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43.傍迷惑な訪問者 その弐

 心の中で海に同情しつつ、桂は口を開く。

「あいつが来ない可能性は考えないのか?」

 伯の口ぶりでは来るのが当然、といった感じだった。だが、海が来なければ、これはそもそも成り立たない。

「来ないわけないよ。だって、君が海の選んだ伴侶なんだもの。僕達にとって、伴侶っていうのは己の命以上の存在だよ。唯一で絶対な者。詳しく聞いてない?」

 首を横に振った桂に、伯は笑みを消した顔で「そう」と短く言葉を返す。

 しばらく何事か考えた後、彼は再び口を開いた。


「ま、そうだよね。僕だって自分の伴侶に、こんなこと言えない。言いたくはない、かな。僕達が伴侶に向ける愛情ってね、重いんだよ、すっごく。それに我が侭なんだ」


 伯は笑っている。けれど、その表情はとても淋しそうで、悲しそうな――傷ついた瞳をしていた。それはいつぞや海が見せた表情とよく似ている。


「恋というものは、誰もが我が侭になるものだぞ?」

 それで時には相手を傷つける。相手を思いやることも身勝手に振舞うことも、その心ゆえだ。


 気づけば、桂は弁護を口にしていた。

「アハハ。ま、そうだよね。僕達の場合、それが公害までいく規模になる可能性はあるけど……。その分、他の種族よりも制約の多い掟に縛られているんだもの。許されていることは、世界も許容範囲内だよね」

 瞬時に立ち直ったらしい伯が更に問題発言を増やし、桂はまともに受け止めることをついに放棄した。

 弁護したことが間違いだったかもしれないと思わないでもなかったが、取り消すのも今更だ。桂はただ、己の考えを述べただけに過ぎない。それに、姿も色味も違うというのに、あの時の海を思い出させるその瞳を見ていたくなかった。


「海はね、掟の網を潜って色々やるのが趣味みたいになっていてね。これがさ、もうすっごく器用に掟に抵触しないようギリギリのことをやるものだから。取り締まる方のこっちとしても痛快というか。だから、余計に面白いんだよ。それであの街の基礎まで作っちゃったし~」


「……街の基礎?」


 聞き流そうとして聞き流せなかった部分を桂が繰り返せば、伯が我が意を得たりとでも言いたげに深々と頷く。

「君の住んでいる城塞都市。見捨てられた街と言われたあの街を、普通に暮らせる街として成り立たせるための基礎を作り上げたのは海だよ」 

 それは鈍器で頭を殴られたような気分にさせられるほど、桂にとっては衝撃の事実だった。彼女が絶句していることも気にせず、伯は一人で話し続ける。

「詳しく説明するのは面倒だから省くけど、僕達が縛られる掟の、あそこってちょうど範疇外なの。だからか、過干渉しても許されちゃう部分らしくって。海ってば何を考えていたんだか、街が維持されるように基礎を作っちゃったんだよね。あの街が見捨てられた街って呼ばれる、本来の意味を知ってる?」


 桂は首を傾げる。

 行き場を無くした者共が集まる街だから、そう呼ばれているのだと彼女は思っていた。だが、どうやら別の理由があるらしい。

「あの街の位置はね。本来、誰かが住める土地じゃなかった。人間の生活圏と人外の者の生活圏の中間地点だから、場所としてはいい。だから、街を作れば交易地にはなる。でもね、その街はおよそ十年に一度の割合で起こる嵐で全滅する。その嵐に出くわした者は生き残れない。そんなことを繰り返す内に、あの場所でまともに住む者はいなくなっていたんだよ。だから、見捨てられた街と呼ばれていた」


「だが、今、街は存在し続けている」


 およそ十年に一度の割合で起こる、妙な嵐ならば今でもある。


「そうなんだよ。そこが海の呆れた所でさ。あるのは分かっていても、だ~れも手を加えようとしなかった代物を使って、結局、巨大で不可思議な結界を作り上げちゃうんだもの。あれってあまり加工には向いてない、というか扱いを間違えると大変なことになる危険物なんだよ。しかも、妙な規律まで作っちゃってさ。あいつ変な所で凝り性なんだよ。なのに、それらの維持体制までしっかり作ったわりに、完成したらあとは知らんって、そんな状況でもしぶとく街を拠点にしていた奴らの代表に押し付けちゃったし。責任感ゼロだよね~」


 伯はケラケラと笑っているが、桂にとっては笑いごとではない。彼女は訊いたことを後悔していた。


 良く悪くもあの規律があるから、城塞都市は絶妙なバランスで成り立っている。それを作った当人があれだと思うと、なんとなく理不尽に感じるのはなぜだろうか。


 ちなみに、伯の発言は事実だったが、彼とてすべてを知っているわけではない。

 海は確かに完成後にそれらを当時、街を拠点にしていた奴らの代表だった九曜の先代に押し付けたが、実際は自分以外でもそれらを扱って維持できるように改良を加えるなどのフォローも幾度か行っていた。それが行き過ぎてあわや大惨事、となりかけたこともあったので、九曜からすれば海の手出しは百害認識なのだ。


「海の奴は確かに器用だけど、本当はすごく不器用なんだよ。あいつはね、色々やらかしてくれたけど、ずっとずぅっと君の存在を待っていたんだ。君はどれくらいそれを理解している?」

 笑みを消したそこにあったものは、ただ静かな何かを見極めようとする瞳だった。桂は自然と背筋を正し、その瞳を見つめ返す。

「……私は海のことなど、どれほども理解できていない。あいつは私の予想できないことばかりするから、こっちとしても反応に困ることも多い。だが、あいつが私に向ける想いに偽りがないことは分かっている。だからこそ、まっすぐ過ぎて困るんだがな」


「海のこと、愛してる?」


 からかっているわけでも、ふざけているわけでもなく、伯は真剣に訊ねているようだった。だが、そんなことを臆面もなく問われても、桂は困るしかない。


「……嫌いではない」


 嘘も偽りも告げたくない。それに、それはたぶんすぐに見破られてしまうはずだ。だから、桂は今の正直な気持ちを口にした。

 嫌いではない。だが、嫌いではない(イコール)好き、にはならない。好きだとしても、その気持ちが恋愛感情で好きだと、愛していると言えるほどなのか。桂には分からなかった。

 海の言葉を受け入れ甘えてしまえば、そこは居心地の良い場所だ。彼はなんらかんら言いつつも、桂の意思を優先する。傷つけようとはしない。ただ――。


「ふ~ん。君は海の気持ちの上に胡坐をかいているわけだ」


 冷やかな伯の言葉に、桂は俯いた。


 このままでいて良いわけがない。それは彼女も感じていたことだった。



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