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52.娘の結婚 その漆

 海のもとへ桂がしばらくしてから戻ると、彼はなぜか昴と風に大笑いされていた。意気消沈し項垂れる彼の姿に、心配になった彼女は声を掛ける。

「何かあったのか?」

「あったと言うか、なかったと言うか。こいつらの娯楽の種にされていただけだ」

 力無い笑みを桂に向け、海は小さく息を吐き出す。

 なんとも反応に困る言葉を返され、桂が眉間に皺を寄せれば、その皺に彼が指で触れ、伸ばすような動作をする。


「いつものことだ。気にしなくていい」

 そう言いつつも、海は疲れたように笑うのだ。気にするなという方が無理だった。

「私には言いたくないことか?」

「別にそういうわけではないが――」

 言葉を濁す海に、桂は苛立つ。その手を払い除けて、彼女は彼に対峙した。


「では、話せ」

「桂?」


 桂の態度が妙な気がして、海は首を捻る。彼には何が彼女の気に障っているのか分からなかった。

 桂の方もまた、何がこれほど気に食わないのか分からない。ただ、海の曖昧な態度に気分がささくれ立っていた。

「わしは何か気に障ることでも言ったか?」

 分からない以上は、本人に訊くしかない。だから、海は問い、桂に手を差し伸べた。その手を彼女は見つめ、不機嫌そうに黙り込む。

 いっそう困った海が困惑顔で桂の顔を見るが、彼女が答えを口にすることはなくて――二人の間に妙な空気が漂った。


 そんな二人の様子を見物していたのは、側にいた昴と風だけではない。酒も入ってどんちゃん騒ぎに移行していた者共も、彼らの振りまく異質な空気に気づき、それが犬も食わぬ類のものではないかと邪推して遠巻きに見物していた。

 彼らはもとから目立つ存在だったので、良きにつけ悪しきにつけ自然と人目を集めてしまったのだ。

 だが、当人達は互いのことで手一杯だ。海の方はそれらの視線に気づいていたものの、桂の態度の方が気掛かりでそちらの牽制などしている余裕はなく、桂の方はこういう類いの視線を向けられても気づかないくらいには鈍かった。

 桂とて身の危機である殺気を向けられれば、些細なものでも気づく。だが、今回の視線はそれらとはまったく異なった種類のものだ。


「桂。話してくれなければ、わしには何がなんだか分からないんだが――」

 諭すように告げられて、桂が海を睨みつける。

「私には話せないことなのだろう? ならばそう告げれば良い」

 低く押し殺したような声で告げられ、海はよく分からないなりにも彼女が何にこだわっているかだけは理解した。


「……桂に真名を告げかけて拒絶されたことを白状させられて、大笑いされていただけだ」


 改めて口にしたくなかった過去の出来事に、海の声に面白くなさそうなものが混じってしまうのは仕方ないというもの。

 桂はその答えにキョトンとした後、言葉の意味を理解したらしく瞬時に頬を紅潮させた。


「それは、なんと言うか――すまない」


 どういう意味での謝罪なのか。海が苦笑する。

「桂が謝ることなど何もないよ。それよりも何がそれほど気に障ったのか教えて欲しいのだが……嫉妬か? だったらわしはうれしいぞ」

 まっすぐに桂を見つめる翠玉の瞳は、悪戯を仕掛ける子供のように輝いている。

「そんなわけあるか。ただ――」

 言い淀んだ桂に、

「ただ?」

 海は促すように言葉を繰り返す。


「ただ、隠し事をされるのは――」

 海から視線をそらし、桂は続きの言葉を早口に告げる。

「淋しいと思っただけだ」


 取り繕うように不機嫌そうな顔になった桂が海の方を見れば、彼はその顔に満面の笑みを浮かべていた。彼女への想いを惜しげなく表現することに抵抗のない彼は、

「愛している、桂」

 聴衆の面前で、堂々と彼女にそう告げたのである。


 静まっていた周囲から、おお~とどよめく声が聞こえる。どこからともなく拍手までされている。

 そこでようやく周囲の視線が自分達に向いていたことに気づいた桂は、更に赤くなり――感極まって彼女に抱きつこうと、無防備に近づいてきた海へと渾身の一撃をお見舞いした。

 見事なアッパーカットに、海の身体が空中を舞い――どさっという無様な音を立てて、その身は地面に落ちる。その一撃は今までで最高の当たりだった。


 あとに残されたのは、先程とは別の静寂と、気絶した男が一人。


 そして――。

「勝者、桂さ~ん」

 桂の腕を上げて勝者のポーズを取らせ、笑顔で大はしゃぎする風。


「すごいわ、桂さん。あの海が気絶する姿なんて初めて見た。ホント、尊敬しちゃう」


 そうまくし立てた彼女は、遠慮もなく子供のように桂へと抱きつく。先程の海と同様の惨事を懸念した周囲に一瞬緊張が走ったのだけれど、桂が彼女を手荒く扱くことはなく、そのままの状態で困惑顔になった。

「ほら、風。桂さんが困っているよ。海が伸されてうれしいのは分かるけど、他人様に迷惑をかけてはいけないよ」

 見兼ねた昴に諭され離れた風は心の底からうれしそうに笑っていて、それを目にした桂は複雑そうな顔になる。

 誰かが手配しただろうタンカーに乗せられ、運ばれていく海の姿をその場から見送っていれば、いつの間にか近くに来ていたらしい藍に話し掛けられた。


「お母さん。海様とは相変わらずなのね」

 藍の苦笑混じりの声に、桂が不機嫌そうに顔を顰める。

「あれはあいつが悪い」

 けして自分が悪いわけではない。自業自得だ。

 あんな衆人環視の中で、言っても良い言葉と悪い言葉というものはある。

 突飛もない海の言動に慣れてきた桂だとはいえ、人並みに羞恥心というものは持ち合わせていた。


「……お母さんへの気持ちを、いつ如何なる時でも偽らず、溢れんばかりに告げることができる。それは海様の美点だと思うわ」


 確かに良くも悪くも彼は、羞恥心というものが欠けているような気もするけれど――。

 それだから桂が感じている羞恥心にも疎いのでは、と思わないでもないのだけれど――。

 心の中で藍は言葉を付け足したが、それを顔に出すようなことはせずに同意を求める。だが、桂はフイッと子供っぽくそっぽを向いてしまった。


「あいつは変態なだけだ」


 ぼそりと反論した後、彼女は口を閉ざす。

 藍は困った顔で、今度は自分に付き添っていたライに同意を求めたのだが――彼もまた、厳つい顔のまま、内心ではどちらかというと桂の意見に賛成で、無言を押し通したのだった。

 とても自分には真似できない、と。



これにて「娘の結婚」は終了。

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