必然
『パーティ・ラウンド・リワインド』これが最終話となります。ただしまだ挿入話を書くかもしれないので、ひとまずは完結とせずにおきます。次の話ができた際にはまた読んでいただければ幸いです。
2017.10.16 大幅改稿及び付け足しでこれで完成とします。お読みくださった方々ありがとうございます、
寒風が吹き荒れて、時々みぞれ混じりの小雨も降る、春というにはまだ肌寒い日の午後のことであった。
君は、そんな荒涼とした様子の湖畔に、ただ呆然と立ちすくんでいたのだった。
それは、そんな凍えるような天候の中でも、悪条件など吹き飛ばすかのように、――いやむしろ吹き飛ばすために少しヤケクソ気味に盛り上がっていた、そんなパーティーの、始まって三時間くらい経った頃の事だった。
しかし――? 君は、突然の無音に、何が起きたのか分からずに、あっけにとられて足を止めると、キョロキョロとあたりを見渡しているのだった。
その時、ほんの一瞬前まで、湖畔に大音響を響かせていたスピーカーの音が、何の前触れもなく無音になったのであった。
周りの人々も、同じように、何が起きたのか分からずにあたりを見渡していた。
音の消えた湖畔、突如現れた生の自然は、君の顔に冷たい雨を叩きつけるのであった。
雲に覆われ荒涼とした空は、それを見つめる君の心まで寒々とさせた。
音が消えて、踊りをやめる。――立ち止まると、君の体はたちまち冷えていくのだった。
君は、気のせいか、急に強くなったように思える風に震え、しばらくそうして、パーティーが再び始まるのを、音が再開するのを、ただその場に立ち待ち続けていたのだった。
――しかしいつまでたっても、パーティーは再開しない。
音が出ない。なので、踊り出せない。
ひどく寒い、嵐のような風が吹き抜けた。
君は、ふるえた。
あっという間に冷え切ってしまった体。いつまでも、――いったい?
今、何事が起きているのか?
寒さに耐えかねた君は、同じように、事態の説明を求めてパーティのスタッフに詰め寄っている集団の中に入るのだった。
――君は、DJブースの前で、すまなさそうな顔で今の事態の説明をしているパーティーのオーガナイザーらしき女性の話を聞いた。
彼女の話では、音が止まったのは、どうにもこの湖畔の停電が原因らしいとのことであった。
それは、何か音響システムに問題が起きたわけでも、騒音の苦情が入ってやむを得なく音を止めたわけでもなかった。
今日のパーティ自体には、何も問題なかったのだった。
こんな天候でも、――いやむしろこんな天候だからこその盛り上がりが、さっきまでこの湖畔にあったのだった。
今日、この場に集まった人々は、そんな天候を吹き飛ばすような力に満ちていた。
荒天などものともせずに、パーティーへの期待に溢れ、その望む未来を自らのものとすべく踊り続ける。そんな強い意思を持つ、パーティーフリークが集まり作り出したパーティーは、何にも負けない、何にも比べられない、唯一無比のグルーヴを作り出していたのだった。
しかし、そんなパーティーの途中、突然、この会場が停電を起こしたのだった。
結果、全ての音響システムが止まり、当然、スピーカーから、全く音が出なくなってしまったのだった。
なんとも単純な話だが、パーティにとっては致命的な事態であった。電気がこなくなったならば、パーティーは、あっけなく、終わるしかない。
今日のパーティーを終わらせてしまったその停電の原因は、未だ不明であった。スタッフが何度か、電力会社に問い合わせみたのだが、電話が混み合っていて、一度も繋がらないと言うことだった。
どうも、その電力会社のウェブサイトを見ると、かなり広域の停電が発生していて、それは停電と同じ頃に起きた大きな地震と関連していると掲載されていたようだが、まったく揺れも感じられなかったこの会場の君らからするとなんとも狐につままれたような、なんとも実感のわかない話であった。
とはいえ、ともかく、原因もはっきりしないなのならば、突然この湖畔に生じた思いがけない無音状態はしばらくそのまま続いてしまいそうであった。人々のざわざわとした話し声はするものの、君を作り上げていた音、グルーヴは消えてしまっていたのだった。
すると、君には、音が消えたその場所はもの、凄くあやふやで頼りない様子に感じられたのだった。寄るべき音が、君の公準が消えてしまったのだった。
君は、なんだか不安になって、そわそわとしてしまう。音が消えたせいで、このまま自分が消えてしまうような気さえしてくるのだった。
しかし――まったく――停電ならばしょうがない。無いものは、無い。電気が戻るまで、パーティは始まらない。
