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陽はまた昇る  作者: 月見陽
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警報


 警報が避難勧告へと変わるのにそう時間はかからなかった。流れるアナウンスから建造物の中、というワードだけが抜け、全ての国民にシェルターへの避難を促している。


「おい、この警告って」


 叫ぶと同時に家の中の全ての魔力製品が動きを止めた。強制的にブレーカーを落とされたのだ。製品のクールダウンする音と、薄暗くなった部屋に響く雨の音が混ざり合い、不気味さを醸し出している。

 この警告はこの国で一番の非常事態を示す時に流れるもの。ほぼ全ての魔力供給がストップし、事態が収束するまでシェルターへと避難する。戦時中、戦闘兵器の大群が押し寄せてきた時なんかによく流れていた、と聞いたことはあるが、本物を聞いたのはこれが初めてだった。

 当り前だ。こんな平和になったこの国には、そもそも一昨日の警報ですら異常事態だったのだ。これはもう天変地異が起きたかのようなレベルに等しいだろう。


「逃げて下さいって、やっぱり……」


 あまりの事態に皆固まっていた。一歩も動けずにただ雨の音とその警報を聞いている他無かった。

 昨日の握手。突然の逃亡。ごめんなさいの一言。その人間が望む望まないに関係なく体を動かしてしまう強制命令。ティナとソフィアの推測。記憶喪失のアリス。

 もし、あの推測が正しくて、しかしアリスの持ち主がまだまだ何かを企んでいたのだとしたら。そうしたら、どうする。証拠を消してしまうのではなく、証拠を使い続けるだろう。けれど、証拠の記憶は消えている。だが、逆にその部分がトリガーになっていたら。

 頭が勝手に推理を始める。そのくせ現実はあまり認識されていかない。逃げろ、いや、考えろ。逃げなきゃ、いや推理を続けろ。頭の中はまたどろどろといろんなもので塗り潰されていく。


「お前ら!」


 そんな、動けなくなっていた俺達に飛んできた力強い声が一つ。それがロカルノさんのものだと気付くには少しだけ時間がかかった。


「早く逃げろ! シェルターまで走るんだ!」


 その声は本気そのもので、どこか鬼気迫るものがあった。だが、体が反応してくれない。声はきちんと届いている。嫌という程鼓膜を震わせている。怖いくらいの重みがある。それなのに、俺は金縛りにあったように動けずにいた。それは皆も同じようで、今もなお部屋の中で固まって立っている。

 ガンガンと叩かれる窓。鬼のような形相をしたロカルノさん。そして響く轟音。

 ……轟音?

 腹に響くようなそれは、辺りを震わせると同時に一帯をまばゆい光で包みこんでいた。閉じていても瞼をすり抜けて届いてくる光。そして聴力を奪い去る暴力的な音。

 俺達のいる場所の近くで、今、何かとてつもないことが起きている。それだけは分かった。この前とは比較にならない程の恐怖の波が押し寄せてくる。それはまるで衝撃波のようで、尻もちをつかせるのには十分な威力だった。


「プラハ!」


 絶叫にも近い声が聞こえる。無音に近い世界に確かな重みをもって存在している。誰だ。そうだ、ソフィアだ。前にもこんなことがあったな。

 はっと我に返り辺りを見渡した。薄暗い部屋、テーブル、マグカップ。窓、雨、ロカルノさん。ソフィア、モニカ、ティナ。俺はどうやら座り込んでしまっているようで、今は天井が高く見える。

 って、そうだ、何が起きたんだ。

 俺は慌てて立ちあがった。どうやら、あの轟音がとどめになって、俺は放心させられていたみたいだ。今更ながら、ドクドクと心臓が揺れだしている。呼吸も落ち着かなくて、俺はより空気を求めて喘いでいた。いや、違う。なんか知らないけれど息がしにくいんだ。というか、息ができないのか、これは。って、あれ、呼吸ってどうやってするんだっけ。


「すまん」


 パチンという小気味良い音が聞こえて、直後に頬が熱くなった。じわりと痛みが滲み出てくる。はたかれたのだ、と気付くのには少し時間がかかった。


「ソフィア」


 平手打ちをかましてくれたのは奴だった。けれど、おかげで呼吸は楽になっている。


「目が覚めたか?」


「ああ」


「よし、なら行くぞ」


 見ればモニカとティナはさっきまでの俺と同じように座り込んでしまっていて、薄暗いからきちんとは分からないが、顔面蒼白といった感じに見えた。


「僕はティナを担いで行く。プラハはモニカを」


 分かった、と手身近に頷いて、俺はモニカをおんぶをするように背負う。完全に力が抜けているらしい彼女は身じろぎ一つしなかった。


「二人とも放心してるんだ。とにかく近くのシェルターまで走るぞ」


 俺達は着の身着のままで外へ飛び出す。冷たい雨が容赦なく降り注いでくるが、今はいちいち気にかけている暇はなかった。

 一層うるさく聞こえてくる警報と、少し落ち着いたとはいえ本降りには違いない雨。それはまるでノイズの世界にでも迷い込んだかのよう。凍てつく空気と、背中に感じる温もりのギャップが激しかった。


「こっちだ!」


 ロカルノさんの声が聞こえてくる。それと同時に、何か重く鈍い足音が聞こえてきた。

 急げ、と誰かが叫んだ。その声にびくりと反応して俺は駆けだした。目の前に揺れるティナの背中。時折見えるソフィアの髪。背中に感じる重みは、今は俺に安心感を与えてくれていた。


