21.嵐 その弐
まだまだ続きそうな海の軽口を一睨みで黙らせた桂は、入口の側で立ち止まった彼の前まで来ると、その指を鼻先に突きつけた。
「おまえ、いったい何をやった。中枢の、しかも九曜殿が訪ねてくるほどの、どんな騒ぎを引き起こした」
「え? 伴侶殿の中のわしってそういう存在なの? しかも、九曜殿って――」
九曜に殺意のこもった視線を向ける海の胸倉を、桂は気にせずに掴む。
二人のやり取りに必死で笑いを噛み殺していた九曜は、その背筋も凍るような視線を受けて硬直した。だが、端から海が原因だと思い込んでいる彼女は、その無言のやり取りに気づかない。
「な、に、を、やった?」
グラグラと揺すられて、海は視線を九曜から桂へと戻し、胸倉にかかった手に手を添える。
「海、答えろ!」
その言葉に、海の身体があからさまなほどビクリと震えた。
「伴侶殿。もっとわしの名を呼んでくれ」
感極まった様子で満面の笑みを浮かべる海に、桂の米神がヒクリと痙攣する。
胸倉を掴んでいた手をガシリと逆に握り締められ、両手を拘束されてしまえば反撃の手数は減る。しかも、ここは出入り口付近とはいえ店内。
自宅の方ならある程度片付いているので暴れてもさほど問題ないが、ここで下手に暴れようものなら雪崩が発生しそうだ。
「伴侶殿に呼ばれると、こう、背筋をか――ッ!!」
桂に足を思い切り踏まれ、海の言葉が止まる。手の力が緩んだ隙に己の手を取り戻した桂は、少しだけ離れて彼を睨みつけた。
「黙れ、変態」
「酷い、伴侶殿。答えろと言ったり、黙れと言ったり――つれない」
しょんぼりと肩を落とす海を、桂は冷ややかに見た。
「全部おまえの言動のせいだ」
ばっさり切り捨てられたが、今回、海の復活は早かった。
「九曜、なぜおまえがここにいる?」
矛先をこの場にいる第三者である九曜に向け、彼は冷ややかな声で問い掛ける。
腹を抱えながら声を抑えて大笑いしていた九曜は、その非常に不機嫌な声と瞬殺紙一重の視線を向けられ即座に姿勢を正し、海に向けて苦笑しながら手をヒラヒラと振った。内心は冷や汗モノだったが、彼にも見栄というものがある。
「おまえを探しにきたんだ。この街で確実に会えそうなのは、此処だけだからな」
その言葉に海は訝しげな顔をする。
「先日の件なら話は済ませたはずだ。あれ以上、わしに何か用があるのか?」
「あのえげつない術を解いてくれるなら、こちらとしてもうれしいんだが――わかってるさ。おまえを怒らせたアレが悪い。今回は別件だ。おまえの専門分野」
何かを察したらしい海が、思い切り嫌そうに顔を顰めた。
「わしの専門分野、ではないぞ。あれの処理は一族の長が請け負うものだ」
「細かいことは言うな。あの職務放棄な爺さんに任せておくと、こちらの被害がなぁ。わかるだろう?」
「相変わらずか、あのクソ爺は」
心底嫌そうに吐き捨てながらも、ため息をついた海は桂に向き直る。
「伴侶殿。これから少し外が騒がしくなるだろうが、絶対にこの家から出ないでくれ。伴侶殿とのせっかくの逢瀬を邪魔されて業腹だが、少し野暮用ができた。片付けてくるよ」
心配そうな顔で桂を見た後、その顔に苦笑を浮かべた海に、彼女は戸惑う。
二人が知り合いだったということは分かったが、その会話の意味する所がよく分からない。
ただ、何か厄介事が海のもとに舞い込んだということ。それが危険を伴うことだということは、なんとなく察することができた。
「私のことより、おまえの方が危険なのではないか?」
気遣わしげな表情で問い掛ける桂に、海は困ったような顔になる。
「わしは大丈夫だよ、伴侶殿。これでも不老長命、頑丈でどの種族よりも力を持つ、ウイの一族だからな」
一族の者を殺せるのは、たぶん同じ一族の者だけ。
それほどに隔絶した、絶対の種族。だからこそ、実物として対峙した時、それを拒絶する者も出る。
それは本能なのだろう。己とは相容れない存在だと否定するのだ。
その言葉を証明するように、海は己の中で封じていた力をすべて解放する。そうしなければ、これから相対するモノに対抗できない。
これはちょうどいい機会でもあった。彼女に対し、いつまでも己の正体を曖昧にしておくわけにはいかないと思っていたのだ。察しの良い彼女は薄々、気づいていただろうが――。
「それがなんだ。私はおまえに危険はないのか、と訊いたんだ」
桂は眉間に皺を寄せ、不機嫌に言葉を紡ぐ。
「怪我なんてして戻ってきてみろ。傷口にものすごく染みる薬をありったけ塗り込んでやる」
己とは隔絶した存在だと。強大な力を持つ存在だと、感じているはずだ。今の海は種族本来の力を隠しもしないでさらしている。
それなのにまだ、この身を心配するのか。
その瞬間、海の中で我慢の糸が切れた。
言葉ではどんなことを告げようとも、怖がらせないよう、彼は彼女に接する時はずっと細心の注意を払っていた。桂に逃げる間を、抵抗する手段を残し、彼女の意思を受け入れてきた。だが――。
強引に桂の身体を引き寄せ、そのまま腕の中に閉じ込めてギュッと力を込めて抱き締める。
女子にしては背の高い。だが、こうして抱き締めてみれば、どうしてこの身で男に見えるのか不思議になるほど、彼女は柔らかく華奢な身体つきをしている。
「伴侶殿、愛しているよ。無事に戻ってきたら褒美をくれ。呼び名で良いから伴侶殿の名が知りたい」
耳元で彼女にだけ聞こえるように囁く。名残惜しくはあったが、目の端でニヤニヤしている九曜の姿が非常に邪魔だった。
海は桂の身体を解放し、驚きの表情で硬直している彼女の顔を覗き込む。
「わしの心配よりも、伴侶殿。絶対に安全が確保されるまで、外に出ては駄目だぞ。“嵐”が来る。――では、行くとするか。そこで笑ってないでおまえも来い、九曜」
無防備なその唇に口付けを贈りたい所だが、それはさすがに我慢した。そうすればせっかく多少は縮まった距離がまた元に戻ってしまうだろう。
海は桂に背を向け、緊張感の欠片もないドアベルの音を鳴らして外へと出る。九曜は肩を竦め、たたずむ桂の横を通り抜ける。
「あいつを少しお借りしますね、薬師殿」
通り抜ける間際に見えた彼女の表情に、九曜はおやっと片眉を上げたが、それ以上は何も告げずに海の後を追って外へ出た。
そこには当然、海の姿はない。標的が現れる地点へと向かったのだろう。
九曜が外に出るまでの短時間に張ったらしい海の結界が、桂の店と家を守るように包み込んでいる。微妙に細工の施されたそれは、たぶん、桂では気づかないだろう。相変わらず器用な奴だと、九曜は感心する。
「意外に脈があるかもな」
ぼそりと呟き、先程、桂が浮かべていた表情を思い出して、彼はクスリと意味ありげに笑う。
見上げた先はどんよりと曇り空で、不安な気分にさせる生温い風が街中を通り抜けていく。それは、これからこの街を訪れる“嵐”特有の予兆だった。




