46.娘の結婚 その壱
その日、桂の薬店に小包が届いた。宛名を見れば、遼の名前が書かれている。
不思議に思った桂は首を傾げ、箱の包装紙を外し、蓋を開けて固まった。
その様子を不思議に思った海は彼女の手元の箱の中を覗き込み、う~むと何事か考えるように顎に手をやる。
「ドレス、だな」
それはどこをどう見てもドレスだった。生地と同色である黒の、花柄の透かし模様が入ったドレス。桂が着ればちょうど膝下にスカートの裾がきて、ほんのりとフレアのかかったそれは彼女のスラリとした姿に甘味を持たせ、その姿をいっそう引き立てるだろうことが想像できる。
「姉御も良い趣味をしている。どうやら一式、送ってきたようだぞ」
含みのある海の言葉に、広げたドレスから箱の中に目を向ければ、そこにはショール、バッグ、靴等。用意周到に身に付けるアクセサリーや女物の下着まで入っていた。どれも品良く、桂が身に付けるのを重々考慮されて、選ばれていることが分かる品々だ。
「これは手紙ではないか?」
箱から取り出された白い封筒を、海の手からひったくるように奪い、桂は中を確認する。そこには見慣れた姉の字で、簡潔にこう書かれていた。
『藍の結婚式には、これらを身に付けてくること。
くれぐれも男装なんてして来てみなさい。ひんむくわよ。
かしこ』
ひんむいた後、どうなるのか。まあ、碌なことにはならないだろうことは想像に難くない。姉はこういう部分で手心を加えるような性格ではなかった。
手紙を横から覗き込んで一緒に見ていた海が、しみじみといった感じで呟く。
「さすが姉御。桂の性格をしっかり読んでいるな」
しかも、用意周到。
彼の言葉には、妙に実感がこもっている。
それもそのはずで、海はいまだに桂が女物の洋服を身に付けた姿を見たことがない。彼女は常にパンツルックで、シンプルで落ち着いた色味のカッターシャツにベストやカーディガンを着て、薬師として働いている時にはその上に黒や紺の無地で武骨なエプロンを身に付けているのだ。
それが似合わないわけではない。はっきり言って、似合う。だが、海としては少し淋しい。
着飾れば見栄えもするだろうに、彼女は自分を着飾る気など更々ないのだ。海が贈った女物の洋服の数々は、箪笥の肥やしになったまま。彼女は一度も袖を通していないだろう。
この街で男と偽って暮らしてきた以上、いきなり本来の性別を示す服を着て人前に出るというのは、なかなか覚悟のいることだと思う。ただでさえ、この街は女の独り暮らしには向かない。
だが、これを機会に少しでも変化があればいいと海は思うのだ。
「姉御には先に言っといたのだがな。娘御の結婚式は一緒に行かぬか?」
訝しげな視線を向けられ、海がポリポリと頬をかく。
「移動なら、空間転移すれば一瞬で済む。桂に一週間も野宿と馬車の旅をさせるのは、わし的に嫌なのだよ。そうしなくて済む手段をわしが持っているだけに、な。だから――」
桂の返事を窺っている様子の海に、彼女は苦笑する。
遼がわざわざ当日の服装一式を、送ってきた理由がようやく分かった。海の空間転移なら、確かに一瞬で移動できる。
彼が告げた日数は最短距離を何事もなく通過できれば、の話だ。あまり店を長く留守にするわけにもいかないので、最短距離を通るつもりでいた桂だったが、旅程は二、三日余分に見積もって考えていた。
「……変な所でおまえは遠慮するな。行き先は同じだ。しかも、楽して行けるのなら無下に断る必要もない」
こういう時の海は犬のようだと、桂は本気で思う。その頭に手を伸ばし、くしゃくしゃと撫でてやれば、不思議そうな顔で目を瞬かせた後、海がにっこりと笑った。
「ありがとう、桂」
「礼を告げるべきは私だと思うぞ」
片眉を上げてそう告げた後、桂はその顔に苦笑を浮かべたのだった。
そして、当日。桂は遼の用意した衣装を身に付け、鏡台の前に立っていた。
少し長くなった、それでもまだ縛るまでには至らない髪を整えピンで止め、薄らと化粧を施す。久しぶりに紅をさしたその顔はよく見慣れた自分の顔であり、いまいちこれで良いのか自信が持てない。まあここまですれば男に見えないことは分かるのだが――。
ショールをしっかりと掛け、小物が色々入った小さな手提げ鞄と藍に渡す祝いの品、遼に渡す手土産の入った袋を持って、海の待っている居間へと行く。
少し前に約束通り現れた海は、当然の如く正装姿だった。普段の軽薄な雰囲気は鳴りを潜め、そこには普段の彼を知っている桂でも思わず見惚れるほどの男がいた。
服装と雰囲気を変え、普段のふざけた言動さえなければ、この男がかっこ好く見えるのだから不思議なものだ。
海はソファに座って、桂が入れたお茶をうれしそうに飲んでいた。だが、彼女が姿を現すと、無言で湯飲みをテーブルに置き、立ち上がって猛然と彼女の傍まで来て、手を伸ばした所でピタリとその動きが止まる。
「今、抱き締めたら、そのまま脱がして押し倒したくなるな」
呟かれた言葉に、桂の顔が引きつる。
一瞬でもこの男をかっこ好いと思った自分を罵り、記憶から消し去りたくなった。
「選べ。このまま私に殴られるか、蹴られるか、踏まれるか。三択だ」
地獄の底から聞こえるような低い声に、海が手を引っ込めてその顔に誤魔化し笑いを浮かべる。
「きれいだよ、桂」
甘く囁かれようとも、誤魔化されてやるつもりのない桂は、腕を組んで不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「姉御の審美眼は間違いないな。いつもの何倍もきれいに見える。やはり桂は女子の恰好の方が似合うぞ」
その言葉は、海の正直な感想だった。
なんというか、色香があるのだ。そそられる雰囲気というか、理性が試されているような気分になる。これが分かっていて桂にこの衣装を着せたというのなら、遼は確信犯だ。というか、その可能性の方が高い。
意地悪げに含み笑いしているだろう遼の姿が目に浮かんで、海は困ったように笑う。
「機嫌を直してくれ、桂」
額に口付けを落とせば、驚きに目を見開いた後、桂が困ったような顔をする。
「余計な虫がつかないためにも、今日は手を繋いでいようか」
彼女が手に持った荷物を取り上げ、海はその手を自分の手と絡めて繋ぐ。玄関へ移動し靴を履けば、準備は完了だ。
「さて。では行くとしようか」
桂に声を掛け、海は安心させるように微笑みかける。踵の高い靴を履いた彼女の目線は、海よりほんの少し下にあるだけ。いつもよりも近くにある瞳は戸惑いに揺れながらもまっすぐに彼を見た。
海の言葉に了承するように、桂が小さく頷く。そして、二人の姿はその場から消えたのだった。




