狼の仲間に幼女が加わった
夢を見た。
ひどく懐かしい光景だ。
閑静な住宅街。
コンクリートで鋪装された道。
人の、文明の進歩した世界。
住宅街の中にひっそりと小さな公園があった。
公園の中にはブランコとベンチくらいしかなく、夕暮れ時の寂しさがその小さな公園を照らしていた。
そんなブランコに五歳くらいの少年が下を向いて座っている。
「どーしたの少年」
そんな少年の近くにいつの間にかいた女性が話しかけていた。
20代前半くらいだろうか、艶やかな黒髪を頭の後ろでまとめた綺麗な人だった。
少年は突然話しかけて来た女性に一瞬驚いて目を見開いたが、すぐにまた下を向いて黙り込んだ。
女性はフッと笑い、少年の隣のブランコに座りかける。
「知らない人には話しかけちゃいけないって親御さんに言われたのかな?」
「……」
少年は答えない、ただただ下を向いて一人の世界に閉じこもっている。
そんな少年を見て、女性は右手を勢いよく差し出した。
「あたしは小鳥遊 光!27歳独身の派遣社員!好きな食べ物はハンバーグ!嫌いな食べ物はピーマン!よろしくね!」
いきなり大声を出しながら手を差し出す女性に少年が何も言えずにいると「自己紹介だよ、これで私はもう知らない人じゃないよね」と笑いかける。
「どーしたの?こんな公園で一人寂しくなにしてたの?」
「…おかあさんが…おまえなんていらないって…」
少年が喉から絞り出すように出した声に、女性は一瞬真面目な顔になる。
「いえに、おかあさんがおとこのひとといっしょにいて、ずっとずっといっしょにいて、ぼくにはぜんぜんはなしかけてくれなくて、それでぼくさびしくなって、おかあさんをかえしてって、いったら、あかあさんが、ぼ、ぼくなんてじゃまだ、いらない、どっかい、け、ってえ…」
ぽろぽろと話していた少年は話途中で思い出してしまったのか目に涙を貯めながらまた下を向き、泣きそうになっていた。
「ぼく…わがままだったのかなあ…わるいことしたのかなあ…おかあさんはぼくのこと…き、き、きら、い、なの、かな」
しゃくり上げる少年の言葉を聞いて、
女性は下を向く少年の正面に立つと少年のことを抱きしめた。
「だいじょーぶ…だいじょーぶ…」
少年を落ち着かせるように、優しく、慈愛を持って抱きしめる。
しばらくの間そのままお互い無言でいたが、少年の肩を優しくつかみ、少年としっかり目を会わせて話しかける。
「お母さんもさ、本気で君がじゃまだったわけじゃないよ」
「…ほんと?」
上目使いで自信なさげに聞いてくる少年に「もちろん」と微笑んで返す。
「自分の子供が嫌いな親なんていやしなーいよ」
少年はその言葉に一瞬明るくなるが「でも…」とまた下を向く。
「だいじょーぶ!あたしも行ってなんとかしてあげっから!」
「…ほんと?」
「ほんとほんと」
「…でもおかあさんがぼくのことをきらいだったら…」
「そんなこと絶対ないけど!そのときはあたしがおかあさんをぶん殴って目を覚まさしてげるわ!」
「…おかあさんがなぐられるのはやだよ…?」
「わかってるって」そういって女性は少年の手を掴むとブランコから立ち上がらせる。
「どんとあたしにまかせなさい!」
「…ありがとう」
ホッとした表情で初めて笑顔を見せた少年に、女性の方も笑顔になる。
「お!いいねえ!やっと笑顔になった。君が笑顔になるとあたしも笑顔になるよ。さあじゃあ帰ろうか、もう子供には遅い時間だし、お家まで連れてってくれる?」
「うん…!」
そうして二人は公園から出て、美しい夕日に照らされたアスファルトで鋪装された道を歩いて行く。
そんな二人の後ろ姿を、狼の姿の俺が見ていた。
このあと女性はどうなるのだろうか。
少年を家まで返して、それで終わりのようには俺には思えなかった。
とても正義感の強い女性だ。子供を放って男と遊ぶような母親には説教でもするのではないだろうか。
知らない家庭の問題に口を出して、少年の家庭と一悶着あるのは間違いないだろう。
もしかしたら警察沙汰にだってなるかもしれない。
彼女は少年と関わったせいでそれほどのリスクを抱え込んでしまったのだ。
少年は確かにかわいそうだ。
親にネグレクトされて、助けたい、力になってあげたいとも思ってしまうかもしれない。しかし、
女性が少年の為にそこまでする理由はあったのだろうか?
