永遠のローラ 第Ⅲ部 エピローグ
ふたりが結婚して一年後に、セシルとローラの間には子供が生まれた。その子供は男の子で、セシルはその子にローラの一番初めの夫、トミーの名前をつけた。
「……本当にいいの?」
産着に包まれた可愛らしい青い瞳の赤ん坊をあやしながら、ローラはためらいがちにセシルにそう聞いた。
「何がだい、ローラ?」と、セシルはマントルピースの上の、トミーの軍服姿の写真を手にしながら言った。「君の前の夫はふたりとも、とても素晴らしい人だった。それなのに横暴としか思えない運命の手が、まだ若かったそのふたりの命を強引に奪っていったんだ。せめて君の子供の名前にくらい、その存在の名残りを留めたいと俺は思うんだ。もしローラに、他にどうしてもつけたい名前があるとか、そういうことなら……」
「いいえ――いいえ、そうじゃないの」
ローラはすうすうと可愛らしい寝息をたてて眠りはじめた我が子を台所へ連れていくと、そこで声を押し殺して泣いた。この子供は何故か目元がトミーにそっくりだった!だが彼女にはどうしても、最初の夫の名前を名づけたいとは、セシルに言いだせなかったのだ。
セシルにはセシルで、やはり彼なりの考えというものがあり――元軍人である彼には、トミー・フラナガンの尊い犠牲とその死を、無駄にすることは許されないという思いがかねてよりずっと胸にあったので――何故なら彼がガリューダ半島の兵舎病院でコレラになどならなければ、自分がローラと結婚するようなことはまずありえなかっただろうからだ。
そして第一子、トミーの誕生から二年後、ふたりの間には双子の男の赤ちゃんが生まれた。その時ローラは初めて、ふたり目の夫、アンソニーの本名がシェーンであることをセシルに打ちあけ、双子の赤ん坊の名前をアンソニーとシェーンにしたいと思う、と夫に頼んだのだったが――ちょうど、ふたりが元気な産声をあげたその翌日、差しだし人にまるで心のあたりのない一通の手紙が、ローラの元へと届いた。それはユージン・メルヴィルこと、ジョン・シモンズの母、アーシェラ・J・ペネロープのもので、息子の葬式をあげてくれたローラに対する謝意が、手紙の中で述べられていた。
<まるで名前に聞き覚えのない人間からの突然の手紙で、さぞかし驚きなすったことと思います……わたしはユージン・メルヴィルと名のっていた男の母で、今はロカルノンの養護学校で教師をしている者です。面倒な手間は省いて、単刀直入に申しましょう……わたしは三十年も昔にジョン・シモンズという男の子供を身篭ったのですが、いわゆる私生児としてわたしはあの子を産み落としたのでした……しかし当時は事情が許さず、泣く泣く聖フェリシア孤児院へあの子を預けたのでございます。その後二十年以上が過ぎてから、親と名乗ることは許されないとわかっていながらも、成長したあの子に会いにゆきました……ちょうどあの子が勤めていたジェフリー会計事務所が横領などの疑いで査察を受けていた頃のことです。けれどもあの子は自分には親などいない、これからもひとりで生きていくと言って、母親の話す事情になど、これっぽっちも耳を傾けてはくれませんでした。それも当然のこととは思いながらも、その後あの子がロカルノンから姿を消したあとも、わたしはあの子の行方を探していたのでございます……これはわたしの直感のようなものですが、ジェフリー氏の横領事件にあの子自身も関わっていたのではないかという気がして、もしあの子が捕まるようなことにでもなったとしたら……虫のいい話かもしれませんが、わたしは牢獄にでもどこへでも会いにいこうだなどと考えていたのです。それから暫くののち、あなたの夫、アンソニー・レイノルズ氏から、連絡がありました。