘘偽りは一切ない。
間違いなく、言い切れる。
「彩夢。ちょっと抱くっていうか・・・抱っこ、していい?」
「抱っこ・・・ですか?」
「うん。ぎゅってするだけ」
なら・・・と小さく呟きながら、彩夢は手を口の前に持ってきて、気持ち身体全体を小さく丸める。
「ん」
そしてわたしは、上になっている方の手と身体の間に右手、綺麗な髪をぐしゃっとしてしまわないように気を付けながら左手を頭の下に忍ばせて、そのまま抱きかかえるように彩夢を抱っこする。
ちょうど、彩夢の顔がわたしの胸の前に来るような格好。
「ふわ・・・」
彩夢がささやくように小さく呟くと、胸のあたりがくすぐったい。
「やっぱり、大きいおっぱいです」
「えへへ」
「・・・お母さんを、思い出します」
「彩夢のお母さんも大きかったの?」
「・・・、はい」
照れくさそうに答える彩夢を見て。
違うな。その彩夢の顔の下にある、パジャマの間から見える―――いや、"何も見えない"胸元を見て、だ。
(あ、遺伝しなかったんだ)
と、心の中で思う。
「・・・歌子さん、今、とても失礼なことを考えましたね?」
「えっ」
うそ、なんでバレたの。
思わずそう言いそうになって、わたしは視線を外す。
「ずるいです! 自分はこんな立派なものを持っておいて!」
指先できゅっとわたしの胸を掴んで、少しだけ力を入れてくる彩夢。
「んっ・・・」
ヤバい。変な声出た。
「私だって、私だって今はまだですが、成長したらこれくらい立派な・・・」
だけど、彩夢は分かっていないらしい。
そのままぎゅうぎゅうと胸を掴むことをなかなかやめてくれない。
「あ、やめ・・・」
「なんですか?」
「違くてっ」
名前を呼んだんじゃないの。
『あ、やめて』って言おうとしたのに―――
(ダメ、これ以上はっ)
さすがに我慢できなっ。
「でも・・・」
眼前が少し白くスパークする直前に、彼女はすっと指を胸から外してくれた。
「なんだか、懐かしくなりました」
「ふぇ・・・?」
ろれつが回らないながらも、彩夢の声に耳を傾ける。
「お母さんと一緒に寝てる時・・・こんな感じでした。温かくて、柔らかくて、大きくて、すべすべしてて、少しドキドキして」
「むーっ」
それを聞いて、少しむくれる。
「彩夢はわたしのおかあさんなのに」
まさかの、彩夢のお母さんに嫉妬してしまったのだ。
「・・・歌子さん」
そして、わたしの腕の中に居る彩夢は。
「私、一つ忘れられない風景があるんです」
こんな話を、始めた。
「私たちが初めて・・・いえ、駅前が初めてでしたから二回目でしたっけ。会ったあの公園でのことです。昔、公園で年上のお姉さんが泣いていたんです。毎日のように」
それを聞いた時、自分の中にも過ぎる光景があった。
「わたしも昔よく、泣いてたなぁ」
そう。
昔のわたしはとにかく泣き虫だった。毎日のように泣いていたのだ。
記憶がかすむほど昔、まだ小学校に上がったか上がらなかったかくらいの頃・・・、毎日のように泣いていたことだけは覚えている。
「ある日、そのお姉さんをあまりに放っておけなくて・・・。私、いいこいいこって、頭を撫でてあげたんです。こわくないよって。そしたら、お姉さん、泣くのをやめてくれて」
「それ、知ってる人?」
「いえ・・・。私自身、物心がつく前だったので、あれが本当にあった出来事だったかどうかもよくわかりません。お姉さんも、本当に居た人なのか、それとも私の想像なのか、そこもおぼつかないんです」
でも、と彩夢は話を続ける。
そして。
「あの時、お姉さんが泣き止んでくれた時・・・、すごく、嬉しかったなあ」
彩夢は心の奥底から、自身の本当の本音を吐き出すように、しみじみとつぶやいた。
「だから、ですね」
そして、手で鼻のあたりをくしゃっとした後、一拍置いて。
「お母さんが居なくて寂しいのなら・・・。私が歌子さんの、おかあさんになってあげても・・・いいですよ」
「えっ」
聞き間違いじゃ、ないだろうか。
