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20.嵐 その壱

 薬師が暇なのは良いこと。

 もともと定期注文の固定客が多い桂の店では、飛び入りで訪れる客は少ない。だが、その固定客のお陰で定期収入があるので、生活には困っていなかった。

 いちおう職業仲介所の方にも「ご注文に応じて薬を調合します」とは出しているが、そこからの注文は微々たるもの。他所の街では違法な注文もここから普通にされてくるのだが、その注文は受け渡しの段階でもめることもしばしばだった。

 海と出会ったあの日も、その注文のせいで追われていたのだ。


 まあ。それはさておき。


 本日は本当にやることもなく、桂は調合机に頬杖をつき、ぼんやりとしていた。

 ちょっと手が空くことはよくあることだが、稀にこういう空白日ができる。材料の買い出しも薬の調合もその配達もない日。

 そんな日ができた後は大抵面倒な注文が舞い込んだりして、予定外に忙しくなったりもするのだが――それはそれ。あまりの暇さ加減にこういう時こそ、日頃サボっている店内の片付けをするべきだと思うのだが、そんな気は更々起きない。

 日常の生活空間はそれなりに掃除も片付けもするのだが、やはり面倒だという感情は捨てきれない。

 それは店内の掃除にも言えることで――すべて必要に迫られて仕方なくやっているだけなのだ。


「やはり研究してみるか」


 少し悩んだ後、ぽつりと呟く。

 桂はこの現状に以前から考えていたことがあった。生活に特化した、力の消費が少ない呪術を作れないかと。そうすれば、料理は好きだから良いとして、他の家事が格段に楽になるはずなのだ。


 他の種族でもそれに類似した術はある。ただし、消費する力が大きいのが難点。

 少しでも楽をするために開発された道具もある。ただし、工程が細分化されるために道具の種類が増え、保管場所に困って色々不便。


 だから、もっとこうずばっとスマートな代物がないかと常々思っていたのだ。誰かが作ってくれないかと期待していたが、なかなかできそうもない。

 それならば仕事の合間を使って、自分で作ってしまった方が早いかもしれないと、桂はついに決断した。


 そうと決まれば、この場でやるのはまずい。

 この店舗兼作業場には、薬に使う滅多に手に入らない貴重な材料も存在する。失敗した拍子にうっかりそれらを巻き込んでは目も当てられない。

 そのため桂は続きの自宅の方へと移動するべく立ち上がったのだが――。


 カランカランとドアベルが鳴り、そちらの方を見る。棚などの影から現れたのは、この店ではずいぶんと久しぶりに見る人物だった。桂は立ったまま不思議そうな顔で応対する。

「お久しぶりです、薬師殿」

 そこにいたのは、この街を管理する中枢の統治者、九曜だった。


 中枢からは月一で注文を受けているので、繋がりがまったくないわけではない。だが、彼と個人的に親しかった桂の師が亡くなって以来、彼がこの店を訪れることはなかった。


「お久しぶりです、九曜殿。今日はどういった話でこちらへ?」

 定期注文を止めるという話だとするなら、桂としても困ったことになるのだが、その話をするためだけにわざわざ九曜が来る必要はない。普段の定期注文は今でも別の者が取りに来ているし、そういう話ならその者がするだろう。だから、彼の個人的な用件があって訪れたのだと彼女は考えた。


「話、というか……。いや、本当は薬師殿の所に押し掛けるのは身の危険があるので、避けたかったんですが――」


 ボソボソと気まずそうな顔をして頭をかく九曜に、桂は訝しげな視線を向ける。

 身の危険とはいったいなんのことなのか。

 桂は九曜にいきなり毒薬を盛るようなことはしない。彼が何かをした、というのならその報復も考えるが、今の所そんな心当たりはなかった。


 その考えを読み取ったらしい九曜が、慌てたように己の言葉を取り繕う。

「薬師殿がどうこうってわけではなくて、危ないのはあいつの方で」

 いっそう意味が分からなくなった桂は、訝しげな顔のまま首を傾げる。

「九曜殿。本日はどのような御用でしょうか?」

 再び九曜に用件を問えば。


「その……海は、いませんかね?」


 慌てた様子で視線をウロウロと彷徨わせて何かを確認した後、九曜は気まずげにそう問い掛けたのだった。

 その瞬間。桂の表情が固まった。


 何か妙な単語を聞いた気がする。

 なぜその名が中枢の、しかも統治者から出てくるのか。


 先日のあの騒ぎが原因か?

 なんの音沙汰もないからと、うっかりそのまま放置していた。

 海は気にしなくていいと言っていたし、こちらも日々の仕事と姉の手紙のことでそれどころではなかったから忘れていた。

 そう。忘れてしまえるほどの日数が経過していたのだ。

 ということは、その件でない可能性の方が高い。――まさかあの男、あれからまた何かやったのだろうか。


「……あの変態が何か仕出かしましたか?」


 低く唸るような声が出てしまったのは、まあ、海の日頃の行いのせいだ。

 そう問い掛けた瞬間に浮かべた苦虫を噛み潰したような表情と、桂が告げた海を示すと思われる単語に、九曜の顔が引きつる。

「それとも先日の一件でしょうか?」

 桂から発せられる気迫に気圧されながらも、九曜はそうではないと告げようと口を開きかけたのだが――ドアベルが場にそぐわない軽快な音を立てて、誰かの来店を告げた。


「ただいま~、伴侶殿」


 声と共に現れたのは、九曜が探していた人物であり、桂の神経をとことん逆なでする人物だった。

「何度言ったら分かる。ここはおまえの家ではないわ!」

 九曜の姿を見つけて剣呑な表情になった海を気にすることなく桂は怒鳴り、九曜の脇をすり抜け、海の方まで歩いていく。

「な、何? 伴侶殿。なんか機嫌がものすごく悪いみたいだけど、わし、何かやったか? それとも久しぶりの訪問で……なんでも無いです。わしが悪いから、機嫌直して」


 前回、海と桂が会ったのは一週間以上前になる。桂に藍を泣かしたと誤解されたあの日以来、彼は初めて彼女に会いにきたのだが、あの日とまではいかなくとも彼女の機嫌は目に見えて悪く、その場にはなぜか九曜がいた。

 何が理由かは分からなくても、九曜が告げた何かが彼女の機嫌を降下させたのではないか、という推測くらいはできる。だが、九曜を問い詰めるよりも、海は桂を優先する。

 己に非があろうとなかろうと、とりあえず彼女の機嫌が直るように謝る海。すべては惚れた弱みだ。そして、うっかり茶化してしまいそうになったのは――性分だった。



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