誕生
午前三時の永遠が天より降りる頃に、パーティは今夜最高の盛り上がりを迎えていた。
人々は、皆、我を忘れて踊り狂っていた。
大音量のダンスミュージックの鳴り響く湖畔のパーティ会場。そこに、世界中から集まったパーティフリークたちが、星空に向かって、止まらぬ歓声を叫び続けていたのだった。
――熱狂が、うねり、広がっていた。
激しい音が人々を動かしていた。
そこにはひたすらに踊る人々の姿があった。
叩き付けるようなバスドラムの号砲に、地を揺るがすベースの振動に、何処までも上昇してゆくハイハットの刻みに、絶叫する人々の姿――。
美しく、崇高だった。
生々しく、神々しかった。
流れる呪術的な電子音の中で、人々が一心不乱に踊る姿があった。
それは、まるで何か神聖な儀式を行なっているかのようだった。
それは、この世に何か不思議な力を召還しているかのようであった。
この世に隠された神秘を呼ぼうとしているかのようだった。
それは、この地に魔法を作り出している。
――この現代に、失われた神秘を召還しているかのようだった。
それは、現代が忘れ、顧みる事の無くなった、世界の秘密だった。
この世に、しばらく絶えて無いアートだった。
――しかし、踊る人々は、それを信じていた。
その技術は、――魔法はあると信じていた。
ならば、少なくとも、この場所、この瞬間ならば、それはあるのだった。
魔法、魔法と叫んで呼べば、それは来るのだった。
止まらない狂躁。限界を超えた歓喜の中それは現れるのだった。
音が揺れれば、――人々が揺れる。
盛り上がる感情は心の中では狭すぎて、溢れ出る。
その歓喜が集まり、転がり、渦となる。
広がる期待がこの地を包めば……。
――魔法は今ここに現れるのだった。
期待が未来を作る。
――未来が期待になってこの地に満ちたのだった。
だから、踊る人々の気持ちが一つにまとまる。
――それが魔法。
歓声が、人々の気持ちが一つになり、地が揺れる。
世界が揺さぶられる。
踊る人々は「それ」を心から信じていた。
人々は「それ」を望んだ。
ならば、その瞬間――。
地は、人から出て、しかし人では計り得ぬ、不思議な力に満たされるのだった。
世界は揺れ、かき回される。無より湧き出した様々な奇跡が混ざりあい、相互に反応し、そこには恐るべきエネルギーが生まれたのだった。
何処からとも無く、真空から、力が湧き出て来たのだった。
それが、自分に、自分の周りに、胎動するのを人々は感じていたのだった。
――それは原初の宇宙の混沌のようだった。
爆発を待っている虚無の揺らぎのようであった。
新しい宇宙の誕生の瞬間のようだった。
繰り返される創造の中に、ついに原初の感情が現れ、新しい宇宙ができるのを人々は待っているのだった。何度も繰り返された無意味を越えて、繰り返す創造の中に現れる感情を人々は求めたのだった。
だから、人々は叫ぶのだった。
――歓声。
ビートが消え、繰り返される太く強い極低音のフレーズ。
心地良いディレイとともに鳴り響くその音は地を揺るがす。
繰り返され、繰り返し現れる。
感情に感情が繰り込まれて、さらに大きな感情となる。
集まり、越える。……
そして、――絶叫。
――全員の、心からの叫びであった。
合わせて始まる激しいドラムのビートだった。
それは色。世界は、渦を巻く色彩の奔流であった。
形が消え、色として流れ、混ざり合う。
ある物が、いや、無い物までもが、混ざり合う。
今、世界は蓋然性としてある。その粒子的本質を現していた。
――人々の身体は、もはや身体では無かった。
世界は、もはや世界で無かった。
それは、曖昧な可能性だった。
揺らぎ、うつろう、瞬間の中の永遠、――永遠を孕んだ瞬間だった。
時間が無くなったそこでは、瞬間は永遠の別の名。
――それだけで完全であった。
ここには、何もかもがあった。
無い物も、ありえない物も、全てがあった。
全てが瞬間の中に映っていた。
この瞬間は、何もかも持っているのだった。
刹那に完全としてあったのだった。
しかし、また、とはいえ、ここにあるのは、虚無の中に何の繋がりも無く隣合う可能性に過ぎなかった。魔法が、瞬間が終われば、消えていく、――可能性達の短い宴であったのだ。
――ここにあるのは瞬間の饗宴であった。
孤独な、可能性達がただ虚無に浮かぶだけだった。
それは、バラバラになったパズルのようだった。
