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円環

 その日、パーティも、まだ真っ最中の午前一時であったが、DJの交替で少し盛り下がった会場の様子を見て、――君は、このタイミングでトイレを済まして、ついでに酒でも買ってこようと、それまで陣取っていたスピーカーの真ん前から離れて歩き出す。

 目指したのは。一番近い、今日のパーティ会場になっている公園のトイレであった。

 しかし、そのトイレが長蛇の列であったため、君はそのまま湖を周回する道沿いに歩いていき、その途中にあった小さなトイレで用を足すことになるのだった。

 会場からは数百メートルも離れただろうか。ギリギリまで尿意を耐えていたため、焦って歩いているうちに随分と歩いてしまっていたが、一旦落ち着いてみると、その距離は戻るには少し億劫な感じがした。

 そう思うと、――君は、少し逡巡して足をとめ、あたりをゆっくりと見渡してみれば、おあつらえ向けに、道の少し先に紫陽花の咲く一角が見えた。

 月の光に照らされたその花々の真ん中には、座りごごちのよさそうなベンチが据えられている。ならば、会場に戻る前に、ちょっとここで休んでいってみようか? 君が、そんな風に思ったのも自然なことであった。

 ――もう夏真っ盛りの季節なのに、山の中のこの辺りでは満開の紫陽花であった。

 空は雲ひとつなく、満天の星々。その真ん中で明るく輝く月。

 湖から少し湿気を帯びた涼しい風が吹いてくる。

 夕方から踊り続けて、身体中が汗だくになっていた君は、その心地よさに一気に脱力して、吸い込まれるように、鮮やかな青に囲まれた木製のベンチに、疲れた体を深く沈めれば、自然に心地よさそうなため息がもれた。

 すると、

「……良い夜だね」

 いつのまにか隣に座っていた男が君に話しかけるのだった。

「びっくり、させちゃったかな? 君は、俺がここにいるのに気づいてなかったのかな?」


 ――いえ……?


 君は、親しげに君をみる男に首を横に振りながらそう答える。

 言われてみれば、彼はそこにすでに座っていたように思えた。

 しかし、よくよく思い出してみれば、そこにはだあれもいなかった様な気がして……。


 ――影?


 君が思い出したのは、影であった。

 月明かりに照らされたベンチに人型の影が刻まれて、気づけばその影は、今横にいるこの男の姿に変わっていた。

「影か……そうだな。俺は影だよ。君から見たら俺は影だな。逆が真なりかは難しいところなので、よく考えてから言わないといけないけど、……その影から君に言いたいことがある。――君はこのまま消えてしまう気はないか?」

 ……

 君は、男の言っていることの意味がわからず、混乱して、言いかけた言葉を飲み込む。

 消える? それはこの場所から立ち去れということだろうか?

 一人で夜空を眺めていた男は、その心地よい孤独を君に邪魔されて面白くなく思っている?

 ――いや言葉のニュアンスは、そういう意味ではないように思える。

 ならば、このパーティから消えてしまう。もう会場に戻らないという意味だろうか?

 それならば、意味が通らないこともないように思えるが、なぜ、この男は、そんなことを君に要求するのだろう? その動機がわからない。

「ああ、意味がよくわからないよな。『消えてしまう』なんて唐突に言われてもね。なんのことやら……」

 君は無言で頷く。

「……実はあまり深く考えてもらわない方が良いんだけど。『消える』というのは君が消えること、――そのままの意味だよ。死んでこの世から消えるとかいう意味でもない。君という存在が、物理的のみならず、在ったことまで完全に消えることを俺は言ってるんだよ」

 男はそう言うと、優しげな笑み浮かべた。

 君は、男の言うことの意味がよくわからないまま、呆然と彼の顔を見つめるが、

「――その方が君のために良いのでは? って、俺の経験をもとに進言にきたんだよ。俺は……」

 君が少し怖がっているような表情を浮かべているのに気づいた男は言うのだった。

「歩きながら話さないか? そんなじろじろ見つめられていると話しにくい」

 確かに、歩きながらの方が話しやすかった。彼はそのような位置にいる方が良かった。真っ正面から相対するには、男は、君にとって、なんだかとても過剰なように思えたのだった。それは、まるで、

