貴方は其処に居ますか? 2
旅立一之二『『貴方は其処に居ますか? 2』
地響きが起こり、ひっくり返りそうになるケイは慌てて剣を支柱にした。巻き起こる砂埃に左腕で眼を覆い、吹き飛ばされそうな気圧に身体を支えた。踏ん張っても体重が追いつかないが、剣の重みで耐えられた。徐々に砂塵は晴れていき、ケイはゆっくり腕を下ろす。しかし、できれば下ろしたくなかった。何故なら彼はその姿を見ていたからだ。
大人より五倍も十倍もデカくて重い体躯。蜥蜴や蛇、あるいは鰐に似た恐ろしい生物。鋭い牙と爪を持ち、空を飛ぶ翼を持ち、口からは火炎や毒の息を吐き、中には魔術や言語さえ操るという。凡そ神話や伝説にしか出てこない、幻想中の幻想生物。ファンタジーに古来よりなお現在において最高のフォロワーを生み出しつつも、必ず英雄に倒される運命の元に生まれた絶対強者にして敗北者。古代ギリシア語で「はっきりと視る」から派生したその偉大な生命の名は――
「ド、ド、ド、ドラゴンだとおおおおおおおおおおッ!!?」
そこには物語でしか語られない伝説上の生物がいた。見上げるまでに大きな体躯。敵意を通さない堅い皮膚。何者も裂き砕く恐ろしい爪牙。大地を踏み抜く雄々しい四肢。空を自由に駆る厳つい翼。思わず座り込みたくなる鋭い眼光。死を前にした絶望的な終わりを感じながらも、それ故に畏怖と神聖を抱かずにはいられない、文献上の生物がそこにいた。
(マジであのドラゴンなのか!? ファンタジーの超重鎮! うわースゲースゲー何か知らんが超スゲーッ!! よっしゃキターっていう感じ!? 恐竜みたいで格好良いー!)
などと感激している場合ではない。ケイは飼育員の注意を無視して馬に後ろから近づいた挙句リアルにあばらが何本か飛んだ事を思い出す。コチラが好意的であろうとも、アチラが好意的とは限らない。ましてや本能的な獣に交渉など通じない。それは無垢的な暴力。
「岩蜥蜴、離れてろッ!」
ケイは剣を後ろに下げ、のんびり見上げる岩蜥蜴の前に立った。あまりに急なエンカウント。しかも相手はラスボス級で、逃走は期待薄と来たもんだ。しかし闘うと言っても「Lv.1」の「武器・拾った枝」でドラゴンスレイヤーをやる様なもの。なら第一にすべきなのは、相手が味方か敵なのか、無害か有害かどうか確かめる事である。ゲームであるなら幾らでもチャレンジするが、リアルではそうもいかない。それともアレか、負けイベントという奴なのかそうなのか? 死んだら終わりだと思うんですが。
それは漆黒の龍だった。「龍に九似あり」というが、それは鱗の在るカンガルーにコウモリの羽根を付けた様な姿だった。その形態は東洋ではなく西洋系、つまり蛇ではなく蜥蜴系。全長は50mはあるだろうか、彼の「怪獣王」と同じである。現在は二足で立っており、その高さだけで軽くケイの十倍以上、陸生哺乳類最大生物ゾウさんなど眼ではない。しかしそれは恐怖と動揺で実際以上に大きく見えているだけかもしれない。というのも逆光でその全貌は良く見えなかった。「何か大きなものがいる」というただただ漠然とした威圧がケイの身体を縮込めて、狭苦しくなった身体の中、呼吸は莫迦に五月蠅く聴こえた。
しかし心は落ち着いていた。怖い嫌だ面倒だと言いながら、いざやるとなると不満を言わずビシッと決めて魅せるのが出来る役者である。少なくとも彼はそれを気取ってる。身体は熱く火照りつつも、脳は正常に冷静だった。千早ぶる様に――迸る力を一心に込め、高速回転する独楽の様に。そんな彼はすぐにその龍が右手に持っているものに気付いた。
ゆったりしたローブを着て、髪を長いテールにした、幼い女の子……
「ノアっ!?」
ノアは龍の右手に掴まれていた。どうやら気を失っている様であり、ぐったりと頭を垂れている。その手にあの大きな杖は無く、その姿はまるで悪いドラゴンにさらわれてきたようだった。彼はそれを見て柄を握る手に力を込めた。だがその切っ先は下げたままだ。
「……お前、その子をどうするつもりだ」
しかし内心もう穏やかではいられなかった。視線は龍のソレと相対し、その口調は攻撃性を僅かに含め、警戒心を多分に含めていた。だが飽くまでも表面上は軽やかに、穏やかに、あまりシリアスになりすぎないようそう言った。真面目なほどにエンターテイメントを気取ってみせた。
「ノアの知り合いか? ならありがとう。俺はノアの知り合いだ。安心してくれ。仲良くやろう。だから兎に角、彼女を置いたらどうだ?」
ケイは身振りを交えて優しく穏やかにそう言った。何も言葉が通じるとは思っていない。しかし彼ら人外の心は人のそれ以上に敏感であり、時にコチラが想う所を明確に読み取ることがある。ましてや目の前にいる彼の者は幻想世界の大物だ。時として神と等しく描かれる。ならばコチラが言わんとする事くらい察するのではないかと思ったのだ。
しかし龍はケイを興味無さげに見つめていた。取り付く島もないように。その暗い体躯に穿たれた星のような双眸から読み取れるものは何も無い。そしてその龍はついと眼を流し、ふと、ケイの持っている剣に気が付いた。
星が光った。
『GRAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAH!!!』
ケイは突然の咆哮に眼を見開いた。ケイは蛇に睨まれた蛙のように死さえ予感し、実際に脳はもう死んだと勘違いして、勝手に一足先に考える事を止めてしまうそうだった。
しかしその前に龍が大きく翼をはためかせた。ソレによって濁流のように起こる風がケイを襲い、同時に意識を起こして現実に引き戻す。口や服の中に侵入する砂の中、何とか眼を開けて相手を見た。龍はノアを掴んだまま飛び立とうとしている所だった。
「あっ! クソ、待ちやがれ!」
ケイは思わず岩蜥蜴の尻尾を掴んでいた。そしてそれを持ち上げて、
「う、お、お、お、おおおおおおおおあああッ!!!」
