弟子入り08
しばらくして帰ってきた師匠が講義を再開する。
「詠唱省略はいわば、諸刃の剣です。速度を得る代わりに、制度を犠牲にする。時にはその一振りは自身さえも傷付けます」
そう言う師匠の目が鋭くなる。
特に後半の語彙が強かったから、強く忠告したいのだろう。
僕は肯定を示すために大きく頷く。
「理解していただけたようで何よりです」
師匠はこれで次のステップに進めます、と満足げな表情だ。
初めての生徒に試行錯誤しながら授業を進めてくれているのだろう。
本当に師匠には頭が上がらない。
「お待ちかねのユークラウドの無詠唱魔法の講義に入りたいと思います」
ちゃんと、無詠唱についても調べて来たので安心して聞いてください、と師匠は胸を張る。
第一声の、さて、から無詠唱魔法の講義が始まる。
「詠唱省略で精度が落ちる代わりに速さを優先する技術なのだとしたら、無詠唱魔法とはどういった技術なのだと思いますか?」
どんな技術……そう言われるとたまたま出来た事だから困ってしまう。
未だバリエーションも少ないし……。
というか、詠唱省略なんて技術があるのなら、無詠唱だって技術として確立しているのかな。
僕が考え込んでいるのを確認して師匠はいつもの様に指を立てて説明を続ける。
「無詠唱魔法とは魔法の作業を全て感覚だけで作り上げる作業のことです」
感覚だけで魔法を作る。
個人的にはトライアンドエラーの結果だから、ただの作業だという思いだったんだけど。
でも確かに、一度見つけた物を作り上げる時は、感覚でやってる気がする。
あれ?
感覚で魔法が作れるなら、なんで無詠唱じゃなくて詠唱省略を選ぶんだろう。
僕の場合は事情が違うけど、詠唱を唱える時間を減らして速さを求めたいなら無詠唱を練習するべきではないのだろうか?
その疑問に答えてくれたのも、師匠だ。
師匠は俺の疑問が想定通りというように答えをくれる。
「ユートから見たらちょっと違和感を感じると思います。何故、詠唱省略なんて技術があるのか……それを目指すならば、何故無詠唱を目指さないのか。理由は2つです」
得意の指立てに今日はもう一本加えて二本。
師匠は説明が始まる。
「大前提として、普通の人達は無詠唱なんて高等技術できない事を1つ。無詠唱だけで完成させるには魔法は、あまりにも繊細なんです」
魔法は繊細な物だと訴える師匠。
正直、最初に覚えた無詠唱が高等技術だったのかと驚きを隠せない。
半年間のトライアンドエラーは無駄じゃなかった。
「殆どの人は、魔法を組み立てあげる中で必ず存在する細かい工程を独力で作り上げる事はできません。だから、その工程を呪文に任せる為に詠唱があるのです」
意外な事実だった。
魔法を頭の中で組み立てて実際に工程を行なっていく作業はかなり難易度が高いらしい。
「ですが、ユークラウドは違いますよね?」
確かに魔法の工程の中には細かい工程がいくつもある。
僕も、それを探すための作業に殆どの時間を費やしたと言っても良いくらいだ。
使える魔法の数も今のところ少ないし。
「無詠唱魔法使いの条件その1です。どんなに細かい工程も頭の中で作り上げることができてしまう」
そうやって会得した物は、普通の人には出来ない事なのだと、暗に師匠は告げる。
でも、やった事は結局、何万通りも組み合わせを試しただけだから、そこまで特別って気がしないんだけどなぁ。
何故か、師匠にジト目を向けられた。
更には、納得していない顔ですが、無視して次進めます、とため息まで付いて話を進める。
一先ず、置いておくか。
「次の条件が精度です。省略してもよい詠唱文の詠唱省略を行うと、一節毎に10%〜20%の精度の低下と言われていますが、その理論で言ってしまえば、無詠唱魔法は相当酷いことになるはずです」
言われて気付く。
師匠が言っていた精度を落とす代わりに省略してもいい詠唱省略は、一節ごとに1割から2割ほど精度が下がるらしい。
それは、平均的に、2節で約7割、3節で約6割、4節で約5割まで精度が下がってしまうと言う事だ。
勿論、下がる倍率は精度が悪くなれば悪くなるほど減っていくだろうけど、無詠唱は何十節も唱えていない事になる。
これでは、まともな魔法なんて発動できるわけが……。
「ですが、そうはならない」
そんな思考を、自分の前言を、師匠は否定する。
「これが、無詠唱魔法使いの第2条件です」
お得意の指立てで、二本の指を主張する。
無詠唱魔法使いの条件、細かい作業を詠唱無しで組み立てる事ができるのと、もう一つ。
「詠唱をしないにも関わらず、その精度は5割以下しか低下しないと言われています」
詠唱省略では、4節か5節以上省略したら、その精度が5割近く落ちるはずだ。
だが無詠唱魔法使いの……、いや、僕の場合は全て省略しても精度が5割以上落ちないらしい。
それでも、5割近く精度が落ちると考えると師匠が否定するのも分かる。
実際、師匠と初めて会ったとき、無意識に魔力抽出の部分を繰り返し行っていた筈の魔法の出来は酷い物だったのだから。
僕が使った無詠唱魔法は全て、精度が酷かったと思った方がいい。
「…………?」
ふと、何かの思考が頭の中で、思い浮かんでは消えた気がする。
一瞬、とんでもない罪悪感に襲われるが、理由がわからない。
「理由も条件も不明ですが、無詠唱を使える人間は、必ずその特性を持っているそうです」
その正体を追うより早く、師匠の講義が進んで行く。
僕も頭を切り替えて、師匠の講義に集中する事にした。
「ユートの使う無詠唱魔法は私でも真似する事が出来ない凄い技術です。1から脳内で魔法を構成しているのですから」
世界で、知られているだけで10人程度と言われているらしいのだから、師匠は流石に使う事は出来ないのだろう。
俺より魔法の事を沢山知っている師匠なら、コツさえ掴めば案外簡単に使えそうなんだけどなぁ。
それでも、師匠は覚える気さえ無さそうだけど。
「ですが、無詠唱魔法は全てを脳内で構築するのですから、詠唱省略より不安定になります」
とても苦い顔をして話す師匠。
きっと、きちんとしていない魔法が嫌なのだと思う。
教えてもらう立場であるのに、師匠の前で横着してしまったのは、かなり不味かったかも知れない。
「現に無詠唱でユートが持ってきた魔石には余分な属性の魔力がかなり混ざってしまってます。詠唱で作っていた時は余分なものはありませんでした」
冷たい笑顔で、ニコリとして見せる師匠。
かもじゃなくて、かなり不快な思いを感じさせてしまっていた。
再び、申し訳ない気持ちが湧き出て来て止まらない。
うぅ…………。
……あぁ、そうか……。
そして、さっきの罪悪感の正体が分かってしまった。
僕の無詠唱の精度が酷かったなら、つい最近、それを使って持ってきた魔石は、どうだったのだと言う話だ。
それを見た師匠はどんな気持ちだったのだろうと、自然と頭を下げていた。
「軽率な行動をしてすいませんでした」
2回目の謝罪になるけど、最初の許しは、無知に対する物だったんだと思う。
だから、今までの説明を聞いて、もう一度、改めて心から謝罪する。
「分かってくれたなら何よりです」
そう言って師匠は笑う。
さっきとは違う、とても満足げな笑顔に、僕もつられてしまった。




