互いの全てを知り尽くすまで(上)
「それじゃ、電気消しますよ」
「目覚ましはセットしたし・・・うん、いいよ」
「では」
ピッとリモコンを押すと、部屋の電気がすーっと消え、景色が暗転していく。
「よいしょ」
自分のお布団に入る時も、少し緊張していた。
―――まだ、踏ん切りがついていないのかもしれない
そのもやもやを振り払うように、わたしは、すぐに行動へ移した。
「彩夢」
「はい。なんでしょう?」
視線は布団の中。
彩夢の方を見る勇気は、今のわたしにはまだ無かった。
「そっち・・・行っていい?」
少し、声を潜めて。こしょこしょと内緒話をするような声色で、問いかける。
「どうしたんですか? 今日は」
「えへへ。彩夢と一緒に寝たくて・・・。ダメ、かな?」
わたしが少しトーンダウンして言うと。
「甘えんぼさんですね。良いですよ」
優しい彩夢は、やっぱり承諾してくれた。
「ありがとう」
一度、自分の布団から出て。
彩夢の布団に、入る。
さすがに迎え合わせというわけにはいかないようで、彩夢は向こう側を向いていたけれど。
「・・・、えいっ」
今日のわたしは、意を決しているんだ。
思い切って、その背中の方を向いて、布団に入った。
「も、もう」
それにはさすがの彩夢も驚いたようで。
「本当に甘えんぼさんなんですから」
ちょっとだけ、声が上ずっていたのだ。
「うん。わたし・・・」
そこから先を言おうとして、憚られた。
言ってしまったら、何かが終わってしまうような気がして。
そして、言うのはまだ早い。本能的に頭がそう告げていたのかもしれない。
そうだ。きっと―――これからする話の、最後にすべき話なのだろう。
「彩夢」
その名を呼ぶ。
いつものように。そして、それはいつもとは少し違う。
「彩夢のお母さんのこと、聞かせて欲しい」
そんな話をするために。
「・・・どうしたんですか、今日は本当に」
彩夢は一瞬の躊躇の後、小さくそう呟く。
「わたし、彩夢のことは何でも知っておきたい。だから」
「どうしてですか?」
―――そこで、初めて感じた
「どうして、そう思うんですか?」
彩夢からの『拒否』の意思。
ここから先は話したくないと言う、明確な反応。
「好きな人の事を何でも知りたいって思うのって、変なことかな?」
だから、わたしはありのままをそのまま伝える。
「す、好きっ・・・」
彩夢の声が裏返る。
小学五年生には、やっぱり刺激が強すぎる言葉だったかもしれない。それでも。今日のわたしは、引き返すつもりは一切ないのだ。
「う、歌子さんはわた、私が、好き・・・、なんです、か?」
「そうだよ。わたしは彩夢が好き。これはハッキリと言っておくね」
「好き・・・」
言葉の重さにドキドキしているのか、それとも言葉自体に逆上せているのか。
いつもの彩夢とは少し違う反応に、わたしも少し戸惑う。
(好きって言葉って、こんなに強いんだ)
いつもは冷静沈着な彩夢を、こんな風にさせてしまう程度には―――力を持った言葉だということが、改めて分かった。
「好き、だから・・・わたしのことをもっと知りたいって、そういうことですか?」
「もっとっていうか、全部だよ」
「・・・」
押し黙ってしまう。
気持ちを受け入れてくれたのかな?
それとも、拒否することを固めた沈黙だったのか。
「・・・」
沈黙は続いた。そして。
「それは、わたしじゃないと、ダメ・・・ってこと、ですか?」
「うん。この気持ちは彩夢だけのもの。他の誰かじゃ、絶対にダメだよ」
何も包み隠さない気持ちをぶつけ続ける。この想いが彩夢に届くまで、何度でもするつもりだ。
「この世界で、全部知りたいなんて思うのは、彩夢だけ」
何度でも、何度でも。
「~~~っ」
しばらく彩夢の背中を、じっと見つめる時間が続く。
しかし。
「歌子さんが、そう言ってくださるの・・・、すごく、嬉しいです」
「じゃあ」
「私も、歌子さんのこと知りたいって、そう思ったこと、あります。だから・・・歌子さんの気持ち、私にも分かります」
そこまで言った後、彩夢は寝返りを打つようにごろんと、身体の向きを変えて。
「お話します。こんな話、他の誰にもできない・・・。二人だけの内緒の話、にしてもらえますよね?」
そう言う彩夢の目にはしっかりした、意思が宿っていた。
わたしの想いは伝わった―――それを思うと、本当に嬉しくて、愛おしくて。
「うん。約束する」
それだけで、十分になっちゃいそうだったけれど・・・我慢だ。今日、知りたいことはまだ何も知れてない。
そう。彩夢の『ほんとう』。
本当に、誰も言えないような、心の一番奥底にあるものに、わたしは触れたいんだ。
「私のお母さんは、」
始まる。
彩夢とわたしの、他の誰にもできない内緒話が。