ハンマー投げよろしく気合一発でぶん投げた。いや、岩蜥蜴はそんなに軽い生物ではない。全長は軽く三メートルはありその全身は大岩のように重硬で持ち上げるだけでも一苦労だ。しかしケイは眉間にありったけのシワを寄せ、無表情なままの岩蜥蜴を龍に向かって投げつけた。
投擲された岩蜥蜴は放物線を描き、「Gong!」と龍の頭に激突した。それにより龍はふらつき仰け反ったかダメージはない。かぶりを振って前を見る。そこには跳躍して龍の頭に剣を振りかぶるケイがいた。ケイは龍の頭より高く跳んでいた。ケイとて投擲ほどで倒せるとは思っていない。アレは囮。本命はコッチ。剣で力任せに叩き斬る。
「悪いが斬るぞッ!」
ケイはためらうことなく剣を振った。全力だった。しかし深手にはならないよう、鼻面を浅く斬るつもりだった。だが駄目だった。傷さえつかなかった。剣と龍の鱗は高い金属音を弾かせて、嫌な金属振動をケイの手に浴びせた。
「うへえ……」
ケイはあまりな力量差に辟易した。だがそんな暇なかった。
『WAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAR!!!』
龍が頭を振り上げてケイを空に放った。情けなく宙に浮いて身動きが取れなくなるが、重い剣をし重心にして体勢だけでも立て直す。そしてケイが龍の方向へ眼を向けると、龍の閉じられた口から紅い息吹が漏れ出ていた。
「あ、やば……」
その予感は的中し、龍の口から炎弾が発射された。空中では身動きも取れず、炎弾は違うことなくケイに当たって爆発した。さよなら世界。こんにちはシ。彼は当身も取れずに地面に落ちる。その身は真っ黒焦げに炭化してお手頃価格でバラ売りに、
「あああああ熱い! マジで熱いぜ! リアルだ! クソう熱いなチクショウ!」
とはいかずケイは元気に叫んだ。何と、剣の先がぐにゃりと広がり盾のようになっておりそれが身を守ったのだった。落下の衝撃も下が柔らかい草むらでそれ程ない。しかしのたうつ炎の全てを防ぐとはいかなかったようで、服や髪の端々が焦げていた。
「ていうか俺まだ生きてる? 俺まだこの世界に存在してる? おぉ、生きてるよオイ。生きてるって素晴らすぃ――って、む? うおっ、何か変わっとる」
と、ケイは剣が変わっている事に今更ながら気付いた。どうやらケイの意志でやったわけではないらしい。が、今はソレにとやかく時間を割いている暇はない。ケイは急いで立ち上がり、元の剣に戻った剣を構える。
しかしそのケイを風が叩いた。見ると龍は再度はばたいている。「待てと言うに!」とケイは龍にも負けず風にも負けず龍に向かって全力で走った。そして龍の右手に飛び移り、ノアの服をひっ掴む。
「ヤローテメー行くなら俺も」連れて行けとでも言おうとしたのか、しかしその言葉は風に飛ばされ、羽虫のように振り払われた。「ちっ、くしょ!」
ケイはがむしゃらに右手を伸ばした。だが掴んだのはノアの髪を結んだリボンであり、掴むと同時にするりとほどけ、受け身を取る間もなく地面に投げ出された。しかしすぐさま負けじと両手で飛び上がって起き上がり、再度龍に向かって駆け上がろうとする。
だが既に翼の加速は十分で、風圧に耐えるので精一杯だった。そして龍は重力を感じさせないように一度のはばたきでふわりと上昇し、二度目のはばたきで加速した。空を飛べないケイはそれを見上げる事しか出来なかった。
「で、終わるわけにはいかんのだよなあ……」
ケイは苦笑いして空を見上げた。
まさか本当に龍が来るとは思わなかった。じゃあ何か、この後頼れるパーティ探して旅をして、悪いドラゴンの城にさらわれたお姫様を助けに行くっていう展開か? それも悪くないがいきなりそりゃちとハードモードだ。もっとサクッとしたストーリーが良いな。というかせめて言語を覚えてからでなければ。故に龍が逃げ切ってしまうまでに、姫様は此処でカルッと取り返す。
「全く、ヤレヤレだぜクソッタレー! ならば、やってやりますか」
そう言って絶対に取り返す誓いでも立てるように、ケイはノアの蒼いリボンを左手首に巻き付けた。
(しかし実際どうする。どうやって追いかける。森を追いかけるのは危ないが時間はない。ふおおおお都合良く思い付け圧倒的閃き! 確かノアの家に秘密道具があったよーな!)
ケイは頭の中で今までの出来事をノベルゲームのように反芻する。
――まるで映画の設定資料館をみているようだった。線の大きさや色を好みに変えられる羽ペン、割ると水になる水晶、宙を浮くサーフボード、別のページに内容が同期す
「『宙を浮くサーフボード』!」
選択肢を選び出し、すぐさま行動を実行する。その選択肢があっているかどうか解らない。クイックセーブはここにない。とにかくアクションだ。
ケイは急いでノアの家からボードを取り出して無造作に地面に放り投げた。つもりだったのだがボードは地面に落ちず宙を滑り、重力と空気抵抗を無視したように空の中へと溶けて行った。
「欠陥品じゃねーかっ!」
ケイは蒼い空に向かってツッコんだ。
(じゃなくて使い方が悪いんだ。よく解らんが、反重力というより無重力なのだろう)
逆にアレだけ飛ぶなら上手く使えば空も飛べる。ケイはもう一つボードを持ってきて、今度は慎重に地面に降ろしその上に乗った。その板は沈む事無く浮いた。どうやらケイの重力さえも無重力にするようだった。血流とか内蔵とか大丈夫なんかな是。だがそんな事で悩んでいる暇はない。使える武器なら何でも使うのが戦争だ。何でもさえないなら己の身体単身で戦車の大砲の頭に噛み付くのが大和魂だ。マジで当時はそういう人が居たから怖い。しかし戦争は良いものだ。特に超法規的措置&無法地帯な国家じゃない部隊が良い。能力があれば資格や免許など無くとも超音速戦闘機だって乗れるぜ。さあ、今こそその操縦テクを魅せる時だ。天空の師は菅野デストロイヤーとか零戦虎徹とか大空のサムライとか空の魔王とかまあそんなのだ! だから君は行くんだ微笑んで!
弥終の目覚め静けし暁に 雄心を 東雲に乗せて天海へ送らむ……ッ!