ジョンはユージン・メルヴィルと名前を変えてはいるが、あの横領事件にはなんの関係もなく、元気にやっているから何も心配いらないと……わたしはその後重い病いに倒れて長く入院生活を送っていたのですが、毎日考えるのはジョンのことばかりでした。もしかしたら信じてもらえないかもしれませんが、あの子の父親は有名な音楽家で、とても素晴らしい、品位のある、頭のいい人だったのです。わたしがこのように恥知らずにもあなたさまに手紙をお出ししましたのは、先頃生涯独身だったシモンズ氏から、遺産を分けていただいた結果、そのお金であの子が今どこでどうしているかを調べてもらっているうちに――あなたが可哀想なあの子のために、なんの縁もゆかりもないにも関わらず、夫の親友であったというただそれだけで、お葬式をあげてくださったと聞いたからなのでございます。本当に、なんとお礼を申し上げたらいいか、言葉も見つかりません。近いうちに、あの子のお墓を訪ねにいきたいと思っているのですが……御迷惑ではないでしょうか?……>
ローラはその手紙を、涙で濡らしながら読んだ。今、三児の母となったローラには、自分がお腹を痛めて産んだ我が子を手放すのがどんなにつらいことか――ミス=ペネロープの気持ちが痛いくらいよくわかっていたのである。そしてセシルにもその手紙を見せ、アンソニーとユージンがどんなに仲が良かったかということを話すと、双子の赤ちゃんの名前を、ジョンとシェーンにしてはいけないだろうかと、夫に頼んだ。
「いいんじゃないか?ジョンとシェーン……名前の響きも、悪くない感じだ。それに、村の人の中で、彼らの本名を知っていた人は誰もいないんだろう?その上、墓に刻まれた名前までが偽名だなんて……ちょっと悲しすぎる感じがする。せめて生きている者には本物の名前をあげてもいいんじゃないかな」
実際のところ、セシルには子供の名前などどうでもよかった。こうして三人とも、元気にこの世に生を受けてくれたというだけで――彼には十分満足だった。もっとも、ローラがオーガスタス・ジェラルド・ハリス・マクガイアとか、アレクサンダー・オースティン・ライオネル・マクガイアとか、そうした大仰な名前をつけようとしたとしたら、いくら理解ある優しい夫の彼も、どんなことをしてでも妻の考えを変えさせようと、やっきになったに違いないが。
セシルとローラの間に双子の赤ん坊が生まれた頃には、隣家のマコーマック家でも三人の女の子が誕生していた。一番上のエディスは今四歳で、次女のルイーザは二歳、三女のメイベルは一歳だった。村人たちはこの頃には、ロチェスターの魔女云々といったようなことは一切口にしなくなっていた――マーシーにしてみたところで、私生児とはいえ、その父や母、祖父や祖母、曾祖父や曾祖母が誰か、ある程度はっきりしていたし、その中には名門貴族のウィルバー家の血さえ流れているのである。それに、これから電気やガスや水道といった設備がこの田舎の村にも整えられようとしている時代に――魔女?いやいや、もしそんな未来をぴたりと予言したり、人を呪う力があるなら、サーカス団にでも入って一儲けするのがいいだろう……人々はそんなふうに考えて、今では川が赤く濁ろうと、蛙が大量発生しようと、エメリン・ゴールディのせいにする者はほとんどなかったといってよい。
セシルの予想していたとおり、開発の波は、ローラがのんびり想像していたより早く、ロチェスター村を近代化した。ロチェスターホテルを中心にして、そこに勤めるメイドやボーイなどのために近隣には次々と住居が建てられ、人口の流入もたったの三年ほどで以前の倍にも増えた。ロチェスターの名産物はじゃがいもに玉葱、林檎にハッカといった農産物が主要だったわけだが、今ではこれにロチェスターバーガーやロチェスタードッグ、それにマイク・マコーマックの作る木彫りの動物の像などが加わっていた。