君は踊ることができない。それは、今、動かし様のない事実であり、それならば、ここにいても、イライラとする、――ますます不安になるだけだった。
周りの人達も、同じような様子だった。そして、そのイライラが互いにやり取りされて増幅されて、君はますますイライラとしてしまうのだった。
なんだか気持ち悪い、良くない雰囲気であった。このまま、この場にいれば、そのままその中に自分も捕らわれてしまいそうだ、と君は思うのだった。
ならば、――パーティの再開の時にいの一番に踊り出したい気持ちはやまやまだったが、音の出ないスピーカーを見て妄を作り出すくらいなら、――会場から出て付近の散策でもしよう。
君は、そう考えて湖から離れたのだった。
君は、パーティ会場から離れると、足が向いた方向に適当に進んだ。特に行きたいところがあるわけではないので、向かう方向は何も考えずに偶然に任せたのだった。
すると、君は、湖の周りをフラフラしているうちに、ある山の麓に登山道らしき看板の出た細い道に到達する。
その看板には頂上まで程よい時間で着くことができるようなことが書いてあって、その時間は、もう昼を超えた今からでは、日暮れまでに戻ってこれるのかギリギリの計算となるようであったが、もし危なさそうならば、途中で戻って来れば良いかと思い、君はその道をそのまま進むことにしたのだった。
今日は、特に他に行きたいと思う場所もない君は、偶然行き合ったこの道以外の選択肢を思いつかなかった。君は、「偶然に」身を任せたのだった。
――山道は、最初は、緩い真っすぐな登りだった。君は、快適に、今日の偶然のハイキングを楽しんだ。このまま、この名も知らぬ山の頂上までゆっくり登って帰って来る。そんな気晴らしで今日が終わるのも良いかなとその時の君は気楽に思っていたし、確かに最初はその通りだった。
綺麗に整備された登山道。曇りだった空も晴れて来て、日が照って、先ほどまでの寒々とした気候と打って変わり、歩いているとちょうど良いくらいの気温になってきたのだった。君はそんな道を心地良く進むのだった。葉の落ちた木々の中の道は、見通しも良く、そのせいか、行き先も知らない道でも、行き先に不安は無かった。
だから、きみの足は一瞬も止まらなかった。一本道を迷いなく進む、今の君は君が君自身を作っていた。踊るための音が無い、――寄る音の無く、音の中で自分を見つけられない君は、自らの動きの中に君を作りだしていのだった。その君が作り出した君が、また一歩足を踏み出せば、さらにまた新しい君が作られる。ならばそれが続くのだった。君は進むのだった。君は止まらないのだった。
そのうちに、登りは段々ときつくなって来たが、いつの間にか、歩き、進む事に段々と興奮して来た君は、それでも、一瞬も止まらなかった。ならば、止まらないなら君は続いた。君の世界は続いた。ならばそれに安心して君はますます歩くのだった。
だから、
「……?」
君は分かれ道を選んだ瞬間に感じた奇妙な感覚も気にしなかった。君は自分が道を右と左のどちらも選んだような気がしてしまったのだったが、その妙な感覚に、君は振り返りながらも立ちどまらずに、
「なんだやっぱり、右を/左を、選んでいたじゃないか」
声に出し、そう呟くだけなのだった。
君は自分の選択に何の疑問も思わずに――なぜなら選択の結果が今の自分なのだから――歩き続けた。
しばらくしてまた分かれ道がでてきて、――と言ってもちょっとした勾配の上りを、目の前の急な石段で登るのか、なだらかな迂回の道を行くのかの違いしか無いが、その二つ道を前にして、君は思う。
「勢いに乗って石段を駆け上がってしまおう/特に急ぐ必要も無いのだゆっくりと緩い道をいこう」
そして、また自分が二重になったような奇妙な感覚を感じるが、
「……?」
君は、石段を歩く/迂回路に進む。
そして一瞬立ち止まる。
妙な感覚だった。
軽く目眩がして、慌てて足を踏み出し、バランスを取りながら息を飲み込むと、その後に自分の息づかいや心臓の鼓動の音がやたらと大きく聞こえて来た。
君の他に誰もいない、山道は、ひどく静かであったから、君は自分自身の出す音が、どきりとするくらい大きく聞こえるのだった。
すると、君は、音が自分の中にだけある、世界に一人きりであるかのように感じるのだった。
君は、その孤立によって、まるで悟りでも得たかのように、やたらとくっきりとした気持ちになるのだった。
そして、そんな心持ちで周りを見ると、世界は消えて、そのまま自分も消えるような気持ちになるのだった。
静寂に自分も飲み込まれるような気持ちになるのだった。何しろ、世界は静か過ぎた。君は――圧倒的に――一人だった。
