忘却の王子様
かなりシリアスです。苦手な方はご注意ください。
演劇部に所属している神谷夏輝という名の女子生徒は、中性的な顔を持っていた。おまけに容姿端麗で背もすらりと長い。ショートカットの黒髪や、長い脚、薄い胸。声や表情は女性的で、でも見た目は男性的。
容姿を活かして「王子様」役に抜擢され、演劇部で王子様役をこなしてから「王子様」と呼ばれるようになる。以来、彼女は「王子様」を完璧にこなすようになる。プライベートでも、演劇でも。
だが、彼女は女の心を忘れたわけではない。
恋話だってする。女子生徒の相談に快く乗ってくれる。
失恋した女の子の気持ちに寄り添い、励まし、元気にさせてくれる。
それが、神谷夏輝。
女子生徒の憧れの王子様で、けれど決して手に入れられない王子様だった。
今日も、王子様を求める女子生徒が夏輝の元へと訪れる。
「夏輝ー、お客さん」
加藤先輩に声を掛けられて、夏輝は部室の外を覗いた。
女子生徒が居た。うつむきかげんの顔は暗く、泣きはらした目元が痛々しい。
「噂を聞いたんです」
自己紹介も無しに、女子生徒はぶつぶつと喋り出す。
「王子様が、すべて無かったことにしてくれるって」
怪しく光る瞳。
聞きなれたフレーズから、夏輝は顔をしかめて静かに加藤先輩に耳打ちした。
先輩はうなずき、「ここではなんだから」と女子生徒を部室の奥へと誘った。
演劇部員の視線を受けて、夏輝は苦笑した。
「見学者かも」
「そっかぁ。部長とお前が居りゃあすぐ入るんじゃないか」
「がんばる」
短く切って夏輝は奥の小部屋へと入った。元は物置小屋だったが、女子部員が衣装に着替えるスペースとして整理されている。加藤先輩は鏡面台にてきぱきと道具を用意していた。ヘアーアイロンもセット済みだ。
丸いイスに座ってうつむき続ける女子生徒。
その前に座って、夏輝はさっきの続きを促した。
「片想いでした」
か細い声は悲しみに震え、今にも泣きそうだった。
加藤先輩が、彼女のポニーテールを解いた。
優しい手つきで彼女の痛んだ髪を梳いていく。
「でも、付き合えると思ったんです」
彼女の顔にファンデーションが乗せられる。
化粧が開始されると、彼女のうつむいていた顔も上がっていく。
「最近はずっと一緒に帰っていたし、よく話しかけてくれたから。優しい言葉をくれた。私に触れてくれた。だから……彼も、私のことを好きだと思っていたんです。想い合っていると信じていました。もうすぐ付き合える、彼のそばにいられる。私は――」
アイメイクを済ました、凛とした眼が見開かれる。
「私は、特別になるはずだった!」
怒りに立ち上がる女子生徒の制服を、加藤先輩は脱がせていく。
心の殻を剥ぎ取るように。
理性を剥ぎ取るように。
彼女は真の彼女になる。
「あの女が急に現れて、私から彼を取ったんです。彼の隣には私が居たんです、ついこの前まであの笑顔は私に向けれていたのに!」
コルセットを着け、次第にドレスアップしていく女子生徒。
彼女は、お姫様になるのだ。
愛され加護される、自分が望んだ姿を取り戻すために。
「あの女は、なんでも持っているのに。ついこの間まで彼氏が居たのに、どうして私から彼を取ろうとするのだろう。でも、私は彼とは付き合っていない。彼から離れてなんて言えない。言えないまま、時間だけが経っていった」
熱くなりきったヘアアイロンで、彼女の髪は巻かれていく。
優雅で、繊細な、お姫様になるための最後のステップ。
「もちろん、もう一度振り向いてもらえるよう努力しました。たくさん尽くしました。たくさん、たくさん。きっとこれ以上ないほど、私はこの恋にすべてを懸けました。それなのに」
加藤先輩は奥からお姫様に見合う靴を取り出した。
