邪竜は孵らない
「リディア・フォン・リンドグレーン! 貴様との婚約は破棄する!」
伝統ある王立学園で年に一度行われるプロム的なパーティの席で、王太子アルフレッド・ド・ラ・ベル・ヴァロワは突然声を張り上げた。
皆が揺蕩うダンスフロアより頭ひとつ抜けた大階段の踊り場。大声で演説する王太子の姿は、会場のどこからでもよく見える。
隅の立食スペースでローストビーフと鴨肉のコンフィのどちらが美味かで激論を交わしていたリディアは、薄情な友人たちに衆人環視のさなかに押し出された。
ちら、と目線を向けると、友人たちはまだ肉を食らいながらサムズアップでエールを送ってくる。
「……なんでございましょう、殿下」
リディアは口の中の鴨肉を飲み下してから、観念して前に進み出た。
「この期に及んでしらを切るとは、厚顔無恥なやつだな! 貴様が権力を笠に着てこのヒロ・イン子を虐めていた証拠はあがっているのだぞ!」
アルフレッドの傍らには、ピンク色のドレスを着た小柄な少女が控えている。
話したことはほとんどないが、彼女のことは知っている。平民育ちだが実は男爵家の庶子だったことが判明し、この王立学園に編入してきた。
彼女が発明したポテチやらオセロやらパンチングマシンやらプロテイン飲料やらのおかげで、男爵家はなかなかに羽振りが良いと聞く。
急に話をふられて驚いたのか、イン子は「エッ」とか「アッ」とか声を漏らしながらワタワタしていたが、最終的に小さくお辞儀を返してきた。
そんなふたりの背後で扇形に並んでいる、美麗な男たち。
宰相子息のインテリ眼鏡、エリアス・フォン・ローゼンタール様。
騎士団長子息の熱血体育会系、ゼノス・ヴォルグ・ブラッドフォード様。
正教会の次期聖子、セレスティン・ド・ラ・クロワ様。
貴族じゃないけど頼れる担任の、ギルバート・ミゼール先生。
時々ふらりと現れる謎の美青年、リュッカ。
いろいろチグハグな文化と、やたら美形の多いこの世の中が何を指しているのかは明白だ。
リディアは早々に彼女を転生者と睨み、可能な限り接触を避けてきた。
──だって怪しいもの。名前が。
しかし、こうなってはその努力も無駄だったようだ。
「そのような卑しい心根の持ち主を王妃とするわけにはいない。よって、私はここに汝との婚約を破棄を宣言し、このイン子を妃とする!」
イン子が「ェェー!」と小さく叫び、ふたりを取り巻くイケメンたちはどこか心ここに在らずのように、それぞれ明後日を向いている。
──後ろのイケメンたちって何の為にいるのかしら。誰か「ちょっと待ったー!」コールとかしたら面白いのに。
「はあ、いじめですか……」
リディアは扇子を広げて溜息を隠した。
「そんなことをする訳がございませんわ。先週、生徒会でいじめゼロ宣言のポスターを作ったばかりではないですか」
「その通りだ。生徒へはいじめゼロを啓蒙しながら自らは陰でいじめを行うなど、猶更度し難い」
「……わたくしが、何をしたと?」
「いいだろう、引導を渡してやる。まずお前は、イン子の荷物を漁り、ダンスの教科書を燃やした! まったく、卑劣極まりない」
「意義あり。殿下、ダンスの授業は教科書ありませんわ」
アルフレッドの頬に一瞬朱が走った。ダンスは必修なので、皆同じ授業を受けたことがあるはずだ。
「くっ。先週の木曜に足を引っ掛けて転ばせた!」
「木曜は一緒に生徒会室でポスターを描いていたではありませんか」
「先々週の火曜日にイン子の上靴を隠した!」
「その日はすぐに下校して、王宮のテラスで一緒にお茶しましたわよね。上靴を隠しに行く時間はありませんでしたわ」
「日曜日にイン子を階段から突き落とした!」
「日曜は一緒にアイス食べに行ってたでしょう、お忍びで」
ぐぬぬと窮するアルフレッドの醜態に、観衆の視線が徐々に白けたものに変わり、立食スペースでは肉に手を出す猛者も現れ始めた。
「殿下……。そんな、みえみえの嘘をついてまで、わたくしとの婚約を破棄したいのですか」
「……そうだ」
アルフレッドが、さっきまで吊り上げていた眦を逸らし、磨き上げられたつま先を向いた。
──悪役令嬢に転生したらしいと分かってから、いじめをしないのは勿論、殿下との関係構築にも気を配っていたはずだった。でも、そんなものは強制力の前では意味がないらしい。
「……わたくしのことは、もう愛していらっしゃらないのですね」