君は、気配を、君以外のものの存在をまるで辺りから感じなかった。すると、それが、その孤独が、ひどく崇高な物に君には思えるのだった。
もちろん、ここには、自然の音はある。
鳥の声。
風が木々を揺らす音。
沢の流れの音。
しかしそれらは、静寂で鳴る鹿威しの音のような、音が無いよりも静かな感覚を君に覚えさせた。
それらは、あくまで背景で、登場人物はその中には君一人しかいないように感じられた。自然の音は、無いよりも深い無を君に感じさせるのだった。
君は、絶対的に、一人であった。すると、――であれば、君が寄るのは、自分の律動のみなのであった。鼓動。呼吸。そして自分の頭の中から聴こえてくる音のみであったのだった。
それに気づいた君は、自分が何処にでもいて、何者でもあるような気持ちになるのだった。君は、その無より先の世界の中で、全てであったのだった。
君の思う可能性は、そこでなら、その通りに、そのままにあった。
ならば、君は選択のたびに無数に分かれたのだった。
無数の君がいたのだった。
無限の無の中には、無数の君がいるのだった。
無い物の中ならば、有りえない中にならば、君は無限に在ったのだっだ。
その感覚を、全てである事を、君は少し窮屈に感じた。
一瞬、一瞬ごとに君が分かれ、君が世界を埋め尽くしていく感覚。
君は、世界を埋め尽くす。それは君の可能性であり、その可能性をついに埋め尽くすならば、それは必然へと至る。……
君は必然の中に在るのだった。
君は、気がつけば、聳え立つ崖の真下に立つのだった。
その上が、この山の頂上なのだろう。崖の上の空には何も無かった。
この崖のそばには、元は頂上まで続く緩やかな登山道もあったようであった。しかし、土砂崩れに飲まれて、途中で消えたその道は、今は使えないようであった。
なので、行く道は、――断崖であった。君が、頂上に行くには、聳え立つ、その垂直の壁を越えていくしかないのだった。
その崖の高さは数十数階建てのビルくらいはありそうであった。登山の経験があるわけでもない君には、それを無事に登りきる自信なんてまるでなかった。
だが、君は止まらなかった。
いや止まれないのだった。
君は、無意識のまま、崖に取り付くと、そのままそれを登り始めてしまうのだった。
何としてもここを登って行かなければならないと君は思うのだった。
なぜならそれは必然であったからであった。
君は崖を前にして周りを見渡してそれを知るのだった。
その、必然を知るのだった。
なぜなら、周りは、「君」だらけであったのだった。
様々に迷い、分かれた君が――君たちが――その幾多の分かれ道の結果、全てこの崖に集まっていたのだった。
在り得る世界、可能性がいくらあっても、君らはここに集まったのだった。
これは、偶然に任せて動いた君の、必然であったのだった。
――周りには幾多の「君」がいた。
「君」だらけだった。
何人もの、いや数えきれない程の無数の「君」らがここにいた。その全てが集まるのがこの崖だった。
そして、君らは、全員が、そこを登らねばならないと言う思いにかられていたのだった。
全ての「君」が、様々な迷いのたびに分かれ、様々な歴史を持って、しかし結局集まったのはここだったのだ。そして同じ思いでこの崖を見ていたのだった。
ならば、幾多の可能性の中で結局は君らがここに集まったのは、必然であり、ゆえに、君の思いも必然であった。
だから君は、「君」は、迷う事も無くこの崖を登る。同じ事を思い集まった君らは、この崖を、一斉に登り始めるのだった。
途中で、迷い、増え続けた「君」が様々の偶然に支配されながら動き、しかし結果集まったのがこの崖なのならば、結果同じ思いに至ったのだった。
必然に、逆らえない激情に突き動かされて、「君」らはこの崖を登り始めるのだった。
だが、――それは決して楽しい事では無かった。
君の隣の「君」は、苦しそうな息遣いをしながら、あちらこちらを擦りむいて血を滲ませながらも、それを気にせずにひたすら上へと登った。
そのさらに横の「君」も、上の「君」も、下の「君」も、ひどく苦しそうな様子で、必死に崖を登っていた。
今にも「君」らはくじけ、手を、足を止めてしまいように見えた。
でも、「君」らは止める事ができないのだった。
止まらないのだった。
「君」らはここを登らねばならないのだった。様々な可能性の中にある必然、それこそがこの崖なのだった。
それはそこにあった。
「君」らは、それを超えなければならなかったのだ。
ならば、「君」らは登った。一歩また一歩、ひたすらここを登らなければならないのだった。