「良し、発進!」しかしボードは動かない。「ていうかこれ動力がねえ!」
ぐだぐだであった。
このボードに出来る事は「浮く」だけだった。と言ってもそのスペックたるや驚くなかれ。このBTTF的ホバーボードであるノアちゃん作「風乗り板」は風の流れを捉え滑空するという代物で空気力学における大気粘度を示すレイノルズ数のうんぬんが流体力学におけるコアンダ効果とどうこうする噺とは一切関係なく、風の魔力的(或いは万力的)なアレを板底に集め空を水上スキーの様に滑る道具で、小柄な大人二人までならまるで凧か風船のように飛べるハイスペック仕様である。その点では揚力というより浮力で飛んでいるに近い。しかも今なら磁石の様に風乗り板と足がくっ付く「ピタッとくっつ靴」のオマケ付き。どうですか奥さん。そのお値段は以下略。
しかし性能がどうであれ進むにも高度を上げるにも必要な推進力は持参だった。詰まる所その機能はパラグライダー。「ガンシップは風を斬り裂くけど、メーヴェは風にのるのだもの」的なアレ。アレはエンジンついてるが。ならば「交響詩篇」的な……ええい、例えなどどうでも宜しい。兎に角このままでは動かない。
「あーもー一人コントやってる場合じゃないんだ。早く行かないと我が麗しの貴婦人が空の彼方の天空の城にぃ~」GRR。「『ぐるる』?」
声の下方向を見ると、風乗り板のお尻をゴツゴツした頭が噛んでいた……例の岩蜥蜴さんである。
「うおおっ! ビックリした、気付かなかった、ビックリって、あ……」
ケイは自分のしたことを思い出した。思わずとは言え彼(彼女?)を龍に向かってジャイアントスイングしてしまったのだ。その頑丈な身体に怪我はなく、特に大事はないようだったが、問題はそこではないだろう。
「あー、そのー……あーはは、悪気はなかったんだ」ケイは愛想よく笑いながら岩蜥蜴に向かってそう言った。「いや、まあ、ノリという奴でして、アレだよアレ、コレステロル・ダメージという奴で、いやっ、ノリとは言え許されない事が在る事は十分承知……」
岩蜥蜴がGRRと唸った。
「なななやるかコノヤロー! だけど今は時間がないからまた後でジマでッ!」
岩蜥蜴が首を振った。
「うわやめてやめて落ちるってこわいこわいこわ……」その時、ふとケイは気付いた。この岩蜥蜴がワケもなく風乗り板に噛みついてるワケではないという事を。「もしかして、手伝ってくれるのか?」
首を縦に振らなかったものの、岩蜥蜴は低く唸った。瞳が「そうだ」と言っていた。
「お前……ふっ、カッコいいじゃないか。なら話は早い。さあ、いまこそ唸れお前のええと頭板状筋!?(※頭板状筋……首の伸展や回転に使う筋肉)」
ケイはしゃがんで風乗り板の頭に左手で掴まり、岩蜥蜴は「やれやれだぜ」という風に唸り首を曲げる。一度、二度とフリをつけ、三度目で勢いよく風乗り板を振り飛ばした。風乗り板は岩蜥蜴の口から離れ、地面の楔から解かれたように空へ飛ぶ。空気抵抗を忘れたように宙を滑る。左手首に巻いたノアのリボンが川の魚のように揺らめく。高い木々を追い越して、ぶわっと視界が一気に広がる。
空が広がる。
「凄い」
と口走った瞬間、しまった、と思った。何故かは解らない。だが言わずにはおれなかった。それは無意識に沸き起こる欲動であり、理性的な言葉ではなかった。どれほど小難しい台詞を言ったって、何者もこの神が創り給うた世界の美しさには敵わないと思った。
「全く、ムカつくぜクソッタレー! チクショウ、なんて綺麗な世界なんだ……」
空を飛ぶ事自体なら飛行機で何度もあるものの、箱の中に乗って飛ぶそれと、風を感じながら飛ぶそれとは、比べるまでもない感嘆だった。眼下には緑の絨毯がバッと広がり果てしなく、眼上には蒼い天幕が広がっており、その奥は徐々に紅く染まってきていた。
まばゆい白い雲が小さな小さなきれになって砕けてみだれて空をいっぱい東へどんどんどんどん飛んだ。お日さまは何べんも雲にかくされて銀の鏡のように紅く光ったり又かがやいて大きな宝石のように夕ぞらの淵にかかったりしていた。
(だが、俺には眩し過ぎる)
ケイは眼を瞑って被りを振った。それに、今はそんな場合ではない。何時もの剽軽な顔を戻し、お道化な台詞でケイは言う。
「で、目標のブツは……」ケイは辺りを見渡し、その黒い後姿を見つけ出した。「くそ、あんな遠くに……」
龍は大きい姿だったが、その後ろ姿はもう手の平サイズになっていた。
しかし、実際は、その距離は時間にしては近かった。龍が本気を出した時の速さを彼は知らなかった。相手はケイが空を飛べないと知っているのか、はたまた人間如きに追いつかれないと思っているのか、いずれにせよ、本来の速さにしてはゆっくり飛んでいた。飽くまでも本来の速さにしては、だが。
しかしこれまたいずれにせよ、どのみちこのままでは手が届かない。おまけに風乗り板に出来る事は浮く事だけ。ケイという重さがある分、放っておけば放物線を描いてまた地面に逆戻りだ。何とか近づかなければならない。だがケイにはその何とかがない。
「あるのはこの剣のみ。『伸びろ如意棒―』って言えば伸びるのか? どうなんですか剣さん、何かいい方法ありますか?」
ケイは剣に語り掛ける。だが傷だらけの剣はうんともすんとも言ってくれない。その間にも相手は遠のく。遠のくほどに焦ってしまう。焦るほどに考え込み、考えている間に相手は遠のく。完全に思考は悪循環。それどころか空回り。
「だーもー、剣さん! 何かいい方法はないんですか!?」
へんじがない。ただの けんの ようだ。
「何でもいいから応えてくれ! 頼むから協力できるのならやってくれ、ノアを助けたいんだお願いだ!」
その時、剣が鈍く唸った気がした。仕方なさそうな唸りだった。
それは剣が喋ったのかもしれないし、風の音であったかもしれない。しかしいずれにせよ切羽詰まったケイに、その幽かな音を捉える事は出来なかった。だがケイは大きく剣を振り上げた。何かが起こると信じて、あるいは都合よく何か起これとでもいうように、遠く目の前に居る相手を見据えて。
「何でもいいから――」声高らかに叫んで魅せた。「何か出ろおおおおおおおおおッ!」
もはやヤケクソで宙を切った。
すると剣が焼け始めた。いや発火した。いや発火した火が斬撃に沿って形と成り猛スピードで龍に目掛けて飛んでった。それは先に龍が放った火球と同程度のそれだった。しかもヤケクソてきとーであるにもかかわらず、火球は龍に当たって爆散し、驚いた叫びを上げさせた。ヤケクソだから燃えたのだ、なわけがない。
「うおお……本当に何か出た」
