最初で最後のキス
次の日。
朝からお母さんは落ち着かない。
今日が三月三十一日、十四才、最後の日なのだ。
今年は四月一日が満月で、大潮。
性別の決定は、今夜の可能性が高い。
朝から掃除したり、床をピカピカに磨いたり、洗濯したこともないカーテンを洗ったりしている。
我が家は、俺が一番上なので性別決定は初めてだから仕方ないけれど、正直生まれた時から決まっているだろうし、今更何をしても変わらない気がするけど。
「どっちかしらねえ、楽しみだし、怖いわ」
俺のお母さんは、着ていたエプロンを投げ捨てて、耳に触れて、情報画面を出した。
男女比は毎年政府によって公表されているが、子どもの数が、見事に等分されているのが面白い。
百人の子どもが居たら、五十人が男で、五十人が女なのだ。
全く同数。
確率は間違いなく二分の一。
「ユウちゃん、朝から最後のお祈りに行ったみたいよ」
お母さんが端末を軽くいじると画面に映像が映った。
そこに女性化希望寺・祈願受付中という文字と共に、踊り狂う僧侶が出てきた。
「昨日聞いた。本当に意味があるのか?」
俺は軽く見て、ため息をついた。
ユウは昔からこういうのにお金を払いすぎている。
「意味なんてないけど、やりたくなる人の気持ちは、分かるわ。アラタは……祈願一回で良かったの?」
お母さんは本当に心配そうに俺の顔を見た。
今や性別の希望を宇宙人に伝える? 祈願が当たり前になっている。
「一回やれば十分だろ? あまり思い込むのも怖い」
俺は男希望だけど、あまり過剰に期待するのも怖い。
でも、ジュンのように【運命だから】と開き直ることも出来ないチキン野郎だ。
密かに占いも何個か試したが、結果はすべてハーフ。
正直、ずっとずっと子どもという性で居たい。
子どもだと許されることはたくさんある。
でも男と女になったら、世界は二分される。
「あーん、不安だよ、お母さん、アオイは来週も祈願行きたい」
「予約しましょうね」
俺には三つ下にアオイという妹が居る。
私は絶対女になると言っているので、便宜上妹と呼ぶが、ここまで「私は女になる」と言い続けると、女になれなった時にショックが大きいから止めた方が良いと思うのが俺の本音だ。
「お兄ちゃんは怖くないの? もうあと数時間だよ?」
アオイが時計を見る。
時間はもう夕方だ。
外には真っ赤に染まった満月が準備を始めている。
体の変化は眠っていないと進まないらしく、今夜は皆睡眠薬を飲んで眠る。
そのために政府から強烈な睡眠薬が配布されているくらいだ。
大潮の夜。
今は全員黒い髪の毛が、女の子になると、真っ赤に染まる。
それが女の子の証。
男は、お尻からしっぽがはえる。
大なり小なり、サイズは人によって違うし、形状も違う。
「俺のみたいにピシッとしたカッコイイのが出てくると良いな」
親父がズボンをズラしてしっぽを見せる。
「やだ汚い、閉まってよ」
アオイが睨む。
しっぽは人によって違うが、親父のしっぽは真っ黒で蛇のようで、俺はカッコイイと思うけど、世界で共通してるのは【なるべく隠す物】らしい。
そりゃ当然だ。しっぽは生殖に使うし(使う時にする変化は、人それぞれだと言われている)昔でいう所のアレなのだから。
でも見かけは普通に真っ黒な紐みたいなもので、あまり卑猥に見えない。
そのせいで、最近は丸出しにするファッションも流行っている。
「いや、怖いよ、怖いけど、もう何も出来ないし」
こんな風に人生が決まるくらいなら、産まれた時から性別があった昔の方が楽だった気がするけど、進化に理由があるのだから仕方ない。
もう定めを待つしかない。
ピピピ……。
俺の耳にピアス状態で埋め込まれている情報端末が着信を知らせた。
【着信・ユウ・川まで来て】
「ユウだ。帰ってきたみたい。ちょっと行ってくるわ」
俺は家を出た。
なんだか落ち着かなくて、外の空気をすいたい気持ちだった。
ドアを開くと、ここら辺特有の海と川が混ざった匂いがする。
俺はその空気を肺にたっぷり送りこんで、自転車を走らせた。
「やっほー、最後の祈願行ってきたよー」
ユウは真っ白な膝丈のワンピースを着ていた。
俺たちは無性別の間は、胸も膨らまないし、体に丸みもない。
でも【女の子に見せる下着】というのは普通に売られていて、ユウはそれを着ているようだ。
胸のあたりが小さく膨らんでいる。
俺は目を反らす。
ニセモノでも、見ていいのか、悪いのか、分からない。
