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探し物 弐

 その日も小夏はいつもの道を小走りに進んでいた。楽しみでたまらなくて自然と足取りが弾むのとは違い、そのときはなにかに急かされるような心地だった。

 山から吹き下ろす風が湿っていて、嫌な感じがしたのだ。空の色もなんだか不安にさせる。

 だから、小夏は走っていた。

 雨を恐れているわけではない。濡れても、善之助の家へたどりつけば、拭くものでも着替えでも借りられるだろう。

 そういうことではなく、とっぷり暮れた冬の帰り道のような、物悲しさと心細さに似た感情に支配されていたのだ。

 季節は初夏でおまけにまだ陽もあって、怖いことなどないはずなのに。

 早くその感覚から逃れようと、小夏は自慢の脚力を活かして善之助宅へ向かって走った。くぐり戸を抜けて善之助宅の敷地に入れば、安心感を得られるとわかっているのだ。

 ところが、板塀が見えてきたところで急停止しなければならなくなった。

 赤いランドセル。それがひどく低い位置にあるのが見えて、小夏は驚いて足を止めた。

 よくよく見ると、ランドセルを背負った女の子がしゃがみこんでいるのだとわかる。

 女の子はなにやら一生懸命に地面を見つめていた。

 その鬼気迫る雰囲気に、思わず小夏は声をかけていた。


「ねぇ、どうしたの?」


 声をかけてすぐ、「しまった」と思った。だが、もう遅い。

 女の子は声に反応して顔をあげた。頼る人を見つけたという安堵の視線を小夏に向けている。

 その視線があまりに無垢で、それもあいまってさらに小夏はギョッとした。

 その女の子の体は、まるで煙に映し出された映像のように、透けて向こうが見えていたのだ。

 つまり、この世のものではないものに小夏は声をかけてしまったということ。

 とりあえず邪悪な感じはしないが、その無垢な瞳は絶対に逃がすまいとするかのようにジッと小夏を見つめていた。


「……探してるの」

「え?」

「探してるの」


 小夏の問いに対する答えだったのだろう。女の子はきっぱりとそう言い放った。


「なにを探してるの?」

「探してるの」


 これはどうやら会話が成立しないようだと、小夏は気がついた。

 探してるの――それが彼女の伝えたいことで、伝えられることのすべてなのだろう。

 それがわかって、小夏は考えた。

 女の子はなにかを落として、それを探している。それが見つからないと、どうにもならないのだろう、と。


「探し物をしてるんだね……わかった。なにか見つけたら拾っておくから」

「……」


 小夏はしゃがみ込み、女の子と目線を合わせて言った。気味が悪いと思わないこともないが、哀れみのほうが先立った。だから努めて穏やかに、安心させるように微笑んだ。

 女の子はなにも返さなかったが、先ほどよりも視線がゆるんだ気がする。

 それにホッとした小夏は女の子へ手を振り、くぐり戸から善之助宅に入った。

 ついて来る気配はないが、念のために善之助に報告しようなどと思いながら。

 だが、報告するまでもなくそれは善之助に知られていた。


「小娘、お前はなんて空気を連れてるんだ!」

「ひっ……!」


 飛び石を渡り縁側の前に姿を見せた途端、ものすごい勢いで小夏は善之助に怒られた。

 これが“怒髪、天を衝く”か、などと塩をまかれながら他人事のように考える。小夏はその性分のせいで、幼い頃から怒られることが多い子だった。そのため、怒られ慣れているのだ。

 だから、銀縁眼鏡のほかに鋭さなどない善之助にぷりぷりと怒られたところで、まったく動じない。それどころかなぜ怒られているのかが理解できず、間抜け面をしているくらいだ。

 善之助はしばらく塩をまいたり背中を叩いたり手で払ったりしたあと、一歩離れて小夏をしげしげと眺め、気が済んだのか鼻を鳴らした。


「小娘、なにか変なものと接触したか?」

「……幽霊と。くぐり戸の前にいて、なんだか困ってたみたいだったから」

「困ってたからってなんで声なんかかけるんだ? お前はその道のプロか? その幽霊になにかしてやれるのか?」

「それは……無理かもですけど。でも、見えちゃったからには素通りできなくて」


 小夏の話を聞きながら、善之助はその眉間の皺を深めていった。どんな言い分を聞いたところで納得できるものではなかったが、自分から接触したとなれば呆れも怒りも強くなる。

 小夏が来る前に、善之助もくぐり戸から表へ出ている。そのときにそんな怪しげな存在を目にしていないのだから、小夏が見たものは小夏だけをターゲットにしていた可能性が高い。

 彼女の心とその幽霊との間になにやら波長が合う部分でもあったのか、彼女のお人好しにつけこんだのかはわからないが、呼ばれたのだらう。だから、見えた。

 ともかく、無視しようと思えばおそらく無視できたであろうものにひっかかっておかしな空気を引き連れている小夏に、善之助は腹を立てていた。


「前にも言っただろう? 安請け合いするなって。安請け合いなんてものは、自己満足なんだよ。相手が困っていたから下手な親切心おこしてなんかしてやりたいなって思って、思ったまま口にしてるっていうやつだ。でもそこに確証も責任感もないってのがたちが悪い。たちが悪いから、以後慎むんだぞ」

「……はい」


 一気に言い切ると気が済んだのか、善之助は台所にお茶を取りにいった。お菓子も今日はめずらしく洋菓子をそろえている。茶器とお菓子の載った盆を見て、善之助は本来出すつもりはなかった別のお菓子を付け加えた。