しかし一番驚いているのはケイだった。いやビビっているのは龍に会ってからずっとだが。しかし本当に何か出るとは思わなかった。初めて銃の引き金を引いた時を思い出した。そして同時にその弾が相手に当たって血を吹き出させた事も想い出した。
ええ本当に×ぬとは思わなかったんですやれるもんならやってみろって言われたからやっただけで本当にもう勘弁してください何なんだよ俺は悪くないだろ最初にやったのはアイツ等だ――などと突然、大学で銃を乱射した青年Kは意味不明な供述をしており
「などとボケている場合ではなあーっぶない!」
龍が仕返しにとばかりに火炎弾を飛ばしてきた。狙い違わずケイの元に飛来し、盛大に爆発した。しかし不幸中の幸いか、風乗り板は風にふらふら揺れる紙装甲、無理に爆発に抵抗せず、吹き飛ばされるままにしてその威力を受け流した。
「あああああ熱い! マジで熱いぜ! リアルだ! クソう熱いなチクショウ!」
その台詞さっきも聴いた。
ケイは髪や服に降りかかった火の粉を払いながら、何度も「痛い」やら「熱い」やら漫画の役者なら思ってても口に出さず心にしまっておくべき台詞を連呼する。
(そりゃ連呼するさ。コチラとは漫画や小説みたいに斬られても叫び声一つ上げない不感症キャラじゃないんだ。痛いもんは痛いんだよ)
息を吸った肺は物理的に胸焼けして水をがぶ飲みしたい気分だった。身体が消し飛ばなかったのは偶然だ。一歩間違えれば上手に焼けましたとばかりにウェルダンされて暖かい天国へウェルカムだ。などとギャグってる場合ぢゃなく。
ただしノアのリボンはちゃんと守った。これだけは焦がすわけにはいかない。置いてくればよかったと思うが、それはまあ何というかその場のノリだ。いいんだ、ちゃんと返せばいいんだから。
(何でこう自分から難易度上げるかね。縛りプレイって奴ですか? リボンだけに)こんな状態でも能天気な自分に辟易した。記憶を失う前の自分もこうなのだろうか。(クールなのとチャラいのと、主人公としてはどちらがいいか。それとも頭空っぽな方が夢詰め込めるか? 砂糖菓子の弾丸でも撃ち込んでろ。え、ホット? ホットは、年齢的にちょっちなあ)それともやはりノリが良い方が良いのだろうか。米国ばりのハイテンションが。けどアレはあまりやりすぎると鬱陶しいし、疲れるしなあ。(などと冷静に考えており。しかし何だ、この剣は。形を変えたり、変なの出たり。魔術の使える魔剣なのか? いや「魔」じゃなくて「万」か。それともアレか、さっきの龍の炎を吸収したのか?)
ケイはいきなり得体の知れぬ力を得た事に驚き、銃を撃って初めてその威力に気付く様に、横目で少しばかり怯えつつ剣を見た。それと同時に気持ちが昂った。初めてプレイするゲームのようにニヤリとした。
「どちらにせよ好都合だ。コイツで一気に差を詰めるッ!」
ケイは剣を居合の形で構えた。もし先の結果が魔力を吸収して得た結果なら、先のように火球で飛ばせばすぐに飛ばせばなくなるだろう。なら方法はコレだ。この風乗り板は摩擦を無視する超性能。宇宙飛行士のように炎を小出しにして慣性で前に飛ぶ。バーナーのような鋭い炎を想像し、それを一瞬だけ切っ先から出すシーンをイメージする。
「良し、行け!」盛大に炎が噴射した。「おおおおおおおおおお――――っ!!!??」
バーナーどころかロケットのような炎が放たれて、ケイは一気に加速した。むち打ちのような痛さに耐えて、慌てて風乗り板の頭にしがみつく。右手で風乗り板を掴み、左手で逆手に剣を持つ格好だ。
(何でこんな莫迦噴射……そうか、元から溜まってる魔力量が……だからスプレーもののゴミはちゃんとガスを抜いてから捨てろと言うに)
風圧で吹き飛びそうになる身体を支えつつもそんな皮肉を忘れない。そんな彼はぐんぐん龍との差は近づいてそれどころかすっぽ抜けた。追い抜き(オーバーシュート)してまたもやどんどん差が遠のく。
「ええい、曲がれ!」
我が儘な機体を操るようにケイは何とか旋回した。炎の量を調節し、速度を緩める。綺麗に赤い軌跡が弧を描く。どうやら上手くいくようだ。その上手くいく事に辟易した。
(動作も音声も無しにイメージだけで命令処理とは、脳波か何かを受けているのか? 何というデタラメな。まるでチート。まるで魔法。いやそりゃ此処はファンタジーなのだけど。万法とは皆こうなのか? 都合主義もいいとこだ)
想像で強くなれたら努力は要らない。想いだけでは何も動かない。気合で相手は倒せない。そんなものは思考を放棄した行いだ。第一それじゃあ倒される敵が憐れだ。自分だって納得いかない。そんなワケ解らん力で倒された日には情けなくって涙も出ない。そんなのは機械仕掛けの神様だ。ご都合主義の夢物語だ。ツマラナイったらありゃしない。
(だが――)
だが、とケイは思う。「それでもいい」と。せっかく面白い世界に来たのである。こんな主人公染みた展開なのである。少しくらい良い思いしたっていいだろう。何もかもが思い通りになるのはツマランが、格好くらいつけたいものだ。成程、主役目線で考えれば、やはり良い思いくらいしたいものなのだろう。
(しかし、よくよく自分は適応力の高い男らしい。普通、こんな転々と物事が展開されれば困惑するもんじゃないか? ま、展開についていけても、力が無けりゃ意味ないがな)
尤も現実はこのザマである。一歩間違えれば死線突破だ。飛行機の様に空を飛び、されどその身を守る鋼鉄の骨は何処にも無い。剣と板から手を離せば急降下爆撃よろしく地面に向かって砕けよう。だが今は畏れている場合じゃない。どうせ傷付く分だけ傷付いて、それでもビシッと決めてやろう。それがCOOLな男である。ゲームオーバーに恐れ動かぬなら、物語は始まらない。
「『何だと?……無駄な努力だ?……百も承知だ! だがな、勝つ望みがある時ばかり、戦うのとは訳が違うぞ! そうとも! 負けると知って戦うのが、遙かに美しいのだ!』」
火球が横を過ぎて行く。横顔を光が照らし、チリチリとした痛みが服を越えて感じられる。その顔は笑っている。シリアスなほどコミカルに。真面目なほど飄々と。悲劇的なほど喜劇的に。
「そうだとも!『それでもいい』! 俺はそれでいい。ただの銃剣が、神罰という名の銃剣がそうである様に。嵐が、脅威が、炸薬が、心無く涙も笑顔も無いただの恐ろしい暴風がそうであるある様に。奮う心意気は相手を選ばず、奮う心意気に意志はない。ましてや「何故」などと問いはしない。道化る意味などナンセンス。鬼に逢うては鬼を笑わし、神に逢うては神を笑わす。皆諸共に笑わす。それが役者! 束の間の蝋燭に歩き回る影法師! 太陽に向かう蝋の羽根! 崖だらけの暗闇の中で全力疾走する愚者、ライ麦畑の住人!
