研究者エリアナ04
第2詠唱を全7節に改竄した「ビット・ウォーター」の魔法を少年が唱えた結果は、エリアナの想像して居た通りの物だった。
「やはり……」
少年の手のひらからはポタリポタリと水滴が落ちる。
通常の「ビット・ウォーター」の魔法の形としては不完全な状態だが、手が湿るだけという状況からは幾分かマシになっただろう。
「(私の考えは間違ってませんでした)」
少年は、魔法法則に逆らってなどいなかった。
寧ろ、正しく、魔法法則に従った結果が「正しく無い魔法」だったのだ。
原因は単純明快で、やはり、エリアナが1番に考えついた魔力不足だった。
ただし、考え方が間違っていた。
魔力不足といっても、少年自身の潜在魔力に問題があるわけでは無いのだ。
現に魔力による脳の成長の早さが、体内に人並み以上の魔力を備えている事を物語っている。
足りないのは、少年の潜在魔力ではなく、魔法に注ぎ込まれた魔力量だったのだ。
エリアナだけが気付けた、この特出しているように見える少年の欠点、いや欠陥ともいうべき致命的な欠落。
生物には元来、目には見えないが、魔力を体の外に放出する体内の器官、通称、魔力門という機関がある。
魔力の量を調整すると同時に、体内の魔力を世界に顕現させることで、魔法を発動させるという非常に重要な体内器官。
人が魔法を使えるのは魔力門があるからといっても過言ではない。
その魔力門。
少年の莫大な筈の潜在魔力に対して、体外にその魔力を放出する魔力門が人より小さい。
否、小さ過ぎる。
まるで、特出した魔力量に反するように。
勿論、魔力門は個人差が必ず出る物だが、ここまで小さいのは異常だ。
これでは体内から魔力が上手く放出されず、使いたい魔法に対して得られる結果が殆どない状況になってしまう。
現に少年が魔法を行使する時、どれだけ大きな魔力を持っていたとしても、世界に事象改変として現れる魔法は僅かとなってしまっている。
例えるなら、莫大な量の貯水タンクの量に対して、それを取り出す蛇口の口がほとんど塞がれてしまっている状態。
これでは魔法がまともに使える訳がない。
この歪さが全ての違和感の正体だったのだ。
この仮説が正しいのなら、少年の無詠唱の魔法の方が詠唱魔法より規模が大きかったのも説明がつくとエリアナは、さらに思考する。
詠唱魔法と違って無詠唱魔法は、自分で魔法を組み立てる工程の間を取ることが出来る。
少年は、自分の魔力門が小さい事を無意識で理解し、体内の魔力を魔力門を通し顕現させるという工程の時間を長く取っていたのだ。
蛇口の口が小さくても時間をかければ、水が溜まるように、そうする事で魔力門の小ささを補うことが出来る。
詠唱魔法に対するエリアナの提案もその原理を採用した。
詠唱魔法は体から忠実する魔力量も詠唱により調節する。
第2詠唱の4小節めがちょうど魔力を体から抽出する部分にあたり、詠唱を繰り返すことで、体内から魔力を多く引き出すことが可能だ。
これを繰り返すことで、少年の魔法を通常の規模に近付けることができる。
無論、普通の人間なら、一度で足りるのだ。
だが、型通りの詠唱をこの少年が行ったところで、門を一度に通る魔力量が普通より異様に少ない為、同じ詠唱でも、極端に魔法の大きさが小さくなってしまう。
少年の場合、第4節をさっきの5倍の15回……、いや、16回繰り返す事で、通常の魔法と遜色がなく「ビット・ウォーター」を発動することができるだろう。
誰にでも使える様に最適化されている詠唱では少年には足枷にしかならないのだから。
少年の詠唱魔法より無詠唱の魔法が優っていたのは、無意識の内に魔力を体から抽出時間を多く取っていた為。
たった、それだけ。
ここまで、考えた所でエリアナは自分の考えが単なる仮説ではなく、証明していないだけの事実だと確信してしまう……。
「貴方の正しくない魔法の……正体が、分かりました…………」
一先ず、確信したのならば、少年に報告しなければならない。
その口は、エリアナが自分でも驚く程重かった。
順を追って、全て説明した結果、少年が見せたのは安堵。
「よかったぁ……、じゃあ、工夫さえすれば、魔法は使えるんですね……」
よかった……?
