十四の冬
この世界には三つの性がある。
男、女、子どもの三つだ。
「ナックル、いくよーー」
幼馴染みの相田ユウは手元の球を確認する。
短いスカートから長い太ももを見せて、振りかぶる。
肩より長い髪の毛が、ふわりと揺れる。
「ユウの弾丸スペシャル……!」
思いっきり投げるが、球は一メートルも飛ばずにポロリと落ちた。
「あり?」
「ナックルの前にマトモに投げろよ」
「もう一回! これ球に問題があるね、きっと」
「いや、普通にヘタクソなんじゃね?」
俺は藤井アラタ、十四才。
河原でキャッチボールしているが、季節は三月末。
春と冬の狭間で、川を吹き抜ける空気はまだ冷たい。
「違う、持ち方間違えてた、もう一回! 次は絶対イケる」
「まだやるの?」
俺はユウに球を投げ返そうと、立ち上がる。
「ねえ、アラタもナックル投げてみてよ」
「やっぱりカッコイイのはアンダースローだろ」
俺は球を握って下から投げる。球は大きく上に浮いてユウを飛び越える。
「普通にヘタクソなのはどっちよ!」
ユウは球を取りに行きながら文句を言う。
「ごめん、ごめん」
アンダースローが好きだけど、一度も成功したことがない。
ユウが球を確認して振りかぶる。
「次こそ行くよ~~、ナックル・セクシー・スペシャル!」
さっきと名前が違わないか? と突っ込むより速く球が飛んできて、俺の頭に当った。
「いてえええ!」
「あれえ~~? イタズラッ子な球だなあ」
「制御しろよ、それがお前の仕事だ! ああ、眼鏡が曲がったぞ……」
俺は眼鏡を外して確認する。
レンズに傷はないけど、フレームが軽く曲がっている。
俺は目が悪いので、眼鏡のフレームが少し曲がるだけで気持ちが悪くなる。
「寒い。肉まん食べに行く」
俺たちがキャッチボールをしていた横で、本を読んでいた中島ジュンは、パタンと文庫本を閉じて河川敷を歩き始めた。
「あー、じゃあ私はあんまん!」
ユウもさっさと歩き出す。
「お前らちょっと待て。まだ眼鏡直ってないだって」
俺は歩きながら、適当にフレームを直す。
こんなもんか?
「アラタはまた、あれか?」
「もちろんピザまんだ」
俺は直した眼鏡をかけて、自信満々に言った。
「外道」
ジュンは俺に向かって吐き捨てた。
「絶対あんまんだよ~」
ユウが振向いて言う。
「あんまんなんて、ただの温かい饅頭じゃねーか」
「あんこが温かい所が美味しいんでしょ? まったくアラタは分かってないな~~」
俺たち三人は、コンビニに向かって歩き始めた。
ジュンの制服の胸ポケットに文庫本が見える。
「そういや、借りた本読んだ」
俺は鞄から文庫本を出した。
「どうだった?」
ジュンはそれをしまいながら俺に聞いた。
「短編なのに、上手にまとまってるな。シンプルだけど怖くて良かった。正に動悸がしたわ」
「だろ? 次は人生の時効って本持ってくるわ」
俺の感想に満足したのか、ジュンは小さく微笑んで答えた。
「ジュンは今何読んでるんだ?」
「名探偵アポロンの八十巻」
「もう八十巻まで行ってるのかよ」
「早く読めよ、アラタと語りたい」
ジュンがよく本を読むので、それに感化されて俺も本を読むようになった。
「文字読むと眠くなるよ……よく読めるね二人とも……」
ユウがジュンが持っていた文庫本をパラパラとめくって、目をパチパチさせた。
文庫本をジュンが持って、ユウの鼻先にあてる。
「この匂いがいいんだよ」
ユウは本を顔にあてられた状態で顔をしかめる。
「……砂漠みたいな匂い」
「なんとなく土臭いのは分かる」
俺は吹き出す。
「そうか?」
ジュンはクン……と文庫本の匂いを嗅いだ。
「ああ、もうユウの匂いになったな」
「なにそれ、臭いってことー?」
ユウとジュンが追いかけっこを始めたのを、俺は後ろから見る。
ずっとこのままだと良いと思う。
でもそれは叶わないと知っている。
今は、十四の冬だ。