――いや、登り始めれば、そんな衝動さえ、もういらなかった。
君は、目の前の岩の形、手足の先の感覚以外何も考えられなかった。
全身全霊で君は崖を登る事だけを考えた。
恐怖や疲労もまるで感じなかった。
運悪くもろい岩をつかんでしまったらしい「君」が、その下の君らを巻き添えにしながら落ちていくのを横に見ながらも――偶然に選択される「君」の様子を見ても――特に何も感じなかった。
君はただ崖を登った。「君」はただ登った。
ある者は転落しても、まだ他の者が登り続けた。
減っても減っても、迷った分だけ存在する「君」はいくらでもいるかのように見えた。
その「君」に負けないようにと、君は進んだ。何人の「君」が、滑り、落ちても君は登った。
必然は、「君」らの求める何物かは、この愚鈍な偶然の先にあるに違いなかった。
偶然の落石。
偶然に滑る足場。
その度に、冷酷な蓋然性の大鉈で刈り続けられる生命。
その先に、それはあるに違いないのだった。
だから君は、「君」らはは止まらずに登った。
必然は偶然で止められるものではないからであった。
それがこの崖であり……。
「君」らは止まらなかった。
止められなかった。
止まらずに、――無限を偶然にぶつけるのだった。
ひたすらに、自分の思うやり方で、様々な可能性に、偶然にさらされながら、崖を登るのだった。
「君」らは、ひどく混乱した様子であった。
あまりに性急に先を急ぐ「君」は落ち、後ろにいる「君」は前が詰まり進まない。
この必然への競争は、今、乱雑の極みの中にあった。
競争は、今、何が起きていて、この後、何が起きるのかがはっきりとしない、誰が有利なのかが良く分からない、混沌の渦の中であった。
競争は、曖昧模糊とした混乱の中にあった。
無数の「君」の競争の、先頭は瞬く間に入れ替わる。このまま、誰が一番先に崖を登りきるのかは最後まで分からなさそうだった。
何しろ、「君」どうしが、――同じ能力を持つ者どうしが、同じ動機をもって動くこの勝負なのだ。
たぶん、その結果は、誰にも予想できない偶然の中にあるのだろう。
そういう競争なのであった。
しかし、だが、一つだけ言えるのは、いつかこの混沌の中から、最初に頂点に至る者がいるだろうと言う事だった。
誰か、必然の壁をを超える者がいるのだった。
そして、それは、それまでは――崖の先にある物を得るまでは――「君」らは誰も止まらないと言う事なのだった。
誰かが一番先に崖を登りきり、その先の何物かを得るまで。
誰かが一番に選ばれるまで。
――誰も止まらないのだった。
崖登りなどした事もない、「君」らには、誰にも策略も作戦も無かった。君は、「君」は、ただ登った。それしかできなかった。
ならば、偶然が非情に君たちを刈り取った。何度も何度も、君のそばを別の「君」が重なり合って落ちていった。
同じように、必死に、同じように愚直に崖を登る「君」らを、ただ偶然だけが冷酷に選り分けていた。君は、その中に、刈られた中に何度も入りそうになったが、――幸運にも今の所は生き残っていた。
手や足がすべり落ちかけた事はあったが、偶然捕まる事のできたでっぱりや、足を着く事のできた小さな岩棚があった。
特に何か考えたわけでない。偶然に降された自然の選択だった。それに生き残り、ただひたすらに登っていたら、
君は、偶然に選ばれて、今この場所にいると言う事だった。その幸運の中、君はここにいた。いくらでもあっただろう生の偶然の中、君の意思がその幸運の中に君を進めたのだった。
――しかし、その幸運は、君をこの必然の勝者にするまでの物では無いのかもしれなかった。
必死に崖を登り、ゴールは、近くなっていても、君は先頭を登っているわけではなかったのだった。
たまたま良い足場の所を登っていた先頭の二人は、君よりすでに十数メートルの上にいた。果てしなく高く見えた崖も――永遠も――いつのまにか無限が飲込み、そのゴールが見えて来たのだった。
だが、それが近づいたゆえに、このままでは君はその先頭の二人に追いつくことはできなさそうだった。
前を行く「君」は君と同じ者であって、君は「君」と同じ能力しか無いのだから、君がいくら頑張っても、いまさらその二人に追いつく事は難しいのかもしれなかった。それがここまでの偶然の作り出した運命なのだった。
だが、君は、ここで登るのをあきらめるつもりも、勢いを緩めるつもりも無かった。なぜなら、偶然を越える意思が、それを持った「君」が、次々に君の後ろからやって来るのだ。君だけがそれを止めるなんて言う気は全く起きなかった。
君は、「君ら」は登り続け、偶然を意思で克すのだった。偶然の平板な世界に、意思を刻印するのだった。
