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序章

 

 旧ケレスティナ国の最南端にある街、シャンテ。

街自体は小さいものの、港には多数の貿易船が出入りし、北部城下へと向かう一本道には荷馬車が行き交う。

各地から商人や旅人が訪れ、国外からも仕事を求め住みつく者もいるほどにシャンテは賑やかで住みよい街だ。

しかし、それも今となっては過去の話──。


 十数年前のことだった。

隣国カルディアからの侵略を受け、ケレスティナ国はカルディアの支配下に置かれたのだ。

王座も国も全て奪われてしまったケレスティナ。 国内一栄えた街といわれるシャンテでは、戦に巻き込まれるのを恐れた人々が土地や家を捨て、逃げるようにして街を出ていった……。

それからというもの、シャンテは以前の面影すらも感じさせないほど、急激に廃れさびれていったのだ。

 あれから随分経った今でも、港や唯一の街道が続く北門には武装したカルディア兵士が見張り、内外部の一切の出入りや情報までもが断たれたままだ。



 「シャンテの街は旧ケレスティナ国王の故郷でもあってね……。 その血族が起こすであろう報復を恐れたカルディア国は、街ごと封鎖しようと意図的に病の噂を広めたのさ。"不治の病"をね」

話の途中で老婆は静かに腰を上げ、炎の小さくなってしまった暖炉へ数本の薪を投げ入れた。 パチパチとが小さな音をあげ、薪に火が付いたのを確認すると、再び老婆は語り出した。

 「……はじめの頃は戦渦の中、街に残る者も多かった。 けれど、噂を信じた人々はついにこの街から逃げ出して行ったんだ。 まぁ、逃げられていればの話だがね。 街から出た者が外でどうなったのかは、この婆にもわからないさ。 おそらく大半は兵士に捕り殺されるか、カルディアへ連れて行かれたのではないかの……。 気がつけばここに暮しているのは元々の住人だけになっていたんだよ」

 そう語り続ける老婆の傍らには少女が1人、澄んだ碧色の瞳で老婆の横顔をじっと眺め、次の言葉を黙って待っている。

少女の名前はリディア。

 この街に残る住人の中で一番年の若いリディアは、身寄りのないお年寄りを訪ねて回るのが日課だ。 働く事の出来ない者たちに、食糧や水など生活に必要な物を差し入れたり、食事を与えたりしている。 今、老婆が使う薪も、彼女と数名の大人たちによって集められたものだ。


「そうだ、リリー」

「なぁに。おばあさま」

老婆は椅子にゆっくりと腰を下ろすと、思い出したかのように語りかける。

「明日も森へ出かけるのかい?」

「えぇ、おばあさま。 明日は森の泉まで水を汲みに行くわ。 この寒さじゃ街の小さな井戸は凍ってしまってて使えないもの。 ついでに木の実や冬苺が見つかると嬉しいわ!」


 封鎖されているこの街では、余所から必要な物を取り寄せることもできず、外部から物資が与えられることはない。 生活におけるもの全てが自給自足なのである。

 街の隅に小さな畑をいくつか耕し、作物を育て、わずかの収穫で餓えを凌いでいたのだが、今年は急激な寒気のせいで作物の育ちが悪い。 その上、このあたりでは冬になれば雪が積もる事も多く、作物を育てるにはあまり向いていない土地なのだ。 その為、海で獲れる少ない魚類と、西の森で獲れる野鳥や木の実、山菜などが住人の主な食糧となっていた。


 老婆は無邪気に笑う少女を見て微笑み、次には少し申し訳なさそうに顔を俯かせる。 それからリディアをまっすぐ見つ直すと、皺が刻まれた両手であかぎれだらけになった少女の手をそっと包んだ。

