水神機2
転移したその先はあの丘だった。確かに見える風景に偽りはないし、丘特有の風も吹いている。だが、その場所にあのモニュメントは無かった。
「はぁっ、はぁっ。くっ、あの人数でこの距離はかなり食いますね」
傍らでは荒い息をしたロカルノさんが額の汗を拭う仕草をしている。まるで長距離走を終えたばかりの選手のような表情。雨ではなく、浮かぶそれは玉のような汗であることがよく分かる。
「すまんかった。じゃが本当に助かった」
「いえ……皆が無事ですから」
それだけ言ってロカルノさんは座り込んだ。その息はまだ乱れたままで、白の吐息と浮かぶ湯気が止まることは無かった。
「長老。できればご説明願いたいのですが」
「ああ。どのみち君達には伝えなければならないと思っていたからの」
ソフィアと長老が向き合っていて、まるで今から果し合いでもするのではないか、というような空気が辺りを包み込んでいる。相変わらずの雨に過ぎ行く風。遠くに聞こえる機械の音。
俺の頭の中で、先程の長老の言葉がよみがえる。結論から言おう。機械人アリステラはあれに乗っておる。俺達の推測が現実のものへと昇華する。
長老は事の次第をぽつりぽつりと呟き始めた。それは昔語りをするような老人そのもののようにも見えた。
アリスが行方不明になったのは、俺に会いに来た日の夜だということ。奴隷の首輪が光っているのを警備員の一人が見ていたらしく、何らかの形で命令強制が発動したということ。その警備員は翌朝気絶した状態で発見されたらしいということ。
あの戦闘兵器は絶対兵器だということ。それに乗り込んでいるのがアリスであるということ。そしてさっきの攻撃で、その兵器が水神機であることが判明したこと。
そんな話をしてくれた。水神機と聞いた俺は硬直する。いや、それは皆も同じで、全員が固まってしまっている。なぜなら、その絶対兵器の話は、前にソフィアから聞いてしまっていたからだ。
水神機。絶対兵器の一つで大戦末期の機体。戦闘では使用されることなく終戦時にこの国へ友好の証として贈られる。しかし、当時の政府は兵器の存在そのものを恐れ廃棄命令を通告。機械人側も合意の上、その廃棄は行われた。
水神機はD-17をベースに作成され、装備は同じ。だが、使用する弾丸がそれとは異なり、機体が自己生産するエネルギーが採用されている。またD-17同じくオートパイロットであり、始動時に入力した命令を遂行し続ける戦闘兵器である。
水神機の動力はその名の通り水。頭部、腹部、脚部のそれぞれにタンクがあり、それら全てがバッテリーの代わりとなっている。ボディの至る所に極小の穴があり、そこから水を取りこんで活動する。背中の部分には雨雲を生産する機械が取り付けられており、これが正常に作動すれば、ほぼ永久的に活動することが可能な戦闘兵器である。なお、この雨雲発生装置の作動には人間の精神が動力として必須である。装置の作動中は基本的にバッテリー代わりになった人間は睡眠状態となる。
水神機は雨が降っている限りほぼ全ての攻撃を無効化する防御壁が張られ、全バッテリー部分の凍結、もしくは乗り込んだ機械人の死亡以外に停止させる方法は無い。
言ってしまうのならば、水神機を止めることができる威力の凍結魔法は存在しても使い手がいない。しかも、存在は確認されているが、その魔法理論は未だに謎であり、仮に完成したとしてもそのランクは最高であり、今の魔法人ではとても使いこなせることはできない。
「あの破棄はフェイクだったんじゃ。この丘にモニュメントとして偽装させ、違う機体を破壊した。前々国王の欲がそうさせてしまったんじゃ」
そう呟く長老の声色は、絶望の色に染められていた。遠くで聞こえる機械音。あそこにはアリスがいる。けれど、あそこには絶望しか待っていない。
雨は絶えず降り注ぐ。それはまるで絶望が降り注ぎ続けるかのように。しとしとと、絶え間なく、空間を埋め尽くして行く。
少し前にロカルノさんがシェルターに入れられた。長老達の切り札である獄炎の矢は三人いなければ放てないものだが、それが通用しない今となっては、失礼な言い方になるが疲れ切ったロカルノさんはもう足手まといにしかならないからである。もう一人もロカルノさんとともにシェルターへと入って行った。彼は炎系の攻撃魔法しか使えないからである。
そして今、俺達がシェルターに入る番が回ってきた。丘近くのシェルターは二人を入れると、既に避難していた人たちと合わせて限界人数に達してしまっていたため、俺達はその先にある小さなシェルターへと向かっていたのだ。
「またも我々の力不足じゃ。不甲斐ない」
そう言ってシェルターのハッチを閉めてくれた長老は一人外に残った。俺達は皆が確信していた。長老は死ぬ気なのだ、と。だが、そうまでしてもあの水神機が止まるとはとても思えない。仮に止まったとしても、それはアリスの死を意味しているケースもある。
