視線
――君は、思い出す。
そんな日々があった事などとっくに忘れてしまっていた、昔々の、ちょっとした出来事が、――そんな過去の場面場面が、脈略も無く突然心に浮かんで来る。
それはまるで他人の記憶が自分に混ざってきたのかとどきりとしてしまう。
自分が本物なのかと言う疑いが、頭の中から消えなくなってしまう。
しかし、君は、君であるからそう生きて、それで無ければ君ではなかった。そう生きたのだから君であるのであり、逆ではない。
ならば、今ではもう遠くなり、まるで他人のようになった昔日の事であれ、かつて生きたその過去は、君から離れる事は無い。
君はその中から出て、それを抱いたままやがて泥に返るのだ。
たとえ、昔の自分の中に、今の自分との矛盾さえ感じたとしても?
それが自分。
君は君である。
そう生きて、そうあった。
そして、ある。
今もある。
君は君としてある。
矛盾も、ある事も、無い事も。事実も、虚偽も混ざる、――全ての中に君はいる。
君は君だ。
君は踊っている。
君は消える。
君は現れる。
君は忘れる。
君は思い出す。
ある日の事。
混んだフロアで、
「あなたの踊りは最高ね」
と呼びかけられて振り向けば、そこに立つ女が言う。
「でも、私も負けないわよ」
その女は知り合いであったような、そうではなかったような……。
曖昧な記憶。
その記憶の中ライトは暗転する。
叫ぶ。
みんなと一緒に騒ぐ。
飛び上がる。
君は、
”You are crazy!”
と言いながら嬉しそうに手を握って来た外国人の女と一緒に万歳をしながら、もう一度叫ぶ。
”Crazy!”
そう、君は、狂ったように?
――踊り続ける。
霊峰の麓の遊園地で行われた野外パーティ。
大雨の中、一晩中踊って、足の裏が血豆だらけになったのに、足を止める事ができない。
痛みよりも、もっと強い感情に突き動かされて。
――君は踊る。
雑居ビルの地下駐車場をスクワッドして、風船をいっぱいに敷き詰めたその中で。
外に漏れる音で、誰かに気づかれないかとハラハラしながら。
閉まった公園に忍び込んで。
君らを監視するように止まったパトカーの警官に注視されながら。
バーベキュー客に囲まれた河原で。
夕暮れの川で跳ねる魚を眺めながら。
海辺のカフェを借り切って。
水平線まで続く波を眺めながら。
廃校の体育館で。
外に降る雪を眺めながら、
薄汚れた地下の舞踏上で。
靴を脱いで裸足で。
君は、――踊る。
踊りながら、思い出す。
――あのパーティ。
――そのパーティ。
――あのサウンドシステム。
――服屋の話。
――レコード屋の話。
早朝のファミレスに場所を移して、仲間たちと話した会話。
話題は、脈略もなくあっちにいったり、こっちに来たり。
眠い目をこすって話していたはずの会話――。
その時の記憶は、混濁して、だいぶ曖昧になる。
その話をしていたのは、自分ではなかったっけ?
それとも別に人だったか?
君は、今自分が思い出していることが良くわからなくなってしまっている。
それが、自分自身の経験なのか、他人から聞いた話なのかも分からなくなってしまっている。
それは自分なのか?
それとも他人なのか?
いや、そもそも、それは区別できることなのか?
思い出の中……。
――君は、君であるが、君以外も君である。
君はそんな意味不明な事を考えている。
突然思いついた、生煮えな概念を弄んでいる。
君は考えている。
思い出の中に紛れ込んだ他人は、確かに別人であるが……?
だが、それ故に、――だからこそ、ましてや、自分なのではないかと。
なぜなら、君は、君の今までの生において、様々な決断をしながら、時の流れのまま進み、それでも君であるのだ。
ある友と分かれ、ある友と出会う。
ある道に進み、戻り、曲がり、止まり、また進み、ここまできた。
――それが君であるのだ。
ならば違う道を辿った君が、君ではないことは何により決まるのだろうか?
君は「君」なのではないか。
「君」は君であるのではないか。
自分は、「君」の可能性の満ちる始原の中から旅立って、その後過ごした歴史の結果としてここにあったのではと。
君はあった。
君は選びあった。
君はここにいた。
ならば――。
君はさらに踊る。
時は進む。
君を捉えようとしていた永遠のループは消え。
夏から秋、冬が過ぎて、――春も間近。
君は、踊り続ける。
君が、君としてあるために。
音に乗り、止まらずに、進む。
君は、君として踊り続ける。
それは、音の、パーティの続く限り、君を創り続け、在らせ続けるのだった。
刹那の存在であったはずの君は、そうして在り続ける。
音が。パーティが続くなら。
いつまでも?
しかし……。
いつものように、君である、君が君であり、君として踊る、――その時。
突然、音が止まったのだった。