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54.約束 その弐

 ゆっくりと味わえなかったことを残念に思いつつ、カップをテーブルの上に戻した海は、桂に向き直って真剣な表情で問い掛けた。


「それで話というのはなんだ?」


 同じくお茶を飲み干した桂がカップをテーブルの上に置き、彼の視線を真っ向から受け止めて口を開く。


「遠回しな言葉は私の性分ではない。だから、本題を言う。おまえは私よりも長く生きると言ったな。絶対にか?」


 虚を衝かれたといった表情になった海が、数度瞬きをしてから苦笑を浮かべた。

「世の中に絶対はないが、寿命ではそうなる。たぶん、わしは桂よりも長く生きられる。だが、そうするつもりもない」

「なら、おまえは私より先に死ぬのか?」

「……いいや。桂が死す時まで傍にいて、見届けてから黄泉国へと旅立とうか。おまえを現し世で独りにするのは、わしが嫌だ」

 にっこりと笑みを浮かべる海に、桂はため息をつく。


「やはりそういうことか……。ならば、私はおまえに条件をつける。それがのめるなら、残りの私の生をすべておまえにくれてやる」


 桂の表情は真剣だった。琥珀色の瞳が決意の色を浮かべている。


 ずっと心に引っ掛かっていた。

 あの時告げられた言葉の意味の危うさが、海が懸念していることよりも、桂にとっては気になった。

 海は桂の命を脅かす可能性を持っているけれど、桂の存在が彼の命を縮めるのではないかと。


「桂。それはどうしても聞かなければ駄目か?」

 桂の言葉はとても魅力的なのに、その条件がたぶん己の望まないものだと海は感じていた。だからこそ、彼は彼女の話を聞きたくなかった。

「おまえが私の傍にいたいと望むなら」

 頑なな桂の返答に、海の眉尻が下がる。

 選択肢など初めから一つしかなかった。聞きたくなくとも、彼女の条件を聞かなければどうしようもない。


「とりあえず条件はなんだ?」

 息を吐き出した海は、覚悟を決めて問い掛けた。桂は硬い表情のまま、条件を告げる。

「海が寿命以外で死なないこと」


 要するに、自ら命を捨てるような行為はするなということなのだ。

 だが、それはいつか桂を失った時に、その虚を抱えたまま長い年月を海に生きろということだった。 その先、何十年、何百年、もしかしたら何千年も。

 桂以外愛せないのに、彼女の存在しない現し世で生き続けろと。

 桂の望みを叶えるためには、生き続けるためには狂うことすらできない。正気を保ったまま、残りの長い年月を独りで生きなければならなかった。

 

「…………桂は酷い」

 深いため息の後、海は小さく呟き、哀しげに微笑む。それに桂もまた、曖昧な笑みを返した。

「そうだな。私は酷い。だが、どうしてもおまえの死は許容できない。私の我が侭だ。おまえが私より先に死ぬことも、私の死がきっかけで死ぬことも嫌だ。私が原因でお前が死ぬなど絶対に嫌だ」

 彼女の膝の上で、拳が固く握り締められている。

「綺麗事だと分かっている。己の、大切な者の命が脅かされるなら私は抗うし、必要ならば生きるために誰かを殺すことも厭わない。だが、そう考える一方で、私はもう誰の命も奪いたくないと思うんだ。その原因になりたくない。その命を背負いたくない。だから、私のためには絶対に死ぬな」


 海に出会ってから、桂は涙脆くなった。――弱くなった。

 瞳の端から、堪え切れなかった雫が一粒だけ頬を伝う。


 桂の頬に手を伸ばし、その涙を拭った海もまた泣きそうな顔をしていた。


「本当に桂は酷い。でも、わしはおまえの願いはなんでも叶えたいと思うのだよ。それで安心できるというのなら、その条件をのむ。その代わり、わしにも確約をくれ。黄泉国でわしを待っていてくれないか? たぶん、ずいぶんと待たせることになる。だが、黄泉国で桂に一目でも会えるならば、おまえを失った後の残りの現し世での生を生きられる」


 懇願のような海の願いに、桂は泣き笑いのような顔になる。

「約束する」

 告げられた言葉は簡潔なものだったが、海にとっても、それを告げた本人である桂にとっても、とても重要な言葉だった。

「おまえが愛しいよ、海」

 己の内に芽生えていた想いが、言葉として零れ落ちる。

 条件などつけなくても、桂は海に囚われていた。だから、これは本当に彼女の我が侭なのだ。


 彼の彼女への執着を逆手に取った、彼が断れないだろう残酷な要求。


 海を失いたくないからこそ、桂はどうしてもその条件を彼に突き付けずにはいられなかった。まだ先の話だとしても、限りある時を二人で共に歩み始めるために。どうしても――。


 重ねられた唇に瞳を閉じる。迎え入れるように自ら唇を薄らと開けば、すぐさま舌が侵入して桂の舌に絡みつく。それは彼女の息すら奪うほど深く、遠慮のない貪るような口付けだった。


 熱く、狂おしく、切なくて……少し淋しい。満たされたようで、まだ足りない。

 完全に満たされる時など、永遠に来ないのかもしれない。

 でも、それが幸せ。求める、求められる存在がすぐ傍らにあるのだから……。


 口付けから解放された時、桂は酸欠になっていた。彼女のくたりと力の抜けた身体を、海は満足げに己の膝の上に乗せ、横抱きにして腕の中に閉じ込める。


「桂。わしの愛しい伴侶殿。できるだけ長く、長く、現し世でわしの傍にあってくれ」


 耳元で囁かれた言葉は、彼の切実な願い。

 くしゃりと顔を歪めた桂は海の肩口に額を押し付け、彼の背に己の手を回し、その身を抱き締めたのだった。



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