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10.女たらしの実態 その壱

「女将。今月の分だ」

 桂は風呂敷包みを開き、粉薬や丸薬の入った薬包、器に入った薬用クリームなどを渡す。相対していた女将と呼ばれた女は、それらを確認して笑みを見せた。

「いつも持ってきてもらってすまないね。あんたの薬は良質で副作用もないから、こっちとしても助かっているんだよ。ほら、今月の代金。来月は傷薬もいくつかよろしく頼むよ」


 受け取った代金を確認して、桂はそれを財布に入れる。

「いつもの塗り薬で良いか? 値段は少し高くなるが、治りが格段に早くなる内服薬も作ってみたんだが――」

「そうだね。じゃあそれも二つほど頼むよ」

 苦笑して答えた女将は、そこで今やっと気づいたとでも言いそうな顔になり、ずっと桂の後ろに立っていた海の方を見た。


「このすけこましは、あんたの弟子か何かだったのかい?」

「いいや、違う」


 意味ありげな視線を向けられ、即効で桂は否定する。

「勝手についてきただけだ。こんな奴が薬を取り扱うなど、神への冒涜。思い出すだけでも、おぞましい」

 低い声で唸るように告げる桂から、女将は視線を海へと向ける。

「あんた、薬師殿にここまで言わせるほど、何をやったんだい?」


 女将と桂の付き合いはずいぶんと長い。口は悪くとも、基本的に人当たりは悪くない桂がここまで他人を貶す所を、彼女は初めて目にした。しかも、それは本人を目の前にして、である。


「まあ、ちょっとな」

 苦笑を浮かべた海は短く答え、詳細は語らない。

「女将。この変態を知っているのか?」

 すけこまし発言といい、今のやり取りといい。女将と海の間には知り合いの、気安げな雰囲気が漂っている。

「変態って、薬師殿……」

 自分のすけこまし発言は棚に上げ、それはさすがにどうかという思いが浮かんだ女将だったが、変態呼ばわりされても笑っている海の姿にそれで良いのかと呆れ、桂の問いに答えるべく口を開く。


「知ってるも何も、このすけこましは一時期うちの子達を手玉に取っていた御仁だよ」


 頬に手を当て、困った風にため息をつく女将の姿に、嫌な予感がした桂は海に向き直り、その胸倉を掴んで揺さぶった。

「変態。おまえという奴は、ここの妓楼のお姉さま方にまで手を出していたのか?」

 呆れていいのか、怒っていいのか、微妙な所だ。

 ここはこの街でも有数の高級妓楼で、妓女達は気立てが良く、芸に秀で、美人揃い。その分値段も高いし客も選別されるのだが、通いたいと思う男が後を絶たない店だ。


「まあ、なんというか……そう、なるか、な?」

「この男から金は取れないって、うちの子達が言い張るものだから。こっちとしてもねぇ、困った御仁だったんだよ」


「料金を踏み倒したのか、変態!?」


 女将の発言に動揺した桂の手に力が入り、海の首が締まった。そのまま彼女は彼をグラグラと揺さ振り続ける。

 海はグエッと蛙が潰れたような声を上げ、彼女に為されるがまま揺さ振られていた。その口が何か言いたげにパクパク動いているのだが、声は出てこない。


「薬師殿、落ち着いて。首が締まってるよ。それじゃあ、その男が死んじまう」


 さすがに二人の様子を見兼ねた女将が口を挟んだ。その声にハッと正気付いた桂が、慌てて海の胸倉を放す。海はしばらくぜいぜいと苦しげな呼吸を繰り返し、息を整えてから口を開いた。


「わしは払うと言ったんだよ。だが、誰もが要らんと言う。代金を突き返されれば、なぁ、女将」

「そうなんだよ。商売っ気抜きに安息日に相手をされちゃあ、私も強く言えなくってねぇ。このすけこましはうちの子達を皆、骨抜きにしちまったんだ」

 苦笑する女将に、海もまた苦笑を返す。

「女将。あまり大袈裟に言わんでもよかろう?」

「大袈裟なものか。事実だろう?」


 二人の間で交わされる微妙な会話と視線のやり取りに、桂は困惑顔になる。そこへ店の奥から新たな人物が現れた。


「そこにいるのは旦那じゃないか」


 昼間でも艶っぽい美人な彼女は、この妓楼の一番人気を誇る妓女だった。源氏名を胡蝶と言う。

「それに薬師殿も一緒かい。ずいぶんと珍妙な組み合わせだねぇ」

 だが、その中身は姉御肌だった。

 カラカラと笑う胡蝶を前に、海もまた、彼女に向けて男らしい笑みを見せる。


「そういう胡蝶も、こんな時間に動き回っているとは珍しいではないか」

 時刻は朝と昼の間。夜が本番の妓女達はまだ、寝ている者も多い。

「あら、旦那。私だってたまにはそういう日もあるわよ」


 そう告げて海の胸へとしな垂れ掛かってみせた胡蝶を、彼は慣れた様子で受け止めている。

「それにしても旦那。最近は御無沙汰だったから、他の街へ移ったんじゃないかって皆で噂していたのよ。私、今夜は安息日なの。どう?」

 海の頬に手を触れて上目遣いに微笑む、嫣然とした姿になびかない男などいそうもないのだが。

「う~ん。とても魅力的な御誘いだがな――」

 海は窺うように桂の方を見た。去り際を見誤ってその場に立ち尽くしていた桂は、無表情で彼の顔を見つめ返す。


「伴侶殿と約束したからな。断るとしようか。わしは今、伴侶殿一筋なのだよ」


 意味ありげな間と海の視線の動きから、その単語が誰を示すか目敏く結論を導き出し、胡蝶と女将は別々の反応をした。

 胡蝶はしな垂れ掛かっていた海の身体から身を離し、両頬を押さえてポッと頬を染めたかと思うと、

「旦那ったら、そっちもイケる口だったの。意外ねぇ。てっきり根っからの女ったらしだと思っていたのに」

 と妙な言い回しの言葉を口にし、女将はそんな彼女に対して呆れた表情になる。


「あんた何馬鹿なこと言ってるんだい。このすけこましが両刃なわけあるもんかい。そもそも薬師殿は女子だよ」


 女将は桂を驚愕させる言葉を、平然と口にしたのだった。



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