コンビニで買った肉まん、あんまん、ピザまんを持って、俺たちは河原に座った。
雲が完全に消えて、太陽が出てきている。さっきよりは暖かい。
「一五の春が来るな」
肉まんを一口食べたジュンが言う。
「俺とジュンは男だろ、たぶん」
俺はピザまんを食べて言った。
中にチーズがたっぷり入っていて、とろりと旨い。
「確率は完全に二分の一だ」
ジュンはパクリと肉まんを食べた。
「私は絶対女。それ以外考えられない」
ユウは宣言した。
我が惑星には、三つの性がある。
男、女、子ども、だ。
××年前、我が星に宇宙人が飛来した。
その宇宙人は性別を持っていなかった。
無性別。
初めて遭遇したとき、人類は未知の生物に怯え、恐怖に満ちた文献しか残っていないが、たった数十年で世界は激変した。
彼らは長い宇宙旅行の途中でちょっと我が星に寄った程度だった。
あっさり数年で去ろうとした宇宙人に夢中になったのは、私たちの方だった。
彼らは、恐ろしく美しかったのだ。
無性別特有の、男でも女でもない洗練された美がそこにはあった。
俺たちの先祖は、宇宙人に惹かれた。
そしてあっという間に、宇宙人と俺たちの混血児が生まれた。
その子どもは、生まれた時から一四才までは無性別。
一五才になる四月の大潮の夜に、男か女に分けられる。
それは無差別に、ほぼ何の根拠もなく決まる。
時代はあっという間に無性別時代になり、それが当たり前になった。
そこから時は流れて数百年。
法も整備されて、ついに俺たちも一五の春を迎える。
「産まれた時から、ユウは絶対女になるって思ってた」
ユウは、あんまんを大きな口でパクリと食べた。
小さく八重歯が見える。
それが可愛くて、俺は微笑む。
「ユウは、そうだろうな」
ジュンがポツリと言う。
ジュンはあまり表情が変わらないし、冷血そうに見えるけど、ユウを好きだと思う。
まあ、俺もそうなんだけど。
「ジュンも男だといいね」
「幸運を祈るよ。まあ女だったら産むだけだ」
ジュンは淡々と言う。
「……ケントさん、連絡あった?」
ユウがジュンの顔を覗き込む。
ジュンは目を閉じて小さく首を振る。
「連絡なし。まあうちのことだから居場所くらい掴んでるんだろうけどな」
ジュンは残りの肉まんを口の中にねじ込んだ。
「心配だね……」
ユウは小さな声で言う。
「弱いから逃げ出した。それだけだ」
ジュンは小さいけどハッキリとした声で言い切った。
ジュンには二年前に女の子に決定したお姉ちゃんが居るが、女の子になることを拒否。
家を出てしまった。
ジュンの家は何百年も続く中島財閥の御曹司で、跡取りが必要だ。
「俺まで【十五の春】に飲み込まれるわけに、いかない」
十五才から一気に進む性意識の植え付けは強烈で、そこで一度人生が終わるような感覚になる人も多く、その失速感は【十五の春】として有名だ。
ジュンのお姉ちゃん、中島ケントも、飲み込まれた事になる。
「すべて運命だ。逃げても変わらないのに、あいつはアホだ」
ジュンが吐き捨てる。
「……ま、結果はもうすぐ出るだろ。ほい、ジュン!」
俺は球をジュンに投げた。
「おっと!」
ジュンはなんとか球を受け取った。
「私にパス!」
ユウがピョンピョン跳ねる。
俺もユウもジュンとは長い友達だ。
落ち込んだ顔なんて、みたくない。
ケント姉さんが居なくなって、ジュンが落ち込んでいるのを、俺もユウも知っている。
「よし、行くぞ」
ジュンが球を握って、ユウに向かって投げた。
「ぎゃああああ!」
その球はユウの脳天に当った。
スコーンと軽い音を立てて、球は遠くに飛んでいく。
「おかしいな」
ジュンは右手をヒラヒラと動かした。
「もう、わざとでしょ!」
ユウは球を拾って、ジュンに投げつけた。
「今のナックル?」
「ナックルなんて子どもみたい!」
「俺たち子どもだろ?」
ジュンは軽く笑った。
その表情がいつも通りで、俺は安心した。