容易く、無慈悲に、呆気なく。お前が正義であろうと、俺が悪であろうと関係ない。目の前に相対する者が現れたなら、叩き斬る、までだッ!」
そう、今は原理などどうでもいい。重要なのは今自分が舞台の上という事で本番中だという事だ。重要なのは飛んで龍と闘い愛しのノアを助けんとする自分が如何にカッコいいかという事だ。まさに囚われの姫を助ける天馬の騎士。なかなか憧れるシチュエーションじゃないか。大いに結構! 大いに最高!
「行くぞ俺! 越えるぞ死線! 我、この試練を打ち砕かんッ!」
ケイは剣の炎の噴射を増して加速した。ソレと共に龍が火球を放ってくる。その攻撃は必死である。見ているだけで眼が渇く。ケイは臆せず慌てずそれを回避。連続で放たれる火球を何度も避けて空の海を華麗に滑る。
海の波を滑る「ボトムターン」のように空の風を滑り速度を上げ、風乗り板と一緒に水平回転する「エンドオーバー」からジャンプして風乗り板だけを水平回転させる「ショービット」つなげさらに風乗り板を横転させる「キックフリップ」、そして風乗り板が横になっている状態で風乗り板に着地し、ジャンプして風乗り板を回転させ戻す「レイルフリップ」、スケート風乗り板のトリックを空で決める。別に余裕を気取っているわけではない。ただカッコつけて気取っているだけだ。つまりバカである。
というよりも、カッコつけてないと気がもたなかった。龍の攻撃は破壊的で、空の上は致命的だ。炎をまともに喰らえば一瞬にして火に巻かれ、巻かれずとも風乗り板から吹き飛ばされれば言わずもがな。ケイは快活な口調で喋っているが、その内心は如何ほどか。その台詞は負け犬の遠吠えではなかろうか。しかしそんな台詞でも、目の前の恐怖を振り払い闇に光を垂らす様であった。尤も、そんな闇から襲い来る火球の光は鮮烈だが。
「速いし曲がるし硬いし超火力多武装だし、まるで戦闘機と戦闘回転翼機と戦車と戦艦を掛け算した様な存在だな……ってそれ最強じゃないか?」
しかし逃げているだけではない。ケイもまた攻撃に転じる。龍の攻撃の僅かな間隙をついて剣の炎の噴射をいったん止め、居合の形で力を込めた。慣性で風乗り板が宙を滑る。体重移動だけで方向を決める。集中、感覚、計算、反芻、そして……
「〈絶刀・空断〉――ッ!」
何やら技名らしい掛け声と共に、裂破の如く逆袈裟斬りで剣を抜いた。すると同時に高く鋭い音が鳴り響き、斬撃がかまいたちとなって飛ばされた。それは火球を断ち斬って、斬られた炎はケイの両側面を飛んで行き、ケイの後方で爆散した。斬撃波はそれで止まらず龍に当たり、傷を負わせないまでも苛立たしげに唸らせた。
「き、気持ちいい~……!」しかしケイはそんな相手の苛立ちを他所に、自分の行いに胸を躍らせてご機嫌だった。「あっはっは! おーおー、やっぱり風も出るか! 斬撃波を『刃射ッ!』っと飛ばす、これは人類の夢ですよ! 浪漫だなあオイッ! サイコにサイコーだぞッ! 股座が熱く成るぜえ、イっちまうよ! 熱血だ! 誰もが熱血が好きよなーぁ!? 少年漫画も戦争映画も我らが住む星の核も、熱くなくっちゃ回らねえよお! クキキキキキ!」ケイは上機嫌で喜んだ。〈絶刀・空断〉とはケイが考えていた技である。文字通り空を断つような斬撃波を出す設定。何だか名前の負けしている感は否めない。よく傘を剣に見立てて練習したものだが、まさか本当にやる時が来るとは、いやはや感慨深いものがある。「後は『魔神剣』とか『かめはめ波』とか『牙突』とかもキめたい所ですねえ? 折角こんな世界に来たんだ、既存の小説や漫画の技を真似るのが醍醐味ってもんでしょう! 著作権? 知らんな。この世界は、物語ではないのだッ!」
などとケイは空想する――とここで前方から龍炎弾。現実の闘いはRPGよろしくターン性ではなくシームレス、喜んでいる暇など無い。
それにケイは今度は正面から突っ込む。何か策があるワケではない。調子に乗っているのだ。しかし闘いとはノリである。剣を振り上げて、力一杯振り下ろす。斬り裂かれる火球をイメージする。「そうあれかし」と望むなら、敵はするりと斬り裂かれる!
