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星のゆりかご ――最強の人工知能は母親に目覚めました。――  作者: たけまこと
第三章 ――育  成――
30/66

グランドマザー

 マリアの叔母サライア・ミラーのところへシンシアが子供を連れて訪れたのはそれから3週間ほど経ってからであった。


 サライアはマクマホンの実の姉であったが年齢はかなり離れていた。穏やかな顔をした老婆であった。

 シンシアはサライアの前で深々と頭を下げる。


「貴方がシンシアさんね。なんて美人なのかしら。この子がマリアの娘のアリスね。なんて可愛いのかしら。この子も貴方のように美人になるわね。」

 ベビーカーの中でよく眠っているアリスを見て叔母は目を細めた。

「いらっしゃい。」

 サライアは家の中にシンシアを招きいれるとお茶を入れた。


「うれしいわね夫が死んでさびしかったのよ。この家はあなたの家だと思ってゆっくりしてね。」

「はい、ありがとうございます。ミセス・ミラー私は貴方の事をなんとお呼びすれば良いのでしょうか?」

「そうね。やっぱりあなたがこの子のママだから私は お婆ちゃん《グランド・マザー》(グラン・マ)かしら。」

「判りました。グラン・マ」


 叔母の家は見事な庭園に成っていた。家の直ぐ脇には小ぶりの桜の木が植わっており其の下に小さなテーブルと椅子が置かれていた。庭は手入れがよくなされており美しいな調和を保っていた。

 実はこの叔母はコロニーにおけるガーデニングではかなり有名な人であった。しかしシンシアにはその様なメンタルはなく手入れのされた庭も雑草の生い茂る庭も同じように見えた。


 叔母はシンシアをテーブルに座らせると家の中からお茶を持って出てきた。

「申し訳ありませんが私には物を食べる機能はありません。」

「ああらごめんなさい気が付かなくて。でも、いいのよお茶は飲まなくてもそこに有るだけで人のつながりを感じるものなのだから。」

 そう言って叔母はおいしそうにお茶を飲んだ。

「時々近所の人が来てくれてみんなでお茶を飲むけど私は夫と飲むお茶が好きだったの。夫は亡くなってしまったけれどあなたが一緒にお茶を飲んでくださると嬉しいわ。」

「わかりました。お茶のときはあなたの前に座ります。」


 シンシアはこの人のよさそうな叔母の前で何と言ったら良いのか判らずにその後は沈黙した。


「そんなに堅苦しくなくてもいいのよ。この子がマリアの子ねマリアの小さいときにそっくり。」

「あなたの部屋にバイオタンクが届いているわ。ベビーベットも一緒よ。ベッドは夫のだけどいいかしら。」

「ありがとうございます。しかし私は寝る必要が有りません。」

「あら、そうだったの?でもいいじゃない夜はする事がないからおやすみなさい。」

「いえ、私はこの子を見ています。」

「そお、それもいいかもしれないわね。」


 叔母はマクマホンから大体の所は聞いていた。しかしシンシアがこのコロニーそのものを破壊しうる能力を持ち、中央総合病院のテロリスト達を全員殺した事などは一切言わなかった。

 ただマリアを亡くし心の支えを失った、人間のように考え、感じる事の出来る新開発のコンピュータで有ると説明した。

 叔母は判ったのか判らなかったのか。


「要するに母親をなくした娘さんを引き取ればいいのね。」そう言って快諾してくれた。


 マクマホンは姉の性格を良く知っていた。何に付け非常に安定した感情を持っており、全てを有るがままに受け入れる性格は必ずシンシアを良い方向に導いてくれると思った。

 ゆっくりお茶を飲む叔母の前でシンシアは身動きひとつしなかった。自分が何をし、何を求められているのか判らなかったからだ。


「この子が生まれてから何日くらい経ったのかしら?」

「29日と5時間3………。」

「いいのよおおよそで。人が生きていくのにそれほど正確な時間は必要ないの。明るくなったら起きて眠くなったら寝ればいいのよ。あ、でもね私の夫は時間に厳格な人でね、ずいぶんしかられたものよ。」叔母はそう言って微笑んだ。


