51.娘の結婚 その陸
一方。遼に連れられて行った先で、桂は困惑していた。
「遼……」
この場に自分はいない方が良いのではないかと、桂の腕を掴んだままの遼に視線を向けるが、同胞に対峙する彼女に無視された。
「ちょうど良い機会だから話しなさい。お互いに会うのは久しぶりでしょう?」
桂も相手も困惑顔で遼を見ているのだが、分かっているだろうに知らん顔で彼女は言葉を続ける。
「こんな機会でもなければ、あなた達は話すことなんてできそうにないんだから……。まったく二人して不器用なんだもの。世話が焼けるわね」
しっかり腹を割って話しなさい。そうしないとあとで――分かっているでしょうね?
笑顔の遼だったが、その瞳は笑っていない。彼女は二人がコクンとしっかり頷いたことを確認してから桂の腕を離し、二人を残してその場を去ってしまった。
桂がため息をつき、本当に久しぶりにこうして対面する同胞に目を向ける。
「遼が強引に連れ出したのだろう? すまないな、杏」
片や地上に行ったまま還る資格を失った元セイレーン。
片や碧い海原から滅多に外に出ず、地上に来ようなどとは考えてもいなかったセイレーン。
こんな風に再び見えることになろうとは、桂も思っていなかった。
「遼が強引なのはいつものことよ。桂が謝ることではないわ。そこに座りなさいな。せっかく作ってくれた機会ですもの。少しお話しましょう」
苦笑した杏が空いているもう一つの席を桂に勧める。
会場の隅に作られたこのスペースは、観葉植物や置物などでさりげなく隔離されている。わざわざ二人のために作ったスペースなのか。テーブルの上には飲み物と食べ物が置かれているが、椅子は二脚あるだけだ。
桂は勧められた椅子に座り、潰してはいけないとテーブルの上に持ったままだったブーケを置く。
「……怒っているか?」
二人分のグラスにピッチャーから冷えたお茶を注ぐ杏を、桂は恐る恐る見る。
杏は桂がまだ碧い海原にいた頃の一番の友人だった。桂よりも少し年上の、けれど遼よりは年下の。桂にとっては、もう一人の姉とも言えそうな存在。
「そうね。怒っていたこともあったわ」
桂の前にグラスを置いた後、自分の前に置かれたグラスから一口だけお茶を飲み、杏は困ったような顔で笑う。
「はっきり言って、わたしも他の同胞もあなたの仕出かしたことに対して、許せない気持ちは今でもある。これは理屈ではないの。あなたなら、分かっているでしょう?」
故郷に対して、海原に対して放った呪詛。桂の手を放れてしまったそれは、けして小さくはない被害をもたらしただろう。目では見えなくとも想像くらいはできる。
海原を愛するセイレーンがそれを害するなど、裏切り行為以外の何物でもない。
顔を歪めて俯いた桂に、杏は言葉を続ける。
「だから、わたしは遼や藍が少しうらやましい。その気持ちをねじ伏せて消してしまえる強さを、わたしは持っていないから。ごめんなさいね、桂。あの当時のあなたの気持ちは分かっているのに、許すとはどうしても言えないの」
淋しそうに笑う杏に、桂は首を横に振った。
「どんな状況であろうと、私が許されないことをしたのは確かだ。だから、そんな風に言ってもらえるとは、実は思っていなかった。もし同胞に会えたとしても、完全に無視されるかもしれないと思っていたんだ」
ぎこちなく笑みを浮かべた桂に、杏は問い掛ける。
「桂は今、幸せ?」
「……どうだろうな」
少し考え、桂が首を傾げる。
不幸だとは思わない。
あの街は桂にとって居心地は悪くないし、仕事にも不自由なく、生活できるくらいには稼げている。それに今はあの、妙な男が傍にいる。だから、独りではない。そんな気がした。
「あなたが幸せだと、わたしはうれしいわ。だって、桂はわたしの大切で、大好きな、友人であり妹ですもの」
杏の浮かべる笑みにも、告げる言葉にも偽りはなかった。
驚く桂を、杏がクスクスと笑う。