「……自分が、自分の体はそのままに、中で二倍に詰め込まれたら鬱陶しいって思わないか?」

 男の言った言葉に、君ははっとなった。

 それこそが君の考えていたことだった。

 君は、その男のことを見ていると、自分の体の中で、自分自身がどんどん膨れ上がっていくような、妙な感覚を感じてしまっていたのだった。

「君は、ある意味、君自身を取り込んでしまっているんだよ。同じ時間、同じ場所に現れた君自身。それが俺と思って良い。そんな俺をあんまり注視していると、君は自分自身の境界がわからなくなってしまうのだと思うよ。俺が君の中に入ってしまって、君になってしまうんだ」

 この男が……君?

 君は、そんなありえないようなことを言うこの男のことが、――どんなつもりで言っているのかと思って、その表情を確かめようと、足を止め、横を振り向き注視する。

 男も足を止め、君に向かって、何か試す様な、少し意地悪い様な笑みを浮かべる。

 男は、確かに君に雰囲気は似た感じではあったが、顔も背格好も明らかに別人であった。 だが、そんな彼が言う、自分が君自身だと言う言葉を、たわごとと斬って捨てることが君にはできない。

 君は知っていた。

「君は矛盾を抱えてしまう。君と言う物語の主人公が二人になってしまう。その物語は君のもののはずなのに、俺と言う、出来損ないの試作品が入ってくると、その物語をめちゃくちゃにしてしまう。例えば……」


 湖は月の光に照らされて、美しく照らされていた。

 その湖岸に、星々を見つめながら立つ女がいた。

 彼女は、長い髪を後ろ手に束ね、そのあと着ていた青いシャツを脱いでブラを外しその裸の上半身を宇宙に向かって晒す。

 女は、次にホットパンツの腰の部分に手をかけて、そのまま下着ごと脱ぎ去ったのか、丸裸になった体で、――手をいっぱいに広げて、何ごとか夜空に向かって呟く。

 とても美しく、また幸せそうな表情をしている女であった。引き締まりながらも優美な曲線を描くその裸身に君は見とれた。

 その視線に気づいたのか、女は振り向くが、――しかしびっくりとした様子もなく、そのまま、うっとりとした顔で君に向かって頷くと、そのまま湖に向かって歩く。

 ――女は、水の中に入って行く。

 浅い入江から、ゆっくりと進み、徐々に深くなっていく湖に、腰までその体を浸ける。

 くねらせる体が作る波が湖面に綺麗な紋様を作った。

 女は、進み、さらに深くなる湖。

 でも、止まらなかった。

 女は、胸まで水に浸かり、波がその乳房にあたり、しぶきが飛ぶ。

 月の光が濡れた胸を照らす。

 光る。

 女は、うっとりとした表情で、そのまま後ろに倒れる様に体全体をを水につけ……。

 ――浮かぶ。

 湖面に漂う裸の女は、波に漂い揺れた。

 水面より時々現れる、胸や、腰や、大胆に広げられた恥部。

 君はそれをじっと見つめていた。

 美しく、この世のものとは思えない様な光景であった。

 水面に天が降りたかの様であった。

 完璧な均整が、肉となってそこにあった。

 君は、その神々しい姿にに見とれながらも、自分が少し興奮しているのに気づいていた。なまめかしい女の体をじっと見つめていると、避けがたい衝動に突き動かされそうになるのだった。湖に飛び込んで。その体に抱きつきたいと思うのだった。