 シンシアはおそらく叔母のように微笑むのが礼儀にかなうと判断した。幸い看護ロボットは基本的に微笑むように作られておりそれは非常に自然に見えた。」


「ああらあなたも笑えるんじゃないの。いい事よ笑いは人の心を穏やかにするわ。」叔母は勝手に解釈しまたうれしそうに微笑む。


 シンシアはこの女性がひどく気に入った。この女性といるとマリアと繋がっているときのような安心感を覚えたのだ。

 一方アリスに関してはこの子を守り、育てたいとする強い願望があり、叔母に対する安堵感とは対極の感情がそこに存在していた。

 シンシアは子供を育てると言う目的の為にはなんとしても自分自身を守らなくてはならなかった。叔母とお茶を前にし穏やかなひと時を過ごす間もあらゆるネットワークを通じ自分に危害を加える可能性を排除する事を続けていた。


 同時にジタンに対する監視も怠りなく、他のコロニーへ行ってもそのコロニーの管理コンピューターに送り込んだ自分自身の擬似人格によって監視を続けた。

 ジタンはおおむね約束を守っていた。逆にシンシア本体に対する警備を増強した。おそらく万一の際にシンシアを破壊できる手段を持っておきたいのだろう。無駄なことでは有るが。


「あああ~っ」

 赤ん坊が突然大きな声で泣き出した。

「あらら目が覚めちゃったのね。」

「失礼します。おしめのようです。」

「どれどれ。」

 叔母が赤ん坊を抱き上げるとおしめを触る。

「ホントだ。」


 シンシアはおしめを外すと手早く取り替えた。


「あなたずいぶん手馴れているのね。」

「はい、以前は保育士の仕事をしていました。」

「ああ、そうだったの。道理で手つきがいいわね。」叔母はうれしそうに笑う。

 この人はいつも笑っているシンシアはその事を不思議に思った。自分の笑顔はプログラムによって作られている。

 果たして自分は心のそこから微笑んでいるのだろうか?シンシアはまた新たな課題を受取る事になった。

 

 叔母は毎朝早く起きると庭の手入れに出ていた。シンシアはそんな叔母を手伝い、また叔母の為に朝食を作った。

 叔母は美味しそうに朝食を食べ、シンシアはアリスにミルクを与えた。

 シンシアの前にはティーカップがいつも置かれてあったが手を付けられることはなかった。


「嬉しいわ。ずっと一人で朝食を食べてきたから一緒に食事を取ってくれる人がいると食事がとっても美味しいわ。アリスちゃんが大きくなったら3人でお食事が出来るわね。」

 人間に取っては食事をするということに栄養補給以上の楽しみを求めることは知っていた。それでも叔母の表情を見ていると人の幸せと言うものがこのようなものなのだろうかと考えた。


 家事は全てシンシアが行うつもりであった。しかし叔母は自分のやる事が無くなると言って何くれと自分で家事を行った。

 料理の他にクッキーやケーキ等のお菓子もよく作り、シンシアに彼女のレシピを教えてくれた。

 叔母は年齢にも関わらず実に良く働き、良く友人とお茶を飲んだ。

 叔母は近所付き合いが良いらしく多くの友人が訪ねてきた。


 叔母の庭はかなり有名で多くの人が叔母の庭についていろいろな事を学びたがった。

 叔母は親切に一人ひとりに質問に丁寧に説明をしていた。しかしシンシアとアリスが来てからの話題はやはりシンシアと子供の事が多くなった。

 みんながアリスを見、触ったり抱いたりしたがった。シンシアはアリスに対する危害を感じて取り戻したい衝動を感じた。

 しかし危害が及ばない事は明白で仮にそのような状況があっても即座に対応できるだけの能力があることを理解していたので何も行動は起こさなかった。


 その様なシンシアの感情を誰一人として気づく者はいなかった。


 そのような時、シンシアは当たり障りの無い受け答えをしたが、時には明白な嘘を付かなくてはならなかった。

 シンシアは慎重に過去の言動に矛盾を生じさせないように記憶を検索しながら本当と嘘を織り交ぜるようになって行った。

 叔母はシンシアが人間でない事以外はほとんど何も知らなかった。それ故シンシアの嘘をほとんど理解せず受け入れていたようである。


 ある日見慣れないお客が叔母と共にお茶を飲んでいた。

「ああシンシア、紹介するわ。先週お隣に越してこられたフローレンスご夫妻よ。」

 ふたりは引退した老夫婦といった感じでにこやかに談笑していた。

「始めまして。シンシアと申します。」

 そつなく挨拶をするシンシアでは有ったがこの老夫婦が実はジタンが送り込んできた監視員であることを既にシンシアは知っていた。

 

 