 どうやら怒っているばかりではなく労わる気持ちもあるようだ。

 走ってきた様子からして、おそらく怖い思いもしたのだろうとはわかっていたのだ。


「たんと食え。そしてしゃっきりしろ。親切心が悪いとは言わんが、そういうものに付け込まれることもあると覚えておくんだ」

「はい」


 善之助は小夏がお菓子を食べ始めたのを見て、その頭を軽くポンポンと叩いて立ち上がる。

 念のため、くぐり戸の向こうを見ておこうと思ったのだ。

 飛び石を踏み、一歩一歩近づくにつれ嫌な空気が濃くなる。

(嫌な感じがする……って、良い感じがするはずもないが)

 善之助は元々、霊に良い悪いは存在しないと思っている。この世に未練があって取り残された魂など、等しく皆、厄介に決まってる。質が悪いか、うんと質が悪いの違いしかないというのが善之助の持論だ。


「……いない」


 くぐり戸をそっと開け、通りを見るとそこにはなにもなかった。

 ただ、異様な気配だけが残っている。そこに確かになにかいたのだという、そんな違和感だけが。それを感じて、善之助の背筋には虫が這うような感覚が走った。

 やはりそこにいたものは、小夏だけを狙っていたのだろうか。

 善之助は別に自分の霊感などというものを信じているわけではなかったが、不思議とそういったものは見えるのだ。商売柄とでも言うべきなのか。だから、そこにまだなにかいるのなら見えるはずなのだ。

 それなのにいないというのは、どうにも気味が悪かった。


「もういなかった。だから、帰りはまぁ大丈夫だろう。でも、なにかあればすぐに言いなさい。知り合いの寺を紹介するから」

「はい……あたし、取り憑かれたんですか?」

「いや……今のところ、憑いてはいないと思うが」

 

 善之助の言葉に不安になったのか、小夏は眉をハの字にして今にも泣きそうな顔をしていた。

 友達の嫉妬の念には怯えもしなかったのに、どうやら人並みに幽霊は怖いらしい。

 古道具屋のようなものを営み、石集めが趣味の社長や唐澤なんかを相手にしていると、幽霊なんてものには慣れてしまうものなのだが。

 慣れてしまっているからか、元来気にしない質だからか、善之助は小夏の恐怖をいまいち理解してやれなかった。


「これに懲りたら、今後幽霊が視界に入っても、目を合わさないようにして『私はあなたの役に立てません』って心の中で念じながら通り過ぎろ。それでも憑かれたら、寺だ。あー……寺に行くっていってもそんな大袈裟な話じゃなくてだな、服にシミがついたらクリーニングに出すのと同じくらい自然なことだ。だから、気にするな」

「……はい」


 なんと言って励ましていいものかわからない善之助だったが、クリーニングやシミ抜きというたとえが出てきたことで小夏の不安は少し和らいだようだ。難しいことを考えるのが苦手なため、身近な単語が出てきたことでなんとなくホッとしたらしい。

 ごまかされたようなどうにもしっくり来ない感覚を抱きつつも、善之助にくぐり戸まで見送られ、小夏は伏せ猫屋をあとにしたのだった。





 その日の夜、小夏は夢を見ていた。

 見たこともない通りをゆっくりと進むように映像が流れていく。ホラー映画やドキュメンタリーで使われる、小型カメラを片手に道をゆく感じだ。

 一人称視点というわけではなさそうだったが、画面は手ブレなのか揺れている。

 その酔ってしまいそうな感覚で、小夏はこれを夢だと判じた。

 視界が小夏自身のものより低い気がする。

(子供の視点? なんか、酔いそう……)

 なにかを探しているのか、視界はキョロキョロと左右に大きく動く。真後ろにパンしたり、下を見つめたり、その忙しない動きを見せられていると気持ちが悪くなってきた。

 夢なのに、だ。

「ない……ないの」

(え? なに……?)

 小夏が、この一方的に“見せられている”ものにいい加減嫌気がさしてきたとき、それまで無音だった映像に声が入った。

 幼い子供の声だった。

 おそらく、伏せ猫屋のくぐり戸の前で見た少女のものだろう。

 その声を聞いて、ようやく小夏はこの映像は、あの少女の幽霊が捜し物について訴えるために見せているのだと理解した。

「どうしよう……落としちゃった」

 歩き回り、来た道を戻っても探し物が見つからないとわかると、ついに少女はしゃがみこんで泣きはじめた。涙で視界が曇り、やがてそれを手で拭うからかなにも見えなくなってしまった。

 ぐしゃぐしゃににじんだ視界とすすり泣く声。

 それだけに支配された映像は、もうあと少しも見ていたくなかった。

(これが夢なら、前みたいに……)

 小夏は夢から抜け出そうと、以前水底のようなところから抜け出したときのことを思い出して、意識を上に上にと持っていくようにした。

 海やプールで潜ったとき、水上に顔を出すにはとにかくまず上を向くことが大事なのだ。

 だから、小夏は意識を上に向けた。

 ぐんぐんと体が浮上する感覚がある。たぶん、すぐに夢から覚めるだろう。そんな予感がしていた。

 耳の圧が正常に戻り、普段通りに音が聞こえるようになったときのように、ザパッと小夏の聴覚に音が戻ってきた。

 その瞬間、目が覚めた。


「クマさん……?」


 目を開けて、小夏は呟いた。オレンジ色の常夜灯が見え、自分の部屋なのだとわかる。

 思わず出た言葉は、目覚める直前に耳に入ったものだった。

 すすり泣く女の子の声で、「クマさん」と言うのが聞こえたのだ。


「……クマさんを、探してるの?」


 目を閉じながら、小夏は声に出して言ってみる。

 夢を見せられたということは、近くに幽霊がいるのではと思ったのだが、なにも返事はなかった。おかしな気配も、別段感じない。

 そのせいか恐ろしいという気持ちよりも眠気が勝った小夏は、そのまま再び眠りに落ちていった。

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