「本当に?」
「はい。歌子さんを放っておけないっていう気持ちもありますし、それにその・・・」
そこで更に声のトーンを小さくして。
「好きって言ってくれたの、本当に嬉しかったんです」
にへっと、笑って。
「私も、歌子さんのこと・・・好きです」
「彩夢」
「好きだから、おかあさんにも、なれます」
言ってくれた。
わたしが何より欲しかった、その言葉を。
「うんっ」
彼女を抱きしめる腕にも、少し力が入る。
「あはは・・・。ちょっと、苦しいです」
「あ、ごめん」
「ううん。止めないでください」
そこで、彩夢はわたしの腕に手を乗せて。
首を数回、横に振る。頭がお布団にぎゅってなっちゃっても、構わず。
「歌子さんの、好きにしていいですよ」
おかあさんに許してもらえたから。わたしはぎゅっと抱きしめる腕にそのまま少しだけ、力を入れ続けた。
まるでふわふわの和菓子みたいな彩夢を、潰してしまわないよう、細心の注意を払って。だけど、気持ちが伝わるように、力を込めるのは止めずに。そのまましばらく、二人で黙って、抱き合っていた。
「おかあさんっ」
「はい。おかあさんはここに居ますよ」
「おかあさんっおかあさんっ」
「よしよし。いいこいいこ」
彩夢に頭を撫でられると、安心が心の奥にしみわたって、じわっと広がっていく気分だった。そしてその安心が、身体と心の全ての不調を直してくれるように―――やさしさに麻酔をかけられたように、全身が温かさに包まれて、それ以外何も感じなくなる。
「おかあさん、どこにもいかないで」
「どこにもいきませんよ」
「わたしのこと、一人にしないでっ」
「しませんよ」
「ぎゅってしてっ」
「はい、ぎゅうっ」
彩夢の抱き返してくれる身体の感触が、心地よくて。
平坦な胸も、小さな身体も、サラサラの髪も、何もかもがわたしの心を満たしていくようだった。
(すごい・・・)
おかあさんの力って、こんなにすごいんだ。
「もうおかあさんなしじゃ、生きていけないよ」
「はい」
「ずっと、一緒に居て。わたしと、一緒に・・・」
「一緒ですよ。だから、安心して寝ていいんですよ」
「おかあさんっ・・・」
彩夢を想う気持ちは、とめどもなくて。
出てくる言葉も、止まらなかったけれど。
それでも、わたしはその温かなぬくもりに抱かれながら、意識がフェードアウトをしていくことも、止められなかった。
こんなに安心した気分で寝られたのは、いつ以来だっただろうか。こんなにも心地いいものに抱かれたのは、初めてだったかもしれない。
わたしには、おかあさんが居る。居てくれる。
それだけで、いいんだ。
それだけで、もう十分だから―――
◆
「はじゅかしい・・・」
昨日、自分がしてしまったことを考えると、顔から火が出るようだった。
同じ布団で寝ている彩夢が、まだすーすーと寝息を立てている頃。
朝日に起こされるように、明るくなったから目を覚ます。そんなとても人間的な行為で起きられたのに、頭の中はやってしまった感でいっぱいだった。
("おかあさん"って、今日からそう呼ぶってこと?)
それに好きって言いあったってことは・・・、わたし、小学生と付き合うんだよね?
大丈夫かな。
大丈夫じゃないな、多分。
色々、勢いに任せて決めちゃったけど、大丈夫だったんだろうか。
それでも―――
「ん・・・」
彩夢が、目を覚ましたようだ。
「んん~~~」
布団から上半身だけ出して、ぐーーっと伸びをするように右手を挙げる。
そして、その半分寝ているような目で、わたしを見つけると。
「あ、歌子さん・・・。おはよう、ございます」
すぐに、そう言ってくれた。
(そっか)
いいんだ。
彩夢がこうして、普通に話しかけてくれるってことは。
昨日のことは、全部受け入れて良いんだ。
「おはよう。彩夢」
わたしは、昨日のことを忘れない。
だけど、それと同じくらい―――今日から過ごす、彩夢との日々を、忘れられないくらい大事にしていきたいと、そう思う。