1-3 旅立ち
「くっ……!」
深い森の中。
一人の騎士が傷だらけで立っていた。
その華奢な体から、彼女が騎士だということは全く想像できなかったが、来ている甲冑や剣が騎士だということを表している。
しかし、その騎士は傷だらけである。
剣を構えながら、周囲をうかがっていた。
辺りには、彼女の仲間らしき騎士が横たわっている。
首から上がない者、甲冑を貫かれて地面を赤く染めている者、喉元をかみ砕かれている者。
全てがもうすでに死んでいることは明白だった。
他の騎士がそんな状態であるにもかかわらず、彼女がまだ生きていることが驚きだったが、それも時間の問題だろう。
草をかき分ける音が、恐怖をさらに加速させる。
彼女は気丈にふるまってはいたが、もうすでに戦えるほどの余力は残っていないようだ。
「……!!」
赤い血が土を赤く染め上げた。
――― ―――
体もだいぶ動くようになったな……。
もう少し長引きそうな傷だったけど、もうすでに傷跡はなくなっている。
筋肉痛も全くない。
レーヴァティンが影響しているのだろうか。
『魔剣の魔力は、確かに主に影響するだろうな。もっとも、ここまで離れていては効果があるとは思えないが』
頭に響く彼の声。
今は立ち入り禁止区域にいるのだろうか。
『そこにいる。さっさと取りに来い』
……持っていくの、やめようかな……。
そう思うが、彼がいないと僕はまともに戦えない。
でも、立ち入り禁止区域に勝手に入っていいのかな……。
そんなことを考えていると、保険医が来た。
「今って大丈夫?」
「え、あ、はい」
突然のことに口どもってしまう。
「それじゃあついてきて」
保険医はドアを開けて待っている。
僕は急いで準備すると、保健室を後にする。
「それで、どこに行くんですか?」
歩き始めてすぐに、僕はそうたずねた。
「立ち入り禁止区域」
保険医は簡潔に答える。
その顔はすこし複雑な表情をしていた。
「レーヴァティンを取りに行くんですね……」
「そう。本当は持ってこようかと思ったんだけどね」
「何かあったんですか?」
「封印の鎖をしてしまったからね……」
封印の鎖。
そういえば、あの時も鎖が繋がっていた。
「外せないんですか? カインは普通に外していましたけど……」
「なら、カイン君は君と同じで”魔剣を扱える者”だったってことか」
その言葉でなんとなく理解した。
あの鎖がついていると、持ってこられない理由。
もしも、カインがそうでなかったら……この事件は起きていなかったのかもしれない。
――― ―――
天井に大きな穴が開いた部屋。
空気は静まり返り、重々しい雰囲気だけが蔓延していた。
太陽の光が、ちょうど穴が開いた位置から光が差し込み、レーヴァティンを照らす。
光を浴びたレーヴァティンは、魔剣とは思えないほど輝いていた。
「鎖……これか」
ぐるぐると巻かれている鎖をほどく。
ほどき終わると、僕はレーヴァティンをつかんだ。
「よろしく、レーヴァティン」
剣に向かってそう声をかけてみるが、返答はない。
僕は事前にもらっていた鞘に、レーヴァティンを収める。
うん、ぴったりだ。
腰に結び付けると、なんだか不思議と力強い感じがする。
これもレーヴァティンの魔力の影響なのだろうか。
と、そんなことを考えていたが、あまり長くはここに入れない。
僕は半ば急ぎ足で、その部屋を後にする。
部屋の前には保険医が待ってくれていた。
「無事に持ってこられたようだね」
「はい」
保険医の言葉に短く返答する。
そして、保険医の後に続いて歩き出した。
刻一刻と旅立ちのときは近づいてくる。
……うう、緊張してきた。
こんな僕が無事に旅をすることができるのだろうか。
「なんだか、難しそうな顔をしているね」
顔に出ていたのだろうか、保険医はすこし笑みを浮かべて言った。
「心配しなくても大丈夫だよ。君の旅は一人旅じゃなくて、騎士がついてくれることになっているから」
「騎士が?」
一体、どういうことなのだろうか。
「一応、それは魔剣だからね……」
『つまりは監視ということだ』
魔剣を持ったまま逃げられるのは困る……ということか。
ほかにも魔剣の主や魔剣に異常があったときにはすぐに対応できるようにという狙いもあるのだろう。
信用されていないんだな……。
『信用しろというほうが難しいだろう。なにせ、前科があるからな』
「……」
それ以上言い返せないのがもどかしい。
確かに僕とカインが立ち入り禁止区域に入らなければ、こんなことにはなっていない。
監視をつけられても、文句が言える立場ではなかった。
「その騎士とはどこで落ち合うんですか?」
「一応、学園とは聞いているけど……」
「……?」
保険医は何かを確かめるように、辺りを見回す。
立ち入り禁止区域から少し歩いた場所にある広場には、誰もいない。
保険医の様子を見てみると、ここが待ち合わせ場所みたいだけど……。
『……! 魔物の気配がする……!!』
「なんだって!?」
レーヴァティンの言葉に、思わず叫んでしまう。
その僕の声にびっくりした保険医が、こちらに振り向いた。
「どうしたんだい?」
「レーヴァティンが、魔物の気配がするって言ってるんです!」
「まさか、そんな。騎士がやられるわけないよ」
『ちっ! 変われ!!』
「えっ、ちょ―――!」
――― ―――
「普通なら騎士ならこの程度の魔物は倒せるだろう! だが、今はダーインスレイブの魔力の影響を受けているんだ!! そこらの騎士ごときがかなう相手じゃない!!」
「君は、レーヴァティンの方か」
「話している時間が惜しい! 俺はさっさと行くぞ!!」
保険医が呼び止めようとしていたが、この際無視する。
感じた魔物の気配は微々たる物だったが、普通の騎士がかなう相手ではない。
離れていることを考慮すると、微々たる物でも感じられただけその大きさは伺える。
(さしずめウルフ……いや、ウェアウルフか?)