「そしたら……あの女と、彼が付き合うことに……。初めから私は相手にされてなかったんです。急に現れたあの女に横取りされちゃうくらい、私は平凡な女だったんです。あとちょっとだったんです。平凡な女から特別な女に、あの女と並べるほどの特別を持てたはずなのに!!」
お姫様の目から涙がこぼれ、頬を伝った。
夏輝は立ち上がりお姫様の涙を拭った。
「あなたの傷を癒す方法はただ一つ。忘れることだよ」
彼女は頭を振り、震える声で言った。
「無理です。彼を忘れるなんて。私は彼が好きです。あの女が思うよりも、ずっと、ずっと!!」
「大丈夫。僕が忘れさせてあげる」
夏輝は真紅のケープを彼女の頭にかける。
「このケープが取れたとき、あなたはお姫様になる。白いお城で待つ王子様へと嫁ぐ、夢の花嫁人形」
加藤先輩が彼女を誘導する。
隠された地下体育館――夢のお城へと。
夏輝は女の衣を脱ぎ、王子様の衣装を身につけた。
女の心を捨て、男になりきる。
傷ついたヒロインを救うのは王子様だけ。それを信じて疑わない夏輝は、心から王子様になりきる。
真っ白な、表情のない仮面をはめて部室を出る。
お姫様が待つ、夢のお城へと。
真っ暗な地下体育館。
中央に控える夏輝――王子様は指をパチンと鳴らした。
照明がかっと王子様を照らし、もう一つのシルエットを浮かび上がらせる。
「おいで、僕のお姫様」
手を伸ばす先、闇からゆっくりと手を伸ばしてくるお姫様。
手を握って引き寄せる。
「君の好きな人だと想って、全て打ち明けて」
天井からワルツが流れ始める。
王子様はお姫様の腰を抱き、二人でワルツを踊り始める。
「言って。君の想いを」
「好き」
彼女の声ははっきりと響いた。
「好きなの、瀬戸君。
私の字が綺麗と言ってくれた日から。
ノートを貸すようになって、あなたとたくさん話すことになってから。
もう――瀬戸君しか見えなかった」
お姫様のドレスが花のように開き、揺れる。
彼女は一心に王子様の目を見つめる。
顔を寄せ、求めるような目をして、王子様だけを望む。
「あなたからしたら、些細な出来事だったかもしれない。でも、なにも持たない、可愛くもない、無能なだけの私を褒めてくれたこと、どれほど嬉しかったか。一緒に帰るようになって、ずっとこの時間が続けば良いのにって思ってた。それなのに、どうして」
彼女の目から沢山の雫が散る。
「どうして、あの女なのよ!!」
照明が落ちる。
音楽だけが鳴り続け、彼女の嗚咽がもれる。
「もうやだ……苦しいよ。苦しいの、瀬戸君」
「その苦しみ、僕が忘れさせてあげる」
再び、照明が二人を照らす。
仮面を外した王子様が、にっこりと笑う。
「僕が君を特別にしてあげる。この世界で、君だけが特別で、大切で、愛されるべき存在なんだ」
「え……」
「無能なんかじゃない。君が君であるべきことが大切なんだ。そして僕は、そんな君を愛おしいと思うよ」
ワルツは再開される。
「君が大切だよ。誰よりも、あの女よりも」
「あの、女よりも……」
「そう。あの女よりも、ずっとずっと君は魅力的だよ」
ワルツを踊りながら王子様はお姫様の耳元で囁き続ける。
お姫様が疲れ果て、眠りに付くまでワルツは踊られる。
保健室で眠る女子生徒を見下ろしながら、加藤先輩は夏輝を見上げた。
「夏輝」
「はい」
「いつまで続けるの。王子様ごっこ」
夏輝は黙ったまま、静かに女子生徒を見つめ続けた。
「この子達はいずれ気付くのよ。あなたが女で、自分の物にならないことを。初めから、自分はお姫様なんかじゃないって気付いて、傷つくのよ。それでも仮初の王子様を続けるの」
夏輝は目を伏せた。
「暗示に掛かってしまうくらい傷つくなら……恋なんてしなければいいんだ」
「夏輝」
「望まれなくなるまで、私は王子様になりますよ」
夏輝は踵を返して、保健室から出た。
短編です。普段書かないシリアスに挑戦しました。ミュージカルや劇の一幕をイメージして書きました。