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39.姉、襲来 その参

 遼が大人しくしていたのは、来た当日だけだった。

 次の日は家の中を引っかき回す勢いで掃除に励み、そのまた次の日にはその範囲が店の方へと移行していた。

「分かっているとは思うが、そこらの物を勝手に捨てるなよ」

 はたきと雑巾、水の入ったバケツ。箒とちり取り。

 掃除用具一式を持った遼に、桂が忠告する。

 家の方は桂が片付けていたこともあり、昨日は物足りなさそうに掃除をしていた遼だったが、店の乱雑振りを見て桂に文句を言いつつも、その瞳がうれしそうに輝いていた。


「大丈夫よ。私も商人の妻なんだから、どれがゴミでどれが原料かくらい見分けはつくわ」

 その発言で逆に不安を増した桂は、再び忠告する。

「埃以外は全部原料だと思って、丁重に扱ってくれ」


 原料の中には、そこら辺に転がっている石と同じようにみえる代物もある。意外にそういう物が貴重品だったりするのだが、そういう物こそ遼が捨てそうだった。

 彼女の夫は確かに商人で、仕入れや取引で留守にすることも多い夫に代わって、彼女が店を切り盛りしているのも知っている。だが、その店は雑貨や食品は扱っていても、薬事関係の代物はまったく扱っていないことも桂は知っていた。


 はっきり言って桂からすれば、薬事に関して遼はずぶの素人だ。原料の見分けがつくとは思わない。


 埃を立てられる中で繊細な作業ができるはずもなく、急ぎの仕事がなかったこともあって、桂は遼と並び立って店内の掃除をすることに決めた。

 案の定、棚に無造作に置かれていた、カラカラに萎びている薬草を手に取り、遼がゴミ袋に入れようとしている。その手を反射的に掴み、桂はため息をついた。


「だから、埃以外は全部原料だと言っただろう。棚の中の品は、しっかり把握して整理してある」

 不満そうな遼の手から薬草を回収し、元の場所へと戻す。

「これだけごちゃ混ぜになっていて、どこに何があるか分かるって言うの?」

 むくれた姉の声に、桂は再びため息をつく。

「原料の中には鮮度によって効能が変化するものもあるから、これでも管理には気を使っているんだ」


 一見、適当に置かれているようで、それぞれの性質を踏まえた上でその物に相応しい場所に置いてあるのだ、これでも。

 下手に弄ると手に負えなくなり、せっかくの原料が使用不能になってしまう。だからこそ、桂もあまり店の方は手を入れたくなくて、掃除がサボり気味になっていた。それがこの現状だ。


「わかったわ。埃を拭き取った後、元の場所に同じように戻しておけば良いんでしょ?」

 遼としても、このままにしておくのは気が済まない。だから、そこが譲歩できるギリギリだった。桂もそれが分かったので頷く。もとはと言えば、しっかりと掃除をしていなかった自分が悪いのだ。

「すまないが、それで頼む」

「仕方ないから、頼まれてあげるわ」

 クスリと小さく笑い、遼は濡れ雑巾を持って棚を拭く。丁寧に一つ一つの物を除け、拭き終わったら元の戻す様子に、桂はホッと息を吐き出す。遼の隣で同じく濡れ雑巾を使い、別の棚を拭き始めた桂だったが、そういえばと今更な問いを口にした。


「……店の方はよかったのか?」


 遼の夫の店は家と同様に、人外の者の生活圏の海原に面した沿岸都市にある。人外の者の生活圏と人間の生活圏の中間地にある、この城塞都市まで来るには、移動にそれなりの日数を費やすことになった。その上、彼女はこの街に一週間も留まるという。

 帰りも行きと同じ日数がかかるのだから、そうとうな日数、彼女は店を留守にすることになるのだ。


「ああ、大丈夫よ。しばらく休んでいた分、あの人が面倒を見るわ」


 さらっと告げられた言葉に、桂の手が止まる。

「しばらく休んでいた分? 何かあったのか?」

 桂の視線を感じた遼もまた手を止め、なんでもないとでも言いたそうに手をヒラヒラ振り、顔に苦笑を浮かべた。

「店自体は私が開けてたわよ、しっかり。休んでいたのは、旦那だけ。ぶっ倒れたのよ」

「倒れた!? 病人に店を押し付けてきたのか?」

 驚きに声を上げ、非難の視線を向ける桂に、遼はわざとらしく肩を竦める。

「倒れたって言ってもね、病気じゃないのよ。ショックで倒れて、しばらく立ち直れなかっただけ。まったく娘の時もそうだったけど、娘同然の姪の時にも同じことをするとは思わなかったわ。二度目なんだから、覚悟もできるでしょうに」