 そして、――君はそうした。


 それが夢かうつつかもわからない心持ちの中で、――君は駆け出した。

 水の中に入って、女の元へ行き、その体を抱き起こしながら、長いキスをするのだった。

 すると、女が君にしがみつき、君は、引きづり込まれる様に水の中に沈み……。


 ずぶ濡れの体を、夜風が冷やした。

「君は、このパーティの熱狂により現れた、この世ではあやふやな存在ではあるが、幻なんかじゃない。肉もあれば……」

 君はくしゃみをする。

「風邪だってひくだろう。シャツを脱いで乾かしちゃった方が良い、――それまで、そこらへんに座って待ってないか」

 君は、男に向かって頷き、Tシャツを脱いで近くの木の枝にかけると、その下の草地に直接腰を下ろした。

 上半身裸になった君に、男は着ていたビニールのパーカーを脱いで渡した。

 夏とはいえ、山中の夜風に裸で晒されるのは結構寒く、君は、ありがたく、その渡されたパーカーを着た。

「これだけ風が吹いてたらすぐ乾くさ」

 強い風に吹かれて、Tシャツが激しく旗めいた。――それは、まさしく旗の様であった。君が君である、旗幟を明らかにするべく、それは君の頭上でひるがえった。

 君は、その君の側が夜風に揺れるのを後ろに、そのまま、しばらく、誰もいない湖を見つめていた。

 女がいたその場所には、湖面に月が映るだけ。

 君が、少し前にそこに飛び込んだのは事実だが。――女は?

 君は、目を何度かつむっては開き、確かめる様に、何度も湖面を見直すが、そこにはやはり誰もいない。

 あるのは、天の現し身、揺れる月。

 ならば、やはり、あれは幻だったのか?

 でもそれならば、君は、

「なぜ湖に飛びんだのか? って混乱していると思うけど、――君が飛び込んだのは確かだな。その濡れた体は、それ以外に理由はつかないだろ? 激しいにわか雨が降った様子があるわけでもなし……」

 と、男は君の横に座りながら、

「君は今起きたことが、本当に起きたことなのかどうか、と混乱していると思うけど――それにしっかりとした答えを出すのは、実は結構難しい。なぜなら……」。

 続けて男は言う。

 そして、

「『あれ』は、少なくとも、俺には本当に起きたことだが、ならば、『あれ』が君に取っても本当のことかと言うのは、――君と言うものの本質に関わってくる問いになってしまうんんだ。その答えは、少しばかり難しい。――でも、それに少しでも近づきたいのなら、君がすべきことを俺は言うことはできる」

 ――それは?

 と、君が目で問えば、

「服が乾くまでの間、君は俺の話を聞くべきだ。俺は……」

 男は永遠のパーティに囚われた、自らのことを、淡々と語り出したのだった。


   *


「俺は、気づけば、この湖畔に、全ての記憶を忘れて立ちすくんでいた。

 それはパーティの真っ最中。

 君がさっきまでいた、あの公園。その中に、何も訳もわからないまま、熱狂する人々のの中で踊っていた。

 それは、永遠のパーティ会場だった。

 ――永遠に続くパーティさ。

 そんな中に俺はいたんだ。

 踊り、騒ぎ、眠り、――起きたらまた踊る。

 そんな生活の中に、俺はなぜか放り込まれていたのだった。

 なぜ?

 何のため?

 何が何だかさっぱりわからない。

 しかし、――悪くない。

 俺は、そう思った。

 ここが気に入った。

 ずっとに踊り続ける――。

 それだけの生活。

 それだけだが……。

 ――悪くない。 

 いや、望ましい。

 俺は、なぜか、知っていた。

 確信していた。

 それを。

 俺は、ここで、永遠を過ごすために現れたのだって。

 ――俺は、終わりないパーティの続く、そんな湖畔にいる。

 そして、そこで永遠に踊り続ける。

 そう確信していた――知っていたのだった。

 俺は、そのためにあらわれたのだから、それは理由も理屈もなく?

 ――そうなのだった。

 俺は、それを知っていた。

 毎日毎日、踊り続ける生活が続く。

 終わらない熱狂が続く。

 そうなることを。

 俺が、この永遠の中にいることを。

 ――知る。

 だから、なんの疑問も抱かずに、毎日毎日、一晩中踊る。

 朝にテントに戻り、夕方に起きて。次のパーティに参加する。

 そんな生活が、いつまでも続くのだった。

 ――さすがに、こんな場所が、現実であるとは思えなかったよ。

 俺は、夢か、何か妄想の中に俺はいて、――それはいつか覚めるのだと思ってはいた。

 しかし、――醒めない夢のことをなんと呼べばよいのかな?

 ……現実ではないが、それと区別はつかない。

 俺は、抜け出すことのできない狂騒の中に永遠に囚われてしまっていた。

 これは、――ここはなんなのだろうか?