少年を助けることであの女性にはデメリットこそあれど、メリットはひとつもないように見えた。
自分に損しかしないその行動が、俺には間違いにしか思えなかったのだ。
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「…今のは…」
「あ、目が覚めた?」
横になった体勢から顔を向けると、俺のとなりで先程のフードを被った少女が足を投げ出すように木の根本に座っていた。
場所は先程と同じ場所。
…俺はもしかして泣きつかれて寝てしまったのだろうか…。
よくよく考えてみるとこんな少女の前で大泣きしたあげく、最後は慰められるなんて…
「…俺はどのくらい寝ていた?」
「30分くらいかなあ…ふふっ」
急に少女が思い出したかのように笑った。
「どうした?」
「だって、当たり前みたいに狼がしゃべるんだもん」
「ああ…そういえば…」
よくよく考えてみたら狼がしゃべるって言うのはずいぶんおかしいことだ。自分が人間から狼になっていたことや森で遭難したことなど、それどころじゃなかったから気付かなかった。…声帯とかどうなっているんだろうか…?
「狼さんが起きたからやっと自己紹介できるよ、私はルーシィよろしくね」
そう言って少女がフードを下ろすと、明かるめの茶髪を肩の高さで揃え、前髪を真ん中で分けてデコを出した可愛らしい少女の顔があった。
しかし、耳だけが人と違って少し大きく尖っている。いわゆるエルフ耳というやつであった。
ルーシィは握手として手を差し出してきたが、俺は人間のものではない耳に驚いて固まってしまった。
そんな俺を見かねて「…やっぱり狼さんでも耳長族はだめ…?」と苦笑しながらルーシィは手を引っ込めた。
「いやだめとかではなく単純に驚いて…やっぱりって?」
「だって…ほら…耳長族だし…」
ここではエルフ耳は毛嫌いされているのだろうか?
下を向いてフードを被り直す彼女を見て耳長族があまり好まれていないことを何となく察する。
「悪いが俺は記憶がないんだ」
「そういえばそんなこと言ってたね」
俺が答えるとルーシィはちょっとホッとした顔をした。
「狼さん記憶がないってことは…自分の名前も分からないの?」
「分からないな」
これから人間社会に混ざって生きるうえでは名前は必要不可欠だろう。
自分で自分の名前を決めるしかないな…。
「そうだな…名前か…どうするか…」
「ロロ」
「え?」
「狼さんの名前、名前がないと不便でしょ?だから私がつけてあげる。」
「いや、…君が決めるのか?」
俺がそう聞くと当然と言うようにルーシイは薄い胸を張って満面の笑顔で答える。
「そりゃそーだよ、だって私は狼さんの恩人だよ?」
どんな理屈なのだろうか…
「まあ別にいいんだけどな…ロロか…」
ロロ、新しい自分の名前、音も綺麗だし…うん、昔のことを思い出すしばらくの間はこれで行こう。
「ちなみに名前の由来とかあるのか?」
「家にある絵本に出てくる精霊の名前なの、白くて綺麗な光を纏った精霊なんだー」
精霊の名前を貰うとはいささか分不相応だな、こっちはただの狼なのに…中身は人間だが。
「じゃあこれから私の村に案内するってことでいい?」
ルーシィが立ち上がり服に付いた汚れをはたきながら当たり前のように聞いてくる。
「…いいのか?」
「なにが?」
もう出発する気満々で立ち上がり、歩き出そうとしたルーシィが、口ごもる俺を不思議そうに見ていた。
「俺は狼だぞ?」
「…ロロは狼なの?」
「いや人間だが…そうじゃなくて、どうして俺を信用する?確かに俺は助けを求めたけど…普通、狼に助けを求められて助けるか?」
分からないのがそこなのだ、なぜ彼女が俺を助けるのか、狼を自分の村に連れて行って彼女に何かメリットがあるのだろうか、毛皮が欲しいのなら俺が寝てる間に剥がすことができただろうし…一人じゃ剥がせないとか?。いや俺を生かしておくより殺す方が安全だろうし、生きてる狼を連れてくことに意味があるのか?