――それに、偶然は、世界は、まだその非情な大鉈をふるう手を止めてはいない様だった。
君は、トップ二人が頂上手前数メートルまで至ってからの、異変に気づいた。ゴールを間近にして、トップ二人のスピードが落ちているのだった。
今まで良い足場続きであった、その二人の取ったルートは、頂上近くで突然、素手では登坂困難なオーバーハングになっているようだった。それで頂上近くの「君」らは横に移動を始めたのだった。それが二人のスピードが落ちた原因のようだった。
それならば、もしかしたら間に合うかも? と思えば、君とその周りの「君」らは、最後の元気を振り絞り、登るスピードを速めた。
すると、トップ二人の「君」もそれに気づいたようだった。下をちらりと見た後に、その移動するスピードを速める。――しかし、それが失敗だった。
後続に追いつかれるのかもと思い、焦ったのが、先頭の二人の破滅を呼んだ。横に進み、オーバーハングが終わり、やっと見つけたルートの狭い岩と岩の隙間に、先頭を争い押し合いのようになった二人の身体が同時に入った時、そこで二人はぶつかり合う……。
――宙に浮かぶ。
空中で手を伸ばし、もがきながら、落ちてくる「君」と「君」。必死で岩にしがみつく君の横をその二人の「君」は落ちていく。
君は、落ちてゆく二人と目が合い、そのまま落下するのをじっと見つめてしまっていた。重力の戒めの消えた、自由落下の美しい軌道の中、舞うように落ちていく二人から君は目を離せなくなっていた。
それは、まるで、自分が落ちているかのように感じられた。人は死ぬ前に人生のすべてを走馬灯のように思い出すというが、その落ちてゆく「君」のすべての生が君の中に飛び込んで来るように感じられた。
君とは、ちょっとずつ違う「君」の記憶。二人の中に入っていた断片が、まるで君自身の思い出のように、次から次へとフラッシュバックされた。
同じ女相手に失恋をする君と、逆に告白されたのを断る君。両方の記憶が一緒に君に入ってくる。
数々のパーティに、数々の喜び。
あるいは、数々の悲しみ。
恋とセックスに、怒りに争い。
沢山の人の死に様と誕生。
相互に矛盾することもある「君」の人生の断片が君の脳裏に浮かぶ。
君の意識は、落ちていく二人を見つめる、他の「君」の意識とも繋がっているようだった。
人生が、今この崖に取り付いている数々の「君」の人生が、君の経験として、君の中で蘇ったのだった。
今、君の中には何でもあった。ありえる物ならば、君のすべての人生があった。
君はすでに死んでいるばかりか、まだ生まれてさえいない事もあった。
君は世界を征服だってできたし、惨めに泥の中を這いずり回っている事もあった。
その中には、虚無の君だっていた。
今、君に、――そんなすべての記憶が流れ込んで来て、
「あああ!」
君がそう叫ぶのと同時に、二人は、崖の下に転がっている何万人という死体の仲間入りをした。
「あああ!」
君の横にまったく同じ言葉を叫ぶ「君」がいた。君らは一瞬目と目があった後、双方ともなにか自分でもわからない言葉を言いかけたが、――二人ともそれは言わずに喉の奥に飲み込むと、無言で崖をまた登り始めた。
君は、上を見る。空があった。「君」らの上へはもう誰もいなかった。崖の終わりはもうすぐだった。そして、君の次に下にいる「君」とは、数メートルくらいは離れていた。何事も無ければ、勝負は君ら二人の間できまりそうだった。
そう思うと、疲れきった身体にもまだ残っていたらしい最後のエネルギーが搾り出された。意思を越えた力が君の手を動かしていった。一歩、また一歩。果てしないと思っていたこの崖ももうすぐ終わる。
君は自分が最後の一人を争う中に残るなんて信じられなかった。その偶然にびっくりしながらも感謝した。
自分が、何を求めて登っているのか未だに分からなかった。しかし、それは疑いようもなく在る。
君は、「君」は、そう確信して、ならば、ますます足に力が入り、手がより伸びて、より高くにある岩を掴んだ。
もうすぐなのだった。
もうすぐそれはわかるのだ。
ついに、崖も最後の数メートルだった。
渾身の力を込めて、君は、横の「君」よりも半身早く頂上に到達した。
君は体を引き上げる。
見える頂上の様子。
――一瞬、呆気にとられ、動きを止める君。
そこには何も無かった。岩場が終わり、ただの平らな山頂があるだけだった。
背の低い木や、草の生えた、なだらかな下りの斜面がずっと続いている。……
これだけ?
君は、拍子抜けする。
そこにあると思った何物かはこのただの野原だけと言うのだろうか。
何も無いこの場所が、空が、必然に導かれて達した場所だと言うのだろうか?
