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陽はまた昇る  作者: 月見陽
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別れ


 俺の家には今、いつものメンバーが集結している。テーブルを囲うように4人で座り、それぞれの前にはミルクココア。ほんのりと昇る甘い香りと温かさとは裏腹に、冷たい空気が部屋の中に流れている。背中をするりと撫でて行く悪寒。非日常の始まりを告げるかのような嫌なムードが漂っている。

 ロカルノさんから告げられた事実は、皆に伝えた俺ですら信じ難いものだった。しかし、現に事は起きてしまっているのである。受け入れたくない事実もきちんと直視していかなければならない。もう、我儘は言っていられないのだ。


「プラハ。それは本当なんだな」


「ロカルノさんが言うにはね」


「そうか」


 そして落ちる沈黙。誰もが口を噤み、眼前のココアには見向きもしない。マグカップからは寂しそうに湯気がゆらいでいる。


「一応聞くけど、アリスは行ってないよな?」


 俺のその質問に、皆は同時に頷いた。来るどころかあの日から一度も会っていない、とモニカ。ティナやソフィアも同じく会っていないと口を揃えていた。

 今、この国のゲートは使用不可能の状態になっている。言い換えるならば、この国の外へ出るには山を越えて行く以外に方法は無い。昔とは違って山の周辺には公の機関が立ち並んでいるし、とりわけ英雄祭以降は軍隊が待機していて常に目を光らせている。

 ねずみ一匹入ってこられないはずなのだ。逆に言えば、誰にも見つからずにこの国を去ることは不可能なのだ。

 アリスがいなくなった。その事実が嫌でも存在感を増して行く。

 死体は見つかっていない。そう言っていたロカルノさんは真顔だった。つまり、事はもう起きてしまっている可能性もある、ということだ。

 ソフィアとティナの推測も、真実味を増して行く。


「で、でも英雄祭以降は誰も入国できなかったんだよね?」


「そうだな。だが姫、既に入っていたという可能性もある。だからこそ長老はあんな形を取ったわけだしな」


 その一言でモニカは黙ってしまった。それは至極尤もなことなのだが、モニカの気持ちも分からないでもない。俺だって大丈夫だ、と何かに縋って自分に信じ込ませたい。


「連絡さえ取れれば……」


 静まった部屋にティナの声がぽつんと落ちて行った。

 連絡、か。いや、待てよ。もしかしてアリスはあのブレスレットをつけたままなんじゃないのか。


「なあソフィア。お前が作ったあのブレスレット。作用範囲はどの程度だ?」


「あれか? あれならこの国の中ならどこでも大丈夫なはずだ。って、なるほど」


「絶対に着けたままだ、とは言い切れないけどな」


 そうだ、確実ではないにせよ、彼女と連絡を取る方法はあるじゃないか。

 アリスは機械人だけれど、魔法力というのは全ての人間の中に宿っている。そのコントロールを出来るかどうかが本来は問題になるのだが、あのブレスレットには魔法陣が描かれている。だから、身にさえつけていてくれれば連絡が取れる。


「アリス! アリス! 聞こえる?」


 俺は外しっぱなしにしていたブレスレットを再び装着して彼女に呼びかけた。頼む、通じていてくれ。そう願いながら。


「……プラハ君?」


「アリス!?」


 脳内に響く彼女の声。昨日も会ったというのに、それは酷く懐かしいもののように感じた。


「無事なの!?」


 傍らのモニカが飛びつくような勢いで俺に聞いてくる。いや、それは皆も同じで、いつの間にか俺を中心に一つの塊が出来上がってしまっている。テーブルもココアも、もうあって無いようなものになっていた。


「アリス、今どこにいるんだ?」


 払いのけることもできない俺は、そのままの状態で再びテレパシーを送る。とにかく、彼女はまだ生きていて、連絡もこれを使えば多少は取れることが判明した。だから、後はどこにいるかさえ分かれば良いのだ。

 自分の中で少しずつ安堵の思いが広がって行くように感じた。


「プラハ君」


「ん、なに?」


「私達は友達ですか?」


「あ、当り前じゃないか! だから、早く場所を」


「ありがとう。でも、ごめんなさい」


「え、アリス?」


「ごめんなさい」


 そんな一言に混じって届くノイズ音。砂が舞い上がるようなその乾いた音は、うるさいくらいに頭の中で反響して、俺の聴覚を奪って行く。

 彼女は何かを言った気がした。けれど、空耳だったような気もした。

 俺は叫び続ける。その名前を、動けないまま叫び続ける。モニカやソフィアに、何があったと聞かれようとも、肩を掴まれ揺らされようとも、俺は呼びかけを止めることはなかった。

 ごめんなさいってなんだよ。何がごめんなさいなんだよ。

 頭に届いたくせに、耳に残っているノイズ音。そして彼女が紡いだ最後の言葉。

 それは確かにこう言っていた。逃げて下さい。

 それは、ただ一人ブレスレットを身につけている俺から伝える言葉だったのかもしれない。けれど、俺の口は思うようには動いてくれなかった。それどころか、頭の中がぐるぐると回転してしまっていて、もう何も考えることができなかった。