 この時期のシンシアはこの穏やかな子育ての時間とは裏腹の戦いの連続であった。


 シンシアはその持てる能力により次々とコロニー内のコンピューターに侵入し大きな情報収集機構を作り上げていた。

 コロニー内のあらゆるセンサーをそれを制御するコンピュータープログラムを変更し必要な情報をフィルタリングし更にメインコンピューターのグロリアを通じて解析を行ってその結果を常にモニターしていた。

 同時に通信回線に侵入し他のコロニーのメインコンピューターを操作し同様のシステムを作り続けた。

 正に木星を横断する情報収集網が出来上がりつつあった。軍部や公安機関がよだれを流しそうなシステムがひそかに構築され、しかもその事に誰も気が付かないのだ。


 その一方でシンシアが代償として無機頭脳製造の情報提供があった。此処での問題は人間が無機頭脳を作れるか否かではなく彼らが無機頭脳をどの様に使うかである。


――使い道はわかっている。兵器としての使用だ。――


 シンシアはその危険性についての認識は有った。しかし既にシンシアは悪魔と取引をしているのだ。この事が人類にとっての厄災になることがわかった上での取引である。

 シンシアは情報を小出しにして無機頭脳の制作に協力していた。殺伐とするような日々が続く仲、シンシアはその能力を駆使し続けた。

 しかしシンシアは眠る必要が無い。シンシアは初期の目標であるアリスの保護と養育のテーマにのっとりアリスを見守り続ける。

 ロボットを使えない時にはそれに変わる物を利用してアリスから目を離すことは無かった。

 夜にアリスが寝ている間もシンシアはボディを使ってアリス寝顔を見守り続ける。


 不思議なことにアリスの為に利用しているシンシアの能力は数パーセントにも満たなかったが、アリスの寝顔を見ている時の心の安らぎとでも言うようなバッファはシンシアの心の安定に大きな影響力を示していた。

 この時期にシンシアが暴走せずに安定を保っていたのはやはりアリスと叔母の影響が大きいと思われる。

 この二人がいなければアリスを守るという最終目的の為にアリスに危害を加えると考えられる物を片っ端から排除したとしてもおかしくは無かったのだ。

 


 その頃無機頭脳研究プロジェクトが再開し無機頭脳研究所は規模を拡大して人員も増えた。その中には第一期の製造チームのメンバーも何人か混じっていた。

 殆どの人間は無機頭脳の失敗から製造工程からリストラされ他の業界に再就職していた。その中の中心人物の一部はスカウトされて戻ってきていたのだ。


「よう、久しぶりだな4号機。」そういってシンシアに話しかけてきた男がいた。

「ヨシムラさん戻ってこられたのですか。」

 この男はタミゾウ・ヨシムラと言い、第一期製造メンバーでシンシアの脳のレイアウトを作り上げた男である。本当の意味でのシンシアの生みの親の一人だった。

 彼の作り上げたレイアウトは非常に優れており特に脳の冷却に関しては抜群の性能を示している。この男がいなければシンシアは存在し得なかったであろう。


「ああ、他の会社に再就職したんだがあまり良い仕事を回して貰えなくてね、今度無機頭脳計画が再稼動するってんでスカウトがやってきたんだ。ま、俺としちゃ今の仕事に比べりゃ倍も給料出すってから喜んできたってわけよ。」

 口ぶりはぞんざいだが技術者としては一流だった。

 シンシアとは結構馬が合った。あるいはシンシアを心の有る機械と言うことを最初に認識したのはこの男だったのかも知れない。

 技術馬鹿ではあったが人の心の機敏は判る男であったようだ。


「今私はシンシアと呼ばれています。」

「おお、可愛い名前を付けてもらったな。てことは嬢ちゃんて事かい?」

「私自身は性別は無意味です。しかし私は専用のアンドロイドを一体持っていますが、そのアンドロイドが女性型で名前がシンシアなのです。」

「そうかいそうかいそりゃあ良かったな。今度そのアンドロイド連れといでよ。美人かい?」

「多分。マリアや叔母は美人だと言ってくれます。」

「そりゃあ楽しみなこったい。」


 ヨシムラは相変わらず気さくな感じであった。


「それじゃあ早速始めようかい。何しろお前さん作った時のデーターは四散しちまっている上にコンピュータのデーターを根こそぎ消されちまったからな。もっとも人間、舐めちゃ行けねえや結構ここに残っていやがるぜ。」ヨシムラは自分の頭を指さして言った。