組み立てる者もおらずに、無秩序な可能性が、ただ散らばるだけの乱雑な混沌であった。
今、この瞬間、ここには全てがあるが、しかし、それは、バラバラの無意味だった。
それは、偶然そこにあっただけの物達が無意味に連なっているだけのようだった。
それは、まるで、在るものの墓場のようであった。在るものは、ただそこに在り、無いもの中に孤独に横たわるだけであった。
――そして、そこに、君は在ったのだった。
君は一瞬だけの存在として、このしばしの浮世の混乱の中に、一瞬だけ浮かんだ泡のような存在として、そこに現れたのだった。
この無秩序な混沌に現れた刹那。
蓋然性の存在。
魔法により現れた瞬間だけの存在。
つまり、君は、この魔法が終わればそのまま母なる虚無へと還るだけの存在としてそこに現れ、――そのまま、瞬間に永遠を使い切り、幻の中に溶け込むはずであった。
君は、瞬間に紛れ込んだ蓋然性にすぎなかったのだった。
君は、色彩として、感覚としてここにあるが、風に吹かれ散り散りに飛んでいってしまうような曖昧な存在のはずであった。
しかし、熱狂が在った。
――君は在った。
――在り続けた。
君は、今日、この場所ならば、消えずに続いていくのだった。
なぜなら、ここには、それを、瞬間を繋ぐものがあるのだった。――グルーヴがあるのだった。音と音を繋ぐ――瞬間と瞬間を繋ぐ――そんな連続を作り出す魔法がここにはあるのだった。
燃え盛る焔のごとき熱望。続く期待が、消えぬ未来を作り出すのだった。グルーヴがそれを作るのだった。
人々は、瞬間の中に捕われているのだが、未来を期待するゆえに、その思いと繋がるのだった。うねるリズムに合わせ踊る人々は、グルーヴを得て、瞬間を永遠に変えるのだった。
だから、パーティは続き……。
――君も続く。
世界が動き出す。
色が形を持ち始める。
曖昧な、感覚や感触に過ぎなかった何かが、確かな物に、いや、それ以上の何かになろうとしているのだった。
この場に満ちる熱狂は、この場を、ただある以上の何かをもたらす場所にしようしているのだった。
そんな世界の変容の中で人々は踊る。
君も踊る。
――すると、君は在った。
――在り続けた。
――君は確かにここに在った。
君は、渦巻く人々の歓喜の中、いったい何事が起きたのか分からないまま、そこでただ踊っていた。魔法の中、瞬間の中、その中にこそ現れた、あやふやな、一瞬だけの存在のはずであった、――君は、しかしリズムに合わせて踊り出していた。
ならば君は君なのだった。
君はいるのだった。
君は、まだ生まれたばかりの、淡い存在であり、他人と自分の境界も定まらぬ、曖昧な実在しかもたなかったのだが……。
――しかし、
――それでも、
――もはや、
――君は「ここ」にいるのだっだ。
それは、確かに君であった。
君は今ここにいるのだった。
周りのみんなと一緒に、互いに、気持ちを分け与え、踊る。
そこに、――そんな場所に君はいた。
――君は、星空に、吠えた。
夜空に、その深い闇に、君は吠えた。
無の中に、様々な色の潜むのを感じながら君は叫んだ。
その声は高く高く上り、全き夜に吸い込まれ消えた。
君は、その刹那、轟音の中にこそ現れる、在る物の裏にある虚無の深き淵を見た。
君は、在る物をいくら詰め込んでも埋らない無を見た。
それは、いくら物が在っても埋め尽くされない虚無、――在る物の故郷。
君は、騒の中の静に、その無に、世界創世の秘密を感じながら、その荘厳な様子に、心を捕われていた。
君は涙を流していた。
感情の、その奔出を止める事はできなかった。
君は、生まれ出た赤ん坊の泣き声のような、まっすぐな声で、涙を流しながら叫んだ。
自分の感情が良く分からなかった。
君を、極々単純な感情が自分をとても強く突き動かしているのだが、それが単純すぎて君は混乱した。
その感情は、単純だが、何もかもがその中にあった。全てであり、かつ一つである感情であった。それは、深く心の底から出てくるがゆえの始原の対称を持つ、意識の始まりの前の感情だった。
悲しいのか、嬉しいのかも、そんな簡単な区別さえも、良く分からなかった。
原初の感情、原初の叫び。そんな絶叫の中、感動にふるえる君の心の琴線が鳴り、そこから、君の人生が奏で始まるのだった。
君の人生の弦が弾かれて鳴る音の、その色は、まだぐちゃぐちゃで、まるでホワイトノイズのごとく、全てが混ざり意味の消えた混沌であった。