人型の狼―――ウェアウルフ。
森によくいる魔物で、凶暴な性格をしているが、常時であれば騎士たちで十分に討伐できる魔物だ。
かすかに感じる血の臭い。
それは、人間特有の血の臭いだった。
くそっ! 奴らをここで失うわけにはいかんのだ!!
鍛えられていない主の体がもどかしい。
このもやしが!!
『もやしじゃない! アストラル!!』
(うるさい! 黙っていろ!!)
この主は本当にうるさい。
きっと、これから先はもっとうるさくなるに違いない。
――― ―――
「見えたっ!!」
少し先、一人の騎士が立っている。
その周りには、仲間だろう、複数の騎士が地面を赤く染めていた。
『な……これは……! ど、どうして人が……!』
(ええい、喚くな! 少しの間、黙っていろ!!)
俺は自身でもある剣を抜く。
すこしずつ、その騎士に向かって近づいていく。
いきなり近づけば、ウェアウルフに狙われる可能性がある。
隠れているウェアウルフをおびき出すためには、少しの間、あの騎士には囮になってもらう。
そして、間合いに入ったころ。
さすがに草をかき分けて歩いていたからだろう、きょろきょろと辺りを警戒し始めた。
幸い、こちらの姿は見られていないようだ。
その少しあと。
「……!」
鋭い爪を持ったウェアウルフが草むらから飛び出してきた。
そして、あの騎士めがけてとびかかっていく。
「させるものか!」
俺は、草むらから飛び出し、ウェアウルフの首をはねた。
横合いの攻撃にウェアウルフは反応していたが、少し遅かった。
勢いを失った体は地面に落ち、断面からは血が流れる。
そして、周りの気配を探る。
どうやら、あのウェアウルフ1匹だけのようだ。
「無事か?」
「ああ……」
俺は剣を収めると、騎士の方へと向く。
「……! 女だと……!?」
全く気付かなかった。
そもそも、女の騎士がいることすら想像できなかった。
『最近は割といると思うけど……』
主の声が聞こえる。
だが、そんなことはどうでもいい。
「魔剣の警護に来た騎士だな?」
「ああ、そうだ。これから学園に向かうところだったんだが……あいにくこの様だ」
「仕方があるまい。今の魔物はダーインスレイブの影響を受けている。生き残っただけでも誇るといい」
「そういうお前は?」
「俺か?」
(そろそろ面倒だ、変われ)
『ちょっ! 君はいつもいきなりすぎ!!』
――― ―――
「僕はアストラルです。えっと、魔剣・レーヴァティンの主……っていうことらしいです」
「君が? ということはさっきのがレーヴァティンというわけか」
「!?」
何故そのことを知っているのだろうか。
そんな驚いた僕の顔を見て、騎士はゆっくりと話し出した。
「ああ、大体の説明は聞いている。魔剣は主に憑依することができるらしいと」
「それで……」
魔剣の監視というだけあって事前に説明は聞いているのだろう。
だいぶ落ち着いてきたら、今自分がいる場所を理解する。
僕はいま死体に囲まれている。
「……っ!」
そんな騎士たちが僕の周りにはたくさん倒れている。
失礼だとは思うけど、到底、見られたものでもない死体もある。
吐き気をこらえることなんてできやしなかった。
「ここは君にとっては厳しい場所だな……。学園まで戻ろう」
「すみません」
助けに来て、介抱されて学園に戻るというのもおかしな話だけど、自分で歩けるとは思えず、おとなしくその騎士の肩を借りる。
去り際、騎士は後ろ少し振り向き、すこし悲しい顔をした。
――― ―――
学園に戻ると、すぐに僕とあの騎士、そして何名かの大人を連れてあの場所に戻った。
僕といっても、レーヴァティンだが。
魔物が出たときの護衛と、魔物を感知する役割を担っているらしい。
なんだか嫌そうな顔をしていたが、すぐに交代してくれた。
一人ずつ遺体が運ばれていく。
学生に見られないように、布がかぶされているが、その布も赤く染まった部分がある。
初めて、人が死んでいる姿を見た。
とても怖くて、とても……残酷だった。
決心が鈍っていく。
もしも見つけられなかったら……僕はカインに同じことをしなければならない。
……できないよ、やっぱり。
殺したくない。
殺さなくてもすむ方法を探さなくてならない。
『終わったぞ』
その声で我に返る。
どうやら深く考えすぎていたみたいだ。
遺体の搬送は終わり、全てが学園に運ばれていた。
学園のどこに運ばれたんだろう……?