 そんなだったから、桂の所に来るのが遅くなっちゃった。

 当時のことを頭に思い浮かべてでもいるのだろう。そう呟いた遼からは、げんなりとした空気が漂っていた。


「……それは、藍が嫁に行くのがショックで倒れた、ということか?」

 呆れを含んだ桂の問いに、同じく呆れを含んだ遼の答えが返る。

「娘は嫁に行く。早いか遅いかの違いはあるけど、確かに藍は早い方だとは思うけどね。あの子の嫁ぎ先はうちのご近所よ。すぐ会いに行ける距離だっていうのに――あの人、変な部分で繊細なのね。私には何がそれほどショックなのかすら分からないわ」

 それは確かに――桂にも理解できそうにない。

「だからね、店の方は気にしなくて良いのよ」

 この場の微妙な空気を吹き飛ばすように、明るい声で遼がそう締め括る。


 その時、ドアベルが鳴った。

 掃除中でも店は閉めていなかったので客かと顔を上げた桂だったが、

「ただいま~、伴侶殿」

 毎度の如く、まるでここが自分の家でもあるかのように現れた海に、疲れたような気分でため息をつく。よりにもよって、遼がいるこの場でこの現れ方なのか、と。タイミングが良いのか悪いのか、判断に迷う所だが――現状は非常に芳しくない。

 海の言葉に桂の隣で同じく顔を上げた遼が徐に彼へと詰め寄り、二人は通路で対峙する。海は不思議そうに小柄な遼を見下ろし、遼は上から下までじっくりと海の姿を観察していた。


「桂、コレがそうなの?」


 気が済むまで観察したらしい遼が、険しい顔を桂に向けて問い掛ける。


「海が、という意味ならそうだ。だが、この間も言ったが、そいつと私はそうい、う――」

「そうなの。そうなのね……」


 桂が言葉を途切らせるほど、その声は不穏に満ちていた。今度はずずいと桂に詰め寄った遼が、険しい顔のまま口を開く。

「あなたって子は――なんでコレなの。こんな女たらしに引っ掛かっても泣くだけよ。いいように弄ばれるだけだって、前回で懲りたでしょうが。それなのにまた……」

 桂の話をまったく信じていなかったらしい遼は、外見と雰囲気で海を判断し、くどくどと彼女に説教を始める。コレ呼ばわりされて指差しされたままの海は、事情がのみ込めずに困ったように遼の話を聞いている桂を見て問い掛けた。


「伴侶殿。この御婦人は――」

 誰だ、と続ける言葉は、遼の殺意がこもった一睨みで途切れた。

「あなたに桂はあげないわよ。欲しければ、私の屍を越えていきなさい。できるものなら、だけど」


 海としてはなぜこれほどの殺意を向けられるのかも分からず、首を捻ること頻り。

 臨戦態勢な姉と状況を掴みあぐねている男に、桂は深くため息をつく。とりあえず遼が海へと掴みかかっていかないように、彼女の身柄を確保した。

 背後から拘束され、相手が桂だとわかっているだけに、遼は力任せにその腕を解くこともできずにもがく。


「姉が迷惑を掛けてすまない。ちょっとした誤解をしているだけだが、その誤解を解くためにもおまえがここにいるとややこしい。今日は帰ってくれないか?」

「姉、って……伴侶殿の?」

 驚いた様子で二人を見比べる海に、桂は苦笑する。

「まったく似ていないが、正真正銘、私の姉だ。外見が藍には似ているだろう? 今は誤解のせいで殺気立っているが、本来、無暗矢鱈にこうはならない。だから、今日は帰ってくれ」

 桂が真摯に頼むその腕の中でもがく遼は、

「誤解? それならなぜ、その男が桂を伴侶呼ばわりしているのよ。嘘をつくなら、もっとましな嘘をつきなさい。私は許さないわよ。こんな軽薄そうな男に可愛い妹をやるなんて、絶対に嫌!」

 海を睨みつけて叫ぶ。桂が再びため息をついた。


「……わかったら、今日は帰れ。おまえがいると、遼が落ち着かん」

「……事情はなんとなくわかった。だが、わしも納得いかんのだが」


 ギロリと桂にも睨まれて、海はため息をつく。


「今日は帰るとするよ。だが、桂がわしの伴侶なのは決まったことだ。誰の指図も受けん。邪魔するのならば、たとえ姉御であろうとも排除する」


 一瞬だけ真顔になり、酷く冷たい光が翠玉の瞳に宿る。だが、次の瞬間にはいつもの穏やかな笑みが海の顔に浮かんでいた。まるで先程見たものが幻だったかのように――凍てつくような空気が霧散する。

 そうして海は出入り口から出ていったのだった。



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