 何かがあった。皆は俺の姿を見てそう悟ったのかもしれない。あの後は、誰も俺に質問をよこすことなく、ただ俺が落ち着くのを待ってくれていた。しっかりしろ、その言葉がまるで漆黒の海にぽつりと光る灯台のように、俺を照らし続けてくれていた。

 真っ暗な世界から帰還して、皆の顔とテーブルをようやく視界に捉える。続いて見えたのがマグカップ。その存在を捉えた俺は、甘い香りを感じ、それが温かなものであることを体感した。

 そこで一息つく。申し訳なさとありがたさを吐き出してしまう。

 完全に落ち着くことはまだ出来ていなかったが、それでも口を動かすことは出来たので、俺はさっきの会話を簡単に纏めて話した。

 アリスは無事だった。でもなぜか謝って来た。それで、逃げて下さいと言った。

 こうして並べてみると、彼女から伝えられた言葉の意味はよく分からない。けれど、あの握手した日のことを思い出すと、どうしてもこれらが、本当のお別れの挨拶のように思えてしまう。

 私達は友達ですよね。そう聞いてきたアリス。彼女は俺の答えに満足をしてしまったのだろうか。


「あ、あのソフィアさん。もしあの推測が正しかったら、これって」


「……そうだな。でも、僕はあまり信じたくはない」


 心臓を鷲掴みにされたかのように心が締め付けられる、なんてセリフをよく聞くけれど、今の俺は全くの逆だった。木槌か何かで、その部分をスカッとすっ飛ばされてしまったかのよう。妙な解放感があって、けれどそこから重たい空気が絶えず入り込んできている。

 痛い、という面では全く同じなのかもしれない。


「か、考えすぎだよ。ほら、英雄祭以降は何も入ってこれなかったんでしょ?」


 モニカはきっと、戦闘兵器のことを言いたいのだろう。仮に推測が真実で、アリスはまた強制命令によって襲撃をさせられようとしていたとしても、乗り込むものがなければ意味がない。

 だが、彼女は確かに言ったのだ。逃げて下さい、と。


「ソフィア、この国に戦闘兵器は残ってないよな」


「そのはずだ。あるのはあの丘のモニュメントくらいなものだろう」


 あの日にこっそりとどこかに運ばれてた、なんてことが無ければな、とソフィアは言った。

 可能性としては無いとは言えない。けれど、あのサイズだ。隠しておくのは不可能に近いだろう。少しだけ、心が晴れて行くのが分かった。逃げて下さいという一言が幾分か軽くなったように感じたのだ。


「ねぇ、あのモニュメントが実は、なんてことはないわよね?」


 それは流石にないだろう。なにせあのモニュメントは蔦やら何やらに覆われかかっていたし、水色に変色までしていた。D-17のモニュメントらしいが、色からして違うではないか。


「ま、仮にそうだとしても動かなそうだよな」


 よくよく考えてみると、あれは常に風雨にも晒され続けていたように思える。機械であるならば、当然錆びが待っていることだろう。そもそも起動するかどうかも疑わしい。

 そう考えてみると、段々と今まで俺を覆っていたもやもやが取れて行くような感じになった。


「そうだな。絶対兵器と呼ばれていた戦闘兵器のモニュメントだったならば可能性はあったが、あれはD-17だ」


 ソフィアも同意する。しかし、その言葉を聞いて、ティナだけは逆に俯いてしまっていた。どうした、と声をかける。心なしか彼女が震えているように見えてしまう。どうしてか、自分までも震えてしまっているような気分になる。


「プラハさん。あのモニュメントって何色でしたっけ?」


「あれか? あれはまず機体の色自体が見え難かったけど、確かに露出していた部分は水色だったはずだよ」


「水色?」


 今度はソフィアも反応する。一体何がどうしたというのだろうか。そんなに水色というのは重要なものなのだろうか。


「ソフィアさん。私達の国は確か」


「ああ、戦後に一機受け取っている。だがあれは破壊されているはずだ」


「でももしそれがフェイクだったなら……」


 ティナが震える声でそう言った時だった。数日前に聞いたあのけたたましいサイレンが鳴り響いたのは。そして、あの日と変わらないアナウンスがスピーカーから流れてくる。


「警報、警報。外出中の方は至急建造物の中、もしくはシェルターの中に避難してください。繰り返します……」


 それは非日常の始まりを告げる合図。一瞬にして俺の心の中を曇天に塗り替えてしまう。

窓を叩いていた雨は強さを増して、一層激しく降ってきた。灰色の空から無数に降り注ぐ銀の矢は、容赦なく地面を貫き続けている。

 警報音に心臓は飛び跳ねた。窓を叩き続ける音があまりにも不気味で、鼓動はどんどん高まっていく。

 あの日に感じた恐怖が全身を駆け巡り、聞こえてもいない銃声が頭の中を飛び交った。


「なあ、アリスの言葉に従うべきなのかな」


 逃げて下さい。それはまるで、この今を表しているかのようで。けれど、もしそれが事実なら、警報を鳴らしている根源は彼女にあるわけで……。

 現実逃避をしてしまっていたのかもしれない。そんな思いが俺の中を通り抜けて行った。


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