表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/56

45.傍迷惑な訪問者 その肆

 一瞬で自宅の居間に移動した桂は、海にソファへと下ろされた。

 膝に乗せ、移動時にはとっさに抱えていた、早朝市で買い物した品々が入った風呂敷包みを脇に置く。履いたままだった靴を脱いで、彼女はほっと息を吐き出した。

 ただ話をしていただけだったが、凝り固まっていた肩に緊張していたことを知る。


「伴侶殿、本当に大丈夫か? 伯に何かされなかったか?」

 立ったまま上から顔を覗き込んだ海に、桂は微笑む。

「何もされていない。本当にただ話をしていただけだ。それより訊きたいことがある。おまえが遮った言葉の続きはなんだったんだ?」

 彼の表情が強張り、視線が彼女から外された。

「なんのことかな?」

 あまりにわざとらしい態度に、桂はため息をついた。


「それほど私には告げたくない言葉か?」

「……桂がわしの伴侶だからこそ、告げたくないものなのだよ。一族の因業は深く、暗く、浅ましい。だが、わしは、わしらはそれから逃れることができない。桂に怯えられたくない」


 そう言いながら、海の方が怯えていた。桂は困った顔で己の隣のソファをポンポンと叩く。

「座れ」

 短く告げれば、海が戸惑った表情で、それでも彼女の隣へと腰を下ろした。少し開いた距離を詰めるように移動し、桂は彼に寄り掛かる。

 あからさまに震えた振動が身体を伝わってきて、彼女は苦笑した。


「今の私はおまえの好意に胡坐をかいている状態だろう。だがな、正直な所、答えが出ないんだ。私はずるいからな。今のままがまだ、居心地が良いんだよ。おまえは私を傷つけないよう、ずっと気を遣っていただろう? なんらかんら阿呆なことを言いつつも、私の嫌がることはやっていない。それらがおまえの優しさからくるものだと、私はしっかり分かっているつもりだ」


 そう。分かっている。

 気づかない振りをしていられる時間は終わった。


「一族の因業と言ったな。それはおまえが以前、私に向けて告げた言葉と関係があるのか? おまえは、欠片一つ残さず食べてしまいたいくらい、と言ったな。あれは比喩ではなく、言葉の意味そのままか」


 互いの顔が見えないからこそ、問える言葉もある。怖くないと言えば嘘になる。だが、その思いを今、海に悟られるわけにはいかないのだ。桂よりも彼の方が自分自身に怯えているのだから――。


「……そう言えば、そんなことも言ったか」

 聞こえた声は、とても苦かった。呻くような、過去の己の所業を嘆くような声に桂の胸が痛む。だが、振り向いて彼の顔を確認する勇気はなかった。

 自分がどんな表情をしているのか、それを彼の目にさらして大丈夫なのか、彼女には分からない。ただ、彼を理解したかった。傷つけたいわけではない。

 その思いは明確で、だから桂は知りたいと望んだのだ。


「なあ、桂。本当に聞きたいか? 聞いたら、本当に逃れられない。いや、違うな。もともと逃すつもりはないが、それでも知らなければまだ平穏でいられる話というものもある。聞けばおまえは後悔するだろう。それでも聞きたいか?」


 繰り返し問う声は、苦く暗い。

 海の言う通り、知らなければ平穏でいられる話、というのは多くある。だが、これは知っておいた方がいい話のような気がした。彼の傍にいるためには必要なことだと。

 たとえそれで後悔することになったとしても、だ。


「後悔するかしないかは私が決めることだ。私が無関係でないと言うのなら、話せ」


 桂に出せる答えは、それしかない。

 諦めたような深い息が吐き出され、海が桂の身体を後ろから抱き締める。一瞬ピクリと震え、それでも大人しく腕の中に収まった彼女の様子に、彼は困ったように笑った。

 互いの顔が見えない方がいいという時もあるのだ。特に、こういう話をする時には。


「ウイの一族というのはな、伴侶以外何も望まないし必要としない。というか、他への関心が非常に薄い。だからこそ、伴侶には執着する。それは狂気と同じだ。伴侶の何もかもを欲する。血の一滴、肉の一欠片すら逃さず食らいたいと思う。その心すべての関心が、己に向けられることを望む。伴侶に関わるその他の者達を排除したい、許さないと願う。わしらにはそれを可能にする力があるから、なおさらそれらの思いは強くなる」