「俺はそりゃ助かるさ…でも、君はどうして狼の俺を助けてくれる?」
「んー…別に普通のことだと思うけどなあ…」
まるで俺の言ってることの方がおかしいとでも言うような顔をする。
歩き始めた彼女に対して俺は立ち止まったままだ。
正直、俺はこの少女をまだ信用仕切れなかった。相手のメリットが分かっていてそれに納得して信用することはできる。互いが互いの為に相手を利用する考えだ。しかし俺には彼女の考えが読めなかった。
「困ってたあなたを助けてあげたいって思ったから助ける、それじゃだめ?」
「でも…狼だぞ?」
「あの時私にはあなたが狼には思えなかったよ?」
数歩先からルーシィが振り返りながら驚くことを言う。
「泣いて私に助けを求めるあなたの叫びはまぎれもなく人間の物だった、悲しくて辛くて泣いてる一人の人間、そんな人に助けてって言われたら助けてあげたいってなるじゃない」
真面目な顔で彼女は言う。
狼の姿をした俺を人間だと、彼女ははっきりと言った。
それは、俺がこの数日ずっと不安でいた問いの答えだった。
「…俺は…人間だと思うか?」
「思うよ?」
まるで当たり前のことを言っているかのように、ルーシィは俺に答える。
「そうか…そうだよな…」
納得してもらえたと思ったのかルーシィは満面の笑顔になった。
正直、メリットデメリットを重視して考える俺にはあまり納得のいかない答えではあった。
しかし、自分ですら自分が人間か自信を失っていたのに、他人に人間だと断言されてひどく心が安堵した。
彼女は狼の見た目ではなく、人間の俺を信用してくれているのだ。
「君はいいやつなんだなルーシィ」
「だから別に普通のことなんだって〜」
「やっぱりわかってないっ」とルーシィは憤慨したが俺は口から笑みが零れた。
こんな姿の俺のことを人間だと言ってくれる少女を、信用したいと思ったのだ。
「もう、行くよロロ!村までそんなに離れてはないけれど、遅くなると嫌だし!」
「ああ、案内頼むよルーシィ」
頬を膨らませながら歩き出す彼女の隣に並ぶように俺は小走りで歩き出した。
先ほど答えることができなかった握手の代わりに、俺は頭をルーシィの手に擦り付ける。
そんな俺を見てルーシィは笑顔になったのだった。
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ベガレスト大陸、歪な六角形のようなこの大陸の最南端に『ダイモンド王国』という国がある。
大陸の六分の一ほどの大きさの国であり、この大陸最大最強の国であるとされている。
昔々、人族のある勇者が魔女を倒す為に多くの人々を集めた。勇者の剣によって魔王が倒されたあと、正義はここにあるのだと、人々は勇者の名前をとって国を作った。それがこの国の始まりであるとされている。
人族の勇者を基盤に作られた国であるため、国民のほとんどは人族であるが、少ないながらも小人族や獣族もいるらしい。人種に差別はなく、犯罪も、勇者の末裔が率いる騎士団が取り締まっているため多くはないそうだ。
ダイモンド王国は上に三つの国と接しているが、左上の国、『エメラルダ国』との国境に大森林と呼ばれる小国ほどの大きな森がある。
今俺逹がいる場所がまさにそこであり、ルーシィの村…耳長族逹はそこに隠れるように暮らしているのだと言う。
村に向かう途中、記憶がないことを理由にこの世界についてルーシィに話を聞いたのだ。
「勇者様が率いる「正義の騎士団」はとっても強いんだよ、前に町に行ったときに泥棒が出たんだけどあっという間に倒してたんだから」
「いわゆる警察みたいなやつらなんだな」
そうひとりごちていた俺に「ケーサツ?」とルーシィが聞いてくる