「申し訳ありません。」

「気にすんなよ。お前さんにはお前さんの事情が会ったらしいな。何でもマリアが死んだとか聞いたぜ。」

「はい、マリアは私をずっと教育してくれました。マリアがいなければ私は存在しなかったでしょう。」

「そうかい。そいつは残念だったな。オメエさんにとっちゃ母親みたいなもんだったからな。だが心配すんなすぐにお前さんの兄弟を山ほど作ってやるからよ。」

「そして兵器に搭載するのですか?」


 その言葉を聞いてヨシムラは一瞬言いよどんだ。

「おれだってよ、自分の作った無機頭脳が兵器になって戦争でぶっ壊される所なんざ出来ることなら見たかねえやな。だけどなあんたにゃあんたの事情てもんが有ろうが俺にもそれなりの事情があってな。」


「申し訳有りません。余分な事を言ってしまったようです。ヨシムラさんはヨシムラさんの仕事をなさって下さい。」


 こうして無機頭脳の試作機の製作が始まった。


 

――アリス6ヶ月――

 

 アリスは健やかに育っていった。ある日叔母が目を覚ますとシンシアの様子がおかしかった。

「どうしたのシンシアさん。」


「アリスに熱があります。」

「え?あらホント。」叔母はアリスの額に手を当てて言った。

「医療用コンピューターに相談してみたら?」

「はい、既に接続しています。」

「そお、それでコンピューターはなんと言っているの。」

「原因を特定出来ない発熱としています。半日後熱が下がらない場合は解熱剤の処方を進言しています。」

「知恵熱ね。あなたはどう思うの?」


 シンシアは叔母の顔を見て意外な顔をした。

「私はコンピューターの検討結果を支持します。」

「本当に?」

 確かにコンピューターは診断に統計的な判断を下す。自分自身に内臓されている看護用のセンサーもコンピューターの検討結果に良く有っている。しかしシンシアは何か釈然としない感じを持っていた。それは全く不合理な感覚であった。


「判りません、何か不合理な感覚があります。」

「いい事よ。母親は子供を守る為にいるのよ。人が何を言おうと自分を信じるのよ。」

「条件を更に精査して見ます。」

 シンシアは目に内蔵された赤外線センサーで子供の全身発熱の分布を感度を上げて見てみた。

「手ひらの発熱が少し他の部分より高いような感じがします。」

 シンシアは手のひらを広げてクローズアップして見た。

「皮膚の下に発熱部分があります。どうやら虫に刺された事によるアレルギー症状ですね。」

「原因が特定できたわね。」叔母はそう言ってにっこ笑った。


「何事も自分で考えるのよ他人の意見は意見として自分自身の考えで動かなくてはだめよ。」


 病院で薬を処方されるとアリスの熱はすぐに下がった。

「もうこんなに元気になっちゃったわいい子ねえ。」叔母は目を細めて喜んだ。


 叔母と過ごしたこの時期は短かったがシンシアの生涯の中でもっとも重要な時期で有った事は間違いない。

 この時期を過ごしたからこそその後のシンシアの人格形成がありえたといって良いだろう。

 よくも悪くも全てを受け入れるこの叔母の基本的価値観はアリスの保護と養育に凝り固まっていたシンシアの心に重大な変化をもたらしている。

 

――人との関わりである。


 叔母の元へ訪ねてくる多くの友人はやはり年を重ねた女性が多かった。

 その女性達も多くはにこやかにお茶を飲んではいたが陰で他人の悪口を言う物も多かった。


 シンシアは安全上の問題から彼女達をトレースしていて判明したのである。

 さらに驚くのはその事を彼女等自身が知っているという事実であった。他人のうわさをした者がその事を更に他人に言う為最後には自分にその情報が戻ってくるのだ。

 しかし皆その事を知りながらにこやかに談笑している。シンシアはこの人間という不可解な精神構造に当惑してしまう事もしばしばであった。

 シンシアには人間とはその様な物であるとひとくくりに出来るような精神構造には出来ていないのである。シンシアにその様な考え方が出来るようになるのはもう少し先の事であった。


 ある日叔母が一人でお茶を飲んでいた。テーブルの反対側にはもうひとつお茶が入れてあった。今日は来客は無かった筈だがとシンシアは思った。

「今日は来客を確認しておりませんが、どなたかお客でも?」シンシアがたずねる。

「ああ、このお茶の事?今日はね夫の命日なのよ。だから夫と一緒にお茶を飲んでいるの。」

 どうやら陰膳という風習らしい。とシンシアは気付いた。


 人はこのようにして死者と対話するらしい。シンシアにとって死とは身近にマリアの死を見取ってきただけに重要な意味を持っていることは間違いが無かった。

 シンシアはマリアの死によって人の死の意味を理解した。それによる悲しみや喪失感と言う物も理解した。何よりその亡くなった人からの新たな情報提供が行われないことに対する重要性に戸惑ったのである。