「ありがとう。 お前は本当に優しい子だね。 でもどうか無理はしないでおくれ……。 最近、誰かが泉の近くで大きな狼を見たと言っていたからね」

「オオカミ?」


 森は住人にとって命綱のようなものだったが、街が封鎖された頃からだろうか西の森では頻繁に獣が見かけられるようになった。

それからというもの、次第に野鳥の数も減ってきており、また恐ろしいことに狩りに出た住人が獣に襲われ命を落とすことも度々ある危険な場所なのだ。


 「獣……と皆は呼んでいるようだが、あれは間違いなく狼だろう。 きっとお前たちを探しているに違いない……」

呟く老婆の言葉はとてもさく、掠れていた。 最後まで聞きとることのできなかたリディアは、不思議そうに首を少し傾げる。

「おばあさま。 オオカミってなに? それは獣の名前?」

その様子に老婆がまた少し声をくぐもらせて言う。

「そうか……。 お前はまだ何も知らないのだね」


 リディアの父は彼女が生まれる前に亡くなってしまったと、昔母から聞かされていた。 その母も彼女が物心つく頃から病気がちで、今も床に伏せている。 幼い頃から病弱な母の面倒をみながら、街の人達の為にも働いているリディアは、弱音を吐くこともせず、好奇心旺盛な明るい女の子に育っていた。

街の人達はそんなリディアの笑顔に癒され、感謝し、まるで自分の娘のようにして可愛がってくれている。

その中でも目の前のこの老婆は、リディアにとって母であり、いろいろな事を教えてくれる先生でもあり……また友達のような存在でもあった。


 リディアの問いに暫くの間黙っていた老婆だったが、好奇心と期待とをじっと向けてくる視線に負けて、ゆっくりと口を開いた。

「そうだよ森に住む獣のひとつさ。 でもそれは昔、私たちにとって守り神として崇められた存在だったんだよ」

「神様!? 凄いわ! 私一度会ってみたいかも」

「リリー、聞きなさい」

楽しそうにその綺麗な瞳を輝かせるリディアに、老婆は口調を強めた。

「それと同時に彼らは私たち人間にとって恐ろしい存在でもあるんだ。 彼らは時に人の肉を食らうことだってあるからね。 お前も知っているだろう? あの森ではもう沢山の人達が死んだり、姿を消していることを……」

「……えぇ、知って……いるわ」

咎められ思い出せば、気持ちと一緒に声のトーンもしぼんでいく。


 確かにあの森ではリディアの知る中でも、片手では足りないくらいの人達が亡くなったり、いなくなったりした。


 一番近くでいえば、半年前に姿を消したキースだ。

リディアより2つほど年上のキースは、口は悪いがとても頼りになる男性だ。

厳しいことを言っても『お兄ちゃん、お兄ちゃん』と、物怖じせず懐いてくるリディアを甘やかし、時には咎めることも、彼が一番上手だった。

 若者が少ないシャンテでは、まるで決まったことのように、リディアとキースは将来夫婦となるのだと周りから思われていたようだが、当のリディアにとっては少し違ったものだった。

私に兄弟がいたなら、キースのような人だっただろうと、恋人に抱くようなそれではなく、まるで本当の兄のように慕っていた。

彼が突然いなくなってしまった今でも、その気持ちに変わりはない。

森に入るたび、彼がどこからか帰ってくるのでは……と願う。 けれど、もしそのオオカミという獣に殺されてしまったのなら……。

 

「でもね、それでも私たちは彼らを傷つけてはならない……」

老婆の言葉にはっとすると、リディアは自分の拳をきつく握っていたのに気づいた。 理不尽とも言える言葉に、震えた声で何故かと問う。

「そうだね……それは、神だからだよ。これは昔からの決まりなんだ。 リリー、彼らは鋭い牙と硬い爪を持っていて、足も速い。 狼に出くわしてしまってからでは遅いんだよ。 特に小柄なお前なんて一噛みでやられてしまうに違いないだろう」

 それは彼女の身を心配してというよりも、狼に対しての恐怖心を持たせようとする話し方であった。

老婆に聞く狼のイメージにますます身を強張らせる。

「……わかったわ、おばあさま。 私、充分気をつけます」

老婆は小さく頷くと席を立ち、奥の小さな棚の引き出しから何かを持ってきた。


「リリー、これを持って行きなさい」

そう言って老婆は座っているリディアの後ろに立つと、その首元に革紐で作られた首飾りを結んだ。

胸のあたりにさがる首飾りの先には、白く細長い石のようなものが付いている。

「おばあさま、この石は?」

「それはね……狼の牙だよ」

「これが狼の……?」

親指と人差し指で掴んだそれを、リディアは目の前に持ち上げ、縦にしたり横にしたりと眺める。

その牙の裏側には何か細かい飾りのようなものが彫られており、そして表面はガラスのような素材でコーティングされたみたいに、暖炉の火に照らされオレンジ色の光を反射させた。