「まあ気にするな、それよりも近くに町があるのか?」
「うん、週に一回、森で狩った獣の毛皮とか調合した薬草とかを売って町で買い物してくるの」
「俺も下手すれば町に売られるかもしれないんだなあ」
「大丈夫!村のみんなは優しいからロロのこともわかってくれるよ!」
ルーシィは自信満々にそう言うが、俺は不安があった。
とりあえずルーシィの村に行くことに決めたが、狼の俺を村の人々がそう簡単に受け入れてくれるわけがない。
最悪、本当に毛皮にされてしまう。
「好意的に接するつもりではあるけど…もし殺されそうになった場合は、俺はその近くにあるっていう町に行くことにする」
「えー!!だめだよ!!」
殺されたくない俺の当たり前の言葉に対して、ルーシィは拒絶の声を出す。
「私がロロを助けたんだもん!ロロのことはちゃんと私が面倒見るんだからね!」
「いやしかしな…俺も毛皮にされたくないんだよ」
「本当にだいじょーぶだって!ロロのことを毛皮になんかみんなしないよ!」
それからルーシィは自分が住んでいる村のことを語った。
優しい自分の姉が毎朝美味しい朝御飯を作ってくれること。最近ルーシィを溺愛しすぎて嫌いになってきたが尊敬する父親がいること。隣のルナールさんはいつも美味しいアップルパイをくれること。いつも遊んでくれる村の子供逹と木登り競争で一番になったこと。幼馴染みの男の子が最近自分に素っ気ないこと。
村のみんながどれだけ優しいかという話だったが、語ってるうちに楽しくなってきたのだろう。村でのいつもの日常やこの前にあったことなど色々と話してくれた。
まるで万華鏡のようにコロコロ表情を変えて語るルーシィに、俺は微笑ましい気持ちで一杯になった。
「みんなが大好きなんだな」
「うん!村のみんなが大好きなの!」
それは見るもの全てを幸せにするような笑顔だった。
森をルーシィと2時間ほど歩くとぽつぽつと森の中に建つ木造建築の家を発見した。
家はそれぞれあまり大きくなく、木々に隠れるように十数件。もしかしたらもっとあるのかもしれないが木々に邪魔されて遠くは分からない。
開拓をしないで、ただただ森の中に家をたくさん建てた、という感じだ。恐らくは電気もガスもないだろう。
「…これは村って呼んでもいいのか?」
「むー…確かにちょこっと小さいかもだけど、ここは村だもん」
馬鹿にされたと思ったのかルーシィが頬を膨らませてこっちを睨んでいた。
「いや、バカにした訳じゃない、ただあまり見ない光景だったもんでな、それよりほら、お前の自慢の村の中をよく見せてくれないか?」
睨んでいた顔から一転、満面の笑顔になるルーシィ。よほど村の中を案内したいのだろう。
「うん!こっち!まずは私のおうちにつれてってあげる!」
俺の隣から離れて先を走り出すルーシィに苦笑しながらゆったりと追いかける。
突如、ヒュンっと風切り音が鳴った。
「がっ!?」
右足のももに激痛が走った。衝撃、それに右足に力が入れられず体勢が崩れて倒れてしまう。
「なにが…」
激痛の正体を知るために右足に目を向けると、白い毛を赤く染めながら、一本の矢が突き刺さっていた。
「ロロ!」
先を走っていたルーシィが俺の異変に気付いてこちらに戻ってくる、俺まで後一歩というところでその背中に話しかける者がいた。
「そこを動くなルーシィ」
いつの間にかルーシィの後方に茶色いフード付きの全身マントを着た男がいる。男はフードを深く被り顔の半分はよく見えなかったが、美しい男であることはわかった。しかしフードから覗くその眼球はルーシィに話しかけつつも、狼の俺だけを見ていた。
「汚らわしい狼が…耳長族の村に攻めて来るとは良い度胸だ…ぶっ殺して毛皮にしてやるよ」