(とまでは甘くはないか)
火球は風船のように斬り裂くと共に爆裂した。まともに炎を浴びる事は逃れたものの、鋭い刺激と共に皮膚が黒ずむ。ひりつくような痛みが走る。周りの大気は熱されて、遠くの龍の景色が歪む。調子に乗った結果である。
(瞬間熱量は殺人級だな。高圧電流とどっちが上か)
一瞬で火だるまになる動画を思い出す。アレは恐ろしいものである。
などとニヤリと皮肉を脳裏に浮かべている間にも炎が飛ぶ。ケイは慌ててそれを避ける。吹き付ける風を全身に浴び、大袈裟に空に弧を描く。剣をボートをのオールのように持ち替えて、器用に風乗り板の針路を取る。旋回し蛇行し上昇し、風に乗って宙を舞う。その間にもケイの眼は龍の姿を捉えている。ぐるっと3Dな龍の姿が回転し、火球がドップラーに飛んで行く。その光景はまるで非現実だった。
まるで良く出来たゲームだった。体感FPSと言った所だ。動きはシームレスに滑らかで、風は身体を吹き付けて、視界は些細に揺れ動き、音は絶えず振動し、熱は皮膚を刺激し、しかしあまりに日常を越えた現実に脳の処理は追いつかず、今起こっていることがまるで現実とは思えなかった。
(やれやれだぜ、クソッタレー。真面目な程にどうでもいい事ばかり考える。身体がフールになるほど心は茶化すようにクールになる。まるで「マジになるなよ」とでもいうように。期待するのが恥ずかしいか? おちゃらけてれば失敗しても痛くないか? バカめ。それで死んだらそれこそ無様だ。しゃんと前見て現実見ろ。本番中だぞ、キリキリ動け)
「ひねくれた気取り屋だよお前はさ! 全く、やれやれだぜクソッタレー!」
ケイは勢いよく加速した。相対的に龍の火球の速度も加速する。それは眼で認識すると共に鋭い音の尾を引いて、後方彼方へ飛んで行く。まともに当たれば骨も残らず灰となる。それでもケイは怯まずさらに速度を上げていく。龍は動かずその姿を見据えている。ケイはさらに速度を上げる。
「はっ、はあ、はっ、ふぅはっ、はぁーふぅー……ッ、はあ――ッ!」
ケイの呼吸が乱れる。過呼吸の様に断続する。集中、集中、集中。目は見開き前を見る。己は生。炎は死。さすれば己に迫り来る幾つもの炎弾は幾つもの生と死の接点に成りかける。そう成り「かける」。成れば死ぬ。死ねば其処で終わる。やり直しは効かない。
だが――イケる、是はイケるッ! 本当にそうか? 思考が定まらない。興奮の熱が無駄に頭の回転を速くさせ、幾つもの思考が走馬燈の様に過ぎて行き、言葉として形に成る前に霞ませる。脳内麻薬が無駄に肉と骨を奮わせる。魂を高揚させる。勝てる? いや勝つ! 本当に? 解らない。それより避けろ!
龍とケイの軌道は正面交差。互いのベクトルがぶつかり合う。徐々に相手の姿が大きくなる。大きくなるほど逃げられない。逃げられないほど恐くなる。恐くなるほど剣を握る力が強くなる。強くなるほど心が昂る。そうしてやがて、星空の様な炎弾を、天多の照明をかいくぐり、熱狂の叫びを突っ切って、遂にケイはその舞台に躍り出た。
その姿は圧倒だった。「これほどまでか」と思わせた。炎に熱された空気のように、緊迫した空気は相手の姿を歪ませて、実像よりも大きくさせる。コチラを睨む鋭い双眸まで見て取れて、恐怖は確かな輪郭を持ち、死はここに鮮明となる。
しかしケイは速度を緩めない。死が鮮明になるほどに、生との境界が鮮明になる。生への路筋が照らし出される。恐くないというワケではない。恐怖はしっかりそこに在る。心臓の鼓動が吐き気を催す。だがその身を打つ鼓動こそが、逆に人の心を鼓舞するのだ。
というよりぶっちゃけぶん投げである。「もうどうにでもなれ」という奴である。
ケイの顔は笑っているというよりも引きつって、今さら速度に乗った進行は止まるも戻るも遅すぎた。ならばただひたすら行くしかない。死の懐に潜りこんで、彼奴を一突きやってやる。
目標は向かって左前方龍の右手。ノアを掴んでいるソレを叩き斬る。先は弾かれてしまったが、これほどに速度に乗った今ならば斬れるかもしれない。
(だけどやはり浅く斬る)とケイは思う。途中まではノリノリなくせに、イマイチ最後の一歩で素面に戻る男であった。(ウルサイな。俺は少年漫画よろしく相手をぶん殴って『よっしゃ!』とガッツポーズ取れるほど、野蛮でも自分に酔ってもいないんだよ。だが、決める所はキッチリ決めるぞ)
ケイは炎を出したまま剣を構えた。居合い斬りの型になる。前を見る。集中する。身構える。最短距離で交差軌道。紅くなり始めた陽を背に龍炎弾を避けながら突き進む。剣の炎が軌跡となって空を裂く。流星の如く飛翔する。ノアのリボンが波に揺れる。今になって正面からではなく下から行けばまだマシだったのではと後悔する。しかし森が燃える可能性もあったので結果オーライだと思い込む。
相手の炎の攻撃が止む。懐に入ったとケイは感じた。ここまでくればもう目の前。ノアの姿が明確に目に映る。残された問題はこの莫迦でかく頑丈だろう龍の手に傷を負わせられるかどうか。ケイは刃に力を込めた。交差は一瞬。次はない。次も剣のエネルギーがもつとは限らないし、何より再度あの火球の嵐を避けきれる精神力はもうケイにない。
空は勿論、死線ギリギリを飛ぶことは戦闘機で水面1mを飛ぶことよりも恐ろしく、コンマ単位でケイの精神力を削っていた。今ケイの姿が辛うじてまともに見えるのは、ただ単にハイになっているだけである。この交差を抜けきった後、必ず一瞬の弛みが出来る。その一瞬で我に返り、膝をついて動けなくなるか、最悪気を失って爆撃よろしく地面に向かって落ちるだろう。その事にケイは気付いてない。だが気付いていようとやることは同じこと。眼前の一瞬にありったけをぶつけ
右から影!
「なん――ッ!?」
気付けばケイの右から巨大な重圧が迫っていた。それは破壊を大きく広げ、空気を巻き込み襲って来た。身体を揺らす音がその威力を物語る。あまりに圧倒的な力でありその前にはヒトなど羽虫の如く呆気なく地面のシミとなる。
それは龍の左手。斬り裂く爪と強固な皮膚を併せ持った、生命を握り潰す牢である。
「う、お、お、おおおおおおおおおおおッ!!!」
ケイはがむしゃらにその場を離脱した。剣の切っ先を下に向け、跳ね上がるように上昇する。炎ばかりに気を取られていた。普段ならこのていど気付くはずだ。当然だ。手がないワケではあるまいに。それほど先が見えなくなっていたということか。
ケイの顔は苦渋に歪んだ。流石に笑ってはいられなかった。龍の左手が迫る。ケイの上昇に合わせて相手の手も上昇する。
――間に合うかッ!?
果たして、その回避は間に合った。だがその死線は寸でであり、死神の鎌が振るった剣風はケイの風乗り板を容易く捕らえた。バランスを崩すどころか風乗り板は何処ぞの彼方へ飛んで行き、ケイは身一つで蒼い空に投げ出された。そしてそのまま落ちていく。
「まだだッ!」
いや身一つではない。ケイにはまだ剣がある。
(例え飛行機の翼がもがれようと、機体が砕かれ吹き飛ぼうとも、エンジン腹に抱えれば空だって飛べるはず……それがYAMATO・DAMASHIだッ!)
