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37.姉、襲来 その壱

 桂はいつものように娼館へ注文された薬を届けに来ていた。取引も終わり、さて帰るかといった段階で、女将が少し不思議そうに彼女を呼び止める。

「薬師殿。少し雰囲気が変わったんじゃないかい?」

 そう問われても桂には何のことだか分からない。彼女は訝しげに首を傾げた。

「少し髪が伸びたせいかね。前よりも雰囲気が柔らかくなった気がするよ」


 桂は最近、髪を伸ばしていた。この街に居着いてからはずっとまめに短く切り揃えていたので、ここまで長く伸ばしたのは久しぶりのことだ。それでもまだ、肩に届かないくらい髪は短く、縛れる長さではない。


「このまま伸ばすのかい? 薬師殿は髪もきれいだから、伸ばしても似合うだろうね」

 女将の言葉に他意はないはずだ。だが、桂はなんとも曖昧な笑みを顔に浮かべる。

 別に髪を切らないのは、海に伸ばして欲しいと言われたからではない。単に気が向いたからだ。そう心の中で言い訳していた所に、

「薬師殿が変わった原因は、あのすけこましな旦那かね。旦那は元気にしているかい?」

 タイミングのいい笑み含んだ女将の言葉が聞こえて、自然と桂の眉間に皺が寄った。


「……あいつなら殺しても死ぬことはない。頑丈だからな」

 実際、あの男の頑丈さは問題外だ。不死身ではないかと疑いたくなるほどの、異常な回復力を保持している。それが種族の特性だというのだから、やはりウイの一族は人外の者の頂点に立つ一族と呼ばれるだけのことはあった。

「なんだい、それは。あの旦那も完全にすけこましは廃業したみたいだからねぇ。うちだけでなく、どこにも出入りしてないみたいだし……薬師殿。愛されてるねぇ」

 そこで、ようやく女将にからかわれていたことに気づいた桂は渋面になった。


「女将。前にも言ったとは思うが、私とあいつはなんの関係もない」


 全否定した桂に、女将は首を傾げる。

 確かに以前の様子だと、一方的に海が桂に熱を上げて迫っていた。だが、徐々に変化しつつある桂の様子を見てきて、これはついに絆されたかもしれないと思ったのだ。

 ちなみに、女将の頭には海が諦めるという考えは早々に削除されている。以前に見た、彼が瞳に浮かべたあの感情は、そんな考えすら否定できるほどの激情を秘めていたからだ。


「そうなのかい? 今日の薬師殿はどことなく女らしい気配をまとっているから、てっきり旦那に絆されたのかと思ったんだけどねぇ。私の勘違いか」

 心底残念そうな言葉に、桂が目を見開く。

「女将。それほど私の雰囲気は変わっているのか?」

「そうだねぇ。以前より髪が少し伸びたとはいえ、外見にさほど変化はないよ。ただ、今までは凛々しい青年に見えていたのが、今日は男装の麗人に見えるくらいには違う。旦那が原因でなくても、何か心境の変化でもあったんじゃないかい?」

 微笑む女将の言葉に、桂は困惑する。


「確かにこの街は物騒だけど、せっかく女に生まれたんだ。薬師殿はもう少し着飾ってもいいと思うよ。なんだったら、うちの衣裳でも貸そうか?」

 最後の言葉はさすがに冗談だろう。カラカラと笑う女将に、桂も苦笑する。

「……忠告だけは、ありがたくもらうとする。気をつける。では、また」


 何か言いたそうな顔をした女将の言葉を、彼女に背を向けることで遮り、桂は店外に出た。足早に己の店へと戻る道筋を歩く。

 桂の性別を初めから正確に見抜いていた女将の目だ。彼女がそう言うのなら、今の自分は男装していても男には見えないということになる。

 桂としてはあまりうれしくない事態だった。だが、自分でもその原因が分からない。


 雰囲気が柔らかくなったと言われたが、何がどう変化したのかが分からないし、その原因となることも思い浮かばない。髪のことを指摘されたから、多少、髪が伸びたせいなのか。


 そんなことを考えながら店まで戻れば、その扉を前にして日傘を差し、少し大きめの旅行鞄を足元に置いた女人が立っていた。

 上はブラウスにベスト、薄手のコート。下は丈の長いフレアスカートにショートブーツ。

 どうにも見たことのある背格好。その上、同胞の気配。というか、桂はその気配の持ち主をよく見知っていた。


はるか。なんでここに――」


 彼女はこの街の住人ではない。人外の者の生活圏にある、この街からは遠く離れた場所にある、海原に面した沿岸都市の住人だ。


 桂と同じく、気配で気づいたらしい遼が俯いた顔を上げる。

 肩の辺りで切られた緩くウェーブする栗色の髪と意思の強そうな青色の瞳。はっきりとした目鼻立ちの小柄な、外見は人間年齢に換算して二十代後半にみえるその人物は正真正銘、桂の姉だ。


「こうして会うのは久しぶりね、桂」

 桂の姿を見つけて、遼はその顔に満面の笑みを浮かべる。

「私が来るのは当たり前でしょ。あなたは呼んでも来ないし、可愛い妹がようやく新しい男を見つけたって言うんなら、吟味するのは姉の務めよ。またしょうもない男だったら、今度こそあなたがなんと言おうと、この私が引導を渡してやるわ」


 ウフフと楽しそうに笑うその顔と、固く握り締められた拳のミスマッチが不気味だ。


「……とにかく、中に入ろう。他に誰もいないみたいだが、遼が一人で来た、なんてことはないだろうな?」

 色々言いたいことはあるが、それらの話は往来でするものでもない。

 クローズの札が掛けられた店の出入り口から中へと入り、鍵を掛け、入る時に一端は解除した結界を張り直す。こうすれば海以外は入ってこない。

 あの男には桂の結界も扉の鍵も無意味だと分かっていたが、どうにも防ぎようがないのでとりあえず深く考えないことにした。あれはもう、地道に言い聞かせて納得させるしかない。


「この街の外までなら店の者と一緒に来たわ。行商のついでに乗せてきてもらったの。帰りもまたそのつもりでいるから、一週間ほど泊めてくれる?」

「……わかった」


 問い掛けだが、ここに泊るのは遼の中では決定事項だ。それに関しては、桂としても異論があるわけではない。彼女が言い出さなければ、桂の方が提案していた。

 この街の中で姉を野放しにするよりもまだ、手の届く場所にいてくれた方が安心できる。

 ただ、姉の性格は熟知していたので、この街に来て早々に彼女が何か仕出かしてきたのではないか、という嫌な予感を桂は拭えずにいた。



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