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永遠のローラ 第Ⅲ部 (1)

 セシル・マグワイアは何をやらせても駄目な子供だった。

 学校の成績は言語学も幾何も代数も化学も、その他どの教科もあまりぱっとせず――五段階評価でどれも2であった。かといって美術の才能があるでもなく、スポーツが得意というわけでもなく――彼の父オーギュスト・マグワイアは、亡き妻が残したこの一粒種に見切りをつけると、さっさと再婚して、その新しい妻との間に男の子をもうけた。そして彼をマグワイア家の跡継ぎとして、英才教育を受けさせることにしたのである。

 その時セシルは十三歳で、広い屋敷の中で身の置きどころのない思いを三年の間味わったあと――十六歳でダーシントンにある、陸軍士官学校に入学した。

 彼の父はロカルノンの名士で、今でこそロカルノン・ホテルの経営者であるが、若い頃には戦争に狩りだされて出征した経験があったので――セシルが陸軍に入隊すると言った時、初めて自分の息子のことを誇らしく思ったのであった。セシルにしても、別に是非とも陸軍に入隊したいといったような熱意があったわけではなく、せめて父親に少しばかり自分のことを世間に誇ってもらえるようにならなくてはとの孝行心から、陸軍へ入隊することを決意したのであった。

 上流階級に属する貴族の子息が陸軍や海軍に入隊して将校になる道を選ぶのは、昔からそう珍しい話ではない。何故なら大抵の場合、財産を継ぐのは長男と決まっており、その下の次男や三男は、親の脛をかじることなく自分の力で生きる道を模索しなくてはならなかったからである。そこで陸軍や海軍に所属して、ある程度階級が上がった頃に持参金のたっぷりついた貴族の娘と結婚したりするわけだ――今も昔も将校というのは、貴族の娘たちに人気があったから。

 だがセシルにはそんな目論みなど最初からまるでなかった。士官学校で正規の訓練を三年受けたあと、ロンバルディア大陸に渡ってユーディン帝国とロンバルディー王国の内戦に中立の立場で参加し、実践を積んだのであったが――彼は階級が大佐なった二十八歳の時も、まだ独り者であった。

 セシルはもともと、女という生きものが嫌いだった。同じ将校仲間からはよく<食わず嫌い>とからかわれるが、セシルには女という生きものがまるで理解できなかった。それは彼がまだ物心もつかない時に母を亡くし、それからも母性というものに縁遠かったせいかもしれない。父の再婚相手もまた、金目当てで結婚したといったような女で、彼は生まれてから一度も、女と呼ばれる種族から愛されたという記憶がなかった――唯一、乳母のサラ以外は。

 学校の先生も家庭教師も、どちらも女性ではあったのだが、ふたりとも厳しい面構えのいかつい感じをしたオードルミスで、セシルの分類では、女と呼ばれる生きものはそうガミガミ怒鳴りもしなければ、鞭を振るうこともないはずであった。学校の同級生の女の子たちにも、一度として好かれたという記憶がない。

 ダンスパーティでも、いわゆる壁の花と呼ばれる女性たちからでさえ――彼は嫌厭された。それはおそらく、セシルの容貌があまりに近づきにくい印象を彼女たちに与えたためだろう。

 身長はどの学年でも、まわりの男の子たちより頭一個分高く、がっしりとした肩幅を持つ彼は、その上に乗った顔がいつでも無表情であった。砂色の艶のない髪に、やぶ睨みの大きな灰色の瞳、唇は薄くて色素があまりないような印象であった。それでも彼の顔立ちをよく見れば――輪郭が整っていて、鼻もなかなかいい形をしているし、特にその横顔などは、美青年といってもなんら差し支えなかったであろう。

 だが彼は女の子たちにまるでもてなかったし人気もでなかったが、かわりに男たちとはすぐに友達になれるという一種の才能を持っていた。陸軍でもセシルはその才能を発揮して、横柄な上官と生意気な下士官との間のパイプ役になったり、仲間うちで揉めごとが起きた時にはクッションのような役割を担ったりと――やたら男にだけは好かれたものであった。

 そうしてセシルは、いつ地雷を踏んでもおかしくないような森の中を匍匐前進したり、長い銃撃戦の果てに大量虐殺が疑われるユーディンの捕虜収容所からシオン人たちを解放したりしている九年の間に異例の出世を果たして、ついに大佐となったわけであるが、彼はその間に本国へ帰還する機会が何度もあったにも関わらず――ほとんど滅多に帰国するということがなかった。

 長い軍隊生活の中で、彼自身何度も負傷し、病魔と闘い、生死の境をさまよったりデッドラインを越える経験を幾度もしたりと、セシルが自分でちょっと振り返ってみただけでも、ただほとんど運の良さだけで戦場をなんとか切り抜けて生きてきたようなところがある。また本国のロカルノンにある陸軍省やダーシントン陸軍士官学校で、執務官としての職や教官としての役職に就くこともできたにも関わらず――セシルは以前として現地で指揮をとることに拘り続けた。

 何故なら、セシルが自分が今生きている、こんなにも自分の存在が必要とされていると痛感できるのは軍隊生活の中だけで、故郷へ帰ってみたところで、人々からは偽りの尊敬しか得られないからであった。彼とは違い、他の将校たちは本国へ帰れるとなると、頭の中は家族のことや恋人、母や妻の手料理、パーティ、酒、賭博、娼婦、柔らかいベッド……といったようなことで満たされるようなのであるが、セシルの頭の中はあくまで空っぽであった。家に帰っても真に情愛の感じられるような家族が暖かく迎えてくれるわけでもなく、義理で開かれたようなパーティで無理をして壁の花の女性のひとりと踊っても、大して楽しいわけでもなく――ただ社交界の人々は彼の襟元に光る大佐の徽章や、胸元に輝く戦功十字勲章を素晴らしいと言って褒め讃えるのみで、誰も<セシル本人>に興味を持ってくれる人間はいなかったのである。

 それでも時々、周囲の人間に何かと勧められることもあり、結婚でもすればこの空虚さが埋まるのだろうかとセシル自身も考えることはあるのだが――彼はなんといっても根がロマンチストであった。セシルの考えによれば、無理にお見合いのようなことなどしなくても、この世界のどこかに自分の伴侶として定められた運命の女性が存在するのなら、必ず自分はその女に巡り会えるはずだとの信念があった。

 だがいつまでたってもそのような女性が現れないということは――おそらく自分は結婚する運命にないか、一生の間独身でいる運命の元に生まれたのであろうとセシルは考えた。そして彼の心の空虚さを埋めてくれる唯一のもの――それが戦場の中の軍隊生活であった。






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