「すごい……。 綺麗」


「その首飾りはね、お守りだよ。それを肌身離さずさず持っていなさい。 こうしてね」

老婆はリディアの手から革紐の飾りを取ると、リディアのその服の胸元へと滑り込ませた。


「これは自分以外の他人には見せてはならないんだよ。 絶対にね」

「どうして?」

「そういう決まりなんだ。 効果が薄れてしまうかもしれないだろう?」

それに……と、急に老婆の声が少し小さくなる。

「それは、お前のおじいさんの形見なんだ」

「私の……?おじいさん? それをどうしておばあさまが? おばあさまは……」

その先はうまく言葉にできなかった。


 幼い頃の記憶がリディアの頭をかすめる。

『おかあさま、どうしてリリーにはおとうさまがいないの?』

布団の中で小さく咳をしていた母は、娘からの何気ない問いに、戸惑ったように目を泳がせた後、ゆっくりと瞬きをし娘の小さな手を握って言う。

『……父様は……あなたが生まれる前に亡くなったの』

『なくなったって、どういういみ? おとうさまはいないっていうこと?』

まだ幼いリディアには、亡くなるの意味も、人が死ぬということも理解できなかった。

無邪気に微笑み、問いかけるリディアを抱きしめると、母はごめんなさい、ごめんなさいと涙を流し、繰り返したのだった。

その息も止まりそうなほどの悲しい声と、繰り返される謝罪の言葉に、幼いながらもこれは聞いてはいけないことなのだと悟った。

それからというもの、リディア自身、家族の話をするのは母の前でも余所でも口にしにくい話題になっていた。


「おばあさま……」

リディアが言葉を紡ぐのを遮るようにして、老婆は続けた。

「もし万が一お前が狼と出くわしてしまった時には、その牙を見せなさい。 彼らはそれを恐れる。 襲ってはこないはずだよ」

老婆は机に置かれていたランタンを彼女に手渡すと、軽く背中を押すようにして外へと促した。


「もう夜も更けてきたよ。 お前の母親が心配するといけないから今日はもう家へお帰り」

「でも、おばあさま! 私、まだ聞きたいことが……」

「悪いね、リリー。 少し話疲れてしまったようで少々眠いんだ」

そう言われてしまっては、諦めるしかなかった。


「今日も美味しいスープを持ってきてくれてありがとうね」

「い、いいえ……」

入口の扉を老婆が開けると、リディアは何も返せず外に出た。

「外はもう真っ暗だ。 気をつけて帰るんだよ」

「はい、おばあさま。 お休みなさい」

「おやすみ、リリー」

静かに扉が閉ざされ、鍵の掛かる音を確認すると、リディアはゆっくりと自分の家に向かって歩き出した。


 街には多くの屋敷が立ち並ぶが、夜になっても明かりが灯るのもほんの数棟。 完全に賑わいを失くしたシャンテの店は昼間でも皆扉を固閉ざし、教会も病院でさえも建物は残るものの機能していない状態だ。 住む人がいなくなった木造の住居は雨風で荒れ、廃墟となしてしまっている。

そんな暗闇の街をランタン片手に1人歩く。

それが慣れた道であっても、あんな話をした後だ、やっぱり少し怖くなってくるのは仕方がない。

リディアは次第に足を速めた。


「ただいまー」

 家に戻ると、リディアの母は布団の上で静かに寝息を立てていた。

起こしてしまわないようにしてその寝顔をのぞき込む。

良かった。 今晩は顔色も良いし、呼吸も調子良いみたいだ。


「ねぇ、母さま……おばあさまは、私の本当のお婆さまなの?」

小さな小さな声で囁く。

もちろん、眠ってる母には聞こえるわけもないし、むしろ実際に聞かせるわけにはいかない。

 リディアの母は心臓が悪く、少しの心労やストレスなどで発作を起こす可能性があった。 だから、幼い頃から母に余計な心配をかけないよう、母の前では特に明るくいるよう心がけているのだ。


 また明日……おばあさまに聞きに行こう。

リディアは服の上から狼牙の首飾りを握りしめた。

2014.6.12 文章等、修正しました。

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