そんな疑問が浮かんだ。
『生徒たちが全く入らない格好の場所があるだろう。そこに運んだんだ』
確かにあそこなら、生徒たちは入らない。
遺体が生徒たちの目に留まることは避けられる。
「わかった。もどろう」
そういうと、僕は意識を集中させる。
すぅっと体の感覚が戻ってくる。
そして、次の瞬間には体を自由に動かせるようになっていた。
「ありがとう、君がいなかったら安心して作業できなかっただろう」
騎士はお礼を言うと、一足先に学園へと戻っていく。
遺体を回収できないと思っていたのか、その顔はすこしうれしそうにも見えた。
(それにしても、人助けをするとはおもわなかったな)
魔剣というイメージはどうしてもそういうのとは結び付かない。
だからこそ、レーヴァティンがこうして騎士を助けに行ったのは意外だった。
『勘違いをするな。俺が奴らを助けたのは、今後の旅を楽にするためだ。それに、この場所で部隊が全滅となれば、騎士を全滅させて逃げた極悪人の汚名をかぶせられる。今後の旅は余計に不利になるだろうからな』
あくまでも淡々と、事実のみを話すその口調は、それが本心だということを物語っていた。
『そうでなければ、わざわざ助けにいく道理もない』
「なっ……!? なんてことを言うんだ!!」
さすがの僕も叫ばずにはいられなかった。
目の前で何人も死んでいるというのに。
『見捨てることを覚えろ。でなければ、善意で押しつぶされるぞ』
「君に言われる筋合いはない! 魔剣のくせに!!」
苛立ちを隠せず、大声でレーヴァティンに向かって叫ぶ。
『ならば、貴様はすべての人間を救えるのか?』
「……っ!」
『できないことを喚くな。いい加減にしろ』
「くっ……!」
レーヴァティンの静かな怒りに、何も言い返せなくなる。
見捨てることなんて、僕にはできない……!
僕はレーヴァティンを鞘に納めると、学園に向かって歩き出す。
まだ太陽は輝いているのに、気分は晴れ晴れとしなかった。
――― ―――
翌朝。
学園で一夜明かした後、僕は立ち入り禁止区域に向かっていた。
せめて、騎士たちに花を手向けたいと思ったからだ。
立ち入り禁止区域には監視も立っておらず、そのまま入ることができた。
内緒で入るのは二回目だが、今回は大目に見てくれるだろう。
扉を開けて、部屋に入る。
太陽が差し込む部屋の隅に、彼らは眠っていた。
すでに誰かが供えたのだろう、花が一つ置いてある。
聞いたところによると、生き残った騎士以外は男で、騎士としては若い方だったらしい。
持ってきた花を置く。
本来であれば、彼らと共に旅をするはずだった。
「いってきます」
僕はそういうと、その部屋を後にする。
部屋を出てすぐの場所に、あの騎士は立っていた。
「花を供えてくれたのだな。ありがとう」
「いえ、これくらいは……」
どうして花を供えたのを知っているのか不思議だったが、待っていたところを見ると、花を持って歩く姿を見られたのかもしれない。
「でも、どうして僕を?」
「まだ名乗っていなかったからな。せめてと思って」
そういえばそうだった。
あの時は僕の名前を名乗っただけで、彼女は名乗っていない。
ごたごたしていたため、そんなことも忘れていた。
「私はセレナという。以後、君と共に旅をすることになっている。よろしく頼む」
セレナはゆっくりと右手を差し出す。
僕はその手をしっかりとつかむ。
彼女の手は騎士とは思えないほど、華奢だった。
「よろしくお願いします!」
空は晴天。
雲一つない青空は、どこまでも澄んでいるように見えた。
旅立ちにはふさわしい空だともいえる。
だが、この旅はそんなに生易しいものじゃない。
それでも、僕は旅に出る。
カインを救うために。