 俺は、何をするためにここにいるのだろうか?

 そんな疑問が、眠りにつく前なんかに、心の中に沸き起こる事がないわけではなかった。

 でも――。

 テントの中までダンスミュージックが聞こえてきたら?

 ――もう終わり。

 昼過ぎに、筋肉痛の体で無理やり立ち上がり、もう一歩も歩けないと思っても、踊り出して、――いつのまにか次の朝。

 そんな毎日が続くのだった。

 同類たちと一緒に、踊り続ける。

 そこは永遠のパーティ会場。

 そこで俺は踊り続けた。

 同じように、永遠に囚われている連中と一緒に。

 毎日毎日――。

 疑問も、不安も、音と熱狂で塗りこめて。

 俺は……」


 ――しかし……。


 男は、少し暗い顔になりながら君のことを見ていた。まるで、その原因が君ででもあるかのような、少し恨みがましい表情であった。

 立ち上がり、男は、

「……乾いたかな? 完全には、まだだろうけど」

 木の枝にかけた君のTシャツを見ながら言った。

 君は立ち上がり、――水がだいぶ滴り落ちたそれを手に取り、頷いた。

 シャツは、、まだ生乾きだが、着てしまえば体の熱ですぐに乾きそうなくらいまでにはなっていた。

「また、歩きながら話そうか? ……その方が出会いやすい」


 ――出会いやすい?


 ――何に?


 男の言葉を疑問に思わないでもなかったが、君は、その意味がなんとなくわかるような気がして、あえては聞き返さないまま、男についてまた湖畔の道を歩きだした。

「俺が、この、パーティのずっと続く湖畔に、永遠に、――疑問を思ったのは。ある女にこれを出されたからさ」

 男は君に鍵――車のものに見える――を差し出した。

 君はそれを受け取ると、それがどうしたのかわからずに、所在無げに手のひらに乗せてただ呆然と見つめるが、

「で、女は言った。

『鍵があるということは――私は車に乗ってここに来た。まるで覚えていないけれど。ならばその車に乗ってここから出ていけるということ』

 ――とね。

 俺と女は、まだ朝日が昇りかけの頃の暗い森の中を歩き、駐車場に向かった。

 そして、いったい何万台、いやそれ以上の車が止められているかもわからない、非現実的なほどに大きな駐車場にとめられている車を見て途方にくれた。

 女は自分が乗って来た車がどれなのかは覚えていなかった。

 ……いや本当にそんな車があったとしてだが。

 だから――俺は、嘆息混じりに言った。

『この車全部に――手当たり次第に鍵を差し込んでみるというのか』

 しかし、女は首を振りながら言った。

『あなたが、私と一緒に来た人ならば、――きっとそれはわかるはず』

 女の言う通りだった。

 なんとも、――俺は、知っていた。

 足が向くままに、無意識に車の列の中を進むと、その確信はますます強くなった。

 そして、不思議なことに、何万台もあると思っていた駐車場の車は、俺が進めば進むほど、確信を強めれば強めるほど、どんどんと少なくなっていく様に見えたのだった。

 何十万台もあると思われた車は、数万台、いや数千台、数百台、どんどんと数を減らし、最初は地平線の彼方まで続いているかと思われた駐車場は、気づけば全体が見渡せる程度にまで縮んでいたのだった。

 いや、もともと錯覚だったのかもしれない。

 縮んだのではなく、駐車場はそんなもので、――入り口付近に固まった車を見て、その密集に、俺が勘違いしてしまったのかもしれない。

 酔っ払いながら、一晩踊って、ぼんやりとした頭のままやって来て、見違えてしまったのかもしれない。

 地平線の彼方まで続く駐車場なんて、こんななんの変哲も無い湖の観光客用の駐車場に

なんでそんなものが用意されている?