「でも、その言葉遣いはどうしたのかしらね? まるで男の人のような話し方よ」
「……まあ、なんというか習慣だな。男の恰好で薬師をしているから。実はこうして女物の服を着るのも、すごく久しぶりだ」
気まずそうな表情になり髪に手をやった桂の言葉に、杏は目を見開き、口元を手で覆う。
「まあ。ずいぶんと面白いことをしているのね。だから、髪もそんなに短いの。きれいだったあの髪が無くなっているのを目の当たりした瞬間は、結構ショックだったのよ。伸ばすつもりはないの?」
まだ海原にいた頃、桂の髪は腰に届くほど長かった。
桂が困り顔で目を伏せる。すると、杏が話題を変えた。
「その口調で男装していたら、桂なら十分に男の人に見えるでしょうね」
「……絶壁だし?」
直視するのは悪いと思ったが、杏は見事な乳の持ち主だった。
桂の恨めしげな視線とボソリと呟かれた言葉に、杏がヒラヒラと手を振る。
「違うわ。――確かに小振りだけど、桂は美乳よ。美乳!」
どこかの変態も言っていた言葉が杏の口から勢いよく飛び出して、桂は彼女に胡乱な視線を向ける。
「えっと。コホン。そうではなくて、桂は昔から中性的な美人さんだったと言いたかったの。かもし出す雰囲気が凛々しいから、昔は仲間内でももてていたでしょう? そういうことよ」
拳を握り締めて力説してしまったことを誤魔化すように咳払いをした後、杏が早口で告げた言葉はたぶん事実だ。
「今でも女の人にもてているのではなくて?」
意味ありげな視線を向けられ、桂が憮然とした。
「女子にもててもうれしくない。困るだけだ」
ふいっと顔をそらしたが、杏のやっぱりという思いの含まれた視線が頬に突き刺さり、誤魔化すようにグラスを口に運ぶ。
「……本当に欲しいのはたった一つの想いだけ、かしら? 仲睦まじく手を繋いでいたわね」
ゲホゲホと桂がむせた。彼女の持ったグラスを取り上げテーブルの上に置き、その背を杏が撫でる。
「あらあら。むせるほど動揺すること? 人目もはばからずに両手を握り締めて、周囲に甘い空気を振りまきながら顔を寄せ合って、語らっていた人とは思えない反応だけれど――あのまま口付けの一つや二つするかもって、期待して思わずガン見してしまったのよ」
おっとりと続けられた言葉に、桂の頬が熱を持つ。
「どこをどう見たらそんな風に見えた!」
むせたせいで涙目になった桂が、その瞳で杏を睨む。だが、顔をほんのり赤くしてそんな瞳で見られた方の杏はといえば、頬に手をやって小さく首を傾げる。
「わたしはあなた達の様子を見て、普通に思ったことを告げただけ。入って来た時からあなた達は目立っていたから、わたし以外にもそう思った人はたくさんいたはずよ。桂は言わずもがな美人さんだし、相手の殿方もとても容姿の整った男らしい方だったから、目立たない方がおかしいわ。もしかして自分が人目を引いていたことに、気づいていなかったの?」
「………」
頭を抱えてテーブルに撃沈した桂に、杏は苦笑する。そして、その頭に手をやり、宥めるように撫でた。
「そういう所は変わっていないのね、お鈍さん。それならあなたの隣にずっといた殿方が、あなたを周囲から守るために威嚇していたことにも気づいていなかったでしょう。全身であなたは自分のモノだって、傷つけるのは許さないって主張していたのよ」
「……あいつは変な奴なんだ」
顔を上げず、ボソリと呟かれた反論に、杏がクスリと笑みをもらす。
「素直になりなさいな、桂。あなたは幸せになっていいのよ? いいえ、違うわね。あなたは幸せにならなければいけないの。わたし達に縛られずに、地上で自由に生きていきなさい」
頭上から聞こえる笑み含んだ、穏やかで諭すような声と言葉に、桂は唇を噛む。
許すとは言えない。杏はそう言っていた。けれど、その口が告げるのは、どこまでもやさしい言葉だけで――桂は零れ落ちそうになる涙を必死に堪えるのだった。