もはやテンションがハイになりすぎて思考回路まで吹っ飛でいたのは言うまでもない。
「いっけー、俺のマグナァームッ!」
ケイはわけの解らぬ技名放ち、人間ロケットよろしくノアに向かって突
左から影!
「捻り込みッ!」
裏拳のように迫る龍の左手を高跳びよろしく横転しながら回避した。炎の軌跡が螺旋を描き華麗に飛ぶ。その回転の威力を殺すことなくそのままコマのように飛行して、ノアを掴む龍の右手に気合一発己の刃を振りかぶった。しかも狙いは爪の付け根であった。地味に嫌な攻撃だった。
「奥義!『ギガ――ストラアアアァァァッシュッ!!!』――ってうわやっぱ技名叫ぶのハズいなッ!」
ケイはそんなテンション上げ過ぎて力んだようだ素っ頓狂な掛け声と共に剣を振り降ろした。するとどうだろう、先程とは打って変わり剣は豆腐を刻む様にするりと食い込み堅い鱗を貫通し、皮膚を斬り裂いて丹い鮮血を巻き散らした。
(うおっ斬れた!? スマン!)
驚きと場違いな罪悪感がケイを襲った。斬るつもりだったのだが本当に斬れるとは思わなかった。「まさか本当に×ぬとは思わなかった」などと述べるイジメっ子を思い出した。他にないなら暴力も厭わないが好んでやりたいとは思わなかった。血を見るのが好きとは言えなかった。むしろ嫌いな方だった。色は丹かった。その事に僅かに驚いた。丹いんだなあと思った。鉄の味を感じた。酷く嫌な気分になった。
しかし、
「GYAAAAAAAAA!?」
嘆くのはこの後だ。
龍は痛みに叫び声をあげ、思わず手を離した。するりとノアの身体が手から抜け、風にまみれて空の中を縦転横転回転する。髪と服をはためかせ、慣性と重力に従って放物線上に落ちていく。ひゅん、音が消えて行く。
「ノアッ!」
ケイは剣を振り被った体勢を戻し、剣から炎を噴射してノアを追った。風乗り板を無くしてしまった今、ケイに精密な飛行は出来ない。だが何とかノアにベクトルを近づけ、空を落ちてノアを追う。
「ノア! 起きろノア! ノア! Hey, WAKE UUUUUUUP!」
ケイはヤケクソで叫んだ。そろそろ高鳴る胸の鼓動はゲージを振り切り脳内出血の一つでも起こしていそうだった。
果たしてその叫びが届いたのか、ノアはピクリと身体を動かした。
「――――――誰だ、是を……あ、あれっ?」
ノアはゆっくり眼を開くと空だったとばかりに驚いた。が、ノアはほんのしばし辺りをきょろきょろと見渡すとすぐさま事態を呑み込んで、落ち着いて速やかにやるべき事を実行した。ノアの両手が淡く光った。するとそこから楽譜のような光の線が宙に舞う。術式試行、重力遮断、風向・地面に垂直――ノアが何らかの術を用いると、緩やかにノアの落下速度が落ちた。これで一安心。そして、
「あら――――っ?」
その横をケイが人間爆撃よろしく地面に向かって落ちてった。
「へ? あっ、ケイ!?」
今まさにケイの存在に気付いたとでもいうようにノアは驚いた。というかケイの存在に気付いてなかった。手を伸ばすも時すでに遅く、憐れなケイは落ちて行った。そこに、
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!」
「うああああああああああああああああッッッッ!!??!?」
龍の怒号が響き渡った。龍が怒った。本気で怒った。その姿は先よりもさらにさらに大きく見えた。ケイは大音量で激怒する龍に対して大音量でビビりまくった。
固く、堅く、硬く、剛く、龍はその身を握り込む。その巨躯にはち切れんばかりの力を溜め、己の体躯ごと相手にぶつけるつもりである。その威力は雷霆の如し。削岩機のように相手を粉砕する。その速度はまさに異界の戦闘機。五倍音速を軽く超える。先行した圧縮空気を貫いて、その衝撃波動を響かせて、音を尻尾に置き去りにし、同心円状の飛行機雲を描きつつ、その身はただ大気を斬り裂く剣と化す。
其は龍巻其は雷その威力は致命的でその狙いは必死である裂破怒涛の雄叫びと共に小賢しい羽虫を押し潰せいざ行かん飛翔せよ気高き偉大な生命よ脆弱な人間を喰い殺せいざ行かん不可避不可視不可壊の望み断たれた必死の一撃を――
「だめえええええええええええええええええええええええええええっっっ!!!!!!」
放つと同時に停止した。ノアの悲鳴が龍の怒りを上回った。龍はそのあまりな速度にも関わらず、ありえない急減速でケイの前に停止した。
しかし仮にも超音速。先行した圧縮空気は急に止まった龍を追い越して、爆発音と共に衝撃波がケイの身体を吹き飛ばした。それに対してケイは何事かを叫んだが風はその音までも吹き飛ばし、さらに頼みの綱である剣までも吹き飛んだ。
大型トラックに衝突したかのような衝撃だった。シャレにならない一撃だった。ケイは台風に突入した紙風船のように空を舞い、デコピンされたハエのように脳が舞い、無様に明後日の方向にブッ飛んだ。すぐにその後を意識が追い、
「ケイ――――――――っ!」
そうになるが何とか朦朧とする意識で脳裏にしがみつく。身体が風を押し退ける中、うるさく服がはためく中、ぼんやりとする眼でその音がする方向を見ると、誰かが叫びながら飛んでくるのが見て取れた。
「手をっ!」
一瞬、誰に言っているのかと男は思った。しかし身体は勝手に反応して、右手をだらしなく伸ばしていた。その誰かは手を伸ばしていた。その手を取ろうと手を伸ばした。
その途端、男の瞳に光が飛び込んだ。
「――あ」
夕焼けだった。それは紅い光だった。ひどく曖昧な光であり、ぼんやりとした光だった。
「思い出した」
男を淡く照らしていた。その男に輪郭はなかった。影を消し、存在を消した。
「そうだ、思い出した」
世界は光の中に溶けていった。輪郭を無くし影を無くした。鉛筆だけで絵の描いたような、下書きのような世界になり、その線は蝋燭の火の様に揺れる。まるで起きながらにして夢を見ている気分だった。白い夢を。やがてその身は夢の中に沈んでいく。
「俺は、あの時……」
その手を、少女が掴んだ。ガクン、と男の身体が止まった。その衝撃で意識が戻る。スイッチが入ったように視界が戻る。世界に輪郭が戻り、明暗が戻り、ハッキリ覚醒した。
