03.出会い その参
「……おまえ、なんで」
それ以上言葉にならず、桂は海を凝視する。
やはりこの男は得体がしれない。
外見は人間だ。人間に擬態した人外の者ではない、はずだ。そんな痕跡は見つけられない。それなのに先程感じた違和感が付き纏うのだ。
「言っただろ。おまえはわしの伴侶だと」
にこやかに笑う海の姿に、恐怖よりも怒りがわき上がる。
「見つけた以上、逃がしはしないさ。諦めて受け入れることだな」
その勝手な言い分に、桂の握った拳がフルフルと震えていた。
「それで、な。おまえの名をまだ聞いていなかったことを思い出したんだ。名は」
なんと言う?
そう問う前に海の頬を見事な右ストレートが直撃し、長身が部屋の壁に叩きつけられた。ドシンッと家全体が揺れはしたが、結界で保護されているのでこのくらいで壊れることはない。
「今、ココで、私が、殺してやろうか、ぁあ゛!?」
胸倉を掴んで揺さぶられているというのに、抵抗することなくされるがまま、海はそれでも笑っていた。
「おまえがその手で殺してくれるなら、殺されてやってもいい。だが、その前に抱か――ゴフッ」
鳩尾に桂の膝がめり込み、さすがの海も息を詰めて呻いた。
「そうか。そうかぁ。わかった。死ね! ちょうど良い。得体の知れないおまえでも、売り損ねたあの薬をすべて使えば死ぬだろう。健全的な利用が不可能な物で処分に困っていたんだ。おまえで処理してやる」
フフフッと笑みを零す桂は、床に沈んだ海の急所を無情にも踏みつけ、彼が悶絶して身動きできない状態を確保してから、テーブルの上に放り出したままの風呂敷包みを取りに行った。
「ま、待て待て。ちょっと、待って。わしが悪かった。悪ふざけが過ぎた」
薬包を持って戻ってくれば、驚異的な回復力で立ち直ったらしい海がなぜか床の上で正座していた。
チッと桂は柄悪く舌打ちする。
「言い分だけでも聞いてやる。私の問いに答えろ、不法侵入者。なぜこの場所がわかった? どうして室内まで入ってこられた?」
誰にもつけられてはいなかった。その上、ここには桂の張った結界がある。
何者にも破られない結界とは言えないが、普通の人間にはまず破ることは不可能だ。結界を破るにも力がいるし、張った本人に気づかれずに破らないで侵入など、そんな手段、桂には思いつかない。
「伴侶にこの仕打ち……。酷くないか?」
反省の色もなくぼそりと呟かれた言葉に、桂は二ィッと笑う。
「おまえの妄想癖に付き合ってやるほど、今の私は寛大ではない。一瞬で黄泉国へと送ってやろう」
彼女の顔はさながら悪鬼のようだった。
「すまん。悪かった。正直に話すから勘弁してくれ」
コロリと態度を一変させて土下座までした海に、桂は呆れた。
この男には矜持というものも無いのか。これではせっかくの男前な顔も、非常に残念な代物に成り果てるというものだ。
「わしはおまえを伴侶と言っ……ああ、だから待てと言うに。話を聞いてくれ」
不愉快な言動に顔を引きつらせた桂が、問答無用で薬包の中身を海の口に放り込むため手を伸ばす。だが、その手は軽々と海に捕まり、そのまま引き寄せられてしまった彼女は、彼に動きを拘束されてしまった。
「何もしない。ただ話がしたいだけだ」
腕の中で暴れる桂を拘束したまま、海はその耳元で囁く。
「信じられるものか、変態、色情狂、妄想男。歩く猥褻物」
「……さすがのわしでも泣くぞ。何もやってないのにこの言われよう。惚れた女にここまで言われると――逆に妙な気分になるな」
しおらしく聞こえたのは前半部分だけ。桂は全身に鳥肌を立てた。そのあからさまな拒絶反応を目にして、海が深くため息をつく。
「すまん。本気で悪乗りし過ぎた。説明するから、とりあえず最後まで聞いてくれ。その後なら苦情だろうと暴力だろうと受ける覚悟はある」
今までの経緯を考えるととても軽く感じる謝罪だったが、海の苦り切った声に桂は警戒を解かないまま話だけは聞いてやろうという気になった。
桂の抵抗が止んだことにほっと息を吐き出し、海は彼女の望んだ答えを口にする。
「わしはおまえを伴侶と認識した。種族の特性上、伴侶の居場所は分かる。だから、わしの伴侶であるおまえの居場所も分かる。どれほど遠くに居ようと、出会ったら最後。その間を隔てる物は何もない。これがこの場所が分かった理由。それで室内まで入ってこられた理由だが、簡単に言えば一時的に結界に穴を開け、その穴を通った後に塞いだから。結界はそのままで、わしは結界内。以上」
「………」
海と目が合ったが、彼は至って真面目な顔をしていた。だが、説明された内容は桂からすれば奇妙なことだらけだ。
種族の特性? 他人の結界に穴? しかも、それを塞いだと?