違う。
いや、そこに、――在った。
君は知った。
崖の頂上の向こう側、なだらかに下る斜面の五十メートルくらい先に、一人の女が時計を気にしながら立っているのが見えた。
その瞬間に君には分かった。
――そこがゴールなのだ。
――彼女がゴールなのだ。
土産物屋とロープウェーの駅らしい小さな建物があった。数組の家族連れが入ろうといているその前で、彼女は誰かを待っている様子だった。
それは……?
誰かだって?
――もちろん君に決まってるじゃないか。
ああそうだ、彼女が待つのは、先に着いたほうの君だ。
君は、その瞬間、この競争の意味がやっと分かったのだった。
君は走り出した。
しかし、横の「君」の方が彼女に、気づくのがちょっと早かった。「君」の方が君よりも少し前に出た。それで、頂上に来るまでに作った半身のリードはたちまち失ってしまっていた。
が、それに負けじと君は走った。君は追いついた。
しかし「君」さらに走るスピードを上げた。
離された。
追いついた。
追い抜いた。
追いつかれた。
君らは走った。
どっちが先に彼女に到達するかを競っているのだった。
そんな君らに彼女は気付き、手を振る。
目を輝かせながら「早く」と叫んでいる。
「早くしないとロープウェーが出ちゃうのよ」
女は言い、
「分かった」
君らは同時に叫んだ。
「早く、もうすぐ出発しちゃうわよ」
女の少し不安げな声。
もう二十メートル。
発車を告げるベルが鳴る。
もう十メートル。
建物から駅員らしき人が出てきて女に何事か呟く。
もう五メートル。
君が頭ひとつリード。
もう三メートル。
もうひとりの「君」が追いつく。
もう二メートル。
まだ君らは横一線。
もう一メートル。
君らは同時に手を伸ばす。
それは全くの同時。
全くの同然。
君らには何の違いも無かった。
君らは同じように必然にたどり着いた。
――しかし、
たまたま右手を伸ばした彼女の手は、
左側にいた「君」の手をつかみ、にっこりと笑うと、
「さあ、いきましょう!」
女の言葉とともに、あたりの人や建物は、突然、まるで幻だったかのように消えた。それは、薄くなり、散り散りとなり、霧になり、風に流されて次第に消えていったのだった。
木々も消え、斜面は石だらけの荒涼とした風景となった。君は、それを見て、まるで乗り物酔いか何かかのようになった。
足元がふらふらとしてきてしまったのだった。
君は、足がもつれ、バランスを失う。
君は、自分の体が後ろに倒れていくのに気付いた。
しかし、それを戻そうとしても体が思うように動かない。
なので、君は、後ろへ、仰向けに地面に倒れた。
君は、身動き一つできなかった。
指先一つ動かせず、寝返りさえできなかった。
だから空を見た。真っ青な雲ひとつ無い空だった。
何も無く。
何物でもない。
君はその空であった。君は、君の来た場所である無を見つめるだけで、それ以外は何もできなかった。
ずっとそうしていた。
空が赤く色づき、そして星が瞬き始めても、やはりそのまま空を見つめてていたのだった。
日が暮れて、山頂の気温はぐっと下がっていたのだけれど、君は不思議に寒さを全く感じられなかった。
自分の体が、自分の体で無いような不思議な感覚を感じていた。
自分が、世界の理から外れて、寒さも感じられないのでは無いか、そんな風に思えたのだった。
自分が、空間から、時間からも隔絶したように感じられた。
見つめる星々が君を残して回る。
雲が月の前を横切る。
そんな様子を君は仰向けになり、じっと見つめていた。
いつのまにかもう百年もたってしまったような気もしたし、星の瞬きの間の時間しかまだ経っていないようにも感じられた。
ひどく疲れ、眠いのに、なぜか眠れなかった。
君は眠れずに、風の音と心臓の音を聞きながら、じっと君に起きた出来事を考えていた。
何が起きたのか。
何を求めたのか。
何に負けたのか。
――分からなかった。
君は多くの「君」と何かを本気で求めて競争し、その何かはすんでのところで逃げ去っていった。
あれが君の本当の生だったのだろうか?
君の生はあの中にこそあったのだろうか?
そして君は競争に負け、その何かを得る機会を、もう失ってしまったのだろうか?
君は、必然の中で、偶然に負けたのだろうか?