「大丈夫、ケイ!?」
その手を、ケイの手を掴んだのはノアだった。心配した顔がケイを覗く。
「ノア……」
ケイはその名を確かめるように呟いた。相手を確かめることで、相手が見つめる自分も確かになるとでもいうように。ケイの手にノアの手の温かさが感じられた。優しく、けど力強く、意外と硬かった。しっかりとした手であった。それを感じ、ケイは言った。
「ノア、俺……」
「GYAAAAAAAA!!!」
ケイは驚いて声のした方を見た。彼の龍がコチラに近づいてくるところだった。ギロリとした眼が合った。しかし、もはやケイは慌てなかった。もう子どものようにはしゃがなかった。それどころか心は平坦だった。不安になるほどに落ち着いていた。波の無い夕凪の海のようだった。
しノアは「ダメだよー」と落ち着いて龍をなだめて止まらせた。そして龍の鼻面に近づいて、優しくそれに手を当てた。
「ほら、もう、大袈裟なんだから。でも、ありがとう」
よしよし、と子どもをあやすようになでながらそう言った。
それを見て、ケイは納得いった。物語のお約束。都合の良い解釈。最初からちゃんと話し合ってればこんな大袈裟な事にはならないだろうに。
「成程、あの龍が君のお友達というワケか」
ケイは肩をすくめてそう言った。
「はい。あの子を捜して山を歩いていたら、急に出てきてビックリして、私、足を滑らせちゃって、その時に頭ぶつけちゃって、目の前が真っ暗になって……」
「落ちた所を友達にくわえてもらったわけだ。やれやれ、万術が聴いて呆れるよ。『万法使いも空から落ちる』、んーこりゃ諺だね、ははは」
「うぅ……」申し訳なさそうにノアが唸った。「でも、何でこんな所に?」
「そんなのソイツに訊いてほしい。ソイツはノアの家に来たんだが、また急に飛び出してな。それを追って俺もここまで来たんだが……」
「そうなんだ……ねえ、アーク、どうして?」
しかしその問いにアークは応えず、ノアから顔をそむけて低く唸るだけだった。だがそれを見てケイは「クハハ」と笑った。
「そう問い質してやんなよ。俺はもう解ったぜ」
「? 何を?」
「だからさ。荷物を取ったり、君をさらう様な真似したりの理由だよ。君を盗られと思ったんじゃないかな。つまり彼は、もしかして、俺に嫉妬したんじゃないのかなあ」そういうと、アークはその言葉を理解したように低く唸った。怒っている様な、恥じている様な、イタズラが見つかった子どものように唸った。「図星だ」
からからとケイは笑った。ノアはそれを聴いて「ああ」と目を開いた。
「そう言えば、前にそういう事がありました。危うく食べられそうに、というか実際に口の中に入って顎を閉じられない様に頑張った方が居ました」
「ギャグ漫画かよ」
くらくらとケイは苦笑った。それを聴いて、ノアがケイを見つめて口を開く。
「おっと、君が謝るのはなしだぜ」しかしその前に、ケイがそう言った。「むしろ俺が謝るよ。すまない、アキュミス、だったよな、誤解して、斬りつけてしまって……」
そう言ってケイは手の甲でアークの顔をコツコツとやった。もう恐いとは思わなかった。むしろ何処か親近感さえ湧くのだった。
「でも、もしかしたら……」
死んでたかも、とノアは言おうとして口を閉ざした。口に出すと本当になると思ったからだ。しかしケイはそれを察したように肩をすくめた。
「それでも、やっぱり謝ってもらう必要はない。こんなデカブツと闘うなんて、童貞の身分でとびっきりの処女とヤるよりも痺れたよ。なかなか熱いバトルをやらせてもらいました。紛争地のレジスタンスで戦車に単身AKー47で特攻したよりも濡れたね。ははは」
「そんな簡単に……」
「簡単じゃないよ。この危険は正当な対価だ」
そう言ってケイは笑った。笑いつつ内心では「あーまた恥ずかしいセリフ言ってしまったな」と苦笑いしていた。
「ケイ……」そう笑うケイを見て、ノアもまた困ったように笑った。「もう、解りましたよ」
「ま、これで一件落着という奴だ。やあ、良かった良かった」
ははははは、とケイはからから笑って言った。奇妙な満足感があった。それはちょっとした時間の出来事だったが、大長編の映画を見たような感動と余韻があった。それはまだまだ引きそうになかった。ケイは顔に微笑を浮かべていた。その顔を光が照らしていた。
「……夕焼け、コッチでも紅いんだなあ」
炎の様に燃えていた。それは龍の炎よりも真っ赤に燃え、空に淡く広がっていた。
森が夕焼けに照らされていた。もやのように森を包み、紅く照らし出していた。影の無い魔法の時間であり、存在感がまるでなかった。水の中にいる様に、光の中に居るように、夢の中である様に、世界はぼんやりとしていた。
それは曖昧な世界だった。たゆたうような茫洋だった。
「ノア」
「はい? 何ですか、ケイさん」
不意に名前を呼ばれてノアは少し驚いた。その声の主にしては、聴いた事のない力強くハッキリとした声だったからだ。それでいて儚くて、まるで不意に音楽が消えた様に、その虚無さで逆に存在を感じた様に思えたからだ。
「俺、思い出したよ」
ひどく真面目な顔でそう言った。
「何を?」
「俺のこと」
「『俺のこと』……」
ノアは反芻するように呟いた。ケイを思案するように見つめた。その顔は夕日に照らされてよく見えない。
「あの時もこんな夕焼けだった。俺はあの時、建物の屋上に居た。そこで俺は、俺は……」
気分がとても悪かった。嘔吐してしまいそうだった。汗が出た。それでいて寒かった。極度の痛さと恐怖で熱さを感覚する脳が莫迦になったみたいに寒かった。思い出す。まるで黒洞に落ちる様に、地面に近付く程に時間がゆっくりと成り、しかしてその瞬間は確実に来る、あの、断頭台を待つだけの死刑囚の様な、あの一瞬の永遠を。思い出すのが怖く、その次の言葉は中々でない。その言葉を言ってしまえば、今にも襲いかかって来るのではという恐怖があった。今はその一瞬の途中で気を失っただけであり、言うと同時に現実に引き戻されるのではと思った。あの最後の瞬間に。
だがケイはそれを言った。呟く様に、だが確かに。そう、俺は、俺は、俺は……
「俺は、自分を捨てたんだ」
――――――旅立一之二・終