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26.嵐 その漆

「あぁ。それ、うちの大事な収入源になる予定の物なんだが」


 無残にも石が削られていく様子に、九曜は聞こえていても無視されるだろうとは思いつつもぼやく。

 事実、あれはある特殊な方法で製錬すると、高純度のある特殊な石を作り出すことができるのだ。そして、それがこの街にとっては密かにだが大きな収入源となっている。


「撤退、完了しましたが――」

 そこに声を掛けられ後ろを振り向けば、部下が一人、所在無げに立っていた。その視線が少し離れた場所で、喧嘩だかじゃれ合いだかよく分からなくなってきた、傍迷惑な応酬をしている二人に向けられ――瞬時に思い切りそらされ、部下は引きつった表情で九曜を見た。


 部下の無言の訴えに首を戻して前面を向けば、その先で今度は火炎の弾がいくつも飛んでいた。海が放ったもので、伯はそれの進行方向を指先だけで変更し巨石にぶつけている。

 石の表面がそれによって、少々焦げたというより溶けたように見える。全体ではなくほんの一部分だから、その部分だけで被害は収まっている、はずだ。そうでないとうれしくない事態発生である。


 代価は、今回の海の労働報酬ゼロで済まそう。


 九曜は固く心に誓った。

「……アレは気にするだけ無駄だから、おまえも戻っていろ」

 部下の中でもまだ年若く、新米の部類に入るこの男は、あの二人の応酬を見るのも初めてなはずだ。こんな碌でもない応酬のせいで自信を喪失し辞められては堪らない。有望株で育てればまだ伸びるはずなのだ。使える手駒は多いに限る。


 それにあれらは、比べるだけ馬鹿らしくなるほど別格な奴らだ。あんな真似を常人がすることは不可能で、無茶をしてできたとしても自滅するだけだ。


 がっくりと肩を落としながら重い足取りで街へと戻っていく部下の背を同情と共に見送ってから、九曜はなかなか終わりそうにない二人へと視線を戻す。

 いつもなら当の昔に伯の方が海をからかうことに飽きてこの場を去っているのだが、今回は動揺しすぎてそれどころではないのだろう。珍しい光景だが、あんな二人の間に九曜は割って入りたくない。それは無駄死にというものだ。

 まだ、二人とも本気は出していないが、それでも嫌なものは嫌だった。


 と。そこで何者かが唐突に伯の後ろに現れ、彼を背後から抱き締めた。伯よりも背が低いので、九曜のいる位置からはその姿をはっきりと捉えることができない。だが、ほっそりとした白い手が前に回っていた。

 伯が反射的に繰り出した肘鉄を食らったその存在は、勢いよく後ろに吹っ飛ばされる。


「もう、追いついたの……」


 青白い顔色をした伯が後ろを振り向き、自分が吹っ飛ばした存在を確認する。

「あなたの行く場所には、どこでもお供致します」

 そこにいたのは、旅装姿の少年とも少女ともつかない中性的な容貌を持つ者だった。まだ成長途中だろうその姿は華奢だが、先程、伯に吹き飛ばされたというのに堪えた様子もなくその場に立ち上がる。

 肩の上で切り揃えられたサラサラの金髪と、澄んだ真昼の空のような碧い瞳。そして、抜けるように白い肌がとても印象深い。


「逃がしませんよ、伯」


 にっこりとその顔に浮かべられた邪気の無い笑みが、空想の生き物である天使を彷彿させた。だが、その言葉と声は、丁寧ながらもその場ではなぜか酷薄に響く。

「久しぶりだな、(よく)

「お久しぶりです、海様」

 挨拶に手を上げた海に、翼はペコリと丁寧にお辞儀をする。


「ゆっくりお話を、と言いたい所ですけど、まずは伯を確保します」

「あぁ~、伯はまた逃げたみたいだぞ?」


 ポリポリと頬をかく海の姿に、周囲を探った翼は彼の言葉通り伯の姿がないことを知って肩を竦め、息を吐き出した。

「いつもながらつれない御方ですね。せっかくの逢瀬だったというのに……」

 残念そうに小さく呟き、その顔にほんのりと困ったような微笑を浮かべる。

「あまり野暮は言いたくないが、おまえが追うから伯が逃げるのではないか?」


「そう、かもしれません。ですが――逃げるからこそ、追いたくなるとは思いませんか?」


 小首を傾げて同意を求められ、海はさりげなく視線をそらして返答を避けた。

 翼は性別年齢共に不詳な、外見は可愛らしい生き物だった。だが、それに騙されてはいけない。いったい何をやったのか。あの伯が顔色を変えて本気で逃げ出すのだから、よほどのことだろう。そうでなければ説明がつかない。

 伯の伴侶は翼なのだから――これは本来、ありえない光景だった。


「名残惜しいですが、私は伯を追いますね。またどこかでお会いできることを、楽しみにしております。では」

 軽やかな笑みを見せ、翼の姿がその場から消えた。伯の痕跡をたどって空間転移したのだ。

「……少しだけ、伯に同情するな」

 ぼそりと海が呟く。

 まさかそんな感情を伯に抱く日が訪れるとは思っていなかったが、長く生きていると本当に何が起こるか分からないものだ。


 様子を見物していた九曜の所まで戻った海は、物問いたげな彼の視線を受けて肩を竦める。

「……すまん。焦がした」

 大事な収入源を一部燃やしてしまったことに対して謝罪する。

「ああ。あれは、まあ、うん。いつものことだな。おまえの労働対価を無償にすることで手を打つ。じゃ、なくてだな」


「せめて三分の一の減額にしないか?」

「あれの値段、分かって言っているのか?」

「……三分の二の減額」

「無償だ」


 無言で睨み合い、

「……わかった」

 海が負けた。己に非があることは自覚しているからだ。

「うちで荒稼ぎしなくても、収入を得る方法なんぞ、おまえならいくらでも持っているだろうが。……ああ、話がそれた。あれはなんだったんだ?」


 先程から九曜が問いたかったのは、収入源を一部駄目にされたことに対する責任問題でも金銭問題でもなく、あの場に唐突に現れ、これまた唐突に姿を消した存在についてだった。

 海もそのことを分かっていただろうに、彼はわざと話をそらしたのだ。


「何と問われると、わしとしても困るんだが――伯の伴侶、になるかな?」

 ずいぶんと曖昧に答えた海を訝しげに見る。

「会話は聞こえていただろう? まあ、そういうことだ」


 己の決めた伴侶から本気で逃げる、ウイの一族?

 九曜には異常事態が発生しているようにしか思えない。あの伯が本気で逃げ回るほどの相手が、あの年端もいってそうにない性別不詳な者なのか。


「……関わっても危険しかなさそうだな」


 九曜が出した結論に海は無言で頷き、二人の間に微妙な空気が流れる。

 いつの間にか雨雲が完全に去った夜空には月が昇り、きらめく星々と共に地上を仄明るく照らし出していた。



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