 腕から伝わってくる桂の緊張に、固くなった雰囲気に、海はただ笑う。

 告げる前から分かっていたことだ。これを知れば誰だって怯える。相手からすれば常に己の命を、その周りの者を脅かす存在なのだ。


「困ったことに伴侶だからこそ食らいたいと思うのだよ。身体を生かすのとは関係なく、わしらは伴侶を求める。己を狂わせる甘美な存在ではあるが、失えば生きてはいけない。それが、わしらにとっての伴侶だ。欲に負けて狂い、伴侶と定めた者を食らう者も多い。正気を保てたとしても、伴侶が他種族の場合は特に、寿命が違いすぎる。失って狂う者も、その事実に耐えられずに自ら命を絶つ者もいる。どれほどの力を持とうと、どれほどの永い時を生きられたとしても、わしらにとっては伴侶ほど大事で失えないものなどない。それなのに伴侶にとって一番危険なのは、わしらなのだよ。一つでも歯車が狂ってしまえば、自ら伴侶を殺してしまう。常に綱渡りしているようなものだ」


 それでも手放せない。逃してはやれない。

 出会ってしまったら最後。この執着は、この情愛は深まることはあっても、死ぬまで消えることはない。否、もしかしたら死しても消えないのかもしれない。黄泉国に旅立ち、そこで現し世の傷を癒し、すべてを忘れて新しく生まれ変わる時まで残るだろう。


 それがウイの一族の因業。逃れられないこれを狂気と言わず、他になんと言えるだろう。

 本当は逃れられないのではない。逃れる気が起きないのだ。出会ってしまえば、それ以前にはもう戻れない。

 唯一絶対の、永い生涯でただ一人の伴侶。


「わしは桂を愛しているよ。だからこそ、己の業が恐ろしい」

 抱き締める腕に力がこもる。そこから伝わる振動で海が震えていることが分かり、桂は困った顔になった。そっと己を抱き締める腕に触れ、宥めるように撫で、

「怯えているのは、私よりもおまえだ」

 桂はそっと笑う。仕方ないとでも、呆れたとでも言いたげに、その顔に笑みを浮かべる。


「私は過去、愛した男を殺した女だぞ。おまえの言っていることとは少し意味合いが違うかも知れんが、実際にやった女だ。ま、私は一緒に死んでやるような気にはならなかったがな。そういう意味では薄情か。そんな私におまえを恐れる理由がどこにある?」

「は、伴侶殿?」

 声の調子から、顔を見なくても海が戸惑っているのが分かる。それに桂は笑みを深めて言葉を続ける。

「死した男はもう殺しようもないし、おまえのお陰で私もようやく踏ん切りがついたわけだが――もし藍や遼にその牙を向けると言うのなら、私はこの命を賭けてでもおまえを止めるだろうよ。私にも譲れないモノはあるからな。だが、おまえがそうする日は来ない。海が私の大切な者を無下にしないと、私は信じているよ」


 海は事実を告げている。こんなことで嘘をついても意味がないし、何より彼の態度がこの話は事実だと証明していた。だが、それならば二人に会った時に彼は排除の方向に動いていることになる。だというのに、実際はそうではない。そうならなかったのはひとえに彼の本能よりも理性の方が勝ったから。そう考えていいだろう。

 海は桂の嫌がることをしない。先程も彼に告げたように、それらすべては彼の優しさからきていることだ。そして、そうできる彼の意思の強さもまた示していた。

 ずるい言葉だろうが、桂はそんな彼を信じたいと思ったのだ。


「……伴侶殿には敵わない」

 息をのむ音が聞こえたと思ったら、しばらくして苦笑混じりの声が聞こえてきた。桂は微笑みを浮かべたまま、

「あの時、おまえが強引にでも真名を告げようとしたのはこのためか。保険、とは言い得て妙だな。必要ないだろうが」

 腹を決めて振り向けば、酷く複雑な表情をした海がいた。

 うれしいのか、悲しいのか、困っているのか。色々な感情が混ざった表情を、結局、海は苦笑に変える。


「本当に、桂には敵わない」


 近づく顔に自然と瞳を閉じれば、唇に柔らかな感触が重なる。すぐに離れたそれに瞳を開ければ、間近で海の瞳と視線が交わった。

 恋情という狂気を孕んだ翠玉の瞳を、桂はとてもきれいだと思う。


「桂はわしを好いてくれているか?」

 静かな問い掛けに、彼女は嫣然と笑う。

「さあ、な」


 答えはまだ、出ていない。

 ただ、重なった温かな唇の感触は嫌ではなかった。


 へにゃりと情けなく下がった海の眉尻に桂は笑みを深める。再び重ねられた唇に抗うことなく、彼女は瞳を閉じて受け入れたのだった。



これにて「傍迷惑な訪問者」は終了。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