03 第2戦「噂に揺れる川面」
第2戦・後編「噂に揺れる川面」
アルト=グレイの竿が水面を裂き、白い飛沫が高く舞い上がった。
観客席から歓声が飛ぶ。華やかな所作に、まるで舞台役者を見ているかのように拍手が沸いた。
「すごい! まるで竿さばきが舞だわ」
「アルト様ならではね。ナナシィ嬢では比べ物にならない」
囁きが波のように広がる。そのすべてが、ナナシィを小さく押し潰そうとしていた。
だが彼女は呼吸を整え、竿を握り直す。
川の流れが見える。風が木々を揺らし、水面にさざ波を立てる。
……私は、私の釣りをする。
翡翠玉が、胸元で淡い光を放つ。
小さな鼓動が彼女の感覚を研ぎ澄まし、川面の動きと魚の気配を一つに繋いでいく。
その時、川面に大きな影が走った。
水飛沫の奥から、銀色の魚体が跳ね上がる。観客が息を呑んだ。
「出た! ここの難敵だ!」
巨大な鱗を持つ大魚、アルトが狙うのは、盆地の川で最も知られた難物だった。
彼は竿を軽快に操り、巧みに魚を誘い出す。
「ほら見ろ! あの美しい軌跡!」
「やはりアルト様が本命だ」
観客席は彼の一挙一動に喝采を浴びせる。
その一方で、ナナシィは静かに水面を見つめていた。
翡翠玉が脈打ち、波紋が右へ広がる。
――右だ。
彼女は迷わず竿を振る。仕掛けが水に潜り、見えなかった別の魚の影が動く。
観客がざわめく。
「何をしているんだ? 本命はアルトの魚だろう」
「やはり素人だ。勘違いも甚だしい」
しかし次の瞬間、水面から飛沫が弾けた。
ナナシィの仕掛けに引き寄せられた魚が、大きく跳ね上がったのだ。
銀鱗が陽光を反射し、鮮やかな弧を描く。
「……っ!」
腕に強い衝撃が走る。だが、ナナシィは歯を食いしばって耐える。
観客の声が一層大きくなった。
「なんだ? 本当に釣り上げるのか?」
「いや、偶然だ! きっと!」
アルトも気づいた。
「なるほど。分け前を狙うか」
冷笑を浮かべながら竿を操り、己の魚を引き寄せる。観客は二つの竿の攻防に釘付けになった。
……ここで負ければ、噂は真実になる。
ナナシィは汗を拭う暇もなく、竿を引いた。
魚が暴れ、糸がきしむ。翡翠玉は静かに光を保っている。
垂直の動きは導かれない。
「ここは、私が決める!」
強く竿を跳ね上げる。
糸がきしみ、水面から大魚が躍り出た。観客がどよめき、歓声が混ざる。
ナナシィは踏みとどまり、体全体で衝撃を受け止めた。
次の瞬間、魚が桟橋に叩きつけられ、仕掛けに絡まった。
静寂。
そして大歓声が爆発した。
「釣り上げた! ナナシィだ!」
「いや、あれは偶然だ!」
「どちらにしても、すごい……!」
評価は割れたまま。だが確かに、彼女は勝利を手にした。
アルトは竿を収め、苦笑を浮かべた。
「……意外だね。まだ“偶然”と片付けられるかどうか」
その言葉を残し、静かに立ち去った。
ナナシィは膝をつき、荒い息を整えながら空を仰ぐ。
胸元の翡翠玉が、かすかに暖かく脈打っていた。
……祖母の声がよみがえる。
“負けることを怖がるな。升はひっくり返っても、また水を受け止める”
彼女は拳を握りしめた。
「私は……まだ釣れる」
観客席の隅で、ティナが小さく頷いた。