少年の言葉がエリアナの心に痛い程刺さっていた。
それは、無知からくる一時的な疑問の解決に過ぎない。
全然、良い状況でも事実でもないのだ。
寧ろ、悪いと断言できる。
少年がその事を理解していないだけ。
少し前の研究心に火が点いていた、自分をひっぱたきたい。
一瞬、告げるか迷ってしまうが、関わってしまったからには、覚悟を決めてエリアナは話す事にした。
「……時期に分かることなので教えておきます。特に貴方は頭が良いので……」
エリアナにとって、こんなに口が重いのは、自身の研究の成果を、魔術血統主義者共に発表した時以来だろうか。
いや、その時の比ではないかもしれない。
今からやるのは幼い子供に残酷な事実を突きつける事なのだから。
「潜在魔力は成長と共に伸びていきますが、魔力門の大きさは生まれつきの物で……、ほぼ……変化する事は無いんです」
告げた事は単なる事実。
潜在魔力は成長と共に増えていくが、魔力門は成長しても全く変化しない。
これが、どういう事か?
通常、全16節の「ビット・ウォーター」の魔法を通常と同じ出力で出す為に、魔法を改竄したとして少年が必要な詠唱の小節数は32節。
単純に考えて倍の時間がかかってしまう。
簡単な生活水を出す魔法でこの有様だ。
例えば、もっと複雑な構造の魔法だったら?
もしくは、魔力量を多く必要とする魔法だったら?
かかる時間は倍では済まないかもしれない…………。
これは生きていく上でかなり大きなハンデだ。
しかも、そのハンデは成長すればするほど、重くのしかかっていく。
エリアナは決意して、口を開いた。
「貴方は…………、一生魔法に不自由する事に……なると思います……」
あまりにも残酷な言葉を伝える為に。
告げた後、顔を合わせ辛くて頭を伏せてしまう。
仕方がないのだ。
幼い子供なら、兎も角、頭の回転の早い少年は、直ぐにその壁にぶつかってしまう。
いや、現状、ぶつかってしまっていると言っても過言ではない。
だが、早いうちにに分かっていれば、暫く対処する事ができるだろう。
誰かが告げなければならなかったのだ。
だが、その役目は私でなくても良かったのではないか?と、エリアナは言葉を飲み込む。
辛いのは、私ではないのだ、と。
頭を上げようとして、再び少年の姿を見るのが怖くなってしまっている自分に気付く。
この短い時間でエリアナは随分少年に肩入れしてしまっていた。
しなければ……良かった……。
先に行動したのは少年だった。
「すいませんでした。勝手に巻き込んだ挙句、不快な思いをさせてしまって」
エリアナは、最初、その言葉の意味が分からなかった。
思わず、顔を上げて、見えたのは、少年の申し訳なさそうな笑顔だった。
自分より全然余裕を持っているようなその言動が理解できない。
だって、事実を知って1番辛いのは少年の筈なのだ。
「あんまり、気に病まないで下さい。魔法が上手く使えない事くらいどうって事無いですよ」
少年の言葉を聞いて、一瞬理解が及ばなかった。
魔法を上手く使えないという事が人生を生きていく上でどれだけ大変な事なのか、この少年は分かっていないのかと。
だが、その考えも直ぐに否定する。
「弟子にして下さい、なんてわがままを言って申し訳無いです」
「(分かった上で受け入れているのか……この少年は……)
それは全てを受け入れたものの目だった。
あれだけ強引だった筈の少年の態度が明らかに塩らしくなっていた。
軽い気持ちで、エリアナに迷惑をかける事になってしまったのが申し訳ないと言った事への引け目を感じてしまっているのだろう。
ふと、その姿に何故だか分からない懐かしさを感じた。
「(この光景……何処かで…………)」
記憶を探る様に目を閉じた中で、見えてくるのは1人のエルフの少女。
幼い頃から大量の魔力を持ち、そのせいで周りより頭の回転が早く、将来を期待されてた少女。
だが、その少女は村のエルフなら誰もが使える筈の風の魔法を一切使う事が出来ないという欠点を持っていた。
幾ら魔法の才能があって、誰よりも上手く魔法を使えたとしても、風魔法が使えないと少女にとっても周りにとっても全く意味がなかった。
結局、その少女は村では浮いた存在で、その村を飛び出す事になった……。
その少女は……。
「(あぁ、そうか、この子は、、この少年は、私……ですか…………)」
生まれ持った才能と生まれ付きの欠点。
エリアナの中で、その姿が、何処までも少年と重なってしまう。
通りで、他人事と割り切れないのか、と。
この少年には自分と同じような思いを味わって欲しくないという気持ちが強くなっていた。
「(風魔法を使えるようになる為に……私は、学者を始めたんでしたね……そういえば……)」
ふと、少年に自分の姿を重ねて、エリアナは重要な事を思い出す。
最初の頃に行った研究の中に魔力門を通して、風魔法を使おうと試みた研究があった筈だと。
名前は、魔力門利用による適性外魔法使用の研究。
もしかしたら、この研究を応用すれば、この少年の状況を解決できるかも知れない……。
一筋の希望が見えた気がした。
「(しかし……、この研究の結果を伝えるという事は、この少年と関わらずには居られないという事です…………)」
だが、同時に、それは直ぐに旅立つ筈だった、この村に残る事を意味していた。
今まで、自分の研究の為に全てを犠牲にして様々な土地を調べてきた。
ここで、足踏みしてしまったら、研究の完成が遅れることになってしまう。
自分のエゴでそれを行う事は、結局自分の首を絞める事になるのではないのだろうか。
同時に、少年の事も天秤の反対側に乗せて考えてしまう。
今はリカバリーが効くレベルの問題だが、この先は?