 ――ありえない。

 俺は、自分と、その女が乗ってきた車のドアを開けると、運転席に乗り込んでキーを差し込んだ。

 エンジンがかかり、俺たちは出発した。

 すると、――いろいろと思い出して来た。

 俺たちは、週末、少し遠出して、この湖で行われている野外イベントにやってきたカップルであった。

 自分たちのなりそめも思い出して来ていた。

 俺たちは半年くらい前に、クラブ仲間の友達の紹介で付き合い始めたのだった。

 お互いのアパートに通いあう関係から、そろそろ同棲でもするかと言う話も出始めて……

 助手席の方を振り向くと、目があった女はにっこりと笑った。

 視線を下げて彼女が右手で弄っているシートのシミ。俺は、それができた時のカーセックスのことを思い出していた。

 俺は、女が、はっとした表情になったあと、手を引っ込めて、恥ずかしそうにうつむくのを見て、顔を前に戻した。

 いつのまにか駐車場の出口も近くなっていた。

 俺たちはそのまま道路に出て、前を走る遅い自動車に少しイライラして追い抜きをかけて……」

 男は、そこまで言うと口を閉じた。

 君なら、言わなくてもその後はわかるだろうと言うことの様だった。

 もちろん君は、似たような体験をしていて……?


「俺は、トラックにぶつかってめちゃくちゃになった車の中、一人で運転席に座っていた。目の前に止まっている救急車には、力なくぐったりとなって、タンカの上に乗せられた女が運ばれて行くところだった。

 その女のことを、――俺はもちろん覚えていた。

 さっきまで俺の横、助手席に乗っていた女だ。

 しかし、その女と俺は、一緒にこのパーティに来た?

 さっきまでは、ありありと、生々しく思い出せた女との、過去の生活――それが瞬く間に嘘くさく、薄っぺらな妄想であったとしか、思えなくなっていくのであった。

 さっき女を横に乗せ、思い出した過去の自分、その内容は全部覚えていたけれど。

 俺の、過去の中身が流れ出して、その殻だけがそこにある。

 俺は、怖くなった。

 俺は、女に続いてタンカに乗せられて救急車に運び込まれる男の姿を凝視していた。

 あれは、――俺なのか?

 そうであるとも、そうで無いとも……思えた。

 その男は、目を見開き、ピクリとも動かなかった。

 それは、命を失い、物になっていた。

 物になり、物の世界に帰って行った。

 ならば、いまここに残っている俺は?

 救急車のドアが閉まって、赤いランプが回った。

 俺はそれを凝視しているうちに、それに、物に、そのまま引きづられていってしまいそうになっていた。

 サイレンが鳴って、救急車が走りだす。

 ――俺は、その瞬間、恐怖に声も出せないまま、あとずさりながら車のドアを開けた」


 その後も続けて男が話す体験談。この湖畔で行われている永遠のパーティに囚われていると言う彼の話は、――君の体験と似ていたが、ちょっと違ったものばかりであった。

 事故の後、車のドアを開けて、すし詰め状態のどこかのクラブのフロアに出たのは同じだったが、彼はそこで会った中年男と一緒に、外に出るために、火災警報器を鳴らし、はしご車を呼ぶ。

 そのクラブに紛れ込んだ、同類の、永遠のパーティの中に囚われた男二人は、フロアのドアから外に出ようと何度チャレンジしても、もとに戻ってしまう。その繰り返しの中、中年男が思いついたのは、ドアからでれないのなら、はしご車を呼んで窓から出てしまえば良い、――なのだった。

 しかし、火災報知器を鳴らし、消火器を撒き散らし、フライヤーを燃やしてボヤを起こし、――散々な騒ぎを起こしてやって来たはしご車のバケットに飛び乗った男たち二人だったが、――そのまま消防士に抱きかかえられた中年男とは違い、彼はそのまますり抜けて落ちていき、――地面さえも通り抜ける。

 男は、湖に戻る。

 夕日に赤くなった水面を見ながら、ただ呆然と立ちすくむ。

 そして、水ないプールでのパーティ。

 湖に浮かぶ船の中でのパーティ。

 ――他、様々……。

 彼は、君のものと似ているが、ちょっと違う不思議な体験を沢山重ねたようだった。

 それは確かに、君が、この湖畔で重ねた体験とよく似ていたが?