「・・・優しい人でした。すごくすごく優しくて、寂しいことなんて無いんじゃないくらいいっぱい私のこと、優しく育ててくれて・・・」
彩夢はぎゅうっと胸の前で手を握りながら、話をしてくれた。
今まで聞けなかった、『おかあさんのお母さん』の話を。
「この寮との関わりも、はじめはお母さんの膝の上で、寮生の方々とお話したりしたところから始まって。その頃から寮生が身近な存在でした。まだ、物心も付いて無い頃から・・・私にはこの寮があったんです。当時はこの寮の隣にある家に、家族三人で住んでいて」
「今もそこはあるの?」
「売り払ってしまったので、今は借家になっています。誰も住んでません。というのも・・・、うん」
そこで彩夢は何かに引っかかったように、言葉を止める。
「ごめんなさい、えと」
「無理しなくていいんだよ?」
「いえ、大丈夫です」
こほん、と声を整えた彩夢が切り出したのは。
「私が小学校に上がった頃、父とお母さんが離婚しました」
わたしが本当に触れたかったもの。
彼女が普段なら決して隠して言わないであろう事実。
彩夢の、過去の、一番深く―――
「それから・・・、お母さんは体調を崩すことが多くなりました。寮のお仕事を近所のおばあちゃんや私がお手伝いをすることが多くなってきたのも、その頃からです」
「彩夢は、寮のお仕事に抵抗とかなかったの? めんどくさいーとか」
「いいえ。お母さんが大事にしていた場所でしたから。私にとっても、年上のお姉さんたちと話したり遊んだり、お世話になった場所―――楽しい場所だったので、お手伝いもお母さんが病気になったからとか、そういう後ろ向きな理由ではなく・・・、自発的にやり始めたのを覚えています」
「そっか」
だから彩夢は、今でもずっと。
この寮を大切に思っているんだね。
「お母さんの体調は悪くなる一方でした。そして、数年前に・・・。私も、何日かは立ち直れませんでした。目の前の現実を受け入れることすらできないでいた。そんな私に、当時のこの寮の生徒さんたちが、優しく接してくれたんです。あの時のことは、感謝してもしきれません・・・」
ぐすっ、という・・・鼻をすする音が聞こえた。
「私が寂しくないよう、一人しないよう・・・随分、気を配っていただいて。私がもう大丈夫って言ったら、みんなで美味しいご飯を毎日のように囲んでくれたり、夜寂しかった時も、みなさんが一緒にわいわい遊びながら寝てくれたおかげで、平気でした」
その時に、その場所に居られなかった辛さはある。
彩夢が最も寂しい時、支えてくれた寮生さん―――顔も分からない彼女たちに、感謝したい。
「その時、私は思ったんです。お母さんに変わって、この寮の『おかーさん』になろうって。この大切で楽しくて、温かい場所を・・・守れるようになりたいって」
「だから、寮母さんになるって決めたんだ」
「はい。私にとって、この場所はかけがえのない場所になりました。母が亡くなった後、後継者が居ないならここは廃寮になるという話もあったんです。それだけは、絶対にイヤで・・・。私が自分で言い出したんです。お母さんの後を継ぎたいって。勿論、反対する声や心配する声もありました。だけど、私は絶対にやり通すと言って譲らなかったんです。そしたら、周りの大人の協力もあって、半年間だけ廃寮にするのを考えてくれると学校側からも・・・」
「よく、許してもらえたね」
「その辺は歌子さんの方が知ってるんじゃないですか? ウチの学校、結構自由な校風なんです。金髪が全然オッケーだったり、バイトだって、申し出をすれば良いですよね?」
「あ、ああ~。・・・確かに」
コスプレ喫茶でバイトオッケーって、確かに結構自由だわ。
「お試し期間を終えて、本格的に寮が続くと決まった時、私は思ったんです。私が進学でもしこの地から離れなきゃならなくなった時も、寮が存続するようにキチンと私が全部やろうって。その辺も全部決めて、この寮が存続する形を、その道筋を立てようって。その場しのぎじゃない、この寮が十年二十年と続くような・・・」
「え、待って待って。そこまで考えてたの?」
「当然ですっ」
布団の中でくすくすと彩夢は笑うけれど。
(今、結構すごい想定してたよ!?)
おおよそ、小学生がするもんじゃないってレベルのものを・・・。
(やっぱ、)
そして、つくづく思う。
(この子、すごいな)
って。
小学生とは本当に思えない。
でも、今の独白の中にもあった。この子が小学生なんだって証が、いくつも。
周囲に支えられ、彩夢は真っ直ぐに育ったんだっていうことも分かった。
だから―――改めて、思う。
わたしの心は、今、決まった。
今度は、わたしの番。
「ねえ、彩夢」
この気持ちを、包み隠さず言おう。
「わたしの・・・、っ、おかあさんになってくださいっ!」
藤堂歌子の、『ほんとう』を。
本当の気持ちを、ぶつけた。