それは、誰にも分からない。
もしかしたら、少年が自分で解決策を見つけるかも知れない。
そこまで考え、それは楽観的すぎるとエリアナは自嘲する。
この問題は私なんかの過去とは比べ物にならないかもしれない。
何故なら、自分は風魔法以外の基礎魔法は十全に使う事が出来たのだから。
少年の場合は、魔法自体が危ういのだ。
魔法が高度になればなるほど、この問題は大きなものとなってしまうだろう。
「(…………はぁ)」
エリアナは、自分の人生設計を少しだけ見直す事にした。
それは、どれだけ寄り道をしても大丈夫かという見直し。
見直しの結果はある程度の余裕を得ることが出来た。
だから、エリアナは決めた。
覚悟を決めた。
「私は、無詠唱に関して否定派です。もし、私に教えを請うのなら、詠唱の練習をしてください」
「…………」
最初の言葉はとても不器用な言葉
だが、いきなりの発言の意味を少年が理解する事が出来なかった。
奇しくも、さっきとは逆の状況だ。
「…………んんっ。……もしかしたら、私は貴方のその状況を解決する事ができるかもしれません」
だから、エリアナは渋々と、言葉を付け加える事にした。
初めての教え子は察しが悪いのかと、不満に少し頰を膨らせてしまう。
少しの間の後、少年が理解と驚きを表情に出した所で、少し機嫌を晴らしながら、エリアナは手を差し出した。
「貴方の名は?」
少年はその銀の髪をなびかせながら自身の名を告る。
「ユークラウド……、ユークラウド・フェイディです」
ふむ、エリアナは間を置く。
「ユークラウド……。長いですね。ユートで良いでしょう」
きっと、関係は、この位フレンドリーでいいだろう。
内心、初めての教え子ができるかも知れないという状況にドキドキしてしまっている。
勿論、それが表に出ないように努めているが……。
「恐らく知っていると思いますが、改めて名乗ります、ユート。私はエリアナ・ミルキス。見ての通りの生粋のエルフで研究者です」
名のらせたからには自分も名乗る。
転々とした生活を送ってきた為、もしかしたら、1番長い付き合いになるかもしれないのだ。
一先ず、最初くらいカッコ良くしたほうがいいだろう。
「弟子は流石に無理ですが、少しの間なら面倒をみましょう」
その言葉を受けて、ユークラウドは彼女の手を掴んだ。
この出来事が今後、少年……、ユークラウドにどれだけの影響を与える事になるかは分からない。
今は、ひとまず、エリアナの滞在期間は延長される事となった。
エリアナ・ミルキス
魔術型
属性魔法適正
「水」「火」「土」
状態魔法適正
付与系列「付加」
構築系列「結界」
エルフの学者。
中規模国家出身。
幼い頃から天才と呼ばれる程の魔力と技術を持っていたが、エルフ族なら適性があるはずの風属性に適性が無かった為、周りと距離を置かれて育った。
エルフとしては珍しく、外の世界に興味を持ち、学園国家エグゼルクで、講師の資格を取る程の成績を収めるが、流れの研究者として、日銭を稼ぎながら、研究を送る毎日を過ごしている。