リディアのしんみりとした声が、活気を取り戻し始めたフロアに沁みる。
「……愛しているに決まっている!!」
アルフレッドが絶叫した。
「えっ」
突然の絶叫に観客も肉を置いて視線を戻した。
「だって俺がヒロインと結ばれなきゃ、邪竜が復活するだろう!!」
「えっ」
「俺が独りよがりの愛を貫いたって、人類が滅亡したら意味がない! 俺が攻略されれば、人類は救われる。お前はどこかで誰かと幸せになれる! 俺はお前と民を守るためにイン子を選ぶ! 俺は! 王子だから!」
あまりにも激しいアルフレッドの独白に、周囲は「えっ」というのも憚られて見守った。
イン子だけが「ェェェー……」と鳴きながら困惑している。
「あ、邪竜なら僕が孵る前に目玉焼きにして食っときました」
そこに宰相子息エリアス様が、眼鏡をクイと上げながら口火を切った。
「えっ」
「祭壇のあった祠は潰してアミューズメントパークに改装済みだ」
次期聖子のセレスティン様が罰当たりなことを事後報告した。
「えっ」
「瘴気が溜まらないように、ボランティア部で定期的に清掃活動をしている」
ボランティア部顧問のギルバート先生も乗っかった。
「えっ」
「俺も、いつ邪竜が復活してもいいように筋トレしてた!」
騎士団長子息のゼノス様も胸を張った。
謎の美青年リュッカは特にいうこともなかったのか、謎に鼻でフッと笑った。謎だ。
なんとも言えない空気が会場を包み込み、アルフレッドはがっくりと膝をついた。
「……お前らも、このゲームを知っていたのか」
絞り出す声を滲ませているのは安堵か、徒労感か。
「ああ。イン子があからさまに転生者ムーブしているので、監視目的で取り巻きに加わっていた」
謎の美青年リュッカ様がイン子に纏わりついていた理由が分かった。
「自分が攻略対象だと分かった時点で、イベントに先んじて目玉焼きを」
宰相子息のエリアス様が眼鏡をクイと上げながら、賢そうであんまり賢くない顛末を語った。
「私も、まさか他にも転生者がいるとは思わず……。とりあえず祭壇を破壊しようかと」
次期聖子のセレスティン様が優美な見た目に似合わず豪快に問題を吹き飛ばした。
観衆からも「邪竜だって」「今更……」という囁きで漣ができている。
この学園、どれだけ転生者が潜んでいるのか。
「皆様、転生者だったんですのね。ちょっと待ったコールが起きないわけですわ」
リディアがトドメをさすと、アルフレッドは完全に力尽きて踊り場に蹲ってしまった。
そこでやっと、「メェェェー……」と鳴いていただけのイン子がおずおずと会話に加わった。
「あの、あのぅ……。邪竜って、なんですか?」
イン子だけが何も分かっていなかった。
「え、あなた転生者じゃないの? ポテチとかオセロとか色々してたじゃないの」
「そうだ。自分もあれでお前が悪質プレイヤーと踏んで監視をしていたのだ」
リディアとリュッカの追及にイン子はピャッと震えた。
「あれは、全部ゼノス様が下さったもので……。私は何も」
すべての視線が騎士団長子息に集まると、彼は悪びれもなく頭を搔いた。
「いやあ、イン子ちゃん可愛いし。喜んでくれるから、つい」
「……パンチングマシンとプロテインの時点で気づくべきだった! この脳筋がァ!」
普段は優しい先生の雷が落ちたところで、イン子がトテトテと蹲るアルフレッドの前に行き、ペコリと頭を下げた。
「王子様。お気持ちは有難かったですけど、私、二股とか駄目な人なんで。ごめんなさい」
「……俺は一体何と戦ってきたんだ」
在りもしない敵と孤軍奮闘し、観客からは生暖かい目を向けられ、好きでもない女と結婚しようとした挙句に断られ。
顔を隠すように蹲ったアルフレッドの塊から、不貞腐れたような声が漏れた。
茶番がひととおり終わったところでプロム的なパーティはお開きのようで、三々五々人が減っていく。
「手段には再考の余地がありますが、私心を捨てて民を守るそのお覚悟、しっかりと届きました」
リディアは彼の傍らにしゃがみ込むと、耳元にそっと囁いた。
「……格好よかったですよ」
悪役令嬢に転生したらしいと分かってから、リディアはいじめをしないのは勿論、殿下との関係構築にも気を配っていた。
それで情が移らないほど、リディアは冷淡な性格ではないのだ。
──馬鹿な子ほど可愛いって、前世でも言ったものね。
リディアは蹲る男の、髪から覗く真っ赤な耳を指でつついた。