俺たちは夕暮れまでキャッチーボールして遊んだ。
陽が落ちてきて、自転車に乗り、帰ることにした。
俺とユウは同じ団地、ジュンはその先にある巨大な屋敷だ。
「アラタも、男だといいね」
キイ……と軽い音をたてて、ユウは自転車を漕いだ。
「妊娠と出産が怖いから、本当に男がいい」
「なんか気持ち良いらしいよ?」
「信じられない」
俺たちは風が吹き抜ける河原を自転車で走る。
宇宙人との交配が進んだのには、理由がある。
性別が決まった三年後あたりに、俺たちには【発情期】がくる。
それは抗うことができない強烈なものらしく、ほとんどの人間がそこで結婚、出産をする。
すべての大学に託児所があり、女の子になった子は、ほんとどが年子で出産する。
その結果、この惑星の出生率は恐ろしく上昇した。
若い時の卵子と精子を使うので、遺伝子疾患も減った。
晩婚化が進んでいた我が星に、無性別とこの体のシステムが合っていた。
……まあ、教科書の受け売りだが。
女の子に決定したら数年後に出産が待っているのは間違いない。
「ケツからスイカの傷みなんだろ? 怖すぎだよ」
「最近スイカ食べてないな。華多に頼もう」
ジュンが飄々と言う。
華多さんとは、中島家に長く使える執事さんだ。
「ケツから出てきたスイカのネタから、食べたい……になるジュンが信じられないな」
「食べられないと思うと、食べたくなるな」
「贅沢病って言うんだぜ、それ」
「中島財閥なめるな」
「よ! お金持ち!」
いつも通りユウがつっこむ。
「じゃあ、またな」
ジュンが屋敷に向かう一本道を走っていく。
もう夕方が始まってる空に、ジュンの屋敷のシルエットが見える。
ジュンの家は何百年も続く家で、初代の趣味でお城のような時計台が作られた。
古城の一部のような時計台はこの町のシンボルにもなっている。
モデルはビックベン。
高さも真似て八十メートルもある。
でかすぎて、隣の県からも余裕で見られる。
観光客もくるのだが、もちろん中島財閥の私物なので、誰も入れない。
ビックベン風に、俺たちはあの時計台をビックジュンと呼んでいる。
遠ざかるジュンの向こうに、ビックジュンが重い音を響かせて五時を知らせる。
俺は昔からこの音が好きだった。
鐘が大きいから、一度なった鐘はいつまでも余韻を残す。
それは空気にのって、季節に乗って。
こんな冬の日は長く響いているように感じる。
俺とユウも自転車を動かし始めた。
俺たちが住んでいる団地は、川が見えるすぐそこにある。
「明日、最後の祈願いってくる」
ユウが速度が落ちた自転車に体重をかけるために、ぐっと立ちこぎする。
短いスカートがフワリと舞う。
俺たちは無性別だが、もちろん性格がある。
産まれてから【なんとなく男】、【なんとなく女】があるわけで、ユウは間違いなく女側だった。
だから短いスカートを履いている。
その中にあるのは、俺と同じ肉体で、胸も無いし、下半身に生殖器もないのだが、スカートが短いだけでドキドキしてしまう。
「また怪しい所かよ」
俺は目を反らしながら言う。
無性別時代になってから、女になるための祈願や、男になるためのお守り、女になるためのホルモン剤など、色々な物が出てきた。
しかしどれも効果を確定するものではなく、俺から見ると、ただの詐欺だけど。
「絶対女の子がいいの」
信号が赤になり、ユウがキュッと自転車を止めた。
真っ黒な髪の毛が揺れて、俺を見る。
その瞳が夕方を捕えて美しく、俺は見とれる。
「だから、明日帰ってきたら、ちょっと会える? お願いがあるんだ」
「……あ、ああ、了解」
「良かった。じゃあ、明日ね! 連絡するから!」
ユウは耳をツンツンと指さした。
俺たちの耳には産まれた時から、情報端末が埋め込まれていて、それで連絡が取れる。
「おう」
俺も耳をツンツンとして返した。
吹き抜ける風は冷たいのに、触れた耳は燃えるように熱い。