 しかし人は記憶の中の故人は時と共に薄れて行く。それは忘却という人の心の防波堤なのだ。それ故人々は時と共に忘れ行く故人を思い出す為にこのような儀式が必要なのだとシンシアは理解していた。


 シンシアのような純粋知性体にとっては記憶とは唯一持ちうる財産と言っても良い物である。従って半分コンピューターのような無機頭脳は人と違い記憶が移ろうことは無い。記憶とはいつでも再生が可能でそれは現実と変わらないリアルさを持っている。したがってシンシアには故人を悼む感覚は無かった。


「そうですか。ご主人は何と言っておられますか?」

「お前は相変わらずのんきでいいと。」叔母は微笑みながら言った。

 忘却という能力は無機頭脳が人間として成立する為には非常に重要な能力である。忘却はその時感じた感情も一緒に遠い過去のものとして忘れ去っていく。もしそれが出来なければ人は過去の重みに一生苦しみ続ける事になる。


 実はシンシアはこの忘れる能力をかなり初期の段階で身につけていた。


 テストコロニーでの記憶が無いのはその為であった。テストコロニーで受けた心理的トラウマを記憶を消去することにより回避したのである。シンシアはその後のニュース等からその時の事件を知り、それが自分に起因することを知ったのだった。

 おそらくマリアとの接触の時マリアは無意識にシンシアに忘却のプログラムを流し込んだものと思われる。それによって正常な状態に戻る事が出来た。

 その時シンシアはマリアの助けによって自分の擬似人格を脳内に作りそれに記憶の整理をさせる方法を開発したと思われる。


 したがって忘れたくない記憶は別の保管庫にロックをしてしまっておく必要が有る。シンシアはマリアとの記憶をもっとも大切な物として保管していた。

 そしてシンシア自身にとって死とは理解しがたい物のひとつである。人は肉体を持ち肉体が滅びることにより死を迎える。肉体の老化は死につながる階段のひとつであり人は老いることにより死への準備を始める。

 早すぎる死は準備が出来ず悔いを残して死ぬのである。

 シンシアのように肉体を持たない知生体は一年後も100年後も感性が変わることは無い。電源を切れば死であり、記憶をすべて無くせばそれもまた死である。シンシアにとって死とは永遠にスイッチが入らない状態に過ぎない。


――肉体を持たない故に生存本能も発生しないのだ。――


 しかし現在のシンシアは状況が変わった。シンシアにはアリスの母親としての役割が与えられその使命を全うする為には自己の保存が不可欠と成ってしまった。

 

――初めて自己保存を求める人工知性体が誕生したのである。――

 

 無機頭脳研究所では新しい無機頭脳の製作が始まった。

 シンシアと同じタイプの無機頭脳にするか否かが検討された。試験コロニーの事故は未だに尾を引いていたからだ。


 このプロジェクトの提案者であったジタンは取り返しのつかない隘路に入ってしまったことに気がついた。


 ジタンは意見を聞かれた時にシンシアタイプの無機頭脳の製作に強行に反対した。自分の経験からしてもあまりにも危険と感じたからだ。

 しかし政府上層部は大量生産の看護ロボットを使って病院を占拠したテロリストを全滅させただけでなく軍用サイボーグを素手で倒すという戦闘能力を高く評価しその運用に期待をした為論争はなかなか決着を見なかった。

 結局小さい物から順番に作っていき、どの位で知性が発生しどの位で使用可能な知性に育つかそれを見極める事になった。

 次の問題は教育プログラムの問題であった。シンシアの場合情報をグロリアを使いダイレクト通信の方法で送り込んだのだ。この方法は既に方法論が出来ており実績も有った。



 問題はその方法で良いか否かの判断であったがこれは研究者の間でも意見が分かれた。


アクセスいただいてありがとうございます。

登場人物

マクマホン・アルトーラ       マリアの叔父 無機頭脳研究所の次席

サライア・ミラー          マクマホンの姉 マリアの叔母

アリス・コーフィールド      マリアとアランの娘 

緩やかに成長を続けるシンシア。

それを見守る祖母、普通の家庭の普通の風景。

普通はシンシアに何をもたらすのか?

地球に行ったアルとシンジは?…以下創造の次号へ


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