13.城塞都市の中枢 その壱
城塞都市の中心に鎮座するその建物は、要塞とでも言えそうなほど厳つい印象を見る者に与える。そこが中枢と呼ばれる、この街を管理する者達が集う場所。
最上階のある一室に、海の姿は突然現れた。空間転移で手続きも何も一切すっ飛ばし、いっきにここまで来たのだ。
その部屋の主である男は彼の姿に驚くでもなく、執務机に座ったまま悠然と手を組んで笑う。人間よりも尖った耳と鋭い犬歯、伸縮自在な鋭い爪を持つ、外見は人間年齢に換算して三十代後半に見える男だ。
「ようやく御出座しか。久しぶりだな、海」
海は男の様子に構うことなく、部屋にあった一人掛けのソファに腰を掛け、何もない空間から唐突に酒瓶とグラスを取り出し、そのグラスに酒を注ぐ。異空間に品物を仕舞い、必要に応じて取り出すことは、力さえあるならばさほど難しいことではない。
「ずいぶんとえげつない術を俺の部下に使ってくれたじゃないか」
酒を呷った海は、男の方を不愉快そうに見る。
「部下の教育がなってなかったぞ、九曜。この街の統治者はおまえだろう? わしの手を煩わせるな」
けんもほろろな態度で、海は新たな酒をグラスに注ぐ。
「そうは言うが、この街の妙な規律とそれの維持体勢を作ったのはおまえだろうが。その張本人が規律の穴を使って暴れ回るのはどうかと思うぞ」
言葉では海に苦言を呈しているが、九曜の声は笑み含み、顔もおかしそうに笑っている。
「知るか、そんなこと。わしは不届き者に裁きを下してやっただけだ」
水のように酒を呷る海に、九曜の笑みは尽きない。
「ずいぶんと不機嫌だな。薬師殿に愛想でもつかされたか」
海の動きが止まった。眼光だけで射殺しそうな目が九曜に向けられる。
「わしに喧嘩を売っているのか、九曜。死にたいのなら、今すぐ塵も残さず現し世から消してやるぞ?」
唸るような返答に、地雷を踏んだらしいと気づいた九曜だったが、それでもこの男がこんな反応を返すことがおかしくて、笑みを消すことができなかった。
部下の起こしたことの事実確認を取るため調べる内に、浮かんだ人物が海と桂だった。海が関わったとなれば発見された部下の状態にも納得がいく。
街に出入りする者の管理は厳重に行われているが、海に関しては無法地帯だ。というか、ウイの一族は管理できる者ではない。格が違い過ぎる。
気が向いた時にふらりとこの街を訪れる海だが、そんな奴が桂にちょっかいを掛けていると分かった時には、意外だと心の底から思ったのだ。
「さすがにまだ死にたくはないな。だが、その様子だとずいぶん薬師殿に御執心のようだ。そんなに良いのか?」
九曜の下世話な問い掛けに、海は不機嫌も露わに鼻に皺を寄せた。
「薬師殿はわしの伴侶だ。何かしてみろ。その時は死んだことも分からないほど、一瞬で黄泉国へと送ってやる。それとも生きて地獄を見るか?」
九曜は驚き、わずかに目を見開く。
「本気、なのか。確かに陸では珍しい、今では絶滅寸前と言われる部族ではあるが――」
「そんなことどうでもいいわ。あれはわしの唯一だ」
その瞳に映る、激し過ぎる恋情に九曜は気圧される。
ウイの一族が抱える因業。
永い生涯の中でただ一人の者に心を傾け、その唯一絶対の伴侶に執着する。
それはある種の狂気だ。相手どころか、己すらも滅ぼしかねないほどの想い。
彼の一族は数が極端に少ない。長命種の中でも格段に永く生きる種族であり、彼らはどこまでも個人主義な種族だったために群れることもない。だから、己の種族のことを語る、ということもあまりしない。
彼らについて書かれた文献もあまりなく、長年、謎の多い種族として通っていた。
だから、九曜がその事実を知っていたのは偶然だ。それが幸運か不幸かはともかく。
「わかった。部下共には薬師殿に無用な手出しをしないよう、重々言い聞かせておく。むざむざおまえの餌食にさせるのももったいないからな」
ウイの一族の伴侶に手を出すなど、自殺行為に等しい。簡単に死なせてくれるならまだ良いが、今回、海が取ったえげつない術を鑑みるとそうだとは思えない。
欲に目が眩んだ愚かな部下は、知らずに眠れる怪物の尻尾を踏ん付け、死んだ方がマシだと思える苦しみに自ら命を絶つこともできず、正気を失うことすら許されずに生きながら死の苦しみを味わい続けている。
その部下の他にも似たような状態の者が発見されているが、そちらの方はまだ正気を失えただけましというものだ。その者達はもう、現し世にはいない。