ずっと無性別で、ユウを女の子だと思うのは間違ってると思い続けてきたけれど、こんなに可愛い服装で目の前に立たれると、さすがに妙な気分になる。
無性別と無性別の恋愛なんて、意味がない……と言われてるけど、好きという気持ちは止められない。
でも無性別な状態では、自分という人間が全く定まっていないのも感じる。
それは性がないからか、自分がないからか、分からないけれど。
いや、きっと俺は今の状態、子どもという性が好きなのだ。
楽ちんで、宙ぶらりんな存在。
ぼんやり考えている俺の前で、ユウはスカートの裾を持った。
薄い生地が更にすけて水面のキラキラが見える。
「どう? 可愛い?」
ユウは無邪気に笑う。
「おう、可愛いな」
俺はチラリと見て言う。
妹のアオイから「女の子(予定)の子に、可愛いって言って何が悪いの? 毎日言いなさい!」と教育されているので、俺は褒めることに慣れている。
「えへへ、でしょう? お気に入りなの」
ユウはふわりと回った。
「ユウの字は決めてるの、結。願いを結ぶ、ユウだよ」
ユウは小さく手を合わせた。
俺たち子どもは、基本的に産まれた時にカタカナの名前が付けられる。
そして十五の春の後、性別が決まると自分で漢字を決定、改名も許されている。
「良い字だな」
「アラタは?」
「新しい……で良いんじゃないか。男でも女でも使えるし」
「いいね、うん、良いと思う」
ユウは河原に落ちた石を拾おうとする。
高めのヒールを履いていたユウは、グラリとする。
「あぶね」
俺はその腕を掴んだ。
腕の太さは、俺と変わらない。
俺たち無性別な子ども達は、体重も身長も、あまり違いがない。
もちろん少し大きめや、小さめ、細めなどはあるが、性別の決定に大差はない。
劇的に変わるのは十五の春で、だ。
「ごめん、なんか緊張しちゃって。アラタの変わらない顔が見たくなった」
ユウは俺に腕を掴まれたまま、俺の服を引っ張った。
「褒めてるの、それ?」
なんとなく冷静に言いながら、俺の心臓はドキドキと大きく脈打った。
時間はもう夕方で、空はもう夜を探しに行き始めている。
俺たちは無言で赤い月が昇る空を見ていた。
「決まるね……怖い……私は、本当に怖いよ」
「男だったら……ってこと?」
「想像できない。いやでも、想像しないとダメだってパパが……」
ユウは涙ぐんだ。
真っ黒でストレートな髪の毛は、美しく整えられていて、夕方の風に正確に揺れた。
同時に甘い香りを運ぶ。
来ている真っ白なワンピースは小さな花が咲いていて、ふわふわと軽やかに踊る。
「実際なってから、考えようぜ。そのほうが楽だろ」
俺だって死ぬほど男になりたいと思ってるのに、心にもないことを格好つけて言ってみる。
だって、ユウが女になるなら、俺は男になりたい。
ユウが、俺の背中の服を、強く握った。
俺は横にたつユウを見た。
ユウも俺を見た。
よく見ると、少し化粧をしている。
頬はオレンジ色に軽く染まっていて、唇は封を切ったばかりのキャンディーのようにキラキラと光っている。
その唇が開いた。
「最後の祈願、お願いしてもいい?」
「なにそれ」
俺が言うより早くユウが俺の目の前に顔を近づける。
その距離、十センチ。
「好きな人にキスすると、女の子になれる確率が高いって」
「え?」
俺が息をするように唇を開くと、そこにユウがキスをした。
風で冷えたのか、冷たくて、ひやりとした感覚。
俺の頬にユウの髪の毛がサラリと触れて、これが現実だと知らせる。
ユウが俺からスッと離れた。
「アラタが私のことを、女の子だと思ってるうちに、こうしたかったの。アラタ、好きだよ」
そして長い髪の毛を翻して、ユウは消えた。
「…………へ?」
俺はボンヤリとたったまま動けない。
好き……? 俺を、ユウが?
「ユウが俺を……?」
自分の唇に触れると、指に少しキラキラとしたラメがついた。
どうやら現実のようだ。
俺は脳内で端末を起動させた。
そしてキスの祈願について調べる。
すると出てくる出てくる……キスで女の子になれる伝説。
もっときわどいのも沢山出てきて、俺は端末を閉じた。
「ユウが俺を……?」
俺は完全に暗くなった川を眺めたまま、もう一度呟いた。
ずっと、ずっとユウが好きだった。
両思いだったなんて……。
脳裏にチラリとジュンが浮かぶ。
なんて言おう……。
でも俺はこみ上げてくる笑いを止められない。
「……うおおおお……!」
神様仏様宇宙人さま、もしいるなら、俺を男に、ユウを女にしてください。
お願いします。
祈願なんて一度で良いなんて言って、すいませんでした!