 シェルターに入るのは避難訓練以来のことだったが、その時入ったところにくらべると、ここは異様な程薄汚い。少し歩けば埃が舞って、常にカビ臭さが付きまとう。保存されている非常用食料や水も、腐ってしまっているんじゃないか、と思える程に、その容器はくたびれきっていた。

 小さな魔力灯のスイッチを入れた指先は灰色になるし、明るくなったらなったでまるで廃屋に迷い込んでしまったかのような感じになる。後ろでソフィアもゴホゴホと咳き込んでいる。流石にこんな場所にモニカ達を寝かせるわけにはいかないと思い、俺達は未だにその二人を背負っていた。っていうか、寝かせてしまったら、雨に打たれて濡れた服はそれこそ濡れ雑巾の如く埃を集めてしまうだろうし、そうなってしまえば寝起きのモニカに狩られることとなるだろう。外以上に危険な状況が出来上がってしまう。


「やはり、こんな町外れのシェルターなんて誰も整備はしていないよな」


 ソフィアが呟いた。魔力灯に照らし出されているその顔は灰色に汚れている。なんとなく間抜けに見えて、心がくすぐられたような気がする。緊張感が和らいでいくのが分かった。

ティナを埃から庇いでもしてついてしまったのだろうか。なんだかんだで、俺もモニカに気を使い至る所が汚れてしまっているのだ。殆ど同じ道を通って来ているソフィアも同様の苦労を味わったのだろう。


「まったく。棚に息を吹きかけたらむせたじゃないか。なんだあの埃は」


 咳き込んだのはそれが原因か。俺はがっくりとして、膝カックンを食らったかのようによろけてしまった。危なくモニカが俺と壁にサンドされそうになる。もしそうなっていたら洒落にならない。俺は安堵の溜息をついていた。しかし、そのせいで舞い上がる埃が無数。俺達に降りかかる。


「っ、げはっ」


「珍妙な咳だな」


「うっせ……げほっ」


 そのまま俺はしばらくむせていた。けれど、不思議なことに、先程まであったはずの緊張感や恐怖感が、まるでその咳と共に出切ってしまったかのように、心は落ち着きを取り戻し始めていた。

 そして、それと同じように起き上がったものが一つ。いや、一人。


「あれ……え? プラハ?」


 背中のモニカがもぞもぞと動き出す。


「な、なんで私負ぶわれてんの?」


 先程の一件など全て忘れてしまったかのようなクリアな声が耳元で響いた。本当にわけがわからない、といった感じで彼女は質問を繰り返す。まるで、朝目を覚ましたらあんたにおんぶされてました、と言わんばかりに。けれど、何回か言葉のキャッチボールをしていくうちに、段々と記憶が鮮明になってきたのか、少しずつ震えだして行くのが分かった。なにせ密着したままなのだ。さっきから、息遣いも行動も心音までも全てが伝わってきてしまっている。

 だから、モニカが降ろして、と言わないままでいるのは至極当然に思えたし、俺は俺でこのぬくもりに安心感を覚えてしまっていた。

 やはり、落ち着いてきたようで、芯の部分はまだ凍りついたままみたいだ。気付いたらつられて震えそうになっている。

 そう、そうだ。これは紛れもない現実で、そしてあの日と殆ど同じ、言ってしまうならば死が付きまとっている状況なのだ。怖くないはずがない。


「ねぇ、プラハ」


「ん?」


「やっぱりこの状況ってアリスが作っちゃったのかな」


 自分でもその質問への答えが怖いのだろう。モニカは俺に強くしがみついた。


「俺は……」


 そうかもしれないと思ってる。そんな言葉は口に出すことは叶わなかった。散々思ってしまっていることなのにも関わらず、いざ言おうとしても声が出なかったのだ。

 だから沈黙してしまう。モニカと二人して口を噤んでしまう。


「私はそう思います」


 そんな空気を破ったのは、いつの間にか目を覚ましていたティナの一言だった。

 まるで膨らんだ風船を瞬時に破裂させる槍のように、その言葉は俺達を貫いて彼方に落ちる。現実逃避をもうしてはいけないんだ。そんな思いが今まで蓋をしておいた部分から湧きあがってくる。

 俺は前を見た。もう既にソフィアから降りて、一人で立っているその少女をきちんと見た。


「なあ、姫、プラハ」


 アリスが強制命令か何かのせいで、より強力な戦闘兵器に乗り込み、この国を襲っている。どうなるか分かっていた彼女は、逃げて下さいと俺に言った。もしかしたら、俺が呼びかけるよりもずっと前に、彼女はあの魔法具でテレパシーを発信し続けていたのかもしれない。だってそうだろう。彼女は魔法人じゃない、機械人なのだから。魔法陣がなければ魔法は使えない。

 膨らんでいく俺の推測。事実になりつつある憶測。


「アリスは友達だよな?」


 俺は皆にそう問いかけた。勿論、と言って頷くモニカ。当り前です、と力強く答えたのはティナ。セリフを取られてしまったな、と言いながら首を縦に振ったソフィア。


「僕達がすべきことは一つだと思う」


 もしもアリスがこの一件に関わっているのなら、全力で彼女を救い出すことだ。そんなソフィアの声は、狭いシェルター内を何回も駆け廻り、まるで生き物であるかのように、いつまでも反響し続けたのだった。



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