部下の取った行動は愚の骨頂だ。だが、あれほどの仕打ちを受けるほどのことなのかと、九曜ですら思った。さすがに部下が哀れになり、せめて死なせてやろうとしたのだが、そこが海の術のえげつない所だ。本人の寿命以外では死ぬことができないように術が組まれ、外的要因で死ねないようになっていた。
他の部下までそんな使い者にならない状態に追い込まれては堪らない。使える手駒が減れば、九曜の仕事が増えるだけなのだ。
海が九曜から視線を外し、酒を飲む。
「……テスに薬師殿の種族を教えたのはおまえか?」
冷やかな声に海の怒りがまだ収まっていないことを感じた九曜は、その矛先が自分に向いて、さすがに冷や汗をかく。
海との付き合いは長い。だが、あまり細かいことを気にしない大雑把な彼が、ここまで怒りを露わにする姿を見るのは、初めてのことだった。大抵のことは笑って流す男なのだ。
吸血族でも上位種の純血である九曜は、人外の者の中でも上位の力を持つ。だが、ウイの一族を敵に回して生き残れるような気はまったくしない。そんな勘違いが絶対に起きないほど、九曜と海の間には力の差が存在していた。
「俺が薬師殿の種族を知っていたのは、薬師殿の師である先代から彼女のことを頼まれていたからだ。先代には少し借りがあったし、何より薬師殿の作る薬は類がないほど良質なものだった。だから、彼女にはうちで消費される薬を定期的に注文していた。彼女の種族については誰にも言っていない。この血に誓って嘘じゃない」
吸血族は己に流れる血を誇りとする。その思いは上位種、純血であるほど強く、誓いを述べる時には己の血に誓う。血に誓われた言葉を偽ることは、己の誇りを傷つけることであり、彼らはそれを忌み嫌った。時にそれで命を失うほどに――。
実際、九曜の言葉は嘘ではない。
テスがセイレーンを使って裏で何がしか動いていたのは、ずいぶんと前から知っていた。知っていたが、某かの対処を取るのは面倒で放置していた。そこまでの必要性を感じなかったのも放置していた理由の一つだ。
まだテスが子供の頃、海が九曜に彼を預けたのは確かで、子育てなどしたことのなかった九曜は、跡継ぎを探していた商人に彼を預けた。それは本人が望んだことで、一度、九曜との縁はそこで途切れている。
テスは本人の努力と資質、運で豪商と呼ばれる地位を得て、中枢にまで発言権を拡大させた。だが、彼が九曜の部下になったことは一度もない。
それは確かなことだが、一度は九曜に預けられているのも事実で、彼が何某か動いていたことを知っていただけに、監督不行き届きだと責められれば仕方ない部分もある。
それでも、九曜自身はこの件にまったく関与していなかった。
「そうか」
その答えで納得したのかしなかったのか。
そう短く答えた海が、空になったグラスに再び酒を注ぐ。本当に水のように飲む奴だ、と九曜は状況も忘れて呆れた。
「テスのことだが――」
「あいつの所に捕えられていたセイレーンなら、わしが海へ還した」
自分の邸で冷たい躯となって見つかったテス。
その魂はセイレーンが海原へと一緒に連れていったのか。
「セイレーンとは、哀れなモノだな」
ぽつりと海が呟く。手の中の酒を満たされたグラスが、ユラユラと揺れていた。
泣きながら己の愛した男を殺し、その魂を胸に抱いて、それでも幸せそうに微笑む人魚。
その男は結局、彼女を道具としか見なかった。彼女の想いを踏みにじり続けた。なのに、それでも愛しいと告げたのだ。無理が祟り、ボロボロになったその身体で――。
海原に還った人魚の姿を思い出し、その姿に傷ついた表情を浮かべる桂の姿が重なる。
「哀れ、か。彼女達は情が深いだけだ。そういう意味では、おまえの一族も変わらないと思うが?」
どちらも愛した者を想うその心ゆえに、己も相手も滅ぼす。その激しすぎる想いに違いなどない。
「そうか? わしはあれほど身を削りながらも尽くし続ける姿は、別種のものだと思うぞ」
桂の負った傷が何なのか知りたいと思う。いまだ癒えないその傷を癒したいと願う。
だが、彼女は海にその傷を見せることすら拒絶する。その傷を抱えながら、どこまでも一人で立とうとして、海の手など必要ないといつもその態度が告げていた。
その姿が哀しい。だが、愛しい。
「それはまあ、持って生まれた力の差。種族の差。性別の差、だろうな。女人はどんな種族だろうと繊細なものだ」
セイレーンとは違い、ウイの一族の場合は狂気にも似た想いの矛先が周りにも被害をもたらす。相手だけでなく、そのまた周り、極端なことを言えば、相手の関心を奪うものすべてを滅ぼしかねないのだ。だからこそ、彼の一族の伴侶に下手な干渉をするべきではなかった。




