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53.約束 その壱

 先日行われた藍の結婚式で、図らずももらうことになったブーケの花々を、桂は乾燥させてドライフラワーにした。ようやく乾燥作業も終わったので、花瓶に入れて飾ろうと彼女はそれを手に取る。

 花瓶に入れた後、形を整えて店に置かれた棚の上に飾った。それを満足げに見た後、ふと海のことを思い出す。


 あの後、気絶したはずの海はいくらも経たない内に復活してきた。さすが頑丈さだけは折り紙付きだ。そして、原因である桂の傍に、当然のように彼はずっといた。しかも、いつもと変わらない様子で――。

 時が経てば頭も冷える。少しだけ冷静さを取り戻した桂は、さすがにやりすぎたかと内心で反省したのだけれど。あまりに海の態度がいつも通り過ぎて、呆れていいのか、笑っていいのか、とても微妙な心境に陥っていた。

 だが、それもさほど長い時間では無かった。一連の騒動で更に注目を集めてしまった二人は、酒も入って気が大きくなった連中に良い意味で絡まれたのだ。


 久しぶりにあれほど賑やかな輪に入った桂だったが、それなりに楽しい時間を過ごせた。そうできたのは、海のさりげない気遣いのお陰だ。

 そのことに気づいたのは、桂が自宅に一晩泊まることを遼がやや強引に了承させ、明日の朝迎えに来ると彼が去った後だった。


 器用だけれど、桂に対しては率直でさりげなく、不器用な男のありようを思い、彼女は微笑む。それは穏やかでやさしい笑みだったが、ほんの少し陰りを含んでいた。


「さて。あいつはいったいどんな反応をみせるかな」


 気を取り直して小さく呟き、桂は仕事に戻る。

 どうせ今日も海は来るだろう、と。




「ただいま~、桂」

 軽快なドアベルの音が鳴り、相変わらずな台詞を口にして店に入ってきた海に、桂は呆れた視線を向ける。

「おまえは本当に……」

 そろそろ怒鳴りつける方が馬鹿らしい。

 桂の方を見た海は、その場でピタリと立ち止まった。驚きに見開かれた翠玉の瞳が彼女を凝視している。

「桂。その服は――」

 そう震える声で呟き、海が猛然と桂に歩み寄る。

 身の危険を感じた桂が戦闘態勢に入り、その不穏な空気を感じ取った彼は、彼女の前で抱き締める寸前だった腕の形をしたまま固まった。

「だいぶ学習したようだな」

 意味ありげに笑った桂に、海は眉尻をへにゃりと情けなく下げた。そして、しぶしぶといった様子で腕を下ろす。


「似合うか?」

「ものすごく。今すぐベッドに連れ込みたいくらいには」


 真顔で返され、桂は深くため息をつく。その足はギリギリと力一杯、海の足を踏み付けていた。

「あの、桂? 地味に痛いんだが……すまん。わしが悪いです。だから、睨まないで」

 痛いと言ったわりには痛そうな顔をしていない。窺うように桂を見る海の瞳は、言葉とは裏腹にうれしそうに輝いている。表情は神妙そうに繕っているが、それでは化けの皮は初めからはがれていた。


「反省の色が見えないぞ?」

「それは、まあ。事実しか言ってないからな。それにしてもよく似合っている。ピッタリだな」

 これ以上踏んでも無駄だと諦めた桂が、海の足を解放する。

「そうだな。おまえがくれた服がこうもちょうど良いとは思わなかった」


 現在、桂が身に付けているのは、海が贈ってくれた服の一つだ。その上に彼女は作業用エプロンを身に付けている。

 色味の趣味が良く、生地も仕立ても良いので着心地も悪くない。だから、動きを阻害されることもない。既製品というよりは、これは桂のために作られたオーダーメイドのような気がした。

 そうなると疑問が一つ。


「どうしてここまでサイズがピッタリなのか、説明してくれるか?」


 桂は顔に笑みを浮かべて問い掛ける。だが、そこに不穏なものを感じた海は一歩後ろへと下がった。

 その様子に彼女が首を傾げ、瞳だけで問いの答えを促す。無言の威圧に負けた彼は、恐る恐る口を開いた。

「目測……」

 その言葉に桂の眼光が鋭くなる。それだけではないだろうと、その瞳が語っていた。

「と……触感、で……」

 突き刺さる視線と沈黙が何よりも痛い。だが、海は事実しか言っていなかった。


 大体の寸法は見ただけで分かるし、触れたり、抱き締めたりすれば、たとえ服でそのしなやかな肢体が隠されていようと、より正確な大きさは測れるものだ。

 その精度になるまでの経験則は、とても彼女に語れないが――。


 桂の口から吐き出された深い息に、海が怯えをみせる。己の過去のありさまを説明しろと言われたらどうしようかと、彼は本気で危惧していた。だが、桂がそれ以上追及することはなく――。

「まあ、いい。話がある」

 顎で奥を示し、作業用エプロンを外して椅子に引っ掛けた彼女は自宅の方へと姿を消す。拍子抜けした気分でその姿を見送ってしまった海は、妙に強張っていた桂の表情に首を捻り、その後を追ったのだった。




 海が居間に行けば、桂はキッチンでお茶の支度をしていた。彼の姿を認めると、座るようにとソファを示す。

 促されるままにソファに腰掛けた海は、妙な雰囲気の桂の姿を目で追う。

 なんというか、そう。彼女が緊張しているように思えたのだ。

 そうしてしばらく無言で待っていたら、彼の前にお茶の入ったカップが置かれた。意外なことに、それからはほんのりと酒の匂いがした。

「桂。これは……?」

 酒と言っても、香り付け程度にほんの数滴垂らしただけのものだろう。だが、それでも桂がこの手の代物を海に出したことはない。彼女が彼の前でそのような物を飲んでいた所も見たことがない。

 隣に腰掛けた桂は、海の物問いたげな視線を気にすることなく、それを口に運んでいた。


「多少でも酒を入れなければ、気分的に話し辛いんだ。気にしないで飲め」

 そう言われても、海はこの程度で酔うことはない。というか、酒に酔わない体質だった。

 桂に睨まれて、彼は困ったような表情になる。

「……酒が飲みたいのなら、わしの秘蔵酒でも出そうか?」


 主食と豪語できるほど酒好きな海は、それ専用に設えた異空間へ常に何十本もの酒瓶を保存している。それらは長い年月をかけて彼が飲み歩いた結果であり、どれもこれも自慢の一級品だ。


「昼間から酒が飲めるか。気分的な問題だと言っただろう。とにかく飲め」

 これを飲まなければ話が進まないことに気づいた海はカップを手に取り、その中身をいっきに飲み干した。適温に入れられたお茶なので火傷することもなく、それは喉を通り過ぎたのだった。



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