ロチェスターホテルに避暑にやってきた都会の客は、パーラースミスの料理の味が忘れられないといって、その中の富豪たちは競って店の二号店をロカルノンに進出させるべきだと言いあい、その権利を我がものにしようとやっきになった。結局のところその権利はシンディと仲の良かったティム・マクガイアの手に渡り、ふたりが結婚した十年後には――ローラがレシピを考え、マックルーア夫人が料理ストーブの前で顔を真っ赤にして繁盛させたその店は、タリス国に支店を二十店舗以上も抱える事業に成長していた。
またマイク・マコーマックの木彫りの動物の像に至っては――彼の死後もオークションなどで高値で取引されていたし、マイクから木彫りの技術を小さな頃から教えこまれていたマーシーもまた、農作業が暇になる冬場はそれで大分高額の金を稼ぎだしていたのであった。そして彼は晩年には、マイクとは違って弟子を何人か育てあげ、彼の血の繋がらない父ともいえる存在のマイク、またマイクにとっての血の繋がらない父であったジェイクの技術を伝承していったのであった。
ロカルノンホテルが建設されて十年もしないうちに、村には電気・ガス・水道といった設備が隅々まで整えられ、ローラもまたこの最先端の科学技術の前に屈伏せざるをえなかった。だが彼女は死ぬまで――自然の精のルベドに忠実に生きた。三番目の夫となるセシルが彼女の前に現れるまで、ローラは自然の精ルベド、最初の夫トミー、二番目の夫のアンソニーのことを聖なる三位一体と呼んで信仰していたわけだが、セシルと結婚してからは健全なキリスト教信仰をとり戻しつつも、やはりカルダンの森で、ルベドと語らいの一時を持つのを忘れなかった。
ロチェスター村はローラとセシルが結婚した十年後、村ではなく市となり、最初の市長にはステファン・アーヴィングが選ばれた。その頃には市の住民の数は三万人にまで増え、自然豊かな大地は次々と姿を消していったが、ローラは市の中心部の緑に話しかけては、彼らがやはり挨拶の言葉を口にするのを聞き、文明がどんなに盛えようとも、彼らが死ぬことは永久にないのだと、安心したものであった。
ローラは晩年、一冊の本をガルブレイス出版社から出版している。本の名前は『ローラ母さんのお料理ノート』というもので、ドナの夫のケネスが、彼女に強く出版を勧めて実現したものであった。この本を読めば、料理用ストーブで調理をしていた昔の食卓事情などがよくわかるが、残念なことに彼女の死後、すぐにこの本は絶版になってしまった。おそらく現代とは実用性という意味において、あまり役に立たなくなってしまったせいなのだろう。
また作家のケネス・ミラーがセシルから話を聞いて著した『陸軍物語』は、出版当時ベストセラーとなったわけだが――こちらのほうは、今でもガルブレイス出版社のほうから入手が可能となっている。ペンは剣よりも強しと言うべきか、この本の後半にでてくるアルファシノク捕虜収容所、そこの施設長であるアイザック・ハインリヒ・アイヒマン、このふたつの実在する名前のために、アシモフ・モールヴィは捕虜収容所から無事釈放されることができたのであった。ユーディン軍の検閲官のひとりが敵軍の事情をよく知るために、この本をわざわざ海の向こうからとり寄せて訳してみたところ、これはまずいのではないかと彼は思い、すぐ上官に報告したのであった。その結果、アルファシノク捕虜収容所は閉鎖されることが決まり、アイヒマンは軍法会議にかけられると、満場一致で銃殺刑が確定したのであった。
捕虜収容所から晴れて自由の身となったアシモフは、ロチェスターのローズ邸に招かれた日の夜、積もる話をセシルとしたあと、彼からアナスタシア戦功勲章をもらった。これは自分のものではないからとセシルは言い、アシモフは男泣きしながら、セシルからそれを首にかけてもらったのであった。