意気消沈。今はまさにそんな感じだった。
「暗いね」
薄暗いシェルター内にぽつりとモニカの声が落ちる。この場所は埃っぽくてカビ臭い。またあの場所に戻って来てしまったかのように思えてしまう。
俺達の勇気は全てあの戦闘で持ってかれてしまっていた。
アリスを助けるんだ。そんな気持ちだけではどうにもならない現実が、俺達の動きを束縛している。歯がゆい。何度も感じたもどかしさ。けれど、どうすることもできない現状に俺達は絶望する。
祈るしかないのか。ソフィアの悲しげな呟き。ティナはもう蹲ってしまっていて動かない。心というものが形を持って実在するのであれば、今頃俺の、いや俺達のそれはナイフでズタズタにされていることだろう。痛い。痛くて冷たい。そして、隙間だらけなのだ。
堕ち行く感覚というのはこういうことを言うのかもしれない。なんてことを思う。アリスに出会っていなければ。そんなことまで考え始めてしまっている脳が憎い。
けれど、どうしようもない現実が目の前にあるのだ。努力だとか気合いだとかでは越えることのできない巨大な壁が立ちはだかってしまっているのだ。
――ヒーローになりたい。彼女の想いを守って行きたい。
それは誓いではなく、俺の願いなんだということを嫌という程思い知らされた。両手は自然とポケットに入り、そしてきつく拳が握られている。左側に感じる紙の感覚が今はとても邪魔なもののように思えた。
「ねぇ、プラハの魔法でさ、凍らせちゃえないのかな。ほら無機物なら中の水分も」
モニカが言った。小さな声だったけれど、それは狭いシェルター内を何回も跳ね返っていつもよりも大きく聞こえた。
「出来たら良いんだけどな。でも俺の魔法は、ほら……」
そう、俺の魔法は凍結させることもできるが、あくまでもそれは魔法力で作られた物質に入れられた水だけなのである。確かに無機物内の水分にも作用するが、その条件を満たしていなければ意味がない。
「そうだったね」
彼女はしょんぼりとして頷いた。
「そういうモニカこそ、水神機を囲えちゃうくらいのでかい入物作れないのかよ?」
「無理。私の魔法力じゃせいぜいあの時の槍が限界よ」
「だよな」
そうしてまた沈黙が訪れる。四人しかいないシェルター内はとても狭い。本当は三人用のシェルターなんだそうだ。って、こんなことを考えているようじゃ、もう……。諦めたに等しいよな、なんてことは怖くて思えなかった。けれど、思考の片隅にはそれがちらついていた気がして、俺は少しの吐き気を覚えた。
「む、ちょっと待て」
そんな中、口を開いたのはソフィアだった。
「姫のその魔法は他人の魔法力も使えるのか?」
「あれ、あんた知らなかったの? 使えるわよ。でも、私は他人から魔法力を吸い出す方法も知らないし、与えられる方法も知らないの」
「なら無機物に溜まった魔法力はどうだ?」
「無機物? ああ、あの火球の杖みたいなやつのことね。それなら大丈夫だけど」
そもそも無機物に魔法力を込める魔法は古代魔法でしょ、と投げ捨てた。そう、無機物に魔法力があるというのは神木のような存在以外ではそういったケースしかないが、現代ではもう前者のものしか残っていないのだ。
「そうか。それを聞いて安心した」
だが、そんなことを言われたソフィアはいきなり生き生きとした顔をして立ちあがったのだ。
「僕のこれを使えばなんとかなるだろう、姫」
そう言って放り投げたのは、いつも奴が語りかけている人形だった。
「おまっ、それはただの人形じゃねぇか」
「そうだよ。ただの人形さ。でも僕は言ったはずだよ。毎日こいつに魔法力を蓄えているんだって」
そうだ、確かに奴はそう言っていた。だがしかし、その魔法は古代魔法だし、そもそもソフィアの魔法は風の魔法のはずだ。
「ふふふ、プラハ。いつ僕が自分の魔法が風の魔法だと言ったんだい? 僕の魔法はモノに自分の魔法力を込める魔法だよ」
「何言って」
「じゃあ聞こう。どうしてそんな古代魔法の存在を君は知っているんだい?」
「だってそれはおまえが……あ!」
そうだ、確かにその魔法の存在はソフィアから聞いたのだ。
「僕が使う風の魔法は基本魔法の応用さ」
狭いシェルターの中で、気付いたら俺達は全員で立っていた。そこにはもう、さっきまでのような絶望的な空気など存在しない。
「もう一回ヒーローになろうじゃないか」
やる気に満ちた6つの瞳が闇に光る。俺のものを含めて8つ。それはもう、シェルター内が明るくなったと感じてしまうくらいに、爛々と、煌々と、輝いているのだ。
もう一度シェルターを後にする。今度は確かな策を持って。雨降る外は、今は光り輝いて見えたのだった。