 似ていて、――少しずつ違った。

 もし、男が君のことをずっと影から監視していて、そんな出まかせを並べたのかとも君は思わないでもなかったが、それらは作り話とは思えない迫真の様子があったし、――何しろ、君しか知らないはずの心の中の様子までも、随分と一致していたのだった。

 この男は、何者なのか、と君は不思議に思った。

「……でも俺は、君だと言うわけではない」

 男は、君が疑問を口に出す前に、先回りして答える。

「言っただろ、俺は試作品だって。君の試作品。君に似ているかもしれないが、この永遠のパーティの中から出ることなく、終りのない物語の中をただ漂うことしかできない、失敗した物語の主人公。それが俺だ」

 男は、立ち止まり、振り返りながら言った。

「俺は、今言ったような体験を、――何度も繰り返した」


 ――繰り返す?


「二度目があったんだよ。事故にあって死んだはずの女が再び現れて、鍵を差し出すとまた俺に、車に一緒にいこうと言ってきた」

 男は、君が意味がわからないと言った様子の顔をしているのに気づくと、説明して言う。

「女は、前の失敗のことなんてまるで忘れた様子だったけど、俺は覚えていた。だから、今度は気をつけて、前の車を追い抜かないように慎重に車を走らせたけど、見通しの悪いカーブでトラックが対向車線を超えて飛び出して来て、結局同じように、俺たちは事故った。

 その次の時は、俺は事故った車から鍵を抜き出してポケットに入れて持って出た。

 そうしたら、女がもう鍵を追って俺のところに現れることもないと思ったのだった。

 しかし、ダメだったよ。

 女は、今度は最初から俺を一緒に帰る恋人と認識して近寄って来た。

 キーを抜き取って湖に捨ててもダメだった。

 今度は、女は、スペアキーを持って、現れた。

 女から逃げようとしても、逃げた先が駐車場で、そこには女と仲間たちが待っていた。

 ――車の事故の後に紛れこんだ、クラブから外に出れたこともあったよ。

 でも、外に出て、平凡な男としての一生を過ごした俺は、結局、死ぬ直前にまたこの湖に戻って来ていた。

 なんと言うか、業のようなものがおれを縛っているようだった。

 ここに出口が無いのは分かっているのに、他の生き方ができない。

 ――それを認めることができない。

 だから、何度もなんども繰り返し、このパーティの中に、俺は探した。

 本当の出口を……。

 しかしそれは、いくら繰り返し、やり方を変えても、変えなくても、それは見つからなかった。……代わりに見つかったのは」

 男は、天を見上げ、物語の外、あなたを見あげながら言った。

「――君さ。俺は理解した。俺は、俺の中で、俺のため、俺によって、俺が探しているだけでは、出口は見つけることができないなぜなら、それは俺の外にでることはなく、それは袋小路だから。君は、俺のようにならないように、消えなけれならない。

 ――この永遠から」

 君は、男に見つめられて、どう思う? 決断を求められていた。

 それでも逡巡する君に、少し怒ったような顔をすると、男は、体だけ横を向け、森の小道から現れた女を指差した。

「まったく、どこ言ってたのよ」女は拗ねた様な顔をして、君らに近づいて来くると言った。「帰りの道が渋滞する前に、早く帰ろうって約束したの忘れたの?」

 気づけば、夜が明けかけていた。山と山の隙間から光が漏れて、湖面をうっすらと照らしていた。


 ――行け。


 男は、君に目で示した。

 君は歩き出し、女と視線を合わせないまま通り過ごした。

 後ろで、

「悪い、悪い。ついつい踊るのに夢中になってて……」

 男が女に向かってあやまっている声が聞こえた。

 君は、歩き続け、――後ろの声はすぐに聞こえなくなった。

 そして、そのまま少し進むと、湖のすぐそばに作られた監視塔がライトアップされた下で、小さなパーティが行われているのが見えた。

 その、なかなか雰囲気のよさそうなそのパーティに、君はなんの迷いもなく参加する。

 ――とその時、ちょうど、夜明けであった。

 塔を囲むように作られた、ウッドデッキに集まった人々は、朝日を見て歓声をあげた。

 君も、同じように歓声をあげながら、太陽を見て、まぶしくて目をつぶれば、その瞬間に脳裏を通りすぎる過去が呼び起こす。

 懐かしくも、少し物悲しい、甘美な感覚。

 ならば、君は、もっといろいろと思い出すのだった。

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