29 歓声と紅蓮鱒
# 歓声と紅蓮鱒
□ティナ視点
市場の広場は、熱気でむせ返るほどだった。
水晶板に映し出された決着の瞬間を、誰もが息を呑んで見守り、そして勝利が告げられた途端に大きな波のような歓声が湧き起こった。
「やった! ナナシィだ!」
「見たかよ! あの竿捌き!」
魚屋の若旦那は台に並べた鮮魚を放り出さんばかりに叫び、茶葉屋の女主人は握りしめていた秤を震わせていた。
庶民たちの声は、ナナシィがただの選手ではなく、彼らの希望になりつつあることを示していた。
ティナは屋台の影で、人々の表情を一つひとつ目に焼き付けた。
熱狂は情報だ。市場の声の大きさが、そのまま力になる――彼女自身は理由を知らぬまま、直感的にその重みを理解していた。
「……こりゃ、ただの勝利じゃないね」
帳面にさらりと記すと、ティナは人混みを抜け、次なる目的地へと足を向けた。
□レッド派会合中に届く珍味
赤の間。
勝利の余韻を伝える報せと同時に、扉をくぐった侍女が大きな包みを運び込んだ。
包みが解かれると、そこに現れたのは――銀紅に輝く魚の干物。
「紅蓮鱒……!」
年配の重鎮が思わず声を上げた。
「十年は口にしておらん。まさか、今この時に届くとは」
卓上に並べられた熟成干しの切り身は、芳醇な香りを漂わせた。
杯と共に供されると、場の空気は一転し、ざわめきと笑いが広がる。
「これは祝いの酒に相応しいな」
「ナナシィの勝利と共に味わえるとは、何とも縁起がよい」
若手が満面の笑みを浮かべ、杯を掲げる。
一方で慎重派の年配は口をすぼめたままだったが、それでも珍味の香りに押されるように、言葉を和らげざるを得なかった。
「……庶民の娘とはいえ、これだけの熱狂を背にしている。軽視はできまい」
そのひと言に、場は静まり返った。
やがて別の重鎮が頷き、声を重ねる。
「ならば、決勝までは支援の手を惜しむべきではあるまい」
杯が触れ合い、紅蓮鱒の香りが漂う中、会合はようやく和やかさを取り戻した。
しかし、その影で、誰もが知っていた。
――決勝は、これまでとは比べ物にならない戦いになることを。