そんなこと本当に可能なのか?
「おまえは、何だ? 人間ではないな?」
それは確認だった。こんな奴が人間のはずがない。
「まあ違うな。そういうおまえも人間ではないな。だが、擬態しているわけでもない。どういう仕組みだ?」
あっさり認めた男は、桂の偽りもあっさり暴く。桂もまた、外見は人間そのものだが人間ではない。
「私のことはどうでも良い。おまえは擬態してないな。だが、人間のように見える。混血、か?」
自分で告げておいて、違うなとすぐに考え直す。桂の眉間には自然と皺が寄った。
擬態の必要が無く、人間と同じ姿を持つ者は存在する。
その一つが先程口にした混血だ。混血は主に人間と人外の者の間に生まれた者達のことを言うが、基本的にどちらか一方の特質しか現れない。よって、混血でも人間の特質が受け継がれた者は外見も人間なら能力も人間並みにしか備わらない。
だが、稀に混血の中から先祖返りと呼ばれる者が誕生する。先祖返りは生まれながらに人間と人外の者、二つの姿を持ち、両方の特質が現れる存在だった。
可能性があるというのなら、先祖返りの方か。それとも――。
もう一つ。種族として、人間と似て非なる者達が存在していた。
人外の者の頂点に立つ、ウイの一族。姿形は人間と同じだが、不老長命。強靭な肉体と生命力、強大な力を持つ一族。
桂も話だけは聞いたことがある。
畏怖すら覚えるほど、その存在は圧倒的なものだと。彼らに逆らうのは無謀の極みだと。命を無駄にするようなものだと。
己と比べるだけ無駄な存在。
それらの話がどこまで真実なのか、会ったことのない桂では分からない。
「見たままだ」
往来で桂が告げた言葉をそのまま返した海は、彼女がどんな反応をするのかニヤニヤと笑って待っている。
「……わかった。おまえは変態だ。それだけ分かれば良い」
先祖返りという考えも捨て切れはしないが、いまいち決め手に欠ける。かと言って、この男がウイの一族かと考えるのは――人外の者すべてに対する冒涜に思えた。得体の知れない存在ではあっても、畏怖の念を抱けるような気はしない。
「結局、そこに落ち着くわけね。わしはいじけるぞ」
桂を解放し、海は床にのの字を書き始める。本当によく分からない男だと、彼女は呆れた。外見はともかく、中身は非常に残念で――笑いを堪えることができなかった。
警戒も解き、声を立てて笑う桂に海も笑みを見せる。
「ようやく笑ったか。やはり女子は笑顔が一番似合うな」
大きな手が頭を撫でる感触に我に返った桂は、
「黙れ、すけこまし」
笑み崩れたその顔にアッパーを食らわし、顎に見事な重い一撃を受けた海は呻く間もなく気絶した。
これにて「出会い」は終了です。