その後アシモフはセシルからダーシントンにある陸軍士官学校の教官の仕事を世話してもらったのだが、彼の元には軍人崩れのろくでなしどもがしょっちゅう金を借りにきたので、生涯に渡って彼の生活はそれほど裕福とはいえなかった――だがアシモフは連帯保証人として多額の借金を抱えこんだ時でさえ、セシルにだけは金を借りにいかなかったし、アナスタシア戦功勲章を誰かに売り渡すということもしなかったのである。
ローラとセシルの長男、トミー・マクガイアは父親と同じく、十六歳になると陸軍士官学校に入り、その三年後にはユーディン軍とロンバルディー軍の度重なる小競りあいを鎮圧するため、海を渡って出征していった――ローラは息子が軍人になると言いだした時から不吉な予感がしていたので、胸が張り裂けんばかりの思いで息子を軍港から見送ったわけだが、トミーは一時行方不明となり、戦死が疑われながらも、二国間で平和条約が締結された半年後に、無事祖国へ戻ってくることができた。そして父と同じアナスタシア戦功勲章をその身に受けたのである。
次男のジョンは小さな頃から頭がよく、ロカルノン大学の医学部にストレートで合格すると、極めて優秀な成績で大学を卒業し、軍医として戦場へ赴き片腕を失ったあと――ロチェスターに戻ってきて開業医となった。
三男のシェーンはローズ農場を継ぎ、十八歳の時、マコーマック家の次女、ルイーザと結婚した。この時、すでにジョサイア・フラナガンはガンが脳のほうに転移して亡くなっていたので――ジョスリンは夫が亡くなる前、意識のはっきりしている時にふたりでとり決めて、フラナガン農場をセシルとローラに譲ることにしたのであった。
そして夫のジョサイアの死後、ジョスリンはローズ邸で暮らし、三人の子供のうちでは(表面上は平等に扱いながらも)長男のトミーのことをもっとも愛した。ローズ邸にはグリーンリバーサイドのダイアナ・ローズが夫のエドワードの死後にやってきたので、彼女のリュウマチの愚痴を子供たちは嫌というほど聞かされたものであったが――彼女が脳卒中で倒れると、今度はジョスリンがローズ邸へくることになり……といった具合に、いつでも家の中は争いも何もなく平和であったとは言い難かったかもしれない。
けれどもセシルはよく家庭をおさめ、嫁のルイーザとジョスリンがぶつかり、ローラがその間で苦しい立場にいる時には、ふたりきりの時に彼女のことを優しく慰めたり、また息子のシェーンにルイーザともっとうまくやるよう忠告したりした。
セシルとローラはその後も長生きをし、セシルは八十七歳で、またローラはその翌年に七十八歳で亡くなったのだが――色々なことがありながらも、ふたりの人生は概して幸福なものであった。
トミー・マクガイアは、陸軍の准将となった時、その波乱にとんだ半生を振り返って書物に著そうと考え、その最初の言葉としてこう書いている。
「わたしの父と母は、互いに深く愛しあい、また尊敬しあっており、喧嘩をしているのを子供たちが見たことなど、ただの一度もなかった。だからわたしは夫婦というのはどこもこういうものなのだと思い、疑問に感じたことがなかったので――時々、隣家のマコーマックのおじさんがエミリアおばさんと激しい喧嘩をしているのを見ると、これはどういうことなのだろうと不思議で仕方がなかったものである……」
セシルとローラが本当にただの一度も喧嘩しなかったのかどうかはわからないが、ふたりが仲睦まじい夫婦であり、ロチェスターで一番のおしどり夫婦として有名だったのは事実である。セシルが病死した翌年のちょうど同じ七月十七日にローラが亡くなると、人々はこう噂しあったものだった――仲のいい夫婦は片一方が死ぬと、後を追うようにもう一方も亡くなるというが、あれはどうやら本当のことのようだね、と……。
終わり