同棲、同居? 13
水沢のおじさんと拓海君との夕食会でのおじさんの発言。
お父さんの転勤にお母さんも一緒に行くことを家族で話し合った末に決めた。大学が始まり、お父さんとお母さんがシンガポールに行けば一人暮らしを始めることになると考えていた私に、水沢のおじさんの提案は漠然と想像の中で一緒に暮らす私と拓海君、という画像からもっとくっきりとした将来の現実味を帯びたものに変わった。
そのあと、拓海君の口から出た結婚の二文字。拓海君が先の将来まで本当にきちんと考えていてくれたという事に驚いた半面、嬉しかった。
水沢のおじさんと拓海君が話し合いをした後、私抜きで岡本家、水沢家の話し合いが行われ、親だけの話し合いが行われ、5人での話し合いが行われた。拓海君と二人で話す時間も何とかとることが出来た。
最終的には最初の一年は水沢家にお世話になり、その後、そのまま一緒に住んでもいいし、一人暮らしを始めてもいい、という方向で決定した。最初から一人暮らしをして、拓海君が私のアパートに遊びに行く、という状況よりも水沢のおじさんの監視の目が届く実家暮らしの方がすこしばかり父の安心度が上がる、という結論だったのだと思う。
大人になれば私たちがお互いを思う気持ちに変化も出るかもしれない、という親の心配もあった。
お父さんはお母さんが日本に残る、という事も真剣に考えていたようだけれど、お母さんも私も、それは絶対に無理だろう、と、あきらめてもらう事にした。
大学入学後、最初の土曜日、転勤前にやることが山積みになっているお父さんを置いて拓海君のお母さんのお墓にあいさつに出掛けた。お母さんと私と拓海君の3人で。会ったことのない写真でしか見たことのない拓海君のお母さんに私の知っている拓海君の話をたくさんして、お礼を言った。かなり長い間墓前で手を合わせていた私だけれど、お母さんのほうが私よりも長く手を合わせていたと思う。母親として話すことがたくさんあったのだと、後から言っていた。
お父さんを送り出してから一週間ほど経った日に、シンガポールに送る荷物をまとめて輸送を済ませ、私の荷物は隣に移動するだけとなった。大きな家具を移動する必要もなかったけれど、この先、一人暮らしを始めるのであれば必要になるかもしれない家具は水沢家の物置に入れさせてもらった。始まったばかりの大学生活にも慣れ、お隣りへの引っ越しを済ませ、空っぽになった4年間お世話になった我が家を見てお母さんと私は少し泣いた。
お母さんが
「拓海君とは同居、だからね。同棲を始めるときにはちゃんと話し合いをしようね。」
といたずらっぽく笑って言った。お母さんなりの釘の刺し方。
そのあと、
「学生結婚でもお母さんは構わないから。」
にっこり笑って、私の背中を押すと家を出た。
これから新しい生活が始まる。
お付き合いいただきありがとうございました。その後の二人のことも書いていきたかったのですが、とりあえず、ここで区切らせていただきます。