けれど、揺れる君の心に合わせ、踊る身体の作り出す躍動に合わせ、混沌から晴れ渡る宇宙のごとき、次第に消える原初の対称性の後に残るのは……。
――君は在った。
――在り続けた。
――君は踊った。
混ざり合い、繋がる、曲と曲。
繋がる、一瞬と一瞬。
人と人。
ただあるだけでは、退屈なこの世界。
物と因果があるだけのこの平面。
その上に、音と感情が作り出す。
浮き上がる立体。
その中で君は熱狂した。
君は、わき立つ心を抑えきれずに思わず叫んだ。
――声が枯れても叫んだ。
踊り、疲れ足が動かなくなっても踊った。
踊り続け、疲れた体を忘れた。
君は、自分が踊りそのものになるまで踊った。
君は、――世界は、全てが踊りになった。
踊る事が全てだった。踊ればそこに全てがあった。
全てが、踊る事で明瞭に見えて来た。
踊りが、この世界の真実を見せてくれた。
そして、今、世界は、美しかった。
世界は、今、瞬間の連続以上のものであった。
叫びながら見る、踊りながら見る、揺れながら見る、流転する世界。
それは、常に動きながら、揺れながらも、完璧な調和を持つ。
その動く世界にあわせて踊ってみれば、一瞬一瞬で移り変わる。
それが生――。
それこそが生であった。
今、その他の事は何も気にならなかった。
息があがり、苦しくて呼吸ができなくなった。
それでも君は叫んだ。
腕がしびれて、もう上がらなくなっていた。
それでも君は腕をふり続けた。
足の裏が豆だらけになって、ずきずきと痛んだ。
それでも君はステップを踏んだ。
体は悲鳴を上げ、心は今にも折れそうだった。
ちょっと気を緩めれば、足をとめて、深く息をつき、地面に寝転がってしまいそうだった。
君は、そうしたら、――踊りを止めれば、一気に楽になる事は重々分かっていたけれど。
君の感じる苦しみは、その全てが、今すぐに消え去るのを知るのだけれど。
――君は、踊りを止めることができなかった。
君は踊り続ける。
今、君の体は限界を超えていた。
もういい加減にするべきであった。
だが、それを止めることができない、
なぜだか、この悲惨な自分の状況が、君は、例えようもなく幸せで、踊り続け疲れきった君の身体は、ちょっとバランスを崩しただけで、時々よろめいてしまうのだけれど。
――しかし、よろめき、踏み出して、それが踊りだった。
それこそが踊りだった。
よろめき、転んだならば立ちあがればよい。
引く波があれば返す波があるように、それがリズムだった。
それが今の君の求める踊りだった。
――だから君は踊った。
踊り続けた。
踊りつづけ、時間を忘れ、夜を越え、光を見た。
そして、また、歓声が上がった。
――夜明けだった。
君は、紫の朝焼けを眺めながら、隣から回ってきたペットボトルの水を飲むと、歓声にかき消されないように、水をくれた横の男に大声で、叫ぶように感謝の言葉を言った。
ボトルから滴り落ちた水滴が、朝日に照らされて虹色に輝いた。
その美しさに、光りに隠されていた様々な色に、その輝きの中に潜む秘密に向かって、
「最高だ」
君は呟いた。
そして、君は笑い。
パーティ会場の人々も、みんな笑った。
――その瞬間、君はつながった。
DJのかける、音と音が、曲と曲が混じり合い、素敵なグルーヴを作り出すように、――同じように、会場に笑顔がつながっていった。
君もその中の一人だった。
笑顔が、流れるように地を覆う、その中の一人。
君は、感動し、思わず叫んでいた。
流れる感情のまま、空に向かい、雲一つ無い、快晴の空へ向かって叫んでいたのだった。
その叫びに対して、空は何も返さなかった。空は、君の声を、人々の声を、感情を吸い込んで、しかしまだ空のままであった。
何も無い空は、絶対の無であった。
しかし君は感じた。
空は、無で、しかしそれゆえに、限りない豊穣を抱えるのであった。
君は空を見ながら、無であればこそあるもの、――それでこそあるものを感じていた。
君は、無を見つめ、無の中にこそ無いものを見た。
つまり君は全てを知った。
君は、空に潜む無限を知った。
それは、完全で、全き体験だった。
完璧で、そこには全てがあった。
君は全てであり、全てが君であった。
君はそれを知る。
君は、君を知り、全てを知る。
君は満ち、君は全てとなる。
しかし、それならば、全てを知るがゆえに、その中に君を見失うのだった。
だから、君は、全てを知り、全てを忘れた故に……
探し始めるのだった。
――君を