飛び級の少女
「大丈夫ですか?」
琥珀色した光が差し込む夕方の教室。押しつけられた掃除が終わり一人途方に暮れていた俺に、鈴の音のように綺麗な声が聞こえてきた。ティナだ。
栗色の髪のツインテール。やや大きめな赤いリボンで結び目は縛られて、今はそれらが夕陽を浴びて輝いている。ようやく中学生になる年のティナにはどこかまだ似合わない高等部の制服が目の前で揺れた。
「んー、そこそこ」
本来ならば、まだ同い年の子とわいわい騒いでいる時期である。けれど、彼女はそんな日常を捨ててここにいる。尤も、日々わいわいと騒いでいるには変わりないのだけれど。それでも、今のようにこうして気を使うことは多いのだろう。あうあうと言っていつもおろおろしているのも、自分が何かを言って良いのか迷っているからなんじゃないかな、と俺は思っている。
「簡単な治癒の魔法ならできますけど」
そう言って、ティナは一枚の紙を取り出した。好意は素直にありがたかったが、別にそこまでのことではなかったので、大丈夫、と断った。
「プラハさんは強いですもんね」
少しだけしゅんとして、彼女は笑顔を取り繕う。やっぱり受け取っておけば良かったかな、と思わずにはいられなかった。
ティナは良くも悪くも純粋なのだ。
きっと今も自分のことを気遣ってのことだったのかもしれない。少しだけ居心地が悪くなって、俺は立ち上がる。すぐに、彼女の頭部が下に見えた。
「ティナは今から帰り?」
「はい。ちょっと図書室に用事があったので」
図書室に行っていた、ということはまた魔法の解析をしていたのだろう。もしかしたらさっき俺に使ってくれようとした魔法陣は覚えたてだったのかもしれない。
「そっか。帰る?」
「はい」
首をコクコクと縦に動かして、やはりその後は笑顔を作るのだった。
たまに思う時がある。彼女は今の日常で満足しているのか、と。確かにティナは天才だ。どんな魔法も、大抵は読み解いてしまい、解析、組立を経て魔法陣にしてしまう。ティナ固有の魔法はまだ無いけれど、こと魔法陣作成に関しては、魔法専門学校ですら右に並ぶ者はいないと言われている。俺達がよくお世話になっている転移の魔法陣も、学者クラスでなければ、とても扱うことが出来ない代物だ。そんなレベルだからこそ、飛び級は実現したし、今ではたまに魔法専門学校の教授の研究に付き合ったりもしているらしい。けれど、それが彼女にとって本当に楽しい道なのか、という疑問は消えたことがない。
そもそも、なぜ俺達なんかとつるんでいるんだろう、という疑問も浮かんでくる。4人とも幼馴染だったから、と言われればそれまでなのだけれど。
そういえば、なんだかんだで俺はティナのこと殆ど知らないな、なんてことに今更ながら気付くのだった。
校舎裏にある丘は、この街を一望できる。正確には、見えた気になれる。それでも、その場所からの景色はとても気持ちが良いもので、これが物語の世界なら、告白したらそれが叶う伝説のある木だとかがきっと配置されていることだろう。残念ながら、いかつい機械人の遺物しか存在しないのだけれど。それも、ソフィア辺りが延々と語りを始めてしまいそうな、大戦時の戦闘兵機のモニュメントというチョイス。先人達は、なぜこの場所にこれを設置したのだろうか。いまだに謎である。
「綺麗ですね」
通り抜ける風を受けながら、ティナは目を瞑って深呼吸をしていた。靡く髪やリボン、そして制服の飾りが、どこか物語のヒロインのようで、思わず俺は目を擦ってしまった。少女が女性に見えた。失礼かもしれないが、そう見えてしまったのだ。
まぁ、実際のところ3つしか違わないんだし。
そう思って、俺も同じようにして風を受けてみた。
確かに心地良い。目を閉じていればこの風を感じ、開けば住みなれた街を一望できる。流石にこの季節では寒いけれど、そんな思いをしながらも感じ取る価値は十分にある。
わりと足を運んでいる場所なのだが、今日は一際特別な場所のように思えた。
「プラハさんは、この場所は好きですか?」
「それなりに、かな。ちょっと後ろの物体が気になるけど」
「それは分かる気がします」
うっかり思い出してしまうと背中に何とも言えない重圧がのしかかって来る。例えそれがモニュメントであろうとも、苔が生えて蔦が絡んでいようとも、青っぽい色に変色していようとも、戦争で動いていた兵器に変わりはない。落ち着かなくなるのは当然だろう。
「私は、この場所が好きなんです。というか、やる気をくれる場所なんです」
「やる気?」
「はい」
そう言って、ティナは大きく両手を広げて一歩前に出た。それはまるで、今からこの大空に羽ばたこうとしている、一羽の鳥のようにも見えた。
「何もかも全部、小さくなって、私を一つの色に受け入れてくれるんです」
俺は空を見上げた。何もかもがオレンジ色に染まった風景がそこにあった。ぼんやりとそれを見ているうちに、段々と俺がその中に吸い込まれていくような感じになって、ゆっくりと自分の中の何もかもがオレンジ色に染まって行くように感じた。さっきまであった疑問も、何もかも。
――あぁ、そうか。
「見て下さい。綺麗ですよね、この街」
目の前に広がる風景に、俺は飲み込まれたんだと思う。日常と日常の隙間。止まったように、切り出されたように、停滞する時間。
この街は確かに綺麗だった。その風景に自分も入っていたのかと思うと、なぜか心が躍った。
「プラハさん。私は今、楽しいですよ、毎日が」
夢を追いかけている少女が目の前に映った。
自分も付いて行くのだと泣いていた少女が思い出された。
――区切るからいけないんだ。
街は今、ラミア・パトレの祝祭を前にして賑わっている。誰もが活気づいて一日を動かしている。
なんだか、力をもらえた気分だった。
ティナもまたこうして力をもらっているのだと思う。自分の夢のために。
俺なんかよりティナはずっと大人だった。
自分の2つも3つも先を考えているのかなと思うと、少しだけ悔しさににた感情が浮き上がった。