――そうかもしれない。
君は思う。
――もしかして、そうでないかもしれない。
君はさらに思う。
今は答えの分からない問いしか、出てこなかった。何度も繰り返し自らに問い続け、その答えは決して君の内から出て来る事はなかった。
だから、君は、そのまま星を眺めながら、いつまでも同じ問いだけを繰り返す。
いつまでも答えは出ずに君は問いを続ける。
それはそのまま永遠に続くかに思われた。
しかし、何度も何度もずっと堂々めぐりを続けるうちに、君は偶然、当座の答えに到達したらしかった。
――つまり君はいつのまにか寝てしまったのだった。
そして君の姿は闇の中に消え、夢に溶けて、そして……。
*
朝日に照らされまぶしくて君は目を覚ました。そして、その瞬間、君は、その時に聴こえた耳鳴りの音をパーティの音楽と空耳してしまい、慌てて身体を起こし周りを見渡したのだった。
君は、あの湖畔のパーティ会場にいつのまにか戻っていたのか、あるいはいままで見ていたのは夢で、湖畔でパーティの途中に寝ていてしまってだけなのかと思い、飛び起き周りを見渡したのだった。
しかし、そこは、昨日と同じ荒涼とした山の頂上であった。あるのは、石の他には何も無い緩やかな斜面だけだった。
君は、やはり、そこにいたのだった。君は必然が終った後にも続く余剰の中にいる。君は、それに気づくと、身体から一気に力が抜けた。
君は、また腰をおろし、呆然と斜面を眺めた。昨日とは違い君は動けないわけではなかった。しかしまた直ぐに立ち上がろうとしたら、体中に激痛が走り、止めた。
筋肉痛だった。昨日、あんな無理をして崖を登ったのだ。無理も無かった。動かなくても、筋肉が、関節がずきずきと痛んだ。
気付けば、それは堪え難い程であった。所々、熱く、腫れている様だった。少しひねるくらいで激痛が走った。
しかし、……君はその痛みが、今、心地良くさえ感じられたのだった。
なぜなら身体があった。君には、悲鳴をあげる身体があった。
身体が教えてくれた。その痛みが、君に、君がまだある事を教えてくれた。
失った君は、まだあった。
――あり続けた。
君は、昨日、何かを失った。
だが、まだここにこうして、存在している。
痛みだらけの身体、その事が君に、失っても残る君の事を教えてくれる。
――そう思うと、君は、なぜか可笑しくなって大声で笑い始めた。
誰もいない山頂。気兼ねなく、時々耐え切れずに転がりながら、君は、思う存分笑いつづけた。
声は枯れ、腹が耐え切れないほど痛くなってきていたけど、やめる事ができなかった。
君はまた寝転がり、仰向けで、大の字になりながら、声の枯れたまま、声にならない声で笑いつづけた。
空が見えた。雲一つ無い快晴の、何も無い空だったけど、それはそこにあった。君も同じように、心にぽっかりと穴があいていたけれど、それでも身体はここにあった。
それが妙におかしかった。だから君は笑った。笑い続けた。
君は君を失っても君だった。それが妙におかしかった。だから君は笑う。
そして、そのまま、いつまでもそうやって笑い続けていそうだった。
しかし……、
「あれ、誰かいるの?」
と言う声に声に慌てて身体を起こすのだった。
振り返ると、誰かががこちらに手を振りながら歩いて来ていた。
女だった。彼女は丁度この頂上に着いたところらしく、
「こんにちわ。先客がいるとは思わなかった。どうも、おじゃまするわね」
と言うと、笑いながら君に近づいて来たのだった。
君は女を見てびっくりした。その女は、あのロープウエーで「君」と消えたあの女だったからだった。それに驚いて、君は、一瞬言葉を失うが、その間に、女はいつの間にかそばまでくると、手を差し出しながら言った。
「あなたって、湖のパーティにいた人でしょ。昨日、あなたを見かけたの覚えているわ」
その手を握りながら頷く君。
「なんだ私がここに、一番乗りじゃなかったんだ。……いや、でも、先にこんなとこに来てた人がいるとは思わなかったわよ。どうやってここまで来たの? 昨日は、私達、道の途中で途中でパーティやってたけど、途中であなたが通り過ぎていったの知らないし? 私達電気消えてすぐ出発したから、あなたが先にあそこから出たとも思えないのだけど……」
君は、不思議そうな表情で一気に質問をしてくる女に、
「あっちから来たから」
と言って崖の方角を指差さす。
君の言葉を聞いて、首を傾げてから、はっと思いついたように、そこへ走っていき、その先の断崖絶壁を確認する女。
そして、
「あなた何者! あそこ登ってきたっていうの。凄過ぎるわよ」
戻って来た女は叫ぶように言う。
それに、
「いや、運が良かったから」
と君。
すると、君の言葉を聞いて、ちょっと不可解そうな様子だったのが、
「なるほど運ね……」
何か納得したような顔になる女。
――妙なやり取りだったが彼女は一旦は女なりの結論に達したようで、
「私達は楽しちゃってだめよね。あなたの勝ちだわ」
女は、君の肩をポンと叩きながら言うのだった。
そして、
「こっち見てみて」
彼女に指差されて、君は、山頂からつづくなだらかな斜面を見た。そう言えば、こううやってちゃんと風景見てみるのは、昨日から初めてだったと君は気付きながら、君はそれを見るのだった。
石だらけの山頂から続く、長くなだらかな尾根だった。中腹から下を森に覆われた、緩やかな斜面だった。
その森の先の平地には、田んぼの合間に小さな町のぽつぽつとあった。
遠くには海や別の山が見えた。見通し良く、開けた美しい景色であった。
そして、その途中に、何か賑やかな様子の集団がいた。
君の立つ場所から二百メートルくらい下の、山道の終点に、荷物を乗せたリアカーが数台置かれ、そこから先の岩だらけの斜面の途中を十数人の男女が登ってきていたのだった。
その集団を見て、
「早く登ってきてよ」
女は下に向かって叫んだ。
「だらしないわよ。こっちにはもっとすごい人いるんだから」
すると下からは、おまえと違って俺らは荷物もってるんだよ、と言う声が返ってくる。
「言い訳は良いから早くね」
よく見ると集団の男達ははスピーカやら発電機やらを抱えているようだった。一緒の女達は手を振ってこちらを見て笑った。
それを見て、女も手を振りながら言った。
「あの連中がきたらここでパーティ始めるのよ……」
「パーティ?」
「仲間内だけでね。何しろ下はまだ、あのままだから……」
「あのまま? まだ停電は……」
「――続いているわよ。あれを見て」
君は、女に言われて、その指し示す方を見る。山の裾野のあたりの送電線の周りに何台もの車が止まっているのが見えた。
「昨日、ヘリコプターか何かがひっかけて電線切ったらしんだけど、あの送電線から電気がいってるのはこの山の中ばかりなのでなかなか直してくれないみたいなのよ、今日の復旧は絶望的って聞いたわ」
なるほどと、君は頷いた。なんだか昨日はもっと広域で停電があったような話だったと思ったが、今目の前に見る事実がそうならば、――そうなのだろう。少なくとも、迷い分かれ、必然から外れ、それでも今ここに立つ君の現実はここにあるのだ。
そうだ。
ならば、そうなのだ。
少しもやもやしながらも、一応は事態を受け入れたと言った様子の君の顔を見て、女は、
「で、どうせしばらく電気こないから、友達が帰りにどこかでプライベートパーティでもしようと思って持ってきてた発電機とPAで、山に登って小さなパーティでもしようって話しなって、――でも昨日はここまで来れなくて途中のキャンプ場でやってたのだけど、今日は絶対に頂上にいこうってみんな説得して、朝一番でここまで来て……」
女は、そこで言葉を一度切って、確認するように君を見上げながら、
「……で君、ここで会ったのもなんかの縁なので、あなたも参加する?」
と続けて言うのだった。
それに、
「もちろん」
と君はまた言うが、
「でも……」
と続ければ、
「でも?」
君の逆説の言葉に少し不安そうな表情の女。君はその女の顔を見て、慌てて、与えてしまった不安を取り消すようににっこりと笑い返し、
「でも……、いや……、パーティには参加させてもらうよ。でも、――良ければ、まず……」
「まず……?」
君は、一瞬の沈黙と首肯の後、女の期待と不安に満ちたような顔に向かい、心に浮かんだ様々な瞬間瞬間、その全てをもう一度深く考えながら、でも最後には心を空っぽにして得た結論を言う。
「運ぶところから……」
と君は言ったのだった。
君は山の斜面を掛け下ると、斜面の途中、重そうにスピーカーを抱えている男の手伝いをした。
その大きなウーハーは、筋肉痛の肩には、ずっしりと重かったけど、その重みが心地良かった。
――これからまたパーティを始めるんだ。
そしてこの重みが君が背負わねばならないもの。
その確信が嬉しかった。
今は、君は何かを失い得られなかった敗残者であるのかも知れない。けれど、それゆえに、――それなのにここにいて、パーティを始められる。
ならば、すべてが素晴らしく思えたのだった。
そう思えば、それで全てが始まる。
君ははそう思った。
僕はそう思った。
そして、そうならば。
――そうだ。
これ以上、僕は語ってはいけないのだろう。
それは語られぬ事でこそ語られるだろう。
だから、君が今読んでいるこの物語。それはここで終わらねばならない。
それは君と一緒に、この本からは消えなければならない。
しかし、君が君の中、踊り続ける限り、――動き続ける限り、君は物語以上の存在としてこの世界に在るに違いない。
たぶん、君が君として、そしてまた君以外の全てのものとして。
――在るように。
それを、望むなら、君は踊るだろう。
君は生きるのだろう。
また午前三時の永遠が闇に溶けるその